ver.5.0.6 感染者

 現場の百貨店は、騒然とした雰囲気に包まれていた。

 出入り口には人が集中し、誰もが先に避難しようと必死だ。

 現場に向かう俺たちは、次々と押し寄せる人波に揉まれながらも、強引に突破していく。

 スーツを着た俺とすれ違った者は皆、ヒーローが来たと呟きながら、カメラを向けてくる。

 中には、サインを求める者もいて驚きだ。

 丁重に断り、何とかして百貨店内に進入する。

 SMSTの隊員が避難誘導を呼びかけ、隊長と俺は感染者を探し始めた。

 その時、目の前から近づいてきた黒コートの男に気付かず、思い切り衝突した。

 男は、尻餅ついて倒れていまった。



「くっ」

「すみません。大丈夫ですか?」



 腰をさすっている男性に声を掛けて、手を差し出す。

 低く呻きながら、手を掴んで立ち上がる。



「ありがとう。助かったよ、ヒーロー」



 まとまりのない癖のある髪を中央でかき分け、ズボンを数回はたく。

 中年で健康的な肌の男性が、唐突に後方へ指を突き付け。



「感染者なら中央ホールで暴れている」

「わかりました。教えてくれてありがとうございます」



 居場所を探す手間が省けた。

 男の横を通り過ぎる間際、一言呟いたのを聞き逃さなかった。



「おまえが、あいつの……」



 男はそそくさと走って、出口を目指した。

 俺は、その背中を見つめる。

 奇妙な雰囲気を感じ取った。

 なんだ、あの男。



「おい、ツカサ! ぼうっとしてんじゃんねぇ!」



 熊谷の怒鳴り声が、閑散とした通路で反響する。

 俺は教えてもらった場所を頭に思い浮かべながら、様々な店が立ち並ぶ通路を駆け抜けた。



 中央ホール。

 一階から最上階まで吹き抜けの広場が、乱暴に荒らされていた。

 何人かの死体も転がっており、あちこちに血だまりができている。

 ひどくおぞましい光景、これが死屍累々。

 これを目の当たりにしては、頭がどうにかなるだろう。

 俺でさえ、耐えられなくて目を逸らしたくなるほどだ。

 熊谷は死体に慣れているのか、それほど気には留めていないだが。

 それでも目を配らなくてはならない。

 意外なことに、何も音がしないのだ。

 聞こえてくるのは、俺と隊長の慎重に歩む足音だけだ。

 異様な不気味さが脳を混乱させてくる。



「ツカサ、上だ!」



 熊谷の声に素早く反応し見上げると、死体が猛スピードで落ちてくる。

 俺は飛び退くと、さっきまでいた場所に死体が落下し、ギチャッと音を出して人の形が崩れた。

 血がソウルスーツに降りかかってくる。

 血を腕で受け止め、再び上を見ると、また死体が落下してきた。

 その死体が最上階の十三階から四階に差し掛かったところで、異変に気付いた。

 死体の腕が妙に細長い。

 手が血で塗れている。

 もしかして、こいつは。



「感染者だ!」



 死体が二階まで落ちてきた途端、体を反転させて、俺に向かって腕を振るった。

 右に体を投げ出し、ギリギリ攻撃を躱した。

 死体だと思っていたのは、人の形をギリギリ保てている感染者だった。

 感染者は猫のように四点着地を決めて、何事もなかったかのように、こちらに突進を仕掛けてくる。

 一刻の猶予はない。

 右手にオーラを溜めて、反撃に備える。



 博士に渡されたスピリットメタル。

 それをソウルスーツに装着することで、会見で披露した威力を発揮することができる。

 目を真っ赤にしながら、飛びかかってきた感染者に右ストレートを食わせる。

 ボクシングで見るような右ストレートとは訳が違う。

 放たれた右拳が相手の顔面に命中した瞬間、追い打ちをかけるように溜まったオーラを解き放つ。

 それによって、感染者の肉体を見えなくなるまで吹き飛ばすことができる。

 飛ばされた先は、日用品売り場だ。

 商品棚をめちゃくちゃにしながら、感染者は遠くまで飛んでいった。



 スピリットメタルは有限ではない。

 ソウルスーツは、スピリットメタルに込められたオーラを消費して戦う。

 例えて説明するならば、スピリットメタルは銃弾で、ソウルスーツは銃本体と考えると分かりやすい。

 銃弾には限りがあるように、スピリットメタルにも限りがあるのだ。

 今、放ったオーラは10%ほど。

 出力10%だ。

 スピリットメタルに込められた残りのオーラは90%。

 さて、先ほどの攻撃で死んでいてくれると助かるのだが。

 そう思った途端、文字にできない絶叫が耳を裂き破ってきた。

 次の瞬間、飛ばした場所から顔を出して、俺の方向に猛ダッシュしてくる。

 猪突猛進。



「俺様を無視してんじゃねぇよ!」



 熊谷のアサルトライフルが火を噴く。

 連続して発射される高速の弾丸は、熊谷を視界に入れていなかった感染者に直撃する。

 前回の巨漢と違って、弾丸が皮膚を貫通し、鮮血が迸る。

 体にミキサーを突き立てるように、弾丸は肉体をかき混ぜていた。

 それを見ても、熊谷は油断しない。

 やがて、弾倉が空になると素早く新たな弾倉と交換、再装填する。

 武器の取り扱いを見て、隊長には敵わないと思い知らされた。

 努力の数が違う。

 そして、熊谷は銃口を仰向けに倒れた感染者に向けながら、詰め寄っていく。

 銃口の先が額に当たる距離まで近づくと、冷静に引き金を引いた。

 脳が破裂し、血液と脳漿を垂れ流していく。

 死体撃ちは残酷だ、と言いたくなるが感染者は死体撃ちまでして、ようやく死に至るのだ。

 元はごくごく普通の一般人なのに、感染すれば驚異の生命力を手に入れる。

 だから、やっかいなのだ。

 熊谷が銃を下したと同時に、骨伝導イヤホンに女性の声が入る。



〈やりましたね、大倉さん〉

「ほとんど、隊長がやったけどな」



 そう言いながら、熊谷の方を向くとドヤ顔を浮かべながら、銃を掲げていた。

 どうだ、お前なんていなくても勝てる、とでも言いたげな表情だ。



「小泉さん、目標は片付いた。すまない、あまり出番はなさそうだ」



 声帯に埋め込まれたナノチップが俺の声をデータにして、小泉さんのインカムまで飛ばす。

 首を振りながら発言したような「ううん」と聞こえ、



〈私、やること多いですから助かります〉



 微笑んだ声が聞こえ、こちらも笑い返した。

 直後、一瞬で抑揚の切り替わった声で返事が叫ばれた。



〈気を付けてください!〉







 不意に体が前方に押し飛ばされた。

 それも考えられないくらいの力で。

 肺の空気が全て押し出され、ツルツルに磨かれた床を横転しながら遠くにもっていかれる。

 転がり終え、なんとか立ち上がる。

 背中を思い切り押された感覚と眩暈がして、しっかりと立て直すことができない。

 その時、小泉さんの慌てた声が入る。



〈もう一体、感染者がいました!〉

「なに!?」



 中央広場に目を凝らすと、銃を構えた熊谷の姿と不気味な動きをする感染者の姿が見受けられた。

 さっきと同じ形の感染者だ。

 熊谷は狙いを定めて発砲するが、感染者はくねくねと体を捻じらせて避けつつ、ついに飛びかかる。

 熊谷は真正面から飛んでくる感染者を躱すことができず、地面に押し倒されていた。

 感染者は熊谷の腹に乗って、両手を顔面に突き刺そうとしたが間一髪、腕を掴まれ抵抗されていた。

 感染者の手の爪が、見る見るうちに鋭く伸びていっている。

 俺は足にオーラを溜まったのを確認すると解き放って、一気に奴のところまで飛ぶ。

 高速で飛んでいる間に、右腕にオーラを溜める。



「出力20%」



 そして、感染者との距離が間近になったところで、右腕を伸ばして脇腹にめり込ませる。

 同時に必殺技名を咆哮して、オーラ解放量の制限を解除する。



「『ソウルブロー』!」



 打ち放った反動で俺の勢いは止まり、感染者の肉体は建物を突っ切って見えなくなった。

 熊谷が起き上がって、俺の肩に手を置く。



「飛ばしすぎだ、この野郎。いちいち確認しにいかなきゃならねぇのによ」

「そうは言っても、加減はできませんって」

「やり方があるだろ。上に飛ばすか、下に打ち込むか。考えて、攻撃しろ」

「馬乗りになった状態で、上に打ち上げるのは難しいですし、かといって下に打ち込むと隊長が死にますよ」

「なめんな、オレ様を。生きるために戦ってんだからな。だから、遠慮なく巻き込め」

「それは……心強い言葉ですね。分かりましたよ。巻き込んでも、死にそうになさそうですし」

「当たり前だ。ようやく気付いたか、馬鹿垂れが」



 そう吐きながら、落とした銃を拾ってさっさと行ってしまった。

 俺はそんな隊長をじっと見つめていると、小泉さんが心配そうに呟いた。



〈熊谷隊長って、かなり気が強い方なんですよね。大丈夫なんですか?〉

「厳しい人だよ。だけど、あの人が一番SMSTの隊長に向いてる。誰よりも強い正義感と、どっから湧いてくるのか分からない自信を持った熊谷隊長じゃないと、俺らは既に死んでるだろうな」

〈そうなんですね。なんか分かる気がします。不安が吹っ飛ぶ感じです〉

「そうそんな感じ。不安なんか考える暇も与えてくれないんだよ」



 小泉さんとの会話を交わした後、倒れている感染者の死亡を確認し終えた。

 隊長は今回の敵は弱くて不満だ、とぼやいていた。

 俺は、ありがたいと思う。

 そうこうしているうちに、店内に複数の警察官が出入りし、死体の身元確認や運び出しを行い始めた。

 俺は隊員がこっそり持ってきてくれたアタッシュケースに、腕の形に縮んだソウルスーツを収め、隊員のふりをしながら、その場を去った。

 こうしないと、ソーシャルヒーローを一目見ようとする人々から逃れられないからだ。

 それに、これは警察庁からの命令でもあると、小泉さんは言う。

 警察庁にとって、ソーシャルヒーローの存在は、世間とは真逆で疎ましいように感じているようだ。

 あまりに目立っては、警察官の存在感が薄まるからだろうか。

 いや、そんなお優しいこと考えたりするだろうか。

 とにもかくにも、今回の感染者討伐において隊員犠牲者が0である。

 これにはSMST一同、喜んだ。

 世間も我々も、ソウルスーツの必要性を改めて確認させられた。

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