ver.5.0.12 小泉カオリ

 退出しようと、黒崎さんと小泉さんが立ち上がる。

 二人は、結城博士と俺に礼をする。



「邪魔したな、結城博士。ツカサくんも無事、目覚めてくれて安心したわ。ほな、また」

「あ、黒崎さん。村雨は……」



 一度、前を向いた顔を再び後ろにする。



「ああ、せやったな。刑事部が全力を挙げて捜索中や。それに、ワイらサイバーの連中もSNS利用して、情報収集してるで。デマは多いけど、少しでも目は必要やからな。それに、承認欲求という人間には素晴らしい感情があるから、本物見つけたら皆、報告したがるわ。大助かりやで。犯人の中には、自分から位置情報提供する間抜けもいるけどな。村雨の奴も、間抜けにならんかな」

「はは、有り得ないでしょうね」

「それでも、ワイは信じる。信じたら、確率上がるもんやで」



 黒崎さんは手を振って、自動ドアの方向に足を動かした。

 小泉さんも背中を追っていく。

 そこで、俺は彼女を呼び止めてしまった。



「あの、小泉さん!」



 え、と短い声を上げる。

 俺も、思わず出た自身の言動に驚いた。

 言うなら今しかないが……。



「どうしましたか、大倉さん」

「あ、その……」

「なんや、カオリちゃんに伝えたいことでもあるんかいな。じゃあ、ワイは先に失礼するで」



 そう言って、さっさと立ち去っていった。

 小泉さんは驚きながら、課長に手を伸ばしていたが、すぐに諦めて手を下した。



「ごめん、小泉さん。言いたいことがあって」

「気にしないでください。ちょっとビックリしちゃって。それで、なんでしょうか?」



 小泉さんの口調は、すごく事務的だ。

 仕事熱心な性格を表しているが、淡々と物事を処理するロボットのような冷たさ。

 マニュアルの笑顔を浮かべて、俺を眺める。

 喉に詰まった言葉を吐き出したいが、言って断られたらどうしようかとばかり思案している。

 これから死ぬわけではない。

 ただ、一言を伝えるだけなんだ。

 自分を励ましつつ、トオル兄のメッセージを思い出す。



「その……食事しに行きませんか?」

「私と、ですか?」



 二人の瞬きが多くなる。

 後ろから、結城博士がからかうように、ふやけた顔で見つめられていた。



「いつも俺をサポートしてもらっているし、まとめた情報を送ってくれてる。感謝ばかりだ。そのお礼に、食事でもどうかなって」



 ふふ、と可愛らしく笑って、



「いいですよ。ちょうど行きたいイベントがあるんです。独りじゃ寂しいですから」



 スマホを取り出して、俺に見せる。

 イベントの当選メールだ。



「T天閣で、鷲尾首相と里見O阪府知事が食事会を開催……か」

「すごい方に直接会える機会だから、気になってしまって。二人まで有効ですから行けますよ!」

「わかった。確か、今週の土曜に有給とるって聞いたけど」

「はい、土曜日です。……楽しみにしてますね!」



 それでは、と一礼して出て行った。

 なんとか、彼女との食事を約束を取り付けることができた。

 自然に、詰まった息が口から抜けていく。

 これもトオル兄のおかげ……なのか。

 自分に対してのガッツポーズをする。



「おお、断られなかったね。やるじゃん」



 博士が肩を組んでくる。



「彼女のことをオトすつもりなら、手を貸すよ。脳科学、心理学、精神医学、生物学、哲学、植物学、教育学化学工学経済学……」

「後半、関係ない学問でしょ。お節介焼きなのか、邪魔者なのか」

「関係なくないよ。それに、お節介焼きの結城博士だからね。そうねぇ、吊り橋効果を狙いますか! T天閣で、彼女と工作をしよう。まずは、輪ゴムを飛ばす……」

「『吊り橋』じゃなくて『割り箸』ですよね。割り箸効果ってなんですか。効果ないですよ」

「良いツッコみだ! さすが、お笑いを見てるだけあるね」



 令和十七年、総人口の三分の一が高齢者となった現代。

 これを二〇三五年問題と呼ばれ、政府は医療と介護に力を入れ始めた。

 厚生労働省は保健医療2035を掲げ、日本を健康先進国にしようとしている。

 そんな時代に、流行っているのは笑いだ。

 笑うことは健康に効果があるということで、お笑い芸人は昔よりも活躍している。

 動画共有サービスNewTubeで活躍するNewTuberも、笑いを求めて奔走していた。

 病院内のテレビで、お笑い動画がよく流れているのも健康のためだ。

 とはいっても、健康のために笑っている人は少ない。

 技術の発展により暇な時間ができることも多いから、笑えるものを皆、欲しがっているということだ。



 博士は親指を立てて、ドヤ顔を決めていた。

 はぁ、話を逸らさないでほしかったんだが。

 一昔前の漫才動画も、あんたにどれだけ観させられたか。

 結城博士は大阪のおばちゃん化している。

 もう帰ろう。



「ソウルスーツの点検お願いしますね。出力80%で解放しましたから、どこか不具合が出ているかもしれません」

「つまらんやつやなぁ。もっと付き合ってぇなぁ。ボケるから、ツッコんでぇよぉ……」

「いえ、帰ります。また、明日」



 ちょっと腹が立ってくる。

 結城博士は両腕を伸ばして、ゾンビのように近づいてきた。

 逃げられないよう抱きつかれる前に、そそくさと自動ドアを抜けていく。

 研究所は落ち着ける場所でもあるが、博士の機嫌によって戦場にも変化するのだ。

 背後から、悔しそうなツッコみが響いてきた。



「なんでやねーん!」

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