第16話

 僕は本気で心臓が止まるかと思った。恐怖のあまり、足がふらついて、倒れそうになったくらいだ。

 暗くて表情はわからないけど、たぶん武彦だってきっとそう思ってるはずだ。

 そのまま、十秒くらいたつ。だけど、不思議なことに、あの老人はドアを開けようとしなかった。

 それどころか、もう叫びもしなかったし、歩きもしない。息づかいすら聞こえなかった。

 いったいどういうことだろう? 僕らがしびれを切らして、外に出てくるのを待っているのだろうか?

 ばたんとドアが開く音がした。それも真下から。

 さらにばたばたとなにやら暴れ回るような音、ののしりあうようなどなり声、それどころか女の悲鳴のようなものまでした。

 もう、まったくわけがわからない。

「ええい。もうやけくそだ。いくぞ、タカ」

 武彦が叫ぶと、僕が止めるまもなく、ドアを開けた。そのまま、ひゅんという風切り音。きっと武彦がドアの外に向かって、木刀を振るったんだ。

 武彦が廊下に向けてライトを点ける。

 誰もいない。

 武彦は外に飛び出した。僕もライトを点けて、それにつづく。

 廊下には誰もいなかった。ライトを振りまわしても、どこにもいない。あの老人の足音は近づいてくるときは聞こえたのに、去るときにはまったく聞こえなかった。

 なんで? それに、下で聞こえた音は? やっぱり地下があるってことか?

「た、タカ。ここは、……二階だ」

 武彦がわけのわからないことをいいだした。僕らは、一階から忍びこんで、まだ階段なんて登っていない。ここが二階のわけがない。

「なにをいってるんだ。そんなこと……」

 あるわけないだろ、といおうとしたら、僕の目にもあるものがはいった。床に転がってる細長い板きれ。それも錆びた釘が無数に刺さったぼろい板きれ数枚だ。

 さらにライトでドアを照らす。僕らがいた部屋の向かいの部屋のドアだ。

 ドアには無数の細かい穴が開いていた。一直線に並んだ穴が何列にもなって、縦にも横にも斜めにも。これは釘穴だ。

 しかも、ドアの下の方には、郵便受けのような細長い穴が開いている。

 このドアは、開かずの間だった部屋のドアだ。中にミイラが眠っていたあの部屋だ。まちがいない。

 たしかにあの部屋なら二階にある。だけどどうして?

 もう、まったくなにがなんだかわからないけど、たしかめずにはいられない。僕はそのドアを開けた。

 ライトで中を照らすと、例のミイラはいない。

 でもそれはべつに不思議なことじゃなかった。きっと警察が運び出しただけだ。

 鑑識のひとが入りこんだせいか、蜘蛛の巣もほとんど取り払われていた。

 窓を照らすと、例の金具で固定されている。

 やっぱりあの部屋だ。そうとしか思えない。

「なにやってる。下へ行くぞ」

 武彦が僕を引っぱりだす。

 そのまま、階段に引っぱられた。あの部屋を確認するまでもなく、階段は上ではなく下に向かっている。ここが二階の証拠だ。

「もう、終わりだ」

「いやよぉ」

 男のどなり声と、女の悲鳴が一階からした。

 虹子? いや、高子さんか?

 僕らはもうまよわず階段をかけおりた。

 なにが起こっているのかさっぱりわからないけど、もう、僕は考えるのをやめた。とにかく、虹子が危ない。そして虹子は下にいる。

 階段を下りきると、そのままさっきの部屋に向かう。

 ライトの先には誰かが倒れていた。自然と僕らの足も速まる。

 倒れていたのは、足の悪い老人だった。そいつは廊下の行き止まりのところであお向けに大の字になり、額からは血を流している。

 武彦がかけより、油断なく右手で木刀を構えながら、左手を首に当て、脈を測る。

「生きてる。気を失ってるだけだ」

 だけど、頭から血を流して倒れてるってことは、誰かが殴ったんだ。いったい誰が?

 武彦がさっき鳥籠男爵が消えた部屋のドアを開け、ライトを向ける。

 いない。そこにはやっぱり誰もいなかった。

「そんな馬鹿な?」

 武彦は中に飛びこむと、ライトであちこちを照らしながら叫ぶ。

「……だ」

「え?」

 僕は今、なにかをささやいたのが、倒れている老人であることに気づいた。

「回すんだ。……カナリヤを」

 うわごとなのか、かすかに意識があるのか、不気味な老人はたしかにそうつぶやいた。

 カナリヤを回す?

 そういわれて、僕ははじめて、ドアのわきにカナリヤの形をしたブローチのような飾りがドアにくっついていることに気づいた。

 まわすって、これを?

「これのこと?」

 僕はそれをライトで照らし、倒れている老人に聞いた。だけど今度こそ気を失ったのか、返事はない。

 それでもそれをつかむと、まわるかどうか試してみた。

 右にも左にも回らない。押しても引いても、ロックが外れてまわるようになったりはしなかった。

 意味のないうわごとだったのか? それともべつの意味があるのか?

「ちくしょう。どっからはいるんだ。きっと虹子はこの下だ。だが、入り口がわからねえ」

 中では武彦が叫びながら、ライトを下に向け、必死で出入り口を探している。つまり、武彦は秘密の出入り口がどこかにあると思ってる。

 いや、そうじゃない。

 このとき、僕の頭にあることがひらめいた。

 そうか。そうだったのか?

 もちろん、今までのぜんぶの謎が解けたわけじゃない。だけどすくなくとも虹子がどこにいるかはわかった。

「武彦、こっちに来るんだ」

「なに? いやだ。俺は秘密の出入り口を探す。きっとあるはずなんだ。下に行く道が」「ない。そんなものはないんだ。そこにいちゃ、虹子のところには行けない。いくためにはこっちに来るしかないんだ」

「なんだと?」

 武彦は明らかに僕のいってる意味を理解していない。だけど、僕が嘘や冗談をいってるわけでもないと感じたらしい。わけがわからんといった顔をしつつも、僕のところまで来た。

「どういうことだ?」

 僕はそれには答えず、ドアを閉めた。

 そしてもう一度、ドアに付いたカナリヤの飾りをつかむ。

 思ったとおり、今度はまわる。

「鳥籠男爵は、最初この部屋にはいるとき、十秒くらいなにかを待つかのように、ここで突っ立ってたろ?」

「だからなんだ? ……え? なにかを待つ?」

 武彦も気づいたようだ。

 そうでなければ、鳥籠男爵が消えたのも、なぜか僕らが二階に移動したことも説明がつかない。

 この部屋全体がエレベーターになってるんだ。

 あのとき、鳥籠男爵は部屋に入ったあと、エレベーターを下に動かして、部屋ごと地下に入った。だから、僕たちが入ったときには中に誰もいなかった。そのあと、あの足の悪い老人がやってきて、ふたたびエレベーターで部屋ごと上げたんだ。だから、僕らは二階にいってしまった。そのとき、なぜかしらないけど、老人と鳥籠男爵は一階であらそい、老人のほうがなぐりたおされたんだ。

 この部屋の真上には時計塔がある。あの時計塔はたんなるカモフラージュで、ほんとうはこの部屋を持ち上げるエレベーター室だったんだ。

 あの「ぶううううん」っていうかすかな音は、きっと発電機の音だ。電気の通ってないこの屋敷でエレベーターを動かすために、発電機を使ってるにちがいない。それはきっと時計塔の中にある。

 そしてこのカナリヤの飾りこそが、部屋を上下させるスイッチ。

 もういいころだ。僕はドアノブをつかむと、ドアを開いた。

 武彦が木刀を構える。僕はライトで中を照らした。

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