ver.5.0.4 龍道川トオル

 小学生時代から、ずっと世話になっている人物がいる。

 その人は高宮家の向かいに住んでいて、暇なときはいつも遊びに行っていた。

 日常が退屈だったのは事実だが、退屈しきっていたわけではない。

 パッと心の底から笑顔になれる時間。

 それは学校でも、ましてや高宮家でもない。

 尊敬する兄と遊んでいる時だ。

 兄といっても血がつながっているわけではなく、俺が勝手に敬っているだけだ。



 病室の扉についた覗き窓から、中の様子を見る。

 中の様子はベッドが一個と、棚がポンと置かれただけのシンプルさ。

 ベッドの人物が何やら電話していたが、俺がいることに気付くと別れの挨拶を言って、スマホを隣の棚に置いた。



「お見舞いに来てくれたのか、世間を賑わすツカサ様」

「ツカサ様って呼ばないでくれよ、トオル兄」

「じゃあ、ソーシャルヒーローって呼んでやろうか?」

「やめてくれよ、恥ずかしい。そんな大したことないのに」

「いや、ヒーローと名乗れるだけのことをしてるぜ、お前は」



 薄い赤髪で、常に歯を見せて笑っている色男。

 筋肉もほどよくあって、患者とは思えない元気さを感じる。

 この人が俺の尊敬する兄、龍道川トオル。

 トオル兄と呼んでいる。

 本当に兄のような人物なのだ。



 俺が警察官という道を選んだのも、この人がいたからだ。

 今でも、記者の夢は潰えていない。

 だけど、警察官も密かに夢だったのだ。

 トオル兄は元警察官だ。

 警視庁刑事部捜査第一課第七係の巡査部長だった。

 とある事件の犯人を追う最中、不運にも猛スピードの車両と衝突。

 進歩した医療技術により、回復の見込みがなかった状態から奇跡の生還を果たした。

 だが、完全に元通りというわけではなく、下肢不自由……車椅子での生活が余儀なくされた。

 一年ほど前の出来事である。

 当時の俺は、ショックで食事が喉を通らないというのが本当にあるんだと思い知らされた。

 その時に、偏差値の低い大学への進学をやめて、有名大学への受験を希望したのだった。

 そして合格してから、ずっと一週間に一回のペースで見舞いに来ていた。



「ふっ、まったくお前は……俺のこと大好き人間か」

「その通りだ。小学生の時から、ずっと世話になってきた。あの時、筋トレや勉強、護身術を教えてくれたおかげで、こうして警察官として活躍できてる。感謝と尊敬の念で溢れてるよ」

「はっはっは、嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか。ありがとよ、ツカサ」



 礼を言って、頭をクシャクシャに撫でてくる。

 俺は慌てて、少し離れた。

 トオル兄はしょっちゅう撫でてくるのだが痛いのだ。

 そのせいで、頭にずっとクシャクシャした感覚が残っていた。

 トオル兄は少し口角を上げて。



「それから、おめでとうな。ソーシャルヒーローか……一気に俺を超えてきたな。教えることなんて何もないぜ」

「なに言ってんだよ。まだまだ、いろいろ教えてほしいことがある。山ほどだ」

「例えば?」



 そう言われると、パッと出てこないものだ。

 トオル兄からの思わぬ返答に焦って、咄嗟に頭に浮かんだことを口走ってしまった。



「食事の誘い方、とか……」



 俺がしまった、と口を塞いでも遅い。

 トオル兄がニヤケながら、俺の腕を引っ張って肩を組んだ。

 個室の病室だから、誰にも聞かれる心配はないのに。



「なんだ、気になる女性でも見つけたのか」

「ち、違うって! そんなんじゃない!」

「じゃあ、どんなんだ。はぁ、隠したって無駄だぞ。俺は、とことん言及するからな。どういう女性だ?」



 こうなっては、抜け出すのは難しい。

 いつも嘘がバレる。

 だから、この時点で負けが確定しているものだ。



「……小泉カオリさん。俺の補佐を担当してくれる人だよ。今日、出会った」

「一目惚れか?」

「だからぁ、そんなんじゃないって。なんていうか、気になったんだよ。好きとか嫌いとかじゃなくて、何か引っかかるものがあるっていうか」

「何か、隠しているんじゃないか、とか?」

「そう、そんな感じ。それが何か、心掛かりで」



 彼女が大学を諦めて、特別捜査官になった話。

 なんだか、信じられない。

 嘘をついているわけではなさそうだし。



「で、ツカサは彼女の秘密を知りたいと。食事に誘って」

「本心は、そうだけど……俺、気にしすぎだよな。あまりこういうことは訊かない方がいいのかもしれない」

「……本当に秘密ってものならな。だけど、それが苦悩だったら、訊きだした方がいい。思い詰めるってのは悪いことだし、病は気からって言うしな」



 なんだか、少し寂しそうな表情だ。



「病は気から……」



 呟いた一言が、妙に残る。

 トオル兄はO阪市内を見渡せる窓に目を向けた。



「事故を起こした日、俺は犯人を追うことより、別のことを考えていたんだ」

「別のこと?」



 窓際に置かれた写真立てを手に取り、微笑みながら俺に見せてくれた。



「これって、学生時代に行ったっていう海外ボランティア?」

「ああ、よく覚えてるな。WHOに勤めている知り合いに誘われて、二か月アフリカ大陸にある小さな村までボランティアに行ったんだ。その時、出会った子供たちだよ」



 写真の中央には、トオル兄が映っている。

 トオル兄の周りを男子女子が囲み、笑顔を浮かべてピースサインをカメラに向かって差し出している。

 その内の女の子は同じ形のした髪飾りをしているが赤、黄、緑の三種類と色は異なっていた。

 よく見ると、男の子にも服にバッジが付けられている。

 色も三つ、全員まばらだ。



「ツカサ、トリアージって知ってるか?」

「トリアージ? 確か、大災害とか起きたときに、重症度によって救命の順序を決めるやつだよな」

「そうだ。START法で色を分け、緑から黄色、黄色から赤へと進むほど、優先順位が高くなっていくものだ」



 じゃあ、写真に写っている少年少女たちに取り付けられた三種類の色は。

 トオル兄は答える。



「医師が判断して、色を付けたんだ。謎の病に感染しているらしくてな。今でも原因はハッキリしていない」

「症状は?」

「感染が進むごとに、日々行動がおかしくなる。赤と判断された子供は、一見健康そうに見えるが、ほとんど動かない。どうも、意識が薄れていっているみたいなんだ。無意識の状態を保ちながら、日々を生活している。呼びかけても反応は返ってこない。その写真は彼らを強引に動かして、撮ったものだ。ほら、俺の両隣、俺に支えられながらピースしているだろ」

「本当だ。恐ろしい病気だな」

「だろ。だから、何としてでも彼らを救いたかった。けど、俺は事故を起こした。事故を起こしていなければ、俺はあの村に行けていたんだ。あいつらのことを考えすぎて、自分のことに気が回っていなかった。ツカサ、俺を反面教師にして精一杯、自分のことを気遣えよ。所詮、人は自分のことしか考えられないんだからな」

「トオル兄……」



 今日のトオル兄は、何かが違った。

 いつもポジティブで、俺をからかったりするのに。

 今日の言葉は、心を怯えさせた。



「だが、ツカサ……お前はお前の道を歩め。地道だって、しっかり道なんだ。ソーシャルヒーロー……続けろよ」

「あ、ああ。どうしたんだ、何かに影響されたのか?」

「……なんてな。お前が俺を尊敬するように、俺にも尊敬するやつがいたんだ。そいつの受け売りだ」



 何気ない一言かもしれないが、俺は驚愕した。

 トオル兄が尊敬する人物。

 そんな人がいるのか。



「なあなあ、教えてくれよ。トオル兄の尊敬する人物!」

「教えるかバーカ。教えたら、そっちを尊敬しそうだからな! ま、生き抜けよ」

「え、もう寝る時間なのか。もうちょっと話そうぜ」

「おやすみ」

「ま、待って! 一問だけ答えてくれたらいいから!」



 腕を折り曲げて枕にすると、そこに頭をのっけて、俺からそっぽ向いた。

 丸くなった布団を全力で揺さぶるも返事がない。

 いや、微かに小声が聞こえる。



「一問だけだぞ」

「ほ、ほんとか! じゃあ……病室に入る前、電話していた人物は?」

「O阪府知事」

「どうやって知り合うんだよ、そんな人と」



 急に友人の口から、有名人の名前が出てきたら困惑するだろう。

 しかし、トオル兄は昔から、こんな感じでサラッと口にする。

 証拠として、毎回写真を見せてくれていた。

 笑ってしまうのが、トオル兄の家へ遊びに行くたびに、壁に飾られている直筆サイン入り色紙が増えていることだ。



「会いたい、って言わせることができれば勝ちだ。ネットとコンピューターを活用すれば、簡単なんだよ」



 そう言って、布団に潜り込んだ。

 布団の中から、くぐもった声で。



「今日は見舞いに来てくれて、ありがとうよ。独りは寂しいからな。良い気分転換になった」

「トオル兄といて、すごく安心した。ソーシャルヒーローの活躍、期待してほしい。そして、いつかトオル兄が追いかけていた犯人も捕まえてみせるよ」



 少し間を置いて「そうか」と答えが返ってきた。

 嬉しいような悲しいような声で心配したが、これ以上ここに居ても、邪魔になるだけだと思い、病室から出て行った。

 さて、家に帰って明日に備えるか。







 龍道川は大倉が退出したのを耳で確認する。

 その後、布団から上半身を出して、片手にスマートフォンを掴み、誰も聴き取れないような声量で呟いた。



「ごめんな、ツカサ。お前に情けない姿、見せたくないんだ。俺は……どうしたらいいんだ」



 大倉に伝え忘れていたことに気付いた龍道川はSNSを起動して、スマホの画面に指を打ちつけていった。

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