ver.5.0.8 緊急対策会議

 だだっ広い会議室の奥には大型スクリーンが設置され、パソコン画面がプロジェクターによって映し出されている。

 部屋内の光はほとんどなく、映画が上映される前を思わせる。

 光源となっているのは、コンピューターの画面ぐらいだ。

 暗いから、よく目を凝らさないと人とぶつかってしまう。

 俺たちは案内された通り、長机と椅子が並ぶところに移動する。

 熊谷は、先に座っていた。

 そこに、見覚えのあるごつい男が近づいてくる。

 隊員の一人が気付くと、名前を声に出した。



「副本部長、高宮副本部長だ」



 高宮は俺を睨みつけるように目を細め、ただ一言。



「ツカサ、お前は特別席だ」



 そう言うと、左の壁を指さす。

 よく見ると、椅子のシルエットが並んでいる。

 隣で、両手を上げながら振っているのは……結城博士か。

 場違いな賑やかさを、手振りから感じ取った。

 俺は高宮の指示を疑いもせず従い、結城博士に近づくと、隣には黒崎さんが座っていたことに気付く。

 結城博士の隣に座ると、黒崎さんが体を乗り出しながら、こちらに顔を向けて話しかけてきた。



「昨日はお手柄やったな。偉いで、ツカサくん」

「ありがとうございます、黒崎さん。小泉さんのおかげですよ。彼女の助けがなかったら、感染者を逃がすところだったんですから」

「カオリちゃんも、ヒーローの役に立てて嬉しそうやったで。良い関係になってるやないか」



 小泉さんとは、感染者が現れた時ぐらいしか話す機会がない。

 廊下でばったり会うこともないし、可能性がそもそも少ない。

 サイバーセキュリティ対策課があるのは別の建物で、俺たちは本部の一階だ。

 話す機会は少なくても、黒崎さんの言う通り、関係は良くなっているはずだ。

 互いが互いを必要とする関係性が構築されていると信じていた。



「黒崎さん、小泉さんは来ていないのですか」

「うん? ああ、けえへんで。重要な仕事をさせてたさかい、今日はもう休みや。それに、有給休暇も申請するって。来週の土曜日を予定してるらしいわ。……食事に誘うんやったら、この日やな」

「大きな世話ですよ。はぁ、どうして俺の周りには、お節介焼きが多いんだ」



 それにしても、重要な仕事とは何だろうか。



「小泉さんに任せた重要な仕事って?」

「なんや、分からへんのかい。緊急の会議やで。決まっとるやろ」

「まさか……」

「……人間マルウェアの開発者と思しき人物を見つけ出したんや」



 ついに見つけたのか。

 この時が、ようやく到来したというのか。

 まだまだ先の話だとばかり思っていたが、さすがはサイバーセキュリティ対策課だ。



「ま、これから始まる会議に耳澄ませてや」







 高宮副本部長がマイクを手に取り、会議の始まりを知らせた。

 ここにいるのは重役と捜査一課、SMSTぐらいだ。

 会議室前方に、大きなスクリーンが下ろされており、プロジェクターの光が当てられていた。

 まず、本題に入る前に、人間マルウェアの説明を始めるようだ。



「私は綾小路ルシアと言います。人間マルウェアの第一人者として、ここに立たせていただいています」



 あの人は、ニュースでよく見かける教授だ。

 この教授こそ、人間マルウェアと命名し、人間へのコンピューターウイルスだと仮説を発表した人物。

 金髪で眼鏡をかけた美女は、タブレット端末を指先で叩く。

 すると、スクリーンに映し出された画面が変化し、文字と図でぎっしり詰まったスライドに切り替わる。



「さて、人間マルウェアですが、まず感染源からお話ししましょう。これは、開発者が見せるスマートフォンの画面です。そう、感染源です。もっと正確に言うならば、感染者は皆、開発者のQRコードを読み取って感染しています」



 会議室内が騒めく。

 仮説だったはずなのに、確信をもって突き付ける口調だから、否が応でも信じてしまいそうだ。



「次に人間マルウェアの仕組みについて、お伝えします。我々は感染するQRコードをAQRコードと呼んでいます。というのはこのQRコード、ARの機能が付いているのです。スマホの画面を通して見ることで、ARがQRコードの情報を強調させる働きがあります。それによって、人がデータを読み取れるのだと考えられます。ARとQRコードの複合語、AQRコードです」



 QRコード付きARということか。

 未来のテクノロジーをプレゼンするような雰囲気だ。



「そもそもQRコードは縦横に情報を持たせることができるため、大容量のデータを格納できるのです。しかし、人間はこれを見ても何が書かれているのか理解できないと思います。AQRコードを健全な人が見ても感染しません」



 だろうな。

 そうじゃないと、AQRコードを見せる者もただじゃすまない。

 綾小路教授は視線の先を、結城博士に集中させた。



「ここで、結城博士にお聞きします。この前の会見で発言されたRAS。あれは、五感で入手した大量の情報から、必要な情報だけを取り出すフィルターの役割があるそうですね」



 隣で結城博士が立ち上がり、マイクに口を近づける。



「その通りです。毎秒、入ってくる情報を全て受け入れてしまうと、脳は処理しきれませんから。簡単に言えば、脳が重要だと判断したものしか視えない機能、といってもいいでしょう」

「つまり、不必要だと判断された情報は視界に映らないし、脳にも入らない、ということですね」

「そうです。脳手術の後、患者の中には稀に霊感に目覚める方がいらっしゃいます。原因として考えられている説の中で、私が特に信憑性が高いと思っている説は脳を手術したことによって、RASの機能が弱まり……結果、幽霊が可視できるようになったのでは、というものです」



 それを聴いた綾小路教授は満足そうに頷いた。



「なるほど。RASの機能が弱まることで、見えないものも見えてしまうと。機能が弱まれば、大量の情報でも読み取れる可能性はありますか」

「ないとは言い切れません。サヴァン症候群というのはご存知でしょうか。音楽を一度聞くだけで再現してみせたり、本の内容を一瞬で記憶したり、数か国語を自在に操れたりするなど、優れた能力を発揮できる症状が実在します。諸説では、これもRASが関係しているのでは、とされています。脳というのは無限の可能性が秘められています。一瞬で膨大な量のデータを、人が読み取ることも不可能ではないでしょう」



 綾小路教授は一度、縦に首を振る。

 そして、会話を引き継いだ。



「私の結論として、AQRコードの読み取りにはRASが関係しているということ。そして、人体が変化するのは、AQRコードの膨大なデータによるものだということです」

「人体の変化が、感染者というわけか」



 本部長の問いに対し、綾小路は頷く。



「このQRコードの情報は、ただの情報ではありません。人間の体を化け物にするのですから。QRコードに込められた縦横の情報……それは細胞の書き換えるための情報では、と推測しています」



 AQRコードを人が読み取ると、肉体が変化する。

 それは情報が、細胞を変化させているのだと。

 細胞をプログラムだと捉えると、それを書き換えるのは確かに、コンピューターウイルスの機能に似ている。

 だから、人間に効果のあるコンピューターウイルスだと仮説を立てたのか。



「RASの機能が弱ったことで、大量の情報が脳にインプットされる。書き込まれた情報通りに、細胞が変異していく。そういう流れで、人は凶暴化するのではないでしょうか」



 本部長はいかにも困惑した様子で尋ねる。



「ええと、それは……子供が読み取っても、感染者のように巨大化するとでも」

「おかしな話ですが、正解ですとしか言えません。人間の体は約六十兆個の細胞で構成されているとされ、一つひとつに情報が込められています。人間マルウェアは、インフルエンザのように細胞に寄生するウイルスと言っても過言ではありません」

「だが、RASの機能が弱まるというのは、滅多にあることなのか」



 副本部長は大して疑問に思っていなさそうな声色で、綾小路に質問した。



「高宮副本部長のおっしゃる通り、私もそこが疑問なのです。これは、RASが衰えるという前提で話す仮説です。結城博士、まずRASに個人差はあるのでしょうか。弱まることはあるのでしょうか」

「RASにはまだ未解明の領域がありますので、何とも言えないのですが……個人差ということなら、あると思います。幽霊が視えるというのは、RASが弱まっているからだと私は言いました。これはまさに、個人差があるといえる証拠になります。先天的に幽霊が視える者もいれば、後天的に視える者もいる。何らかの原因で、RASが弱まることがあるのでしょう」

「何らかの原因、とは何でしょうか。後天で考えられるものはありますか」

「先天なら遺伝子に異常があったと説明ができるものですが、後天となると難しいものですね」

「では、結城博士。RASが抑制される一因として……飲酒は考えられるでしょうか」



 綾小路は飲酒こそ、RASを弱めるものではないかという信念で、強く言い切った。

 刑事が、犯人に決定的な証拠を突き付けるように。



「可能性は考えられます。酒酔いには二種類あり、体内でアルコールを分解することによって生成されるアセトアルデヒドによる酔いと、もう一つ脳と大いに関係あるのが……エチルアルコール、つまりエタノールの摂取による酔いです。人はエタノールを摂取すると、中枢神経系を抑制され、酔ってしまいます。エタノールには、脳を麻痺させる効果があるのです」

「なるほど、結城博士の説明によれば、RASは飲酒で抑制されることがあるのですね」

「ええ。ですが、多少の飲酒ではRASに影響を及ぼしません。RASを含む脳幹にまで影響が及ぶには、血中アルコール濃度が0.20%以上を超えている必要があります。要するに泥酔期を超え、昏睡期になるほどまで飲まなければならないということです」

「錯乱状態になるまで酔っ払っていれば、RASが抑制されると」

「そういうことです」



 結城博士はマイクを机に置いて座ると、綾小路教授はタブレット端末の画面を指で弾く。



「酒によって、RASが抑制される説を裏付ける証拠があります。感染者が感染する前の行動を、捜査一課とサイバーセキュリティ対策課で洗いざらい調べました。ご覧の通り、これまで六件の感染者は全員、飲酒していることが判明しました。それも全員、立てなくなるほど泥酔しています」



 スクリーンには、監視カメラによって撮られた六名全員の行動が映し出されている。

 確かに、千鳥足の者や体を引きずりながら移動している者、倒れ込んでいる者がいる。

 会議室内は、感動で驚いた声を出していた。

 核に近づいた感触を得たからだ。

 綾小路は、内心ヒヤヒヤしたのではないだろうか。

 万が一、結城博士によって飲酒による抑制はないと言われたら、この映像は見せられない。

 これだけ大掛かりなショーだ。

 緊張感も半端じゃない。



「以上のことから、対策についても考えることができます。泥酔するほど飲酒しないこと。もっと言うと、アルコール飲料を販売禁止、所持禁止にすることですね。まあ、それはできないでしょうが」

「いや、販売禁止も視野に入れて対策するべきだ」



 高宮の声が、全体に響き渡る。

 会議室内の騒ぎが、一瞬にして静かになった。

 副本部長の隣に座っている本部長が、軽く笑って「馬鹿げていますよ」と耳打ちしたが。



「飲酒を禁止するだけで、どれだけ犠牲者を減らせるか、考えたことはあるか諸君。規制することで、事件事故を減らせるというならば早急に手を打つべきだろう」

「高宮さん。そんなことをすれば最悪、暴動が起きますよ。それに警察や政府への不信感が」

「本部長、甘いことを言っている場合ではない。国民を守るのが、警察の役割ではないのかな」

「まあまあ、そのへんで」



 本部長が宥めると、高宮はマイクから口を話して腕を組む。

 俺は、その態度で思わず舌打ちした。

 あの頑固一徹。

 昔からそうだ。

 他人の意見を受け入れる柔らかい思考がないのか。

 だから、O阪府警察で最も嫌われているんだよ。

 俺は拳を固く閉じて、あの人を心の中で殺した。

 奴の信念には、人を思いやる心がない。

 早く消えてほしいものだ。







 綾小路博士は軽く頭を下げて、会議室から退出していった。

 次に前に立ったのは、サイバーセキュリティ対策課課長の黒崎さんだ。



「ここからはワイ……んんっ、私、黒崎セイイチが説明させてもらいます。サイバーセキュリティ対策課はようやく、人間マルウェア開発者と思しき人物を発見しました」



 本部長の口から、感嘆のため息が漏れる。

 それもそのはず。

 開発者を捕えることができれば、人類は人間マルウェアの脅威から解放されるのだから。



「私の優秀な部下が改良したAIを利用し、感染者が出現した現場近くにいる歩行人を分析。先ほど、教授はQRコードを見せることで感染者を増やすとおっしゃっていました。裏を返せば、開発者は直接、感染者にさせる対象と接触しなければいけません。ということで、全ての現場にいた一般人……一人、該当する者が検出されました」



 黒崎さんはタブレット端末を指で叩くと、スライドの表示が変わる。

 プロジェクターによって映し出されていたのは、暴れる感染者から遠ざかる男性の顔をズームした画像。

 黒いコートを着た中年……こいつは。



「被疑者として浮かび上がったのはO阪市内在住、村雨マサムネ。三十九歳、独身。職業は在宅プログラマー。現在、アパートの小さな一室で一人暮らししています」

「その者が、人間マルウェアを開発したと?」



 高宮副本部長は黒崎さんに問うと、自信満々に頷く。



「可能性は高いです。村雨は事件発生前、必ずどこかの店に立ち寄っており、感染の条件に適した人物を物色していました。そう、酒で酔いつぶれるほど飲む人物を探すために」

「なるほど。筋は通っている」



 高宮はマイクを手にしながら立ち上がり、皆に向かって指示を発した。



「明日、被疑者の身柄を拘束する。緊急逮捕の準備だ」

「緊急逮捕ですと?」

「どうされました、本部長」



 高宮は見下すように、隣の本部長の顔を覗く。



「せめて、裁判官の令状を待ちましょう。誤認逮捕だった場合、O阪府警察だけでなく警察庁にまで名誉が」

「名誉ですか? そんなもの、豚に食わせてやりなさい。人間マルウェアの開発は死刑、もしくは無期にあたる大罪だ。疑いに足る十分な理由もあり、急速な逮捕も要される。緊急逮捕しても裁判官は納得する。捜査一課は緊急逮捕後、逮捕状請求の準備をしておきなさい。SMSTは被疑者を捕える準備を整えなさい」

「待ってください!」



 刑事部をまとめる刑事部長が挙手をして、大声で発言する。



「捜査一課が被疑者と接触しないのですか!」

「それは、君が捜査一課を無駄死にさせたいということかね。被疑者自身が感染者となれば、付近の警察官は間違いなく殺されるだろう。警察官であれば誰であっても、逮捕権は認められている。SMSTも立派な警察官だ」

「しかし」

「なら、君が直接接触し、緊急逮捕の理由を告げて手錠をかけるがいい。君も立派な警察官だ。捜査一課に手柄をくれてやってもいい」

「……し、失礼いたしました副本部長」



 刑事部長は完全に尻込みして、椅子に座った。

 委縮して、存在感がネズミと同等になっている。

 やっぱり、高宮に腹が立ってきた。

 一発、その顔面を叩き潰してやりたいほどに、怒りで煮えたぎっている。

 ここまで拳を固めているのは、あいつに育てられた俺だけだろう。



「ソーシャルヒーロー、立て」

「はい」



 高宮に呼ばれ、俺は椅子を後ろに押して立った。



「君はスーツを着て、万一に備えておくのだ。被疑者を逃すな」

「はい、もちろんです」



 返事だけは一丁前に声を張り上げたが、心はこもっていない。

 視線の先は、一週間前ぶつかった被疑者の顔。

 高宮副本部長は不満げに聞こえる口調で。



「よろしい。座りなさい」



 一拍おいて、落ちるように座り込む。

 後は、会議が終わるのを待つだけだ。

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