ver.5.0.2 ソウルスーツ

 四月も終わりを迎え始めた頃。

 O阪府警察本部本庁舎にて、記者会見。

 三十人ほどの記者で埋め尽くされた暑苦しい場所。

 おまけに新聞雑誌のカメラが前方に、テレビカメラが後方に配置されている。



「それでは私、結城ヒロコが人間マルウェアに対抗するヒーローをご紹介します!」

「それは先週、夢幻大橋のF区画において、感染者を倒したとされる人物ですね?」



 どこかの記者が手を上げて質問する。

 結城ヒロコは白衣を舞い踊らせ、ニヤつく口元にマイクを持っていく。



「その通りです。一言付け加えるなら、感染者を倒したヒーロー。国の英雄です」



 そう言い終わるとロングスカートを整え、白衣をバサッと捲り上げた後、両腕を広げた。

 その動作を見た記者達は、記者同士で顔を合わせて呟く。



〈なんだ、あの博士。

 中二病患者か。

 前年、脳血液関門を解明して、アルツハイマー病の特効薬を開発した研究者だよな。

 あれ、本当にあの結城博士か。

 馬鹿と天才は紙一重というが〉



 など、記者は結城博士を不審に思っていた。

 当の本人は記者会見だというのに、呑気に鼻歌を歌いながら準備を進めている。



「はいはーい! 皆さん、お待たせいたしました。では、ヒーローに登場していただきましょう! あ、そうだ! 記者の皆さん、大きな声でヒーロー、って呼びましょう!」

「ヒーローショーは見ないぞ」



 耐えきれなくなった記者が立ち上がって、結城博士に怒鳴った。



「ふざけるな! 世間が注目する話題は人間マルウェアと、それを倒すヒーローの存在だ。人の命に関わることなんだぞ!」



 国も、人間マルウェアの脅威に黙ってはいない。

 それほどまでに恐ろしい存在なのだ。

 怒られた結城博士は、それまで浮かべていた笑顔から口をとんがらせた顔になり、小さく「すみません」と謝罪した。

 見るからに、しゅんとしている。

 心情は案外、楽しんでいるかもしれないが。



「ええ、ひーろーにとうじょうしてもらいます。ひーろー……」



 さっきまでのテンションが嘘のように消え去り、つまらなさそうな声を出した。

 会場の出入り口が独りでに開き、俺は足を前に出す。

 パワードスーツを着た人物が、会場に現れたという構図である。

 当然、視線が全身に注がれる。

 人の圧というのは、スーツを貫通して突き刺さるものだ。

 檀上に上がって中央まで進むと、結城博士が耳打ちをしてきた。



「君に国立霊魂療法研究所の未来が懸かっているんだ。頼んだよ、大倉くん」

「はぁ、わかりました」



 曖昧な返事をして、結城博士は俺の隣に佇む。

 国立霊魂療法研究所というのは二か月前、Y医療病院の隣に創立された施設だ。

 俺は記者と目を合わせていられないため、会場のちょうど中央と思われる壁の一点を見つめることにした。

 博士はわざと咳払いをして記者の注目を集め、静かにさせた。



「こちらが対人間マルウェア特殊装備、通称『ソウルスーツ』です。O阪府警察のSMSTで仮採用、先週実験を行わせていただきました。成果は、報道ヘリの映像をご覧頂いた通りです。我々が予測していた何倍も素早く、感染者を片付けることに成功しました。これは人間マルウェアに、初めて真正面から対抗することができた、と言えるでしょう。

 装着者に危険はありません。五か月前、採用したパワーアシストサポーターの何十倍もの力を出力することが可能であり、防御性能も格段に向上いたしました。

 外殻ですが、K都人工物工科大学にて開発されたメテオロン合金を使用しています。この材料が超高出力を可能としているのです。さて、私はソウルスーツの開発を大変誇りに思っており、世界を人間マルウェアの脅威から守る武器だと信じています。どうか、応援よろしくお願いします」



 記者は拍手して、結城博士を称える。

 司会者が質疑応答の開始を知らせると、一斉に手が上がった。

 司会者が、右方の記者を指名する。

 その記者はマイクを手にすると、自身の名前と所属出版社を名乗り、結城博士に質問をぶつけた。



「結城博士。今、そのソウルスーツは誰が装着しているのでしょうか」

「個人情報に当たりますので、お答えできません」

「では、質問を変えます。今、装着している人物は、O阪府警が信用している人物なのでしょうか」

「もちろんです。私共含めて、本部長やO阪府知事も装着者を信じております。そして先ほど、あなたは『信用』とおっしゃいましたが、私達は『信頼』しています」



 結城博士は言い切った。

 どこか不満な表情を浮かべる記者が席に着く。

 カメラのフラッシュが相変わらず激しく、記者の顔がよく見えない。

 これでは頭が真っ白になるのも理解できる。

 続いて、別の記者から質問が飛んでくる。



「えー、ワラワラ動画の石上と申します。ええぇ、生放送をご覧の視聴者が、ソウルスーツの最大出力を見てみたいと多くコメントされています。何か、デモンストレーションのようなものは可能でしょうか」



 この質問に結城博士はニカッと笑って、サムズアップする。



「いいですとも! ちゃんと用意してありますから! はい、準備準備!」



 博士が手を叩くと、壇上は人が行き交うようになった。

 俺は隅に移動して、壁に凭れていると、会場がまた一段と騒々しくなる。

 出入り口から、巨大な物体が運ばれてきたからだ。

 どこで手に入れたんだと言いたくなるほど、非常に大きな岩だ。

 それが壇上中央に置かれると、結城博士が岩を叩く。



「では、この巨岩を粉々にしてもらいましょう。変哲がないことを確かめてもらうため……では、そこのあなたに殴っていただきましょうか。体格も、記者にしておくには勿体ないほどに大きいですからね」



 指名された記者は困惑しながらも登壇し、ブラスナックルを着けてもらって、巨岩に全力で殴りつけてもらった。

 当たった箇所から、小石がポロポロと零れ落ちるのみだった。

 目立つほどの窪みもできていない。

 人間の力では、この岩を破壊するのは不可能だと証明した。

 記者は殴った手の甲をさすりながら、元いた席に帰っていく。



「次は、ソウルスーツの破壊力を見てもらいましょう」



 結城博士はこちらに上半身を捻って、手でクイクイと招く。

 俺はそれに従って側まで寄ると、いきなり肩をがっしりと掴まれ、耳元に唇を近づけられる。



「よし、ちゃんと見せ方は分かっているよね?」



 俺は弱々しく頷いて。



「え、まあ……出力は、どのくらいでいきましょうか」

「何言っているのだ、100%に決まっているでしょ」

「警察本部が消し飛びますよ」



 ヘラヘラと笑いながら、結城博士の華奢な手が背中に置かれる。



「なぁに、新たに造り直させばいいさ。責任は、私にある!」

「……加減しますね」



 今年、五十路を迎える結城博士は幼少期から天才と称されていた。

 脳科学の権威として世間を賑わせ、特にこれまで不治の病とされてきたパーキンソン病や筋萎縮性側索硬化症きんいしゅくせいそくさくこうかしょう(ALS)など特定疾患に指定された病の二割に治療法を確立させたのだ。

 治療法がないとされてきた約70%の病気に、たった一人の女性が革命をもたらした。

 彼女は神経変性疾患のアスクレピオスとまで言われるほど偉大な名医であり、偉大な研究者だ。



 ただ、中身はなかなかのオタク具合である。

 このことを知っているのは、彼女に身近な存在だけだ。

 世間からすれば知らなくてもいいことに入るだろう。

 五十歳になるというのに見た目は、どこからどう見ても女子大生を思わせるほどの美貌である。

 それゆえに、結城ヒロコファンクラブなる団体まで現れるほどだ。

 しかも、本人がノリノリで公認したファンクラブである。

 活動内容、推しを推すのみ。



 そんな人物に逆らうのは気が気でないが、まあ言動からして滅茶苦茶なのである。

 今も、俺に対して小さな声で「100%、100%」と囁いている。

 ため息を吐きながら、岩の前まで移動した。

 従うしかない……博士には恩があるし、100%出力してみようか。

 それに、人間マルウェア開発者に対する警告に繋がるかもしれない。

 俺は右手を伸ばし、小指を内側に丸めて親指で押さえる。

 いわゆる、片手式デコピンの形である。

 その状態を保ちながら、右手に意識を集中させる。

 すると、心臓から右手にかけて青い光で染まっていった。

 そして、目の前の巨岩に狙いを定め、とてつもない破壊力を兼ね備えた出力100%の小指を解き放つ。



 結果は言わずもがな。

 小指の威力は巨岩を跡形もなく破壊し尽くし、あまつさえ岩を貫通して、会場の壁を吹っ飛ばした。

 束の間の静寂が流れると、結城博士は俺の側にすっ飛んできて。



「やりすぎだよ! さすがに、会場の壁を破壊してはいけないよ。あと、もう一言付け加えるなら必殺技を叫んでほしかったなぁ。100%にも技名制限を設定しておくべきだった」



 しばきますよ。

 博士はつんとした表情で諭してきて、ひどくムカつく。

 あんたが出力100%で、って指示したんだろうが。

 まあ、決断し実行に移したのは俺だが。

 それでも、やはり腹の虫は治まらない。

 デコピンの形にして、先を博士に向ける。

 博士は慌てて記者のいる方向に顔を逸らし、震えながら話しを始めた。



「こ、このように、人間マルウェアによって肉体強化された感染者を、ソウルスーツで対処できます……」



 記者は言葉に詰まって、顔が引きつっている。

 同様に顔を引きつる司会者が、質問を促す。

 が、誰も手を挙げようとしない。

 いや一人、物怖じしながらも緩やかに手を挙げた。



「Y新聞の小沢です。っすー……素晴らしい威力を発揮するソウルスーツですが、もし対象が感染者ではなく……一般人に向けられた場合の対処方法は考えられていますか」

「それは……装着者が裏切るという前提ですか。先ほど述べた通り、信頼しておりますのでありえません」

「いえ……敵対勢力に、ソウルスーツを奪われた場合で結構です」



 結城博士は少し逡巡して、マイクに声を発する。



「奪われても、使用不可能です。ソウルスーツは誰でも装着できますが、選ばれた人間のみ使用できます」

「選ばれた人間、というのはO阪府警察が選んだ人間ですか」

「……ソウルスーツに選ばれた人間、ですね」



 会場に、静かなどよめきが起こる。



「ということは、結城博士。ソウルスーツは誰もが装着できても、さっき実演で発揮した破壊力を出せるわけではない、と? どういう原理なのですか」

「詳しくはお伝えできません。開発者である私も、ソウルスーツの仕組みを完全に理解していないのです。私は遷延性意識障害せんえんせいいしきしょうがいの回復について研究していました。つまり、植物状態のことです。ソウルスーツは、その研究の副産物なのです。植物状態になると、生命維持に必要な脳幹だけは機能していることがあります。私は、脳幹にこそ、力の源であるエネルギーがあるのではないかと推測しました」



 博士は真摯に訴えるような声音で、空いている手を胸に預ける。

 まるで、コンサート会場での歌姫を思わせる姿だ。



「脳幹にはRAS……脳幹網様体賦活系のうかんもうようたいふかつけいと呼ばれる神経の束があり、機能としては五感で入手するビッグデータから、必要な情報だけ抜き取るデータマイニングの役割を果たしています。2033年D堂大学の教授はRASに何らかの刺激を与えれば、潜在能力の97%を引き出して、脳のリミッターを意図的に解放することができるのではないかという論文を発表しました。ここから、RASにはまだまだ未知の機能が隠されているのではないか、という……」

「えーと、ありがとうございました」



 質問したにもかかわらず記者は耳を塞ぐような勢いで、結城博士の説明を断ち切る。

 研究者としての一面が表れた結城博士は不満足そうな目をしていたが、まとめに入った。



「ソウルスーツはRASを刺激し、脳のまだ未解明の領域を呼び起こしているのではないかと考えています。以上です」



 結城博士がマイクを下すと、記者が一斉に手を挙げ始めた。

 だが、司会者は冷静に宣言する。



「質問受付を、これにて終了させていただきます。これからの予定では、12時半から副本部長による人間マルウェアの……」

「あの! 今、ソウルスーツを身につけている人物が戦うということですか! 得体の知れない者に、守られたくは……」

「殺し方が酷いと国民の意見もありますが、なるべく血の出ない……」



 うるさいな、加減できるか。

 結城博士はマイクを机に置いて、退出しようと立ち上がるのだが、なかなか前に進まない。

 背中を押して退出を促しているといきなり、テレビカメラに顔を向けて、笑顔を振りまき始める。



「ファンクラブの皆! いつも応援ありがとう!」

「何やってるんですか。さっさと行ってください」



 構わずテレビカメラに手を振る博士を強引に追い出して、壇上を降りる。

 この間も、質問の雨が止むことはない。



「世間はソーシャルヒーローと呼んでいますが、嬉しいでしょうか」



 何なんだ、その質問。

 目の前の博士が振り向いて、片目でウインクした。



「ソーシャルヒーローだってさ。ハリウッドで映画化されるかもね」

「しょうもないこと言ってないで、さっさと出ましょう」



 入った時と同じ、会場前方の扉から廊下に出ていく。

 その時、遠くの廊下に黒いスーツを着こなしたオールバックの男が立っていた。

 次に、会場で説明する役人だ。

 いつまでどんな時も、顔は厳しいままなんだな。

 一瞬、目を細めて、こちらを睨んだ。

 俺は気付かないふりをして、博士と共にその場を去った。

 裏口から出て、手配しておいた自動運転タクシーに乗り込み、O阪府警察本部を離れる。

 俺は記者会見という場所から脱出できたことに安堵し、深呼吸した。



「会見って、あんな感じなんですね」

「そうだね。いやぁ、良い息抜きになったよ」

「あれが息抜きになるんですか。やっぱ、変人ですよ」

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