ver.5.0.16 熊谷ゴロウ
そして、現在。
村雨の体は、人間マルウェアに感染していた。
スーツがうねり、見る見るうちにスーツがはち切れんばかりの肉体へと変化している。
結城博士からの無線が来た。
ソウルスーツのヘルメット部分にあるカメラを通じて、モニターしてくれている。
〈人間マルウェアによって、細胞が変化している。村雨の言った通り、感染度100%ね。もう、全力で殺すしかないわ〉
「ええ……」
村雨は腹の底から大声で吼え、奮起している。
それが終わると、満足した表情で俺を睨みつけた。
「復讐こそが、全てを終わらせる手段だ。あの子達の怨み、私達の後悔は、復讐で晴らしてやる。止められるものなら止めてみろ、ソーシャルヒーロー……!」
「……喋れるのか」
「直に、暴走する。意識が保てるのは、今だけだ」
あまりにも低い声で、そう返答された。
村雨の風格はこれまで戦ってきた感染者と比べて、余りにも異質だった。
奴が生み出す威圧感に飲まれてしまえば、戦う気力が一溜まりもなく消え失せるだろう。
今も、立っているだけで精一杯だ。
ただ、ある違和感があった。
感染度100%というなら、最初にソウルスーツで戦った巨漢ほどのサイズになっているべきではないだろうか。
村雨は、かなりスタイルの良い状態を保っている。
あえて、力ではなく俊敏性を選んだのか。
U急百貨店での感染者のように。
開発者というなら、そういう人間マルウェアも製作可能なはずだ。
だからといって、油断は……。
「死ねよ!」
一瞬、村雨が消えたように思えた。
違う、目が動きに追いつけなかっただけだ。
次に瞬きした時には、目と鼻の先に拳が迫っていた。
「なっ!?」
反応できないまま、顔面を殴りつけられ、後方に吹っ飛ばされる。
このままでは、T天閣から落下する。
幸運にも、背後にあった柱に衝突したおかげで勢いを殺しきってくれた。
衝撃で、柱に亀裂が入っていく。
それだけの威力を証明していた。
柱に全身を打ち付け、息を整えようと試みるが、むせて血を吐き出してしまう。
呼吸が、できない。
「諦めろ!」
面を上げると今度は、遠心力で加速した回し蹴りが飛んできた。
頬を蹴られ、物で散乱する床を転がる。
くそ、考える暇もない。
こうなったら、勘に頼る。
自身の直感を信じて、右腕にオーラを溜める。
残った出力、全てをぶつける!
出力12%分のオーラが宿った右腕を構え、猪のように突進する。
すると、何か硬いものに触れ、顔の上から荒い呼気が聞こえたため、村雨の懐に入ったのだと悟る。
そのまま、顎に向かって右拳を振り上げた。
ドッン、と重い音がする。
顎への衝撃音だ。
あとは、このまま振り抜くだけ……。
「貴様の負けだ!」
怪物の叫び声が響いた途端、俺の体が浮いていく。
呼吸が……しにくい。
首を掴まれているのか!
視界には、村雨の仏頂面が見え、剛腕で首を絞めていた。
微かに息ができるものの、肺に酸素が入ってこない。
その腕を何回も殴るのだが、ビクともしない。
それもそのはず。
スピリットメタルのオーラが切れたのだから。
オーラのない腕で殴ったって、痛くも痒くもない。
「これまでの感染しゃには、力だけをあげるため、巨体にしていたのだ。きん肉量を増やしていたのだよ」
ところどころ流暢な口調だが、俺はもがくことに必死で内容を理解できない。
早く、この手から逃げないと。
「だが、私はすこし異なる。細胞を超活性化させ、量をふやさないまま、筋肉だけを発達させたのだ。ちいさいサイズで、剛力を得た」
頭に血が上っていないせいか、何も考えられなくなってくる。
もう、足掻く力さえ失ってきた。
発達した腕を叩く威力は、子供以下だ。
「ふははは」
奇妙な笑い声が聞こえたかと思うと、有り余る腕力で体を振り回された。
まるで、子供が扱う縫いぐるみの遊び方だ。
意識が飛びそうになりながらも、必死に歯を食いしばって耐えていたが、ついに床へ叩きつけられる。
全身に激痛が走り、情けない呻き声を吐いてしまう。
ようやく、首から手を放してもらったが、立ち上がる力が残っていない。
うつ伏せのまま、動けなくなった。
意識を保つだけで限界だ。
〈大倉くん!〉
〈ツカサくん!〉
「もう、死にそうだな。ありがとう……復讐を終わらせてくれて」
誰かの声が聞こえるだけで、何も理解できない。
遠くから響く小泉さんの悲鳴だけは聞き取れた。
村雨が、背中を踏みつけてくる。
強く力をかけられ、何もできない。
はっきり言って、瀕死だ。
死の淵に立たされ、あとは背中を押されたら死の奈落へ真っ逆さまだ。
絶望という考えしか浮かんでこない。
さっきまで感じていた苦痛が突然なくなり、奇妙なことに踏まれている感覚もない。
そういえば、結城博士が言っていたっけ。
死の直前、痛みを和らげるためにベータエンドルフィンなど、脳内快楽物質が大量に生成されるという。
そうした神経伝達物質のおかげで、苦しまずに死ねるそうだ。
おまけに、ポジティブ思考になる。
現実を強引に受け入れさせるためだ。
だが、今の俺に神様が施してくれた有難い慈悲は発動しなかった。
当たり前だ。
「まだ……死ぬわけには、いかねぇんだよ!」
背中を踏みつける足が重くなる。
内臓が圧し潰される感覚が襲ってきた。
まともに呼吸もできない。
このまま、では……。
そんな時、遠くから銃声が響いてくる。
それも一発二発ではない。
花火大会のクライマックスを連想させるほど、止むことなく連射している。
地面で跳ね返る空薬莢の音が鳴り止まない。
そして、銃撃音に負けないくらい咆哮している男の野太い声があった。
この声は。
「村雨ぇー!」
「たい、ちょう……」
村雨の胴体に弾は命中しているが、傷一つ付いていないようだ。
それでも、熊谷は再装填して撃ちまくる。
弾切れを起こすと、それまで使っていたアサルトライフルをあっさりと投げ捨てて、今度は超大型リボルバーに持ち替えて連発する。
スピードローダーを駆使して、素早く装填しながら詰め寄っていく。
にゅ、と柔らかい音が胴体から聞こえる。
弾丸が刺さっているのだ。
それでも先端だけだ。
村雨が動くと、弾丸は俺の目の前に零れ落ちた。
噴火したような鈍い音を立て、銃口が火を噴いている。
熊谷と村雨は直面しながら、互いを目指して歩いている。
「ツカサッ! 立て! 立って戦え! 隊長命令だ!」
隊長命令だと言われた。
その命令には逆らえない。
だけど、体が言うことを聞いてくれない。
村雨は無駄のない動作で左腕を振り上げると、力に任せて殴りかかる。
熊谷は拳銃を握っている腕全体で受け止める。
「隊長ー!」
「はっ! オレはタフなんだよ。そこで、寝っ転がってる奴と一緒にすんな!」
「なら、もういちどだぁ!」
熊谷は左手で腰の辺りを探り、何かを引っこ抜くとそれを村雨の顔面に押し込んだ。
その手に握られていたのは、さっきとは別の超大型自動拳銃だった。
自動拳銃界最強の武器だ。
「食らえ、感染者」
近くで落雷したような音と共に、最強クラスの弾薬をお見舞いした。
頭部が強烈な威力によって反っている。
それでも致命傷とはならず、軽く皮膚を破ったくらいで止まっていた。
すぐに頭を起こして、命中した部位に手を当てる。
間髪を容れず、熊谷は躊躇なく銃弾を浴びせた。
村雨は前に進めないまま、どんどん後ろに退いていく。
さすが、最強と呼ばれるだけある弾薬の威力だ。
……ただ、後退だけで終わった。
「こざかしい! 無駄なんだよ!」
「うるせぇ! これがオレの全力だ! 全力尽くして正々堂々挑むツカサを、テメェみたいな卑怯者に手出しさせるか! とっとと、くたばりやがれ!」
村雨は少し体を捻って、弾丸を避ける。
闇雲に銃弾をぶっ放しても効果はないと思ったのか、拳銃をホルスターに戻した。
挑んだ表情の熊谷は両拳を固めて、ファイティングポーズをとった。
村雨も剛腕を持ち上げて身構える。
先に動いたのは、熊谷だ。
タックルでどつくと、とにかく連打した。
汗水流して、拳を打ち付けていたが、当の村雨は怯んでいない。
村雨は嘲笑し、無防備な背中に肘鉄を食らわせる。
よろめいて倒れそうな熊谷を、村雨が膝蹴りで突き刺した。
もう戦いとは言えなかった。
防御の姿勢で耐え抜く熊谷を、ひたすら殴る。
一方的な暴力である。
ついに力尽きた熊谷の体を引きずり回して、小泉さんのいる入り口まで蹴り飛ばした。
小泉さんは、熊谷のもとまで駆け寄る。
あざだらけの顔となった熊谷はいつ死んでもおかしくない状態で、呼吸も虫の息だった。
「ひ、酷い……」
口元に手を押さえながら、小泉さんが呟いた。
この光景を直視して、動揺しない方がおかしい。
自分の非力さ、敵の強さ、絶望的状況、それらが合わさって、俺は考えることをやめた。
無意識に、右手が腰に伸びていく。
気付くと、蒼い光を放つスピリットメタルが握られていた。
それを震えながら、左手の甲に持っていく。
甲の窪みにある空のスピリットメタルを外し、新たなスピリットメタルをはめ込む。
かちっ、と装着した音が聞こえた瞬間、感覚のなくなった全身に熱が発生した。
「あああああ!」
〈大倉くん!?〉
結城博士の声は、超高音の耳鳴りにかき消された。
頭が割れるように痛い。
神経を焼かれるような痛さが、強引に体を奮え立たせた。
俺の力は疾うに尽きている。
突然、今まで感じたことのない感覚に襲われた。
言い表すなら、俺じゃない誰かに体を乗っ取られた感覚だ。
肉体を操縦しているのは俺なのに、原動力はまるで違った。
生命力が湧いて溢れてくる。
「こ、これは……!」
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