ver.5.0.11 黒崎セイイチ

「ツカサくんが倒した相手……あれは、村雨マサムネではなかったんや」



 黒崎さんの一言が、最悪の目覚めとなった。

 俺は、小さな個室に置かれた簡易ベッドの上で寝ていた。

 ここは結城博士の休憩室か。

 研究室の隣で時々、博士が休憩しているのを思い出す。

 起きて早々、黒崎さんは生真面目な関西弁で冒頭の報告をしてきたのだ。

 ベッドの側に丸椅子があり、黒崎さんは腰を下ろした。



「俺が、殺した、被疑者……村雨本人ではなかったのか」



 最後の一撃をめり込ませた右手を、視界の中央に捉える。

 オーラを撃ち込んだ感触は、今でも覚えている。

 黒崎さんは、水の入ったペットボトルを差し出す。



「そういうことや。科捜研によると、奴の部屋にあった物から採取したDNAと、死体から採取したDNAが一致しなかったらしい」

「採取ミスとか、ヒューマンエラーとかではなくて?」

「部屋のゴミからは、本人のものと死体のものと二種類あったようや。ツカサくんが殺害した奴はホームレスで、名前は三上ハルト。年齢35。防衛装備庁ID銃セキュリティ管理部の元職員やったわ。で、こいつは職権を乱用して、ID銃の武器洗浄をしていたのではないかという噂で持ち切りやったらしくてな。上からの圧力で、こいつは辞職したという扱いになっとる」

「じゃあ、俺は村雨マサムネの影武者を殺したわけか」

「顔も、本人そっくりに整形しとったわ」



 三上ハルトは、村雨マサムネの偽物。

 あのまま逮捕していたら、誤認逮捕となっていた。

 自ら感染してくれたおかげで、感染者は殺害しなければならないという大義名分を得ることに繋がったわけだが。

 ペットボトルの水を含んで、口内の渇きを癒す。



「それにしても、よう生き残ってくれたな、ツカサくん」

「ソウルスーツと……熊谷隊長のおかげです。SMSTの手助けがなかったら、俺……死んでいましたよ」

「大量の感染者に囲まれることが、ソウルスーツの弱点か。まあ、体は動かせるやろ。隣の研究室に行くで」



 ソウルスーツから、病衣に着替えさせられている。

 布団から出て、黒崎さんの後を付いていった。

 俺は公にできない存在。

 だから、普通の病院ではなく、こうした小ぢんまりとした部屋で治療と養生をさせられるわけだ。

 歩いている間、体に不調がないかを確認した。







 黒崎さんは研究室のドアを開けて、結城博士に目覚めたことを告げる。

 すると、結城博士は目を輝かせて、



「大倉くん復活!」

「うるさいですね、結城博士」

「心配していたからね。それから、彼女もね」



 研究室に入って、横のソファを見ると誰かが俺を見つめていた。

 目と目が合う。

 小泉さんだ。

 探し物を見つけたように駆け寄ってきて、全身を眺めていた。



「大丈夫ですか? 一昨日からずっと寝ていましたが」

「あ、ああ、大丈夫。大丈夫だから、落ち着いて」



 彼女は一昨日から、と発言したため、そんなに経っていたんだと驚いた。

 思ったより、出力80%のソウルデストロイは負担が大きいらしい。

 小泉さんは、俺をソファに促した。

 それに従って、高級ソファに座った。

 柔らかいので、腰がどんどん沈んでいく。

 小泉さんと結城博士が向かいに座り、黒崎さんが隣に座る。



「ツカサくんが倒れた後、SMSTは一時大混乱状態やったわ。特に酷かったのが、捜査一課や。SMSTは隊員一名死亡、十人以上が重傷だ。そして捜査一課はというと、あの場にいた捜査員は全滅。つまり皆、殺されたわけや。O阪府警察の捜査第一課は、ほぼ壊滅状態。だから捜査第一課が担当している凶悪犯罪は第二、第三、第四が分担して、しばらくは補うらしいで」



 畑違いの仕事をさせられるわけか。

 可哀想に、と同情する。

 で、そんな気持ちは一秒後には消滅し、自分たちの心配をした。



「それで、捜査第一課を壊滅させた責任は、SMSTがとらされるわけですか。それとも、ほぼ指揮官だった高宮副本部長ですか」

「いやいや、捜査第一課の責任は刑事部長が引き受けた。刑事部長は辞職の状態に追い込まれているみたいやで。SMSTが、負い目を感じる必要はないな。高宮副本部長は君らに指示を下して、さっさとどこかに消えていった。あの人は、そんなに立派になりたいんかな」

「今回の件、警察からすれば辛くも勝利ですが、世間からすれば大勝利です。だから、大きく貢献したようなことをして立ち去れば、勝ち逃げですよ。昔から高宮は、仕事と評価ばかり気にしているから」



 嫌な思い出ばかり、頭に浮かび上がってくる。

 そうなれば自然と顔が歪み、場の雰囲気が少し悪くなる。

 空気を良くするためか、結城博士が話題を転換した。



「ところで泥酔状態ではないにも関わらず、感染した理由を知りたくないかい?」



 小泉さんは、うんうんと頷く。

 それに満足した博士は、前のめりになって全員に目を配る。



「昨日、綾小路教授と議論したんだよ。人間マルウェアが発動した理由をね。まず、住人の状態だけど、酒を一滴も摂取していなかった。次に全員共通していたのが、寝起きの状態だったこと。寝ていた住人を、捜査第一課が叩き起こしたわけだ」

「寝ていたんですか、全住人が?」

「それは間違いないよ」



 思い返せば、確かに全員眠そうな様子だった。

 目を擦る、欠伸するなど行動があった。



「それに家から避難している時、片手にスマホを持っていたよね」

「はい、私も覚えています」



 と、小泉さんが答える。



「さて、本題に入ろう。片手にスマホ……画面に映っていたのは、AQRコードだった」

「え、SNSを開いていたのでは?」



 俺はてっきり、SNSに警察の悪口を書き込んでいるものだと思っていたが。

 黒崎さんがチッチッと指を振って、



「それが違うんや。ワイが感染者全員のスマホを一応、解析してみた。本物の村雨被疑者を探す手がかりがないかと思ってな。で、全員のスマホを起動させるとや、そこにはQRコードスキャナーが表示されてた。それを見て、感染したんだねぇ」

「呑気に言っている場合ですか。健全であっても感染した事例があるなら、それを見た人たちも」

「ワイは何ともないけどなぁ。大丈夫かもな」

「潜伏期間かもしれない」

「大倉くん、それも考えたけど違うみたいなんだ」



 結城博士は首を振る。



「人間マルウェアは即効性だ。感染させるQRコードが証明してくれている。QRというのはクイック・レスポンスの頭字語で、高速読み取りを目的にしているから、QRコードと名付けられたんだよ」



 納得はするものの、脳内のどこかではおかしいと拒否している。

 だいたい、高速読み取りといっても読み取るのは機械だ、人間じゃない。

 QRコードは縦横に情報が詰まっている。

 だが、人間の目では何が書いてあるのか、一ミリも分からない。

 なのに、RASの機能が弱まれば読めるという。

 特殊なQRコードだということは理解しているが、それでも奇妙なことに変わりはない。

 結城博士は手を叩く。



「話を戻そうか。健全でも感染することが判明した。実は綾小路教授が言うには、AQRコードは正常なRASでも、ある程度の情報は脳に入ってくるらしい。といっても、1%ほどだけどね。それに、数%ほどの情報が入ってきても、細胞の変化は著しく低い。大量に、データを読み取って初めて感染するんだ。だから、健全なRASなら問題はない」

「でも、住人は健全だったはずだ」

「いや、運悪くRASの弱まる条件が重なって、データの塊を読み取ってしまったんだよ、彼らは」



 弱まる条件。

 酒だけではないのか。

 結城博士は少し間を置いて、話を続けた。



「……催眠状態だったんだ。三上が予め、催眠に入りやすい状態へ仕上げていた」

「催眠状態ですか? 暗示を受けやすいっていう?」



 確かめる小泉さんに対し、結城博士は真剣な顔つきになる。



「催眠状態とは要するに、批判できなくなった意識レベルに陥っている状態のことね。催眠状態になることで、ほぼ無意識の状態となり、何事も疑うことなく受け入れてしまうの。つまり、その状態ではRASは弱まり、AQRコードを読み取れる状態にあるということ」



 酒なしで泥酔しているようなものか。

 しかし、催眠状態になっていたということらしいが、そんな簡単に催眠になれるだろうか。

 顔を上げて、疑問をぶつける。



「催眠状態にさせるのは難しいはずです。三上が、一人一人に五円玉の振り子でも見せたんですか」

「催眠状態は案外、簡単に起こせるものなの。まず、催眠状態にまでもっていかせた方法だけど、さっき住人全員が寝起きの状態だったと言ったのを覚えてる?」

「ええ、覚えています」

「経験したことはあると思うけど、突然起こされた時、脳がウトウトしていることが多いよね。あれは深い睡眠状態から強制的に起こされて、大脳が活動しようとしている段階。その段階こそが、催眠にかかりやすい状態ってわけ」

「催眠にかかりやすい状態ですか。それで、いつ催眠にかかってしまったんですか」



 催眠にかかりやすくなっただけで、催眠状態にはなっていない。

 俺は、答えが聞きたくて心急いていた。



「おそらく、起床してからすぐよ。そして、催眠状態にさせたのは警察。捜査第一課ね」

「え? 三上とグルだったってことですか」

「利用されたのよ。使われた催眠術は、混乱法と呼ばれるもの。混乱法というのは、状況が目まぐるしく変化することによって、思考を放棄させ、催眠状態に逃げ込ませる方法なの。劇場型振り込め詐欺も、これが使用されているわ」

「起床してから、すぐというと……玄関ドアを叩いてからやな」



 黒崎さんは顎をさすりながら呟く。



「住人は寝てて、捜査第一課が避難させるために玄関ドアを叩いた。叩き起こされた住人は、脳内が混乱しとるまま、外に飛び出した。いつもと違う外は、異様な光景に思えたんやな。それらの状況が重なって、催眠状態になったんか」

「その状態でAQRコードを見ても、データは数%ほどしか読め取れないの。だから、更に強力な催眠術を施した。それは、三上が空に向かって発砲した銃撃音よ」

「あれも催眠術の一つだったのか」



 三上の前職を利用して、手に入れた銃だろうか。

 この日本で、武器を手に入れるのは麻薬よりも難しい。

 黒崎さんは、ノートパソコンをテーブルの上に置いて、動画を再生する。

 近くの監視カメラ映像だ。

 アパートを横から映しており、駐車場側は見えない。

 三上が発砲すると、熊谷が即座に飛びかかっている。

 結城博士は、動画を停止する。



「驚愕法と呼ばれる催眠術よ。よく催眠術師が指パッチンとか、手を叩いたりするよね。あれは突然驚かせることで、二秒間脳内を真っ白にさせる技なの。その隙に、暗示をかける。これを使って、AQRコードのデータを数%から一気に数十%まで上げて」

「感染させたということですか!?」



 小泉さんは目を丸くしていた。

 俺も同じ目をしているはずだ。

 三上の行動力も驚きだが、策略は村雨が考えたはずだ。

 心理学、精神医学、行動科学などなど、人間マルウェアを開発するだけあって、相当頭の切れる人物だ。



「ということは事前に、眠らせておく必要があるよな」



 俺は呟くと、黒崎さんは別の監視カメラの映像を見せてくれた。



「奴が外出したのは、午後4時。その時のこいつは、おそらく本物の村雨やな」



 二階の住居から外に出た村雨は、鍵を閉めていた。

 片手に、何やら大きい紙袋を持っている。

 次に向かったのは、隣の住人の玄関ドアだ。

 中の住人が彼を招き入れた。

 結城博士が説明する。



「他愛もない世間話か何かをして、紙袋に入れていた睡眠薬入りの缶ビールを渡した。普段から仲が良かったみたいで、疑う様子はない」

「その後、住人を眠らせて、準備に取り掛かったんや。まず、住人のスマホにAQRコードを表示した画面で節電モードにする。玄関の辺りに住人を寝かせて、スマホも側に置いておく。これで、準備はOKや。ほら、見てみ」



 黒崎さんが映像を指さす。

 村雨が外に出て、隣の住居のピンポンを鳴らしていた。



「こうやって、一つ一つ回ったってわけやな」



 全ての住人を眠らせると、アパートから離れていった。

 村雨を尾行していた刑事の話によると、O阪駅に向かったようだ。

 トイレにも入ったらしい。

 おそらく、そこで影武者と交代したのだ。



「発砲の場面に戻ろうか」



 マウスカーソルを動かす結城博士は、どこか探偵を気取っているように思えた。

 無邪気に楽しそうな表情をしている。

 しかし、改めて博士を前にすると、俺はすごい人物と話しているものだと感じてしまった。

 いつも子供みたいな言動をしているものだが、蓄えた知識や技術は誰にも負けないはず。

 世界が羨む大天才だからだ。



「駐車場を注目して。発砲直後に、感染者が暴れ始めている。つまり、催眠状態に陥った住人は、銃声で感染してしまった。ここまで話してきたのは私の推理だけど、あっているかは微妙なんだよね」

「博士が言うんだから、間違いはないはずです。驚愕法を用いてRASを弱らせたという話ですが、二秒しかないというなら、そこで読み取りがシャットダウンされてしまったということですか?」

「ええ、感染度100%に達するまでには、あともう少し時間がいるみたいなんだ。三上が言っていたことを思い出してほしい。感染した住人を見て、感染度60%と言っていた。住人を眠らせ、スマホにAQRコードを表示させる。刑事に叩き起こされ、混乱しているところに銃声が響き、真っ白になった脳にAQRコードのデータが入りこんでしまった。そういう流れね」



 そこで、気になる疑問点が思い浮かんだ。



「じゃあ、三上が感染した理由はなんです。奴は催眠状態に入っていたとは考えにくいし、酒も飲んでいなかった」

「隊長さんから聞いた話やけど、スマホの画面を見て、感染したらしいで」



 黒崎さんに顔を向ける。



「で、職員に三上のスマホを調べてもらった。するとやな、今までのAQRコードとは異なってたんや」

「異なっていた?」

「今までのAQRコードと違って、見ただけでいくらか感染する……ARが強力になったタイプのQRコードやったんや」



 ARが強力に。

 つまり、より視覚に訴えるためにデータが強調されているということか。



「おかげで詳しく調べた職員が気失って、病院行きや。幸い、感染はしてないみたいでな。そのAQRコードはある程度、回数と時間をかけて見つめる必要があるらしいんや」



 三上は事前に何度も見ていた、ということか。

 AQRコードの情報を、深層意識に刷り込ませたわけだ。



「強力なAQRコードも開発できたというなら、サイバーセキュリティ対策課はもっと忙しくなりますね。動画サイトとか、SNSなんかで拡散したら、感染者が」

「もちろん対策はしてあるで、ツカサくん。とはいっても、碌な対策ではないけどな。見つけたら、即削除ぐらいしか方法が見つからんねや。まあ、拡散される前に村雨を倒して、AQRコードを削除すればええんやからな。心配せんで、ええで!」



 ハイテンションで笑っていた。

 対して、俺も「ははは」と苦笑を漏らす。

 結城博士と同類だから信じることはできるのだが、嫌な予感がしそうで気が気じゃない。



 酒に酔わなくても、催眠状態じゃなくても感染するAQRコード。

 脅威なのは間違いないが、三上の言葉を思い返す。

 感染度30%、ギリギリ意識が保てる程度。

 感染はしても、いくらかはマシということか。

 それでも強かった。

 意識が保っている分、むやみやたらと突っ込んでこないから強いんだ。

 そう考えると知能の残っている方が、恐ろしいかもしれないな。



「三上のAQRコードも念のため、削除しておいた。だから、村雨本人を倒せばいい。ネットの海にAQRコードが漂流していないかは、ワイらサイバーセキュリティ対策課に任せとけ。村雨は、ツカサくんに託す。頼むで……世界の未来が懸かってるからな」

「ちょっと、課長! あまり、そういうことを言わない方が……」



 小泉さんの心配はありがたい。

 だけど、甘えているわけにはいかないんだ。



「いや、黒崎さんの言葉で目が覚めたよ。自分の役割を自覚できた。ありがとう黒崎さん、小泉さん」

「ええ顔してるやんか。ワイらも一安心やな」

「大倉さんがそう言うなら……お願いしますね!」



 両腕を胸の前で掲げて、きりっとした瞳を向けられる。

 俺は恥ずかしくなって、とりあえず頷いておいた。

 まったく、堂々としていればいいのに。

 トオル兄がいれば、そう言われそうだ。

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