その三 史実なんてなかったんや
激動の二、三月からしばしの後、世界は平和であった。AIイタリアがエチオピアを降伏させたり、ハンガリーが国名をオーストリア・ハンガリー帝国に変更したりなど色々あったが、比較的世界は平和であった。
ところが、案の定それは仮初めの平穏に過ぎなかった。
一九三六年八月二日、ソビエト連邦がトルコ共和国に宣戦布告したのだ。更にトルコに独立保証を行っていたルーマニアとも交戦状態に入った。
「京香先輩がついに動きましたね」
「目的はボスポラス海峡確保と大粛清のデバフ緩和。ついでにクロムの確保ってとこですか」
「響ちゃん正解。流石にマルチでいつまでも大粛清引きずってるわけにもいかないからね」
ソ連プレイをするにあたって大きな課題となるのが、大粛清イベントの取り扱いである。史実通りに大粛正を行えば軍、主に陸軍への深刻なデバフは避けられないが、かといって大粛清を行わなければ共産党内の反スターリン派が武装蜂起し、更に面倒なことになってしまう。
デバフに加え人材のスポイルが惜しいものの、内戦だけは防ごうと京香は大粛清を行った。内戦など起きようものなら他のプレイヤー、特に勇あたりに目をつけられることは確定である。確かに彼女は狂犬だが、それ故に利に目ざとく、鼻が効くのだ。
とは言っても特大のデバフを抱えているのもそれはそれでマズい状況である。通常ならば年単位でイベントを消化してデバフを軽減するのだが、そんな悠長なことは言ってられない。
しかし、そんなソ連プレイヤーの為にある奥の手が用意してある。なんと戦時中に限り、デバフを高速で軽減できるのだ。
というわけで、黒海への出入り口たるボスポラス海峡を持つ上に、ソ連の重要拠点たるバクー油田の目と鼻の先に位置するトルコが選ばれたのだ。
更に、艦船や重戦車の製造に使用するクロムの大鉱脈があるため、高級棺桶こと超重戦車を量産したくなっても安心である。
また、ルーマニアの石油が手に入るのも地味においしいポイントである。
そしてさらなる衝撃が世界を駆け抜けたのはその半月後、八月二十日のことであった。
「よし根回し終わり-!」
響の晴れ晴れとした声と同時に表示されたポップアップにはこう書かれていた。「大東亜共栄圏の船出」と。
もっとも、日本が固有陣営である大東亜共栄圏を立ち上げることはそう珍しいことではない。しかし今回は例外中の例外と言って良い事態だった。
なにしろ陣営を立ち上げた相手が満州を巡って揉めに揉めている中華民国なのだ。
「もしかして聖徳太子の教え?」
「あ、それです」
「うわぁ、イベント一発で特定するとかさすが京香先輩っすね」
「あれなら中国と陣営組める上に資源を安く仕入れられるからねあれは。満州と蒙古持ってかれるけど」
楓華の言うとおり、イベントの名前と効果を頭に叩き込んでいるあたりは、二次元でも三次元でも優等生の京香らしいと言える。
さて、この「聖徳太子の教え」というイベントだが、ロールプレイ専用と言っても過言ではない。京香の言った通り、傀儡国である満州国と蒙古国の支配権と引き換えに、軍事同盟の締結と安価なレートでの資源の輸入が可能になるという、一見強力なものである。
ところが悲しいかな。軍事同盟ならば、軍備再建に多少の時間がかかるとはいえ、日中戦争を起こして傀儡国にした方が有事にプレイヤーが中国軍の指揮を取れるためやりやすいし、資源にしたところで、安さを求めるなら傀儡国にして買い叩いた方がいい。もっと言えば幾つかの資源地帯を直轄領にしてしまえばただで手に入る。
この場合、傀儡中国の徴兵できる人的資源が幾らか減ってしまうが、人が畑から採れるどころか空から降ってくるなどと評される国。多少減ったところで大した影響はない。
「しかしまぁなんでまたわざわざこんな……」
「ドイツがRP全振りしてたので私も乗ってみようかと。あと陸軍捨ててるので日中戦争やると沼りそうで。てかテストプレイで沼りました」
しかしこの女、陸軍を使わない。
確かに中国は広い上に西部は山岳地帯が広がっている。おまけに陸軍の数も多い。
とは言っても、数でこそ負けていても質では大きく勝っている上に、制空権と制海権は完全に日本のものだ。
そのため、浸透からの包囲をちまちま繰り返して頭数を減らしながら、上海などの長江下流に強襲上陸して主要都市を落としつつ、北部の本隊と挟撃をするセオリーを守れば、初心者でも史実と違い勝利することが可能だ。
しかしこの女、海軍への偏愛が過ぎるため、陸軍に関しては初心者より質が悪い。決して陸軍の操作が下手なわけではないが、現状の日本陸軍は中国を侵攻するには頭数が足りないのである。
もっとも、そんな事態はほぼあり得ないと言っても過言ではない。というか、兵站に気を配れば初期に存在する部隊だけでの攻略も十分可能だ。
しかし響は何を思ったか陸軍の大軍縮を敢行。機甲師団と自転車師団の配備が完了していない現状、有する陸上戦力は幾ばくかの歩兵と海兵隊のみだった。これでは中国侵攻はおろか満州の防衛すらままならない。
滝宮響にとって、陸軍とは港湾を確保するための存在に過ぎないのだ。
そんな日本の陸軍事情を鑑みれば中国との同盟は至極当然と言うべきであった。
「というわけで私は大東亜共栄圏カッコマジを目指すのでそのつもりで」
そう締めくくった響に対し、素早く個別チャットを開いたプレイヤーが一名いたが、そのことが明らかになるのはもう少し先の話である。
そして大東亜共栄圏の驚きが冷めぬ九月一日、ちょうどルーマニアが降伏するか否かの瀬戸際にあるところだった。
「植民地よこせやおらぁ!」
まだまともな方の狂犬ことドイツ帝国がオランダに宣戦布告した。
目標は誰の目にも明白。蘭領東インドの獲得である。
数質共に大きく上回るドイツ軍を前にオランダは為す術なく敗北を重ねた。そして九月三日、二つのポップアップが表示された。
一つはルーマニアの降伏を知らせるもの。もう一つは日本がドイツの側に立って参戦、オランダと交戦状態に入ったというものだった。
他のプレイヤーが困惑する中、オランダはドイツに降伏したのだった。
講和会議の結果、オランダ本土はドイツに併合され、蘭領東インドは日本の傀儡国となり、それ以外の植民地はドイツの傀儡国となった。
「え、なんでインドネシアあげちゃったの?」
「大東亜共栄圏を築きたいって言っていたので」
「欲しいって言われたからって上げられるものじゃないでしょう」
「てかオランダは植民地が本体でしょうが」
予想外すぎる事態に困惑する外野達だったが、これには当然理由があった。
大東亜共栄圏の結成直後、響の個別チャットに「装甲遊撃軍総監」を名乗るアカウントからコンタクトがあったのだ。無論楓華のアカウントだ。
装甲遊撃軍総監:この後オランダ潰すんだけど、私が蘭領東印を抑えたらどうする
ヴェールヌイ :隙を見て植民地支配から解放する。ソ連あたりに協力をして貰うのも視野に入ってる
装甲遊撃軍総監:こっちとしては幾つか条件を呑んで貰えれば東印はそちらに渡しても構わない。
ヴェールヌイ :条件というのは?
装甲遊撃軍総監:・旧蘭領東インドはドイツ帝国に対しても大日本帝国に対するものと同じレートで資源を輸出するものとする
・ドイツ帝国はアジアは欧米列強の支配ではなくアジア諸民族の団結と協力の下に運営されるべきであると考えており、大日本帝国はその旗手を担うべきである。
・両国のいずれかが外国からの多大なる脅威にさらされた場合、残る一方もこの脅威に対抗し、これに挟撃を加えて撃退するものとする。
・上記の事態に備え、平素より両国の軍事的協力を密とすることに互いに全力を尽くす。
以上四項目
ヴェールヌイ :オー・ハンは味方に付きそう?
装甲遊撃軍総監:明確にはわからないが敵に回るつもりはないかと
ヴェールヌイ :了解。条件は呑む。具体的な予定が決まったらまた教えて
いつも通り中二の香りが香ばしいアカウント名と文面だと響は思った。そしてドイツと軍事通行権と入港権をセットで交換した。
日独によるオランダ分割には、こんな舞台裏があったのだ。
ドイツとしては資源が欲しいだけなので、直接支配が出来なくても別に構わなかったし、実はドイツにとっては本土だけでも十分大きな戦果だったのだ
日独が念願のゴム資源と石油を手に入れ、それに前後してソ連もトルコとルーマニアを降伏させこれを併合。世界にはまた仮初めの平和が訪れた。
なお、ハンガリー改めオーストリア・ハンガリー帝国がやはり国民投票でチェコスロバキアを併合したが、案の定平和的すぎたため、誰も気にとめる者はいなかった。
一年目からとんだ大波乱となった。おおかたのプレイヤー達がそう思ったが、甘かった。まだ終わっていなかったのである。
装甲遊撃軍総監:対フランス前倒しするからそのつもりで。
響の個別チャットにこんな要請が届いたのは十月に入ったばかりの頃であった。当然訳を尋ねようとする響だったが、送信ボタンを押す直前にPC画面に表示されたポップアップで全てを悟った。
一九三六年十月七日、イギリス、アメリカに対し宣戦布告。
狂ってはいるが馬鹿ではない。やることなすこと無謀だが無意味ではない。それが春本勇という女だった。
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