ver.5.0.10 村雨マサムネ
「こちら、熊谷。村雨被疑者を確認。外出先から帰宅しました」
熊谷の言葉の後、高宮副本部長の声が無線機を通じて聞こえてくる。
『捜査一課、アパートの住人を全員避難させろ』
雲に隠されていた満月が露わになった時刻。
少しヒビが目立つ白いアパートの前。
閑静な住宅地に囲まれた駐車場は、今だけ騒がしくなっていた。
捜査一課の課長が本部長と掛け合い、なんとか役割を得た捜査一課は、次から次へと駐車場から飛び出していく。
高宮はO阪府警察本部から、偉そうに指示を飛ばしているだけ。
俺たち、SMSTは駐車場で待機。
俺はソウルスーツを着て、村雨の部屋の扉を見つめていた。
二階の一番右だ。
捜査一課の連中は、村雨被疑者以外の住人の玄関ドアを思い切り叩いて、事情を説明し、中の住人を引っ張り出していた。
自分の住居だというのに、追い出された者たちは片手で目を擦り、ぶつぶつと独り言を嘆いていた。
それだけでは飽き足らず、欠伸しながらスマホをポケットから取り出していた。
おそらく、SNSという世界の海に警察の文句を垂れ流すつもりだろう。
『よし、住人を駐車場まで避難させたな。SMST、配置につけ。熊谷隊長は、被疑者の玄関ドアを叩け』
「はっ!」
隊長はアパート前まで走り、待機している隊員を手招きする。
箱型の自動車から武装した隊員がアサルトライフルを構えて、一様に散らばっていく。
俺も車から出ると、熊谷から無線が入る。
『ツカサ、お前はそこにいとけ。出番などない』
「はいはい」
いつも通り、不機嫌な隊長だ。
だが、隊長の言う通り、出番などないかもしれない。
さっき見かけた被疑者は、完全な一般人だ。
酒に酔っていれば、自分自身にQRコードを見せて、変身するかもしれない。
だが幸い、酒を飲んでいる様子はなかった。
最悪の状況だけは回避できそうだ。
熊谷が玄関ドアを強く叩く。
側に、銃を構えた隊員一名。
「開けろ! O阪府警察だ!」
熊谷は大声を発した。
俺は平静を装いつつ、再び玄関ドアに注目する。
「警察が何の用です」
ドアの内から、のろのろとした声が聞こえてくる。
「村雨マサムネ。人間マルウェアを開発したのは、お前だよな! おら、出てこい! 321で、ドアを蹴破る……」
熊谷が足を上げたところで、ドアが開いた。
中から、あの時見た中年男性が現れる。
「素直に出てきたな。手を頭の後ろで組んで、ひざまずけ。逮捕する」
「令状はないんだなぁ?」
「お前に令状は贅沢だ」
「そうか。ふふっ」
村雨は腰から拳銃を取り出すと、空に向けて発砲した。
威嚇のつもりだろうが、熊谷はまったく怯むことなく、村雨を取り押さえた。
押さえ込むように、体全体で村雨に乗っかっている。
「丸井、手錠をかけてやれ」
隊員が、暴れる被疑者に近づく。
念のため、熊谷は落とした拳銃を蹴っ飛ばす。
村雨は元米軍に所属していた兵士とあって、精悍な目つきで睨みつけていた。
身柄を押さえられても、反省の態度が全く見えない。
むしろ、この状況から這い上がろうとする狂犬の顔だ。
「逮捕できるものなら、やってみろ」
「この状況で粋がるんじゃねぇ」
手錠が、手首に迫ってくる。
「本当なら銃刀法違反で、現行犯逮捕なんだがな」
「……ここで皆諸共、潰してやるぜ」
突然、背後から耳を劈くほどの爆音が轟いた。
振り返ると、バンが横転している。
視線を下に向けると、横になった車の下から血が溢れていた。
この鮮血、もしかして捜査一課の誰かが圧縮されたことで噴出した血か。
冷静に、そんな答えを導き出せた。
それから、地面にいくつもの影が出来上がる。
「車が降ってくるぞ!」
誰かの叫び声で、皆一斉に横に飛んだ。
地面と激突した車体は、嫌な音を鳴らしながら壊れていった。
これはまさか、感染者の仕業か。
それに気づいて、周りに目を配る。
やがて、見つけたのは。
「アパートの住人だ! 感染しているぞ!」
俺が叫ぶと、隊員が一斉に銃をぶっ放し始めた。
感染者、六名。
その内、一体がこっちに向かって飛んでくる。
さっき見た時と、体格が大きく変化していた。
正気を失ったような目をしている。
迷わず、相手の顔面に出力5%のパンチをめり込ませる。
方向を若干下にして、地面に押し付けるように放つ。
ここは住宅街だ。
建物を乱暴に破壊することは、警察といえども許されない。
背後から、熊谷の怒鳴り声が聞こえてくる。
熊谷は、服の襟元を掴んで叫んでいた。
「てめぇ、何しやがった!」
「QRコードを読み取らせたんだよ」
「バカな! 酒に酔っていないと、感染しないはずだろ!」
「100%の情報量を読み取らせるにはな。今、暴れている彼らは感染度60%といったところか。先入観にはまるとは、間抜け共が」
熊谷が一発殴る。
何本か、歯が宙に舞った。
くそ、奴の言う通り、まんまと策略にはまってしまった。
酒で酔わせないと、感染しないという先入観にとらわれてしまっていた。
しかし、正常な人間ならRASは機能しているはずだが。
それを考える前に、骨伝導イヤホンに小泉さんの声を受信した。
〈今、N区画を封鎖します! もうすぐ、住宅街にも保護フィルムが行き渡るはずです!〉
「助かる!」
さっき吹っ飛ばした感染者が、起き上がって襲い掛かってくる。
次は、頭を粉砕する。
救いたくても、感染してしまっては救うことはできない。
出力10%の右ストレートで……。
後ろに引いた右手が、何かに掴まれた。
それは、別の感染者の手だった。
振りほどこうとするも、全く微動だにしない。
そうこうしているうちに、正面から飛んできた感染者の鉄拳を食らってしまい、アパートの方向に吹っ飛ばされる。
意識ごとぶん殴られるほど、凄まじい威力。
誰かの玄関ドアを突き破って、体が静止した。
鼻で呼吸をするが、思ったように吸い込めない。
ああ、なるほど……鼻血が出ているのか。
今度、結城博士に会ったら、ソウルスーツに鼻血を吸引してもらう機能をつけてもらおう。
汚い部屋で、いつまでも横たわっている場合ではない。
口から吸いこんだ空気で、鼻血を吹き飛ばす。
すぐに外へ飛び出すと、そこはもう地獄だった。
捜査一課は碌な武装をしていないため、感染者の攻撃を食らって、肉片と血液をばら撒いていた。
脳味噌が、ソウルスーツに飛び散る。
「ははははははは!」
「村雨は、ここで殺す!」
上の階から響いてくる。
その後、情けない声と共に落ちてきたのは熊谷隊長だった。
続いて、片腕がちぎれた丸井隊員が落下してくる。
丸井は、激痛で絶叫していた。
すぐに丸井のもとまで駆け寄ると、邪魔をするように村雨が降ってきた。
村雨は丸井隊員の肉体に着地し、踏みつけられた本人は口から大量に血を噴き出した。
人間血噴水だ。
村雨は丸井の片腕を握り潰し、こちらに向き直る。
その顔は、もう人間のものではなかった。
潰された腕からは血が発散し、絞られたように小さくなっている。
鮮血に塗れた怪物を見て、思わず呟いてしまった。
「完全に感染してしまったのか」
「いや……感染度、30%ほど、だぁ。ギリギリ、意識が保てるほどだなぁ」
足を乗せていた隊員を思い切り踏みつけ、こちらに歩んでくる。
もう、丸井隊員からは悲痛な叫び声すら聞こえなくなった。
まるで煙草をポイ捨てするように、しぼんだ片腕を捨てて、笑いながら接近してくるなんてのは狂気の沙汰以外の何でもない。
「小泉さん。もう、奴を殺しても構わないよな」
〈……被疑者は感染。人間マルウェアの開発者と認識してよいでしょう。許可します〉
「感謝する」
俺の内で噴火する怒りが、止めどなく湧いてくる。
こいつを、絶対に殺す!
丸井の敵討ちだ。
「くるか? 大倉ツカサ!」
こいつ、俺の名前を知ってるのか!
ソーシャルヒーローではなく、隠している個人名をどこで知ったんだ。
いや、まずはボコボコに痛めつけてやる。
「出力20%……」
「ヤレ、テメェラ!」
村雨は腕を振りかぶると、感染者が三体同時に襲ってきた。
くそ、正面の奴に打ち放つしかないか。
「『ソウルブロー』!」
真正面の感染者に放った拳は、更に威力を増して相手の体を破壊する。
すぐに、左右の感染者にも……。
しかし対応が間に合わず、重い一撃が胸部を襲った。
肺の空気が全部、追い出される。
よろけながら後ろに逃げるが、今度は左の感染者が腹に蹴りを入れてきた。
肉体が宙に舞って、両肘から地面に落ちる。
まともに思考できないくらい痛む。
起き上がって体勢を立て直そうとしても、今度は右の脇腹を殴られる。
固いコンクリートに、体を転がされた。
小泉さんの心配してくれる呼び声が聞こえてくる。
俺は、それに応じる気力がなかった。
村雨の声が耳に入るが、内容が頭に入らない。
「さすがにそうるすーつといえども、ふくすうにんあいてでは、おしまけているな」
視界はぐらつき、意識が不安定でも、戦う意志は潰えていない。
乱れた足音、まずは左から何かが来る。
そう思って左腕を構えると、前腕に痛みが走る。
これは蹴られた感覚か。
そこに誰かがいる。
すぐに左手を操って、脇で感染者の脚を挟む。
そして、強引に押さえつけて動けないところをぶん殴る。
狙いは顔面。
出力30%。
「『ソウルブロー』!」
見事に右拳がヒットして、脆い首を吹っ飛ばす。
頭部と体が分かれた死体は、そのまま地面に倒れる。
次に、右から来るな。
視界も霧が晴れるように、クリアになっていく。
感染者の右ストレートをギリギリで躱して、反撃を決めた。
顎に向かって、鋭いアッパーカットだ。
「出力30%。『ソウルブロー』!」
放出される強力な勢いに首は耐えきれず、上空を目指して打ち上げられた。
囲まれた状況から、何とか打破することができた。
「シネェ!」
隙だらけの俺に、素早い拳が飛んでくる。
今のソウルスーツに、これを耐え抜ける強度が残っているだろうか。
首を無理矢理動かして、村雨の真っ直ぐ突き抜いてくる拳を避ける。
直後、耳の辺りを擦っていった。
その瞬間、全身に激痛が流れる。
骨も何本か折れているな、これは。
激痛で固まっている俺を、奴が逃すはずはない。
構えた拳の先には、俺の頭がある。
ようやく、息が安定した時には、もう拳が振り下ろされていた。
奴が吼える。
「クラェ!」
ドゴンと重苦しい銃声が鳴り渡った。
その刹那、村雨の胸に穴があけられ、大量に出血していた。
「さっきはよくもやってくれたな、村雨ぇ!」
「熊谷隊長!」
熊谷は、両手で超大型拳銃を構えていた。
銃口から出る煙が風に流されている。
口の辺りを血で汚しながら、熊谷はもう一回引き金を引いた。
銃の先端から、龍の炎が噴き出る。
脚を撃ち抜かれた村雨は、弾丸の勢力に引っ張られて倒れる。
「いくら、人間マルウェアで強化されたといっても、感染度が30%なんだろ。他の奴に比べて、皮膚が弱いぞ」
それでも、鋼のような肉体だ。
熊谷が持っている五十口径の銃でなければ、貫通すらしないだろう。
「超大型リボルバーのモデル500……どこで、手に入れたんですか、そんな世界最強の拳銃」
「知り合いに頼んで、一丁貸してもらったんだよ」
日本に、そんな旧世代の銃があったのかと驚く。
日本は特別な場合を除いて、限られた銃しか所持できない。
要するに、熊谷の馬鹿でかい銃は日本にあるわけがないし、限られた銃は警察しか持っていない。
しかも数自体、年々減っている。
それから警察の持つ拳銃には、全てIDで管理されている。
いわゆるID銃である。
俺たち、銃の使用を許可されている者には、特殊なナノマシンが入れられている。
ID銃はナノマシンと反応して、ロックを解除する。
それによって、引き金が引ける仕組みなのだ。
だから、一般人が銃を拾っても、弾丸を発射することは叶わないのである。
このシステムは2026年アメリカで初めて導入され、銃社会が超スマート社会へと変貌した国家となった。
犯罪件数も軒並み低下。
日本もすぐに導入して、銃社会でもないのになぜか犯罪件数が減っていった。
立ち上がって、見下ろすように村雨を見る。
青かったズボンが、赤く染まっていた。
村雨もまた、人間とは思えない体を起こしている。
そこを逃さず、熊谷は狙う。
全弾発射。
五発入るシリンダーを回転させ、残っていた三発を撃ち込んだ。
が、村雨は跳ねるようにして回避した。
車同士がぶつかるような鈍い音が響けば、住宅街に住む者は不安と好奇心に駆られているだろう。
ここから見える窓という窓全部に、人の顔があった。
これを見世物にする予定はなかったんだが。
「まずは、てめぇからだ! くまたに!」
村雨は熊谷を睨みつける。
熊谷は替えの拳銃用弾薬を持っていなかったらしく、舌打ちしながらアサルトライフルに持ち替えた。
俺は熊谷の前に出て、腕を構える。
「俺がやります。隊長は、駐車場をよろしくお願いします」
「ふざけんな、横取りするんじゃ……」
「ごちゃごちゃうるせぇぜ!」
村雨は獣を追うような目つきで、まっしぐらに駆けてきた。
右手に、オーラを溜める。
スピリットメタル残り20%。
「出力20%」
両腕を広げて突進してくる村雨が目と鼻の先まで迫ってきたところで、思い切り右腕を振った。
「『ソウルブロー』!」
歪んだ顔に青く光る拳を押し付けても、奴は両足で踏ん張って、後ろにのけ反るだけに収めた。
恐ろしいほどの力だ。
奴は顔を上げて、ニヤッとしたところで、その油断を狙う。
今度は、こっちから攻めてやる。
不意に近づかれたことに、奴は驚愕していた。
いや、恐怖していたのかもしれない。
左手にはめていたスピリットメタルを外し、手際よく別のスピリットメタルを再装填する。
全身に、オーラが漲ってくる。
「出力80%……!」
右腕が一気に重くなる。
目に見えぬオーラが、風を巻き起こす。
結城博士が言うには現在のソウルスーツで発揮できる全開は、オーラ80%だそうだ。
食らえ、出力限界!
「『ソウルデストロイ』!」
ソウルスーツの音声認識が反応して、オーラの量は見たことがないほど膨らんでいる。
限界まで高めたオーラが込められた右腕を、村雨の胴体に打ち放った。
「ぐはっ!?」
「いけえぇぇぇー!」
俺の腕にも反動が襲い、腕から全身へと衝撃が伝わっていく。
スーツ自体が壊れそうなほど震えていた。
くっ、これぐらい耐え抜け俺!
村雨はだらしなく口を開けながら絶命し、もたれかかるように倒れた。
ソウルデストロイは文字通り、圧倒的な量のオーラを相手の体内に注入し、魂を破壊する技。
ただ、俺もノーリスクというわけではなさそうだ。
命が削られるほどの反動が返ってきた。
初めて、これほどのオーラ量を放ってしまった。
慣れない不思議な感覚に陥り、全身が脱力していく。
間もなく、俺は天を仰ぐようにして倒れていき、完全に意識が消え去った。
こうして、人間マルウェア開発者との戦いは、警察側の勝利で終わった。
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