EPISODE3 二階堂ジュウイチ

 送られてきた地図を頼りに、車を走らせること二十分。

 猫山マサシの家は、住宅街のど真ん中にある。

 付近に駐車場も見当たらないため、少し離れた時間貸駐車場に車を置いておく。

 ここからは歩きだな。

 左手首のデバイスで時間を確かめる。

 少し脳内を整理する目的で、向かいの喫茶店に入ることにした。

 今はどこも自動スライドドアだが、ここは手押しドアだった。

 チリンチリンとベルは鳴って、店長が席に案内する。

 どうやら店員は、店長の一人のみだ。

 客についても、どうやら自分だけのようだった。

 案内されたカウンター席に座って、メニュー表を見る。

 すると、店長が自慢のコーヒーを勧めてきた。

 押し切られる形で注文し、目の前に湯気の立つコーヒーが置かれた。

 スマホに通知が来ていないことを知ってから、カップに口をつける。



 コーヒーの味が、記憶を刺激する。

 この苦さ……ツカサには飲めないな。

 八歳下の親友、大倉ツカサの姿が思い浮かぶ。

 いや、自分もなに大人ぶっているんだ。

 砂糖がないと飲めない甘党なんだから。

 そういえば、今年の夏……俺の家に来るんだよな。

 布団あったかな。

 あいつも、とうとう大学受験する歳か。

 勉強、教えてやらねぇとな。

 など、ツカサのことばかり考えていた。

 本題のNewTuber連続殺人事件は、脳内からサッパリ消えている。



「店長、いつものだ」



 ベルが鳴って、足音が響いてくる。

 妙に聞き覚えのある靴の音だ。

 カッ、カッ、カッと床を鳴らす革靴の音。



「用意するよ、二階堂さん」

「あれ、警部補?」



 隣に立っていたのは、困り眉の二階堂警部補だった。

 いつもこの時間、警部補はどこかに出かけていたが。

 まさか、この店の常連だったとは。



「龍道川じゃねぇか。ちっ、貸し切り状態が俺をリラックスさせるというのに」

「店長に失礼ですよ」

「はい、お待たせしました。いつもの、です」



 店長は気にすることなく、カウンターにカップを置く。

 二階堂が椅子に座ると、こちらに顔を向ける。

 頼んだコーヒーを無視して、俺を睨み続けていた。

 早く出ていけと言わんばかりの視線だ。

 居心地の悪さを感じて、すぐに自分のコーヒーを飲み干した。

 それから、猫山マサシについて報告する。



「犯人と思しき人物を発見しました。猫山マサシです。これから、訪問しに行くところです」



 スマホに猫山マサシの画像を表示して、カウンターに置く。

 二階堂は顔を寄せて、写真を見ていた。

 頷いて、姿勢を正すと胸ポケットから電子タバコを取り出して、吸い始める。

 ライターのような形状をした黒い筒を口に入れる。

 何も言う様子はなく、ただただ霧状の気体を吐き出していた。

 不気味と言うよりも、急に怒り始めるんじゃないかという雰囲気を醸している。

 俺は居ても立っても居られず、いそいそと会計を済ませた。

 店長もさすがに困惑し、目線が二人の間を行ったり来たりしている。



「それでは警部補、また」



 顔を向けずに、言葉を投げかける。



「チンピラの多い街だ。容赦なく、ぶちのめせ」



 励ましのつもりで言った言葉だろうか。

 確かに、ここらへんはチンピラが多いと聞くが。

 俺は「はい」とだけ呟いて、外へ出た。

 入りと同様、チリンチリンとベルが鳴っているのだが、どうも耳障りな音に感じた。

 こんなことになるんだったら、来るんじゃなかった。

 こびりつく後悔が歩行を遅くしていた。







 新築住宅が立ち並ぶ住宅街から、遠く離れた三角形の建物もうっすらと見える。

 T京都を管轄する警察本部、俗に言う警視庁だ。

 警視庁に見張られている気分で、なんだか落ち着かない。

 さっき、警部補に会ったことも影響しているはずだ。



 真昼間からスーツの男が、怖い顔をして出歩いている。

 そういうことで、こちらを見る奥様方が視線を突き刺してきた。

 正義のために戦っているんだ。

 そう強く心に言い聞かせ、堂々とした姿勢を保ち続けた。

 隙を見せてはならない、と刑事になった自分に誓ったのだ。



 しばらく歩いて、ようやく目的の家が見つかった。

 赤い屋根の一軒家。

 猫山マサシの本拠地だ。

 それを証明するかのように、ドレッドヘアのヤンキー男が玄関前で仁王立ちしている。

 ちらっと二階の窓を見ると、カーテン越しにこちらを覗く人影があった。

 玄関前にいる男、何かに警戒しているな。

 おそらくは、警察の存在を恐れているのだろう。

 二階の人影に睨み返すと、カーテンが揺れて影は消えていた。

 この住宅街に最も似つかわしくない家だ。

 猫山と彫られた表札に近づき、ドレッドヘア男に目を合わせた。



「この家に、猫山マサシというのがいるだろ。話をさせてほしい」



 そう尋ねると、ドレッドヘアを後ろになでつけて、後ろに視線を移す。

 リビングと思われる部屋のカーテンが揺れた。

 二階の人影とは違うみたいだ。



「猫山マサシなら、買い物に出かけているぜ。あんた、何者だ」



 左手に警察手帳を投影し、目と鼻の先に突き付けた。



「警視庁捜査一課の龍道川です。猫山マサシさんに殺人の容疑がかかっていまして。会わせてもらえませんか」



 回りくどく会う理由を伝える必要はない。

 直後に、玄関ドアが開いた。

 分厚い扉の向こうにいたのは猫山マサシではなく、チンピラ二人だった。

 一人は片手にスタンガンを持ち、もう一人はメリケンサックを拳にはめている。

 耳を澄ませると、家の奥から慌ただしく走る音が聞こえてきた。

 その足音を発しているのが、猫山マサシ本人だろう。

 裏から逃げたか。

 チンピラ共は俺を囲むように立つと、辺りに視線を配った。

 人の気配を感じない。

 つまり、俺が殺されるところを”誰も”目撃しないということだ。



「会わせるわけにはいかねぇんだ」



 スタンガンの男が左に立つ。

 メリケンサックの男は姿勢を低くして、右斜め後ろに立っている。

 正面のドレッドヘア男は口角を上げて、ナイフを腰から取り出した。



「わざわざ来てもらって悪いが、あいつのためにも死んでくれ」



 話が終わると、後ろから鉄拳が飛んでくる。

 予想通りの行動で、場違いな感情だが少し安心した。

 身を翻して、その男の顔面に裏拳を放つ。

 鼻を押さえて後退しているところに、飛び込みながら正拳突きを胸に打ち込んだ。

 もちろん全力で突き飛ばす。

 警部補の助言通り、容赦なくぶちのめす。

 吹っ飛んだ男の体は、舗装された地面を転がる。

 これでビビるチンピラではない。



「くらえや!」



 バチバチと火花を散らすスタンガンを、うなじに押し付けようとしてくる。

 すぐさま左足を軸に、右足を回して反撃を試みた。

 後ろ回し蹴りは狙いから逸れて、相手の右肩にめり込んだ。

 本当は側頭部に決めたかったが、それでも強烈な一撃だ。

 スタンガンは宙へと舞っていた。

 武器を失った男は血相を変え、拳を握りながら吼える。



「死ねよ!」



 自分に向かって放たれるパンチを避けて、相手の肩を掴む。

 掴んだ肩を思いっきり引き寄せて、肋骨に目掛けて膝蹴りを噛ました。

 くの字に折れた男に、今度は顎へアッパーカットを放つ。

 体重をのせた拳を空に突き上げて、一人倒した。

 残りは、ナイフを持ったドレッドヘア男だけだ。

 怯えて動けなくなったのか、ナイフを構えたまま表札に背中を預けていた。

 今度は俺から、ゆっくりと威圧をかけながら歩み寄っていく。



「て、てめぇ!」



 男は、ナイフの切先で突き刺してきた。

 その腕を右手で掴んで、男を引き寄せると後頭部に左手を押し付ける。

 そのまま円を描くように回転し、表札に顔面を衝突させた。

 表札は、大量の鼻血で汚れる。

 呻き声を吐きながら、フラフラする足取りで表札から離れる。

 まだ気絶しないか。

 一気に接近して、胴体にジャブを数発、的確に当てていく。

 息をつく暇を与えず、腕の瞬発力を頼りに打ち込んでいった。

 ドレッドヘア男の意識が限界になっているところで、地面を蹴って飛び上がる。

 勢いを衰えさせず、時計回りの空中回し蹴りを側頭部に食い込ませた。

 首が倒れ、肉体は転がっていく。

 蹴った右足を軽く回し、一息ついた後、緩んだネクタイを締め直す。

 その後すぐに、裏から逃げた猫山マサシを追いかけた。







「諦めろ、猫山マサシ!」

「どっかいけよ! くそ!」



 住宅街の中、真剣な表情で逃げる猫山マサシを発見した。

 諦めろと言って諦めるわけはなく、奴は俺から逃走する。

 間違いない、動画でも確認した通り、本人だ。

 ニット帽を深く被り、サングラスをかけ、大きなリュックを背負っている。

 リュックは中身が詰まっているためか、大きく膨れていた。

 そのため、速度が落ちており、すぐに追いつくことができた。

 逃げる奴の肩を手で引っ張り、地面に引き倒す。

 周りを見渡すと、住宅街の交差点に来ていた。

 尻餅を着いた猫山は息を荒くしながら、ズボンのポケットからナイフを取り出し、正面の俺を切りつけてきた。

 右手を手刀の形にして、ナイフを叩き落とす。

 怯んだ猫山に足を引っかけ、背負い投げで地面に投げ飛ばした。

 背中から固い地べたに激突させると、衝撃で目が見開いた。

 しかし、リュックが威力を和らげ、奴はまだ暴れている。



 もう正気じゃなくなっているのだ。

 警察に捕まると知った猫山は、殺す気で暴走している。

 だからこそ、手加減はしない。

 馬乗りになって、奴が来ている黒いシャツの襟を掴み、前腕を頸部へ押し当てる。

 自身の体重を腕にのせたことで負荷が増し、猫山は窒息しそうになっていた。

 ようやく脱力し、観念して両腕を下した。

 俺も立ち上がって、膨れたリュックを奪う。

 横目で猫山の反応を確かめながら、ファスナーを開けた。



「これは、まさか」



 気付いたと同時に、捜査用の白手袋をはめた。

 リュックを覗くと黒いビニールのような物が見え、中から引き抜く。

 それは、黒のレインコートだった。

 ただのレインコートではなく、返り血で黒く汚れている。

 持ち上げているリュックはまだ重い。

 次に出てきたのは、血塗れの包丁とワイヤーロープ。

 底からは黒い革手袋と運動靴が見つかった。

 これらを持って逃げたということは、やはりこいつが。



「マサシさんから……離れろ」



 後ろから苦しそうな声が聞こえる。

 振り向くと、先ほど倒したメリケンサックの男が立っていた。

 もっと痛めつけておくべきだったか。

 拳を構えて、じりじりと距離を詰めてきている。



「マサシさんから離れろ」

「大人しく寝てろよ。また痛い目に遭いたいのか」

「マサシさんから離れろ。マサシさんから離れろ。マサシさんから離れろ……」



 まるで幽霊に取りつかれたように言葉を唱え、慎重に足を進めてくる。

 これでは、ゲームや映画でお馴染みのゾンビみたいだ。

 ゾンビと違って、明確な殺意が感じ取れる。

 大きな声が、この交差点に注目を集めていた。

 人目がちらほらと確認できる。

 しかし、この状況だというのに、警察に通報している素振りはない。

 誰も助けてくれない。

 事が起こった時に、ようやく動き出すつもりなのだ。

 人間の心は鈍感で、正常性バイアスが働いている。

 だから、災害で逃げ遅れたりする事例がある。

 今、頼れるのは自分だけ。



「マサシさんから……離れろー!」



 俺は左足を前に出し、両腕を構えて戦闘態勢に入る。

 敵は叫びながら突進してきた。

 距離は一本の道路を隔て、それなりにあった。

 メリケンサックをはめた右手を振りかざしている。

 雑な攻撃ほど、避けやすいものはない。

 かかってこい、すぐに張り倒してやる。



 突然、目の前に人が飛び出してきた。

 完全に、メリケンサックしか意識していなかった。

 その人を守ろうとしたときには、もう遅かった。

 男は、メリケンサックの拳で殴りかかったのだ。



「避けろ!」



 そんなことを叫んでも、咄嗟に反応できるはずがない。

 そう思っていたが、スーツを着た人物は呑気な口調で返答した。



「誰に向かって、言ってんだよ」



 スーツの人物は飛んできた拳を、片手で軽く往なした。

 思わず見とれるほど、華麗に攻撃をあしらったのだ。

 メリケン男は左手を振るったが、それも簡単に弾かれた。

 何度も殴っているが、そのどれもが命中することなく往なされている。

 抜く手も見せない動作で躱すと、隙を突いて男の顎に掌底打ちを食らわせた。

 体が宙に浮き、交差点に投げ出される。

 男が起き上がる様子はない。

 スーツの人物は手をこすりつけて、ため息をついた。

 そう、その気だるげなため息を知っている。



「だから、言ったろ。容赦なく、ぶちのめせって」

「二階堂警部補……」



 二階堂はメリケンサックを取り上げ、手錠をかける。



「とにかく逮捕だ逮捕。そこのそいつにも、手錠かけろ。いつ暴れだすか、分からんぞ」



 言われた通りに、猫山にも手錠をはめる。

 生気の宿っていない瞳で、手錠を眺めていた。

 さて、色々と問いただしたいことはあるが。



「龍道川! すぐに車を回してこい!」

「分かりました、警部補!」



 俺は駆け出して、車に戻った。

 これで、NewTuber連続殺人事件は一件落着だな。

 と安堵はしたが、どうにも釈然としない部分もある。

 この事件は、想像を絶するほど根深いのかもしれないと密かに思っていた。

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