ver.5.0.9 伝説の元刑事
会議室で溜め込んだ重苦しい空気を吐き出して、外の新鮮な空気を吸って換気した。
それから、Y医療病院の自動ドアをくぐり抜ける。
あの後、博士に断りを入れて、トオル兄の見舞いに行くことにした。
エレベーターで四階まで上がり、目的の病室に辿り着くと、ノックをしてから扉を開ける。
「お酒は無理だけど、フルーツボトルなら買ってきたから。よかったら食べてほしい」
「なんだ、酒じゃないのか。けど、フルーツボトルも超嬉しいぜ。ありがとな、ツカサ」
トオル兄は、俺の頭を執拗に撫でてくる。
嬉しいのだが、素直に喜べない。
そのウザったい手を払い、近くの椅子を引き寄せて座った。
トオル兄は早速フルーツボトルを開け、棚からスプーンを取り出して、フルーツを頬張る。
すごく美味しそうな表情で、フルーツを味わっていた。
椅子に腰を据えて、俺は話を切り出した。
「ようやく、人間マルウェアの開発者を捕える準備に入ったよ。明日、被疑者を逮捕する。SMSTを中心にして」
「ようする、身代わりになって戦えってことだな。捜査一課じゃ手も足も出ないから、その手の専門家に任せるつもりだ」
「これが終わったら、ソウルスーツは不要になる。俺は普通の警察官になるよ。もちろん、トオル兄のような警察官にな」
トオル兄は突然、馬鹿にするような笑い声を発した。
俺は、それにムッとなる。
人の本気を笑うような性格ではないと思っていたのに。
「俺みたいな警察官になるって? はは、下半身動かなくなって、終わりだぜ」
「なんで自虐に走るのかな。俺は、トオル兄のような気高い正義感が欲しいんだよ。こう、なんていうか……全人類守ってやるぜ、みたいな」
「俺みたいになるか。……そいつはやめとけ。笑い種になるのが、オチってものだ」
冷めた口調で口角を上げるトオル兄を見て、俺の興奮も冷めていった。
「なんでだよ。俺にはできないと思っているのか。いつかは警視庁の捜査一課に」
「お前は天才だからな。捜査一課には入れるだろうぜ。だがよ……危険なことだらけだ。根が優しいお前は耐えられるのか」
最初はトオル兄に褒められたことで照れくさくなったが、後半の言葉で頭を掻いた手が止まった。
同時に目も逸らす。
「これまで何度も、死体を見てきた。つらい現実なら、とっくに慣れてる」
「そうじゃない。俺が言いたいのは、俺より先に死ぬんじゃないかってことだ」
歯切れの悪い答え。
いつもなら、単刀直入に述べてくる勢いが今日は衰えている。
「トオル兄……」
「ツカサが警察官になったって聞いた時は、内心焦っていた。大事な弟分だからな。それに、感染者に立ち向かうSMSTに入隊したなんて言われたら、不安ばかりが心を蝕んだよ。SNSで、ソーシャルヒーローが戦っているって呟きを見たら、ひたすら祈った。何が言いたいか、分かるだろ。死んでほしくないんだよ!」
「トオル兄の気持ちは分かる。痛いほど」
昔の俺と同じだ。
トオル兄が凶悪な殺人事件の犯人を追いかけているって連絡が来たときも、俺は祈っていた。
生きて、また会いたいと。
「実は密かに、お前を逃がすための準備もしていたんだ。ヒーローがいなくなれば、世間がお前を探し始めるだろう。感染者の退治からも逃げていいんだ。今から、やめるって選択肢もあるぜ」
トオル兄は余裕のない瞳で、俺に訴えてきた。
でも。
「ごめん。俺はこれからも戦うよ……ソウルスーツを扱えるのは俺だけだ」
「なぜだ。死にたくないだろ。責任も背負いたくないだろ」
「だけど、俺は戦いたい。熊谷隊長、結城博士、黒崎さんに小泉さん、皆の期待を裏切りたくないんだ。それに、トオル兄に誇れる仕事をしている。やっと、熱中できることを見つけたんだ。トオル兄……ソーシャルヒーローを応援してほしい。だから、ごめん」
ベッドに腰掛けているトオル兄は顔を俯けて、肘を太ももに押し付ける体勢になった。
「……悪い、俺が馬鹿だった。いつまでも、抱っこをせがむツカサじゃないよな。成長したな、ツカサ」
「いや、その……言い過ぎた」
「言い過ぎたのは、俺の方だ。そうか、お前がそう言うんだったら、俺は全力で応援してやらねぇとな。せいぜい、SNSでソーシャルヒーローを盛り上げてやるよ」
「そんなファンみたいなこと、しなくていいから」
「結城博士みたいに、ファンクラブは作っておいた方がいいかもな。お前に何があっても、味方してくれる人物は必要だ。社会のヒーロー、子供たちの憧れにさせないとな。へへっ」
歯を見せながら笑い、右手でサムズアップしている。
いつもの調子に戻った気がした。
「さぁて、早速ホームページを作成するか!」
「行動速いし、器用だからなぁ。はぁ、何だか疲れてきた」
言い終わったと同時に、病室の扉が勢いよく開かれる。
そこに立っていたのは、結城博士だった。
「ここにいたね、大倉くん」
「結城博士、どうして」
「ソウルスーツの調整に付き合ってもらおうと思って、探してたんだよ」
結城博士は白衣のポケットに手を突っ込みながら、病室の中に入ってくる。
やがて、トオル兄と目が合うと気安く挨拶した。
「久しぶりだね、龍道川くん。元気にしてた?」
「ああ、ツカサが来てくれたおかげだ」
「相変わらず、うるさい顔だね」
二人は楽しそうに喋っているが、いつ知り合ったのだろうか。
まあ、人脈最強のトオル兄だ。
それほど驚きはしない。
「トオル兄、結城博士とも顔見知りだったのか」
「……お前がソウルスーツを試着するって聞いた時に、直接会いに行ったんだよ。ソウルスーツとやらが危険な代物だったら、と思ってな。まあ、心配は無用だったが」
「そらそうよ! だって、私の開発品だもの。ソウルスーツは国も認めるスーパー武器!」
「だけど、適応しなければ意識を失うんだろ。気が気じゃなかったぜ」
トオル兄は、緊張をほぐすような息を吐き出す。
適応しなければ意識を失う。
その言葉で、俺はトオル兄に話していない秘密があったことに気付く。
だけど、ここでは言えないものだった。
何より、近くに結城博士がいる。
彼女から口止めされるほど、言葉にしてはいけない秘密だ。
「さ、大倉くん。研究室に行くわよ」
「わかりました。じゃあまた、トオル兄」
背を向けて帰ろうとする結城博士の腕を、トオル兄はガシッと捕えた。
「……結城博士。二人で話したいことがあるのだが」
深刻な顔つきで、結城博士を引き留めている。
何かは分からないが、俺は一足先に結城博士の研究室に向かうことにした。
俺をのけ者にしてまで、話すことはなんだろうか。
もやもやする気持ちが出てきたが、トオル兄を信じて聞かないことにする。
どうせ、いつもみたいにはぐらかされるだけだ。
ドアノブを掴んで、博士に声をかけた。
「先に行って、待っています」
「コーヒー、私の分も淹れておいて」
「はいはい、博士。砂糖三杯、ミルク一杯ね」
黒崎さんと結城博士のコーヒーは、いつも甘い。
ついでに俺も、砂糖ミルク大量コーヒー。
トオル兄に別れの挨拶をして、扉を閉めた。
龍道川は俯き、結城博士は窓の外をボーっと見つめていた。
夕日が発する光を、白衣全体で受けている。
「結城博士。俺の……下半身は動かないのか」
龍道川がそう切り出すと結城博士は壁に背を預け、視線を龍道川の下半身に移す。
ベッドに腰掛けている龍道川の脚はだらんと力なく垂れている。
「龍道川くんの主治医に会って、もう一度レントゲン写真を見せてもらった。脳の大半が機能停止しているのに、生きているのがおかしいくらいだ。下半身不随で済むような事故じゃない。さすがは、伝説の元刑事だね」
「くだらない話はなしだ。あんたから見て、俺の下半身を生き返らせることは可能か。一年前から、何か変わっているはずだ。ナノマシンでも、手術でもいい。あらゆる可能性を考慮しての、あんたの意見を訊きたい」
結城博士は、白い天井に目を向ける。
「不可能。何をどうしても、下半身は動かない」
「超技術を駆使した手術でもか」
「さっきも、言ったでしょ。脳のほとんどが死んでいるのに、生きているのはおかしい、と。死んだ脳の領域が持っていた機能を、他の生きている領域がカバーしている状態なの。そんな状態で、脳をいじくったら、どうなるか分かるはず。手術が、殺人行為に早変わり」
結城博士は、こめかみに指鉄砲の形にした手を押し付ける。
一拍置いて、指鉄砲が弾けた。
「銃弾が脳を貫いても、奇跡が起これば生き残ることはできる。あなたは既に、脳を銃弾でかき回されている状態なんだよ。おまけに、脊髄損傷ときた。中枢神経系は、現代医学をもってしても治療することはできない」
龍道川は拳を固める。
「脳科学の権威が言うんだ……納得するしかない」
「どうしても動かしたいっていうんなら、パワーアシストサポーターを片脚だけはめて、もう片方は松葉杖という案はあるけどね」
「それは歩いているんじゃない。歩かされているだけだ。生活も難儀する」
「文句しか言えないんなら、黙って諦めな。割り箸を、メンマにすることはできないんだよ」
「世界中で大活躍の博士なら、割り箸をメンマにできそうな気がしたんだが。でも……おかげで、諦めがついた」
そして、龍道川は結城博士の瞳を覗く。
「俺は……もうじき、死ぬ運命なんだよ」
結城博士は、肺にたまった空気を吐き出し、再び窓の外に視線を移す。
「それは、大倉くんには口が裂けても言えない……冗談だね」
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