2話
「すみません」
「はーい」
「あの、墓参り用の花、ありますか」
「いらっしゃいませー!勿論ありますよ」
母には気にするなと言われたが、一応父親の墓参りなので手ぶらはだめだ。そう思って、街に隅にひっそりと佇む花屋を訪れた。
鮮やかな花々が店頭に並んだ小さな花屋の奥から出てきたのは、随分若い青年だった。ぐんと芳しい匂いが全身を包む。
花屋に最後にきたの、いつだったかな。
そんなことを思い店内を見渡すと、緋色のカーネーションが目に入った。
ああ、母の日だ。
ふと、小学生の自分が500円を握りしめ、心臓をバクバクさせながら花屋を覗く光景が脳裏をよぎる。それと同時にあの時感じた緊張と、恥ずかしさと、親にプレゼントする少しの誇らしさもよぎった。
もう一度店内のカーネーションを見たが、あの時恐る恐る受け取ったものと比べると幾分か色褪せて見えた。
「菊でよろしいでしょうか?それとも故人様が生前好きだったお花に、」
「あ、お任せします」
そう言った直後、供える花をお任せというのも変な気がして、「菊で構いません」と言い直した。実際、父が好きだった花など分かるわけもなかったのだ。
「どなたのお墓参りですか?」
端正な顔をした彼は器用に菊を包みながらそう尋ねてきた。
「えっと、父です」
なんだか言いづらくて目線を下に向ける。
「そうですか、失礼しました」
「…いえいえ」
妙に気まずい空気感の中、彼は「930円です」と事務的に言って俺に花束を手渡した。
「930……」
思わず呟く。
「あの、どうされましたか」
青年が怪訝そうな顔で俺の顔を覗き込んだ。
「あ、ごめんなさい」
丁度を払い、彼に一礼してからコンビニへ向かう。そこで手早くろうそくと線香を買い、墓地へバイクを走らせた。
まっさらな春の風がむき出しになった額をくすぐる。
遅咲きの桜の枝が軽くしなり、ぶわあっと花びらが舞う。
柔らかなピンクの世界はまるで映画のワンシーンのように綺麗で、華やかで、儚かった。
この一瞬の光景を、自分が何千回も切り取っていたのだと思うと変な気分だった。それと同時に、誇らしくもあった。
『春樹くんの撮るものって、なんか面白くて好き』
ふと彼女の声が記憶の中でした。
ぶんぶんと首を振り、バイクの速度を上げる。
父が心不全で他界したのは、去年の9月30日だった。
瀬戸口家の墓は、かなり入り組んだところにある。
「一礼して、墓周りの掃除をし、その後花を供える。掃除…?綺麗だけどな…」
墓参りの手順をスマホで調べたものの、余程母が頻繁に来るのか、墓周りはこざっぱりとしていた。
「その次は、ろうそくと線香に…」
火をつけたところで数珠が無いことに気付き、持ったふりをして目を瞑った。
「…………」
おかしいな。
もう一度目を瞑る。
「……………………」
え、まじ?
俺、死んだ父親にかける言葉も出てこないわけ?
引くわー、我ながら。
とか言って心の中ではふざけてたけどいやほんと、びっくり。
人間、ここまで言葉が出てこない時って、学生時代の唐突に友達に一発芸を無茶振りされた絶望の瞬間ぐらいだと思ってた。
なめてたわ、すまん。
「………………………………」
え、何これなんの時間。
冗談抜きで戸惑う。
「父さん、俺さ」
仕方がない。何かいい感じの言葉が見つからないんだもの。
「俺、本当はずっとカメラやってたんだ」
俺が知っている数少ない父の情報。
誕生日は7月10日。A型。好きなものは酒と煙草。嫌いなものは煮たトマト。
趣味は──カメラ。
昔から父の部屋の棚には大量のカメラが置いてあった。実際撮っているところを見たことはないけど、相当好きなんだろうなと、綺麗に手入れされたそれらを見て当時5歳の俺は思った。
だからカメラマンを志した、わけじゃない。断じて違う。俺は父になど、憧れの欠片もなかった。
理由は単純で。いい写真が撮れないと悩む父。母をほっぽらかし趣味にばかり明け暮れる父。父親失格な、父。そんな男に勝ってやろう、いつしかそう思うようになっていた。それが、小4の脆い決心。
両親に、父に憧れて始めたと勘違いされたくなくて、俺は誰にも内緒でコネを最大限に使いお古のカメラを手に入れた。宿題そっちのけで写真の勉強をし、暇さえあれば撮った。夢の中ですら俺はカメラをぶら下げるようになって数年が経ち、俺は中学生になった、そんなある日。
何の気なしにコンクールに出した俺の写真が入賞した。1番じゃなかったけれど、中学生が取れるものじゃないと言って審査員の人たちは絶賛した。
親には、友達のデジカメで適当に撮ったやつを勝手に出されたんだと説明した。必死になっていたことを知られたくなかった。10いくつというのは、必死にしがみつくのがダサい歳だったんだ。
兎にも角にも、あっさり俺は父に勝つという目標を達成してしまった訳で。
その日から俺は、自分のためにカメラを持つようになった。
悔しいけれど、この数年で、父に復讐するためがだけに始めたカメラが大好きになっていたのだ。
これが、俺がカメラと出会った話。
「上京して、写真学科選択して、短大を無事卒業して」
いつの間にかまた目が開いていた。
「カメラマンになったよ」
ひんやりした墓石に、俺は何を語りかけているのだろう。
「結局、逃げちゃったけど」
俺の持ってきた菊の花は、母が供えた花束と比べるとひどく貧相で惨めだった。
まるで。
「まるで、俺みたい」
自嘲する。
俺は、この街が嫌で、カメラを学ぶために故郷を捨てた。
でも本当に捨てたのは、カメラ自身だったのかな。
ぽきりと、簡単に菊の花は折れた。
春、追憶、一輪草 ゆずる @Taiyaki1124
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