春、追憶、一輪草

ゆずる

春、夜霞、花吹雪

1話

「あらシュンちゃん、10年ぶりね」

「もっと驚かんかい」


およそ10年間帰ることのなかった故郷。


「東京で野垂れ死んだかと思ってた。お嫁さんは元気?」

「勝手に殺すな。あと勝手に息子の人間関係を捏造するな」


およそ10年間会うこともなかった母親。


「お線香、あげに来たの?」




およそ10年間会うこともなかった、父親。











するすると器用に林檎の皮をむく母の手。

きらきらと光る薬指のリング。

とくとくと注がれる麦茶。


「はい、シュンちゃんの好きなウサギさん」

「どこで手に入れたんだよその誤情報」


お礼を言いつつウサギをつまむ。


「にしても大きくなったわあ。今28だっけ」

「ああ。もうすぐ29」


しゃくしゃく。


「ちょっと痩せた?」

「ああ。最近仕事忙しくて」


しゃくしゃく。


「お嫁さんはいないの?」

「ああ。だからいないって。特に興味もないし」


しゃくしゃく。


「ほー?の割に高校時代はお盛んだったのね」

「ああ…あああああ?!?!」


しゃくしゃく。とかやってる場合じゃなかった。

落ちかけたウサギをすんでのところでキャッチし一息つく俺を、愉快そうな顔で見てくる母親。くそ野郎。還暦間近のばばあのくせに。とか言うと殺されるから言えないけれど。

落ち着け俺。どうせはったり。深呼吸。よし、


松本小春まつもとこはるちゃんよね?可愛い名前よねえ」

「ああ…あああああああああああ?!?!」


落ち着け俺。テンパるな。ひっひっふー。落ち着…ける訳もねーよ畜生。妊婦かよ。

つまらないツッコミを自分にして、床に落ちたウサギを拾う。3秒ルール。セーフ。


「無愛想なあんたに彼女がいたなんてねえ」

「ほざけ。誰から、」

「成人式の日にその子から電話が来たのよ。春樹はるきくんは来ますか、ってね」

「…ああ」


高校を卒業した俺は、地元から逃げるようにして上京した。慣れない一人暮らしに苦労はしたが、自ら捨てた故郷の事を思うとのこのこ帰る事もできず、夏休みも年末も成人式だって帰ることはなかった。


いつからこの街が疎ましくなったのだろう。家族が、友達が、彼女が。自分が。

体が弱くても家計のため必死に働く母そっちのけで世界中を周る父が嫌いで、ある日母が過労で入院したのを皮切りに避けるようになった。それでも母は「お父さんはあれが仕事だから」と困ったように笑っていて、そんなことあるかよと思ううちに優しすぎる母にも理不尽な怒りが湧いていた。


「あなた、ほんっとに帰ってこなかったわね」

「…ごめん」

「まあいいわ。生きてたし」

「…母さんの基準ゆるゆるすぎない?」

 

もう一匹ウサギをつまむ。


「お墓参り行ってきたら?」

「いや、今日はいいや。日暮れちゃったし、疲れてるし」


丸々一匹、一口。


甘いべとべとの汁が手を汚す。




俺は、父のことを父親と認めたことがあっただろうか。

そんなことを思ってぺろりと指を舐めた。


林檎の汁はぬるくて、甘かった。










カシャっ


『まーた撮ってんの?』

『っぅおっ…ああ、松本か』

『よく飽きないねー…てか瀬戸口くん、なに撮ってんの」

『んーと、空?』

『いやそれは見て分かるわ』


まるでシャボン玉の中から聞いているような、そんな気分。

ぼわーんと奇妙に響く懐かしい声。

彼女の幼い声が紡ぐ俺の苗字。

ちょっぴり耳がこそばゆい。


『そんなん撮って楽しい?』

『まあそりゃあ』

『ふーん、意味わかんな』

『おい。てかお前さ』

『んー?』

『隙あらば俺にちょっかいかけてくるけど、それこそ楽しい?』

『え、うん』

『即答かよ』

『だって』


懐かしい声。

瀬戸口くん。瀬戸口くん。瀬戸口くん。…っ春樹、くん。

揺れる体、軋むベッド、火照った体。汗がこめかみをつたう。

彼女の声が耳を引っ掻く。


パチン、と何かが弾ける音が、した。


『だって、好きなんだもん』

『は?』




「── 瀬戸口くんが、好き」








どすん。



「…いってえ…」


朝。

カーテン越しに差し込む光の眩しさに思わず目を覆う。

視界は一面天井。

俺は見事ベッドから落ちていた。


「シュンちゃん大丈夫ー?すごい音したけど」

ドア越しの母に「生きてるよ」と寝起きの掠れた声で返した。

「お母さんこの後用事あるからからもう行くけど、お墓参り忘れないでね?あ、仏花とか、そういうのは気にしないでいいから。お昼はチンして食べてねー」

重たい瞼をこじ開け行ってらっしゃいと言いかけ、「ん?」と我に返った。…お昼?


勢いよく上半身を上げ枕元のスマホを起動させる。


「まじかよ」


午後2時。久々の朝寝坊だった。










なんであんな昔の夢を見たのか。


作り置きのカレーをよそい、朝から(昼だけど)牛肉を胃にぶち込む。もぐもぐと口を動かしながら今朝の夢を思い出していた。


松本小春は、高校時代の彼女だった。

俺も彼女も名前に春が入っていたこと、たまたま同じ教科係になったこと。それだけでやたらと彼女は俺に懐いてきた。


彼女はまるで漫画の世界から抜け出してきたような美少女だった。しかも顔が良いだけではなく中身まで良いのか、男女共に絶大な人気を得ていて。

でも、俺は密かに、彼女のそのキャラは作り物なんじゃないかと思っていた。そのふわふわした笑顔は、その穏やかで聞き上手な姿は、作り物なんじゃないか。


『──瀬戸口くんが、好き』


そんな考えにはなんの根拠もないけど。


『…黙んないでよ』

『え、あ、え、…俺?』

『はあー?他に誰がいんのよ!』


昔からそれなりに俺はモテてる自覚があった。自分で言うのもあれだけど幸い顔は良かったし、優しい紳士のふりするの上手いし。俺は運動が出来るわけでも、頭がいいわけでもなくて。せめて優しい、とかそんぐらいのオプションがないとただのつまらない男だから。


だから、ちょっとかっこつけるなら、俺は道化師。

…厨二病みたいだけど。道化師。ピエロ。

そしてきっと。


『あー。やっぱ瀬戸口くんレベルだと私じゃだめかぁ』


おどけて目をくるっとさせる彼女の少し歪んだ唇。


『ごめんごめん、変なこと言っちゃって』


いつも通りのふわふわとした笑顔。


『…俺、』


でもきっと、君は俺のことが好きじゃない。だって、


『松本が好きだよ』


君も、ピエロなんだろ?




その日、瀬戸口春樹と松本小春は恋人になった。





 















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