26

 夜のトゥイの市街地は、色とりどりの光の洪水に溢れていた。高層建築はこのホテルといくつかしか見当たらないが、これからますます近代化していくだろうと想像できる。いつしか、あのマティス島のような景色はこの国から失われていくのかもしれないと思うと寂しさが込み上げた。人は、静けさから遠ざかる。すべての深みの上にアスファルトの大地を作り、世界の音を聞く力のある者たちはいなくなる。その波に、私たちは否応なく飲み込まれていくのだ。


 イリスのために仕立てられたドレスは、彼女の希望によって脱がされていた。エレンはあくまで仮縫いにきただけ、それがたまたまあの騒ぎに出くわしただけで、意図は何もないと言ったけれど、その偶然こそが彼女と彼を物語の登場人物のようにして結び合わせていた。イリスは、あのときの自分は最高に美しかったと認めないわけにはいかなかった。


 しかしイリスは一人、ホテルの窓から町並みを眺めていた。この期に及んで、もう少し考えさせてほしい、と言ったのだ。彼はそれを許した。監視させるわけでも、誰か付き人をつけるわけでもなく、イリスに時間を与えた。ここで彼女が逃げ出せばそれが答えなのだと受け入れる心の広さで。

 彼は籠の鍵を開けたけれど、扉をその手で開けた後、その中の鳥がどこへ行こうと自由だと示したのだった。

 だから、イリスは決意でもって貴重品だけを身につけて部屋を出た。


 そうすると、やはり見つかってしまうのだ。ホテルを出たところで、入り口のボーイに話しかけていたのはノイだった。諦めて、イリスは一言言った。

「ノイ、邪魔しちゃだめよ」

「はい。ごめんなさい」ボーイはほっとしたようにノイに手を振った。

 ノイはイリスの後をついてきた。彼女は辺りが暗いこの時間に出歩くつもりだったので、ノイには「部屋に戻らないと」と言うが、彼は頑なに首を振る。

「トゥンイラン様が守るようにとお命じになりました」

 微笑んで彼女は立ち止まり、彼の目に視線を合わせた。頬を撫でると、くすぐったそうに少年の顔は緩んだ。

「トゥンイラン様と結婚しないんですか?」少年の問いはあくまでも無邪気だった。そうならないことの方が不思議だとでもいうように。

「僕と約束したのに」

「ええ――約束したわね」

 イリスは緩く目を閉じた。自分の気持ちが確かであることを実感するのは、もう何十回目のことだった。

「愛しているわ……でも、結婚となると。私には『善い』とは言えない親戚ばかりだし、トゥイで尊敬されている彼の一族に迷惑をかけるんじゃないかしら。ノイ、そう考えるとね、私はやっぱり臆病なのよ。彼は勇気を出してと言ったけれど、私にはそんな気持ち、とても持てないの」

「レディに勇気がないなんて嘘です。マフィアたちも言っていたじゃないですか、勇気あるお嬢さんだって」

「そんなことを言っていたの?」イリスは笑った。

「だったら、私も捨てたものじゃないのかもしれないわね」

 彼女の胸の中には、今や寂しさだけではなく大いなる予感があった。これから私は賭けをする。運命を決める勝負を。怖くないわけがない。自分のすることに咎める気持ちもある。それでも、胸の中の籠の鳥はようやく外の世界に飛び出そうとしているのだ。

 ひとりにしない――その言葉はその籠の鍵だったのだから。


 イリスは晴れやかな表情で、これから起こすわがままを口にした。

「ノイ、協力してくれる? これから私がすることに、彼がどうするのか、私に教えてほしいの」

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