ver.5.0.3 結城ヒロコ
O阪府O阪市TJ橋筋六丁目、Y医療病院の敷地内にある国立霊魂療法研究棟。
タクシーから降りて、腕時計を見ると短針が三の文字盤に重なっていた。
ソウルスーツを着用しての足音が、施設内で反響する。
結城博士の研究室に入ると、灰色のワイシャツと黒いスラックスの男、黒崎セイイチが笑顔で立っていた。
糸のように細い目のせいで、何を考えているのか分かりにくい人だ。
「やあ、結城博士。邪魔してるで」
「邪魔するんやったら、帰ってほしいね」
「はいよー」
二人は、いつもの挨拶を交わすとハイタッチをして椅子に座る。
黒崎さんは俺の存在に気付くと、親指を立てて。
「さっきの会見、最高にクールやったで」
「相変わらず、胡散臭い人ですね」
「せやろ。真似してくれてもええんやで」
冗談として受け止めて笑い飛ばした黒崎さんは勝手に淹れたコーヒーを啜って、来客用ソファに凭れる。
完全にくつろいでいる姿勢だ。
俺は両腕のスイッチをオフにすると、ソウルスーツ全体を流れる青い血流が色を失い、装甲は腕に向かって収束していく。
やがて、装甲全体が腕に集合し、手袋を脱ぐように取り外した。
手の形になったソウルスーツを、テーブルの上に置いておいたアタッシュケースに収めて、蓋を閉じる。
持ち手に付いているボタンを押して、ロックした。
解除するには俺の指紋か、カードキーを使うしかない。
結城博士が俺の分のコーヒーを運び、礼を述べながら縁に口をつけて啜る。
砂糖とミルクを平均より多く入れたコーヒーだから、俺にとって飲みやすかった。
いくらか気分が落ち着いてきた俺は、なぜか結城博士の研究室にいた黒崎さんに尋ねる。
「ここに来たってことは、何かあったんですか?」
「そうだね。ソーシャルヒーローを演じるのに忙しいツカサくんは、人間マルウェア対策本部会議に出席できなかったよね。だから、情報を持ってきてあげたのだよ」
「なんか嫌味に聞こえるのですが」
「正解やで。ワイもソウルスーツ装備して、上司を撲殺したいなぁ」
「その上司、どこかに消えて、今は黒崎さんが上司じゃないですか。サイバーセキュリティ対策課の課長で、満足しているでしょ?」
「ふふ、満足や!」
どこか子供っぽい口調で、強く頷く。
四十五の大人が、と思ったりするがこういう童心を持っている人ほど、人生を楽しめるものなのかもしれない。
おそらく、結城博士と黒崎さんの仲が良いのも、童心を理解して共有しているからだろう。
黒崎セイイチは、爽やかなイケメンと皆から慕われている。
左手の薬指に結婚指輪をはめており、仕事姿は真面目だ。
一度、黒崎さんの仕事の様子を覗いたが、上司として部下を褒め称え、部下が失敗しても笑ってカバーする。
まさに理想の上司ではないだろうか。
怒った姿も見たことはないし、想像もできない。
だからこそ、俺は怖かった。
俺がSMSTに入った時から、よく会うようになった。
黒崎さんは自分のことを呼び捨てで構わないと言っているが、未だにさん付けだ。
完全無欠に見えるからこそ、踏み込んだ関係を築くことに躊躇した。
「さて、まずは……警察庁から御達しで、ソウルスーツを着た君は『ソーシャルヒーロー』と正式に命名されたよ。いやぁ、責任重大だねぇ。それに伴って、SMSTの役割も変わった。これまで人間マルウェア感染者の殺害を命じられてきたけど、これからはソーシャルヒーローの補助に回ることになる。実質、君に部下ができるよ。やったね、ツカサくん」
喜んでいる様子のない淡々とした台詞回しだが、それよりもSMSTの役割変更を不憫に思った。
ソウルスーツの採用で、足手まといとなったSMSTは警察庁に役立たずと言われたような扱いだ。
そう考えると、SMSTの持ち場に行きたくなくなってきた。
妬み辛みの視線が集まることは覚悟しないとな。
特に熊谷は、もっと俺を敵視するだろう。
黒崎さんはコーヒーを一口に含むと、目を瞑って飲み込む。
「ツカサくん、齢十九にして、権力は警部並にあるぞ。O阪府警察本部なら、自由に行き来できるぐらいだよ」
「なんていうか、複雑ですね。俺には背負いきれないぐらい重いですよ」
「……ポジティブに捉えるなら、それだけ信頼されている、ってことさ。実力を認められている証だな。何も難しいことはないぞ。できないことは遠慮なく、できる奴に任せるんだ。それが部下を持つ者の特権さ」
黒崎さんは口角を上げて、俺を見つめる。
俺が頷くのを見て、再びソファの背凭れに体を預ける。
腕時計を覗きながら、黒崎さんは小さく呟いた。
「もう、そろそろかな」
「何が、そろそろなんです?」
「実は、君に紹介したい人がいてやな……おっ、来た来た」
背後の扉が左にスライドして、誰かが入ってくる。
振り返ると、黒髪の女性が立っていた。
同い年ほどだろうか。
優しい笑みを浮かべながら、俺に会釈をする。
黒崎さんは女性の側に寄り、紹介を始めた。
「彼女は、ワイの部下……要するに、サイバーセキュリティ対策課の特別捜査官だ。名前は、小泉カオリさん」
「初めまして、ソーシャルヒーローさん。小泉カオリです」
自己紹介の声が、記憶の片隅を突いた。
どこかで聞いた声だ。
礼儀正しくお辞儀をして、微笑んでくれているが。
「はぁ、初めまして。大倉ツカサです。その、ソーシャルヒーローより、大倉ツカサって呼んでもらえませんか。抵抗があって」
「そ、そうですね。大倉ツカサさん」
何恥ずかしがってんだ、と黒崎さんは冷ややかな目を向けてくる。
静観していた結城博士も「カッコイイじゃん」と口を出してきた。
ちょっと気分が荒れる。
そこで、気付いた。
さっきから、声から思い出そうと脳をフル回転させていたのだ。
「もしかして、昨日サポートしてくれた女性?」
「そうです! 思い出してくれましたか!」
ホッとした様子の彼女に、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「小泉さんの案内がなければ、辿り着けなかったですよ。俺、方向音痴なところがあったりするので」
「よかった、私でもお役に立てることがあって……あっ、ごめんなさい。方向音痴でよかったとかではなくて……」
「いや、わかってますよ。謝らないでください」
俺は思わず、笑ってしまった。
小泉さんも口に手を当てて、ふふっと笑う。
なんだか、彼女と面を向かって話すのが気恥ずかしい。
あまり女性と話したことがないからだろうか。
彼女の声は、とても心地よい音色だ。
黒崎さんに対する苛立ちも、いつの間にか気にしなくなった。
二人を交互に見ていた黒崎さんは、思い出したように声を出した。
「そういえば二人とも今年、十九歳だよな。ツカサくんもカオリちゃんも、仕方なく大学を諦めて、警察に入ったねぇ」
「小泉さんも?」
俺は驚愕して、思わず声が出てしまった。
高校を卒業して、すぐに公務員になる人は珍しい。
というより、中々なれないのだ。
今は、どの職業に就くにしても、何かしらのライセンスを求められる。
就職基本法によるものだ。
だから、高校を卒業すると大学に進学し、最短一年でライセンスを取得、就職という流れが普通だ。
しかし、俺は事情が異なった。
「俺は、ソウルスーツにたまたま適応してしまって。それで警察官になりました」
「二か月前まで、普通の一般人だったのにな。ふっ、当時のツカサくんは思いもしなかっただろう。社会の英雄になるなんてね」
「誰が、そんなの想像できますか。合格した大学を蹴って、いきなりヒーローになるなんて」
「それが人生ってもんだよ」
俺が高校三年生の時、K大学に合格し、心に平穏を取り戻した。
俺は将来、教師になりたかった。
そのために必要なライセンスを含め、刺激ある体験を大学で得ようと思った矢先のことである。
黒崎さんは俺のことを断りもなく話し、小泉さんは口を押えて目を丸くした。
「O阪府警察の副本部長が、大倉さんのお父さん!? あの高宮副本部長の息子……」
さっきの会場で、目を合わせてきた男。
脳裏にあの鋭い眼光が、焼き付いている。
頭を振っても、あの目から逃れられない。
あの男のことを嫌っていても、俺の口から説明することにした。
黒崎さんに喋らせたら、余計なことまで吹き込まれる。
「いや、実の父親じゃないよ。俺にまだ物心がついていなかった頃、両親は夜逃げしたんだ。朝、あの人が立っていた。それから、四月の初めまで高宮家にお世話になった。ソウルスーツを強引に装着させられて、警察官になってしまったのも……あの人のせいだ」
高宮キクオ、五十六歳。
O阪府警察副本部長。
あの人と、まともに喋った記憶はない。
いつも、ぶっきらぼうで、俺のこともあまり見ないし、話しかけもしない。
ただ、俺を引き取って、世話は高宮家の家政婦に丸投げだ。
俺は寂しくもあったが、いつの間にか受け入れていた。
それが普通なんだと思い込んで。
高宮は実の両親と、どう関係があったのかは分からない。
だけど、俺を育ててくれた。
その事実だけで、十分だ。
結城博士は飲み終えたコーヒーを隣の部屋のキッチンへ持っていき、帰ってきたときに嫌そうな顔をして言った。
「副本部長は怖い人だよ。無表情で何、考えているのか分からない。だから、ソウルスーツを試作して、いきなり大倉くんを連れてきたときは驚いたよ。ツカサを実験体にしろ、っていうんだからさ」
「実験体、ですか?」
小泉さんが疑問をぶつけると、博士は頷き。
「会見でも話したけど、誰にでもソウルスーツを操ることはできない。一応、試作品でも動くか試していたんだけど、誰が装着してもダメだったんだよ。そんな時に、大倉くんが登場。見事に操ってくれたわけだ。実験者を密かに募集していたんだけど、どっかで小耳に挟んだ副本部長が、人の子供を実験体に連れてきたわけだよ。最初は断ったんだけど……まさか、大倉くん自ら装着しにいくなんてね」
「それは……好奇心ですよ」
もっともらしい嘘を吐いて、話を終わらせようとした。
いや、あの時、俺を動かしたのは好奇心なんていう生易しいものじゃない。
高宮の怪訝な行動がもたらす恐怖、威圧が俺を操ったんだ。
俺がソウルスーツに身を纏う直前、あの人の瞳が忘れられない。
ロケットの打ち上げを楽しみにする子供のようなキラキラした輝きが。
無表情ながらも、目は誤魔化せない。
俺のことを迷惑だと思い続けて、何十年。
高宮は、おそらく……。
「じゃあ、今度はカオリちゃんの話が聞きたいな」
黒崎さんが、小泉さんに顔を向ける。
「わ、私ですか!? そ、その」
「小泉さん、嫌がってるじゃないですか。パワハラですよ」
「す、すまん。……そうやな。それは秘密にしておくべき……」
「いえ、違いますよ!」
慌てた様子で、手と顔を横に振る。
「大倉くんの話が、壮大すぎて。なんか、私の自慢話を話す雰囲気じゃないなって」
「ごめん、小泉さん。俺のことなんて、気にしなくていいから。小泉さんの事情、よかったら聞きたいな」
それは、好奇心で聞きたくなる。
高校卒業後、サイバーセキュリティ対策課の特別捜査官に就職なんて、聴いてことはない。
というより、彼女が始めてのケースじゃないか。
だから、彼女の事情が気になった。
彼女は目線を俺から逸らし、下を向いて話した。
「私は、その……全国高校生プログラミングコンテストに優勝しまして、それでスカウトされたんです」
「す、すごいな。俺のサポートも、彼女に任せられる」
黒崎さんが割り込んで、更に付け加える。
「それだけじゃないで。カオリちゃんは、既存のAIセキュリティを改良したり、話題の嘘発見器も彼女の手が加わってる。O阪府警察の検挙率が前年から20%も向上したんや。カオリちゃんを敵に回すと、いくらツカサくんでも勝てへんで」
小泉さんは恥ずかしそうに頭を押さえて、顔を俯けていた。
「心得ておきます」
「敵に回りませんよ。私は味方ですよ、ずっと」
「ええと、小泉さんは頼もしい相棒だってことが理解できました。これから、よろしくお願いします」
俺が差し出した手を、小泉さんは力強く握ってくれた。
俺の指と比べて、かなりきめ細い。
少し、くすぐったい握手だ。
「私の方こそ、よろしくお願いします。大倉さん!」
微笑ましく見つめていた黒崎さんは腕時計を確認した後、扉に向かっていく。
「じゃあ、挨拶は終わったし。これで失礼するで。ツカサくん、これからどうするんや?」
俺は少し返答に悩んで。
「そうですね……トオル兄さんのお見舞いにいきます」
「そうか。まあ、いつでも戦える準備はしておくんやで。ワイらも、備えておくさかい。ほな、いくでカオリちゃん!」
「はい。失礼します」
彼らが出ていくと、扉は自動で閉じる。
黒崎さんが出て行っただけで、研究室の雰囲気が一気に落ち着いた。
まるで、台風のような人だ。
結城博士はケースのハンドルを握って、俺に問いかける。
「『スピリットメタル』……あと、どのくらいあったっけ?」
「あー、今日の会見で一個消費したから……残り一個ですね」
「そうかぁ」
不意に扉が開き、振り返ると看護師さんが立っている。
その側に、車いすに座った一人の老人が酸素マスクを着けて、どこかをじっと見つめていた。
「結城先生、患者様をお連れいたしました」
「ご苦労様。スピリチュアルケアルームに」
「はい」
そう言うと、看護師は車いすを押して消えていった。
老人の肌は瑞々しく潤っていた。
五十代に見える見た目だったが、確か九十五を迎えていたはずだ。
医療の発達、技術の発達が老いに対抗しているのだと分かる。
だけど、技術や医療で心の老化を食い止めることはできない。
あの老人の中身は、ほとんど廃れていた。
「明日、朝八時にここで。スーツの点検をしておくし、それからスピリットメタルを一個渡すから」
「わかりました。それでは、また明日」
「はーい、また明日ね」
結城博士が手を振るのを見ながら、研究室を出ていく。
国立霊魂療法研究所の棟に隣接するY医療病院への架け橋へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます