ver.5.0.5 SMST
五月、上旬。
狭い自分の部屋に、カーテンで遮っていた日光を浴びせる。
『朝のニュースです。二週間前、夢幻大橋F区画にて、人間マルウェアに感染した男の身元が確認されました。鮎川ケイタ、三十六歳。中学校教員として……』
腕を振ると、テレビはそれを認識して、プログラムされた通りにチャンネルが切り替わる。
『……そうなんですねぇ。O阪府知事の里見さんが、近々訪れる総理大臣を案内するようです。場所は、どこなんでしょうねぇ』
焼けたパンにかじりつきながら、テレビに向かって開いた手のひらを閉じると電源が切れる。
テーブルにスマホを置いて、電源を入れると何件かメッセージが来ていた。
うち一件が、小泉カオリさんから。
【昨日は優しく対応していただき、ありがとうございました! 連絡先は、黒崎課長から手に入れました! 今後とも、よろしくお願いします!】
絵文字も使用されており、女の子感たっぷりの素敵なメッセージだ。
俺は無難な言葉で返信し、よろしくお願いしますと付け加える。
次に、トオル兄から一件来ていた。
【食事の誘い方、伝え忘れていたな。食事しに行きませんか。これを言えばいい。今度、見舞いに来るときは、最高級の酒を頼む】
それができたら、苦労しないんだよ。
あと、酒を要求するな。
そんなもの飲んで、体調を悪くしたらどうする気なんだ。
どこにでも売ってるフルーツボトルでいいか。
で、残りのメッセージは迷惑メール。
時刻は七時。
靴を履いて、玄関ドアを開けると目の前にはO阪府の都市が広がる。
O阪府警察が管理するマンションで、俺は寝泊まりしている。
玄関ドアに手のひらを押し付けると、体内に埋め込まれたナノチップと反応し、自動でドアに鍵がかかる。
まずは地下鉄に乗って、TJ橋筋九丁目まで行き、Y医療病院まで歩く。
それから、結城博士の研究室に向かい、ソウルスーツが収められたアタッシュケースを受け取る。
「スピリットメタル、一個増やしておいたから」
「ありがとうございます」
俺は感謝を伝えた後、背を向けて帰っていく博士に注文する。
ソウルスーツに関する文句だ。
「あの、強力に出力するときがあるじゃないですか」
「ああ、出力が20%を超える場合ね」
「ええ……その」
「どうしたの」
博士は俺の顔を覗き込んでくる。
「大丈夫よ。あの結城博士よ。安心して」
「必殺技名を言わないと、出力解放できないのやめ……」
「話は終わりね。さあ、部署に行くといいよ!」
「聞く気無しですか」
「別に辱めようという目的で付けた音声入力システムではない。言挙げによって自分の意志を確立し、必殺技の効力を生んでいるの」
「ほんとですか?」
こういうのは話半分に聴いておいた方がいいかもしれない。
「オリンピックの投擲競技なら、顕著に現れて分かりやすいかも。多くのオリンピック選手が投げる直前、思い切り叫んでいるの。シャウティング効果といって、大声で叫ぶことによって、アドレナリンを分泌させ、脳と体を活性化させる。それによって、筋力が7%も増加するわ。集中力や判断力も上がる。どう? 必殺技、めちゃくちゃ叫んでみたくなったでしょ」
「いえ、ならないです。ありがとうございました」
俺を捕まえようと博士の手が伸びたところで自動ドアが閉まり、俺はスムーズに抜け出せた。
さて、O阪府警察本部にあるSMSTの持ち場に来たのはいいものの、俺は扉を開けるのが怖かった。
ソウルスーツが採用され、SMSTは俺の補助になる。
それは、人々を守り戦う警察官の誇りを失わせるような扱いだ。
命を懸けるのが警察官の……。
「おっ、大倉じゃねぇか。どうしたんだ、扉の前で固まって」
「え、橋本……」
段ボールを抱える隊員、橋本は段ボールを脇で挟み、顔を擦り合わせるように肩を組んできた。
初めて会った時から、少し馴れ馴れしい奴だと印象に残っている。
「もしかして、嫉妬の嵐だと思ってるのか?」
「違うのか?」
「まあ、答えは中に入れば分かる」
俺を扉の方に押し込み、自動ドアが開く。
すると、あちこちから破裂音が聞こえ、視界は紙吹雪で覆いつくされた。
ひらひらと舞う紙片が床に向かって落下していく。
頭を振って、意識を確かにすると、隊員の皆が煙の上がるクラッカーを持って笑っていた。
「ソーシャルヒーロー、任命おめでとう!」
「やったな、ツカサ!」
拍手喝采。
喜びの声が、あちこちから響いてくる。
隊員の一人が、俺に近づき握手を交わしながら話す。
「何も不安がることはないさ。皆、ツカサに感謝してるんだぜ」
「感謝だと? やりがいのある仕事ができなくなってか?」
「……やりがい? 無力な小人が巨人に挑むこと、それをやりがいだと思っているのか?」
背後では、もう俺のことを忘れて、段ボールに入っていたお菓子やジュースを配っていた。
橋本は早速、炭酸飲料を口にしている。
「馬鹿言うんじゃねぇよ。そんなの、やりがいだと思っている奴はいない。この前の戦いで、隊員が何人犠牲になったか憶えているか。三人だ。名前と顔はもちろん、性癖だって知っている。見渡してみろ」
俺は言われた通り、周りを見渡す。
まあまあな広さの部屋に、机が縦に整列している。
生きている隊員の机は雑に散らかっているが、死者となったものの机は真っ新な状態で置かれていた。
まるで、新人を迎えるような机である。
「SMSTができて、五か月。十人以上、犠牲になった」
「で、何が言いたいんだ」
「何を伝えるためのパーティーか、分かっているか。……代わりに、戦ってくれてありがとうのパーティーだ。これで、隊員犠牲者の数は少なくなる。俺たちはただ、お前を遠くから援護して、避難誘導に尽くしていればいい。仕事が楽になったぜ。ずっと応援してるぜ、ソーシャルヒーロー」
それを聞いていた隊員が口々に「戦ってくれてありがとう」と言葉を投げかける。
そうだよな、誰だって死にたくないよな。
昨日まで生きていた友人の、ミンチになった肉の塊なんて目にしたくないよな。
死んだ者の親から、クレームが飛んでくるのも嫌だよな。
わかってる、全部わかる。
俺だって死にたくないし、傍観しておきたい。
だけど、隊員たちと俺との違いがあった。
悲しむ人の数が違う。
俺には親はいないし、育て親のあいつが悲しんで泣くなんて場面、想像つかない。
友人もそれほどいない。
失うものの差を考えると、俺が前線で戦えて良かった。
小さく頷いて、了承した。
「ああ、任せてくれ。ソーシャルヒーロー、だからな」
側に置かれた水を一気に飲み干してコップを叩きつけるように置いた後、そのまま奥のトレーニングルームに入った。
巨体が床に両腕をつけて、腕立て伏せをしている。
俺はわざと、その隣でストレッチを始めた。
こいつの真意を聞きたいからだ。
「ツカサ、てめぇを許さねぇ」
熊谷隊長に出会って一言目が「許さない」とはな。
いかにも、熊谷隊長らしい。
入隊した時から、俺を敵視している。
そして、怒っている顔しか見たことがない。
誉め言葉、特になし。
なぜ、俺を敵視しているのか。
簡単だ、弱そうな奴が一番期待されているからだ。
熊谷という男、トオル兄に匹敵するぐらい正義感で燃えている。
トオル兄と違って、常に燃えているのが熊谷だ。
熱血漢という単語の擬人化に思えてくる。
「警察庁に、戦力外通告されたようなものだ。気味の悪い合金スーツ着て、馬鹿でかい音鳴らして戦うやつが、ヒーローだ?」
「そう言っても、感染者は人を超えた化け物です。事実、これまで隊員が何人も犠牲になった」
さっきの隊員の受け売り。
犠牲という言葉を使った脅し文句は気に食わないが、熊谷の本心が覗けるなら気にしないようにする。
本心を聞いて、妥協策を考案できれば最高だ。
「なら、パワーアシストサポーターを全身に付ければいい!」
あっ、典型的な脳筋だ。
脳まで筋肉でできていたみたいだ。
元陸上自衛官で陸軍曹長だったと聞いている。
一月に感染者が現れ、SMSTが発足された際、隊長として目を付けられたのが熊谷ゴロウだ。
上からの指示で、陸上自衛官から警察官に転職させられたということになる。
つまり、それなりに実力があるということだ。
なのに、頓珍漢な提案を声に出した。
本気で、この意見を口にする情熱さが恐ろしい。
こんな人を隊長に据えるとは、上は何を見ていたのか。
「そんなの体が負荷に耐えられなくなって、自重で潰れます。それに、アドレナリンを増やす機能もあるから、分泌過剰になって……」
「知らん! 技術と体力と精神で、可能になる」
不可能だよ。
何も考えないで、精神がどうとかほざかないでほしい。
どうしようもない状況で、精神論を聞かせてほしいものだ。
できるとしても、熊谷隊長だけだろ。
まともな議論はできないのかと悩みながら筋トレを始めると、熊谷は静かに発話した。
「日本の未来が、お前一人の肩に降りかかってくる。確かに、ツカサは強い。だが、ツカサがいなくなったら、オレの生まれ育った日本はどうなる。お前に任せきりってのはできねぇんだよ、くそ!」
自身の無力感に苛立ち、床を思い切り殴りつける。
俺は構わず、汗を流しながら筋トレを続けた。
熊谷の意見も一理ある。
ソウルスーツ、全員が身につけられる装備になればいいのだが。
いきなり、室内の警報器が鳴り始め、アナウンスが響き渡る。
『U急百貨店にて、感染者が確認されました! SMSTの皆さんは……』
「いくぞ、ツカサ! スーツ、持ってきてるよな!」
熊谷の質問に、俺は力強く頷く。
せわしない部署で、皆装備を身につけている。
俺も自分の机にアタッシュケースを置いて、蓋を開けた。
腕をかたどったものに、手を差し込むと次々に装甲が展開し、やがてパワードスーツに全身を覆われる。
この間、ほんの二、三秒。
熊谷は扉を全開にし、思い切り声を張り上げた。
「やるぞ、お前らー!」
隊員も張り合って、大きく叫び返した。
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