第11話
幽霊屋敷に着くころには、やみかけた雨がまた強くなってきた。
ただでさえ、もう夕方で太陽が沈みかける時間なのに、雨雲のせいでいっそう暗くなっていた。
「ふん。たしかに幽霊屋敷だわな」
後藤警部補も廃屋を見て、うなずく。
もちろん、今、屋敷の窓からは灯りが漏れたりはしていない。ここからはただひたすら暗い部屋が見えるだけだ。
僕は塾帰りに部屋に灯りがともって、女の子のシルエットが見えたことや、鳥籠男爵が現れた場所などを説明した。
例の塀の割れ目から敷地の中にはいると、後藤警部補が若い制服警官ふたりに命令した。
「とりあえず、一階に誰かいるか見てこい」
ふたりは「はい」と威勢のいい返事をすると、片手に拳銃、片手にライトを持ち、一階の部屋を順に窓からのぞき込んでいく。
「誰もいません」
警官の報告が聞こえた。
「さあって、どっから入りゃいいんだ?」
「玄関は向こう側だし、閉まってますから、どこか適当な部屋の窓からでいいと思います。僕らはあの部屋から入りましたけど」
後藤警部補は僕の顔を見て聞いたので、なんとなく僕が代表して答えた。
「よし、じゃあ、そこからいくか」
後藤警部補は、まず警官ふたりを先に行かせた。この前僕らが入ったのと同じ部屋の窓。一番右側の部屋だ。
「異常なし」
ふたりの報告を聞くと、後藤警部補はまず僕らにはいるようにうながした。自分はしんがりに付くつもりらしい。
まず武彦、つづいて虹子、獏、そして僕がつづいた。最後に後藤警部補がライト片手に入る。
部屋の雰囲気はとくに変わっていない。誰かの個室って感じで、あらゆるものが古びている。ちがうのは前回よりかなりうす暗いってことだ。
廊下に出ると、さらに暗くなった。ライトがなかったらすぐそばもよく見えないと思う。
「ひと部屋ずつ、しらみつぶしに見ていけ。油断するなよ」
後藤警部補はまず拳銃を持っているふたりに命令する。
ふたりは威勢のいい返事をすると、ペアになって、銃を構え、ひと部屋ずつ調べていく。その都度、「異常なし」と叫んでいた。
「きのう来たときと、なにか変わったことはあるか?」
後藤警部補が僕らに聞く。
暗いこと以外はとくになにもちがわないと思った。他の三人も同じ考えらしく、誰もなにかおかしいとはいいださなかった。
制服警官は、一階の部屋すべてを見て回り、すべて異常なしと報告した。
「あの、僕らも部屋の中、見ていいですか?」
武彦がいう。そういえば、僕らはこの前、ぜんぶの部屋は見ていない。一階と二階の端っこのふた部屋だけだ。
「かまわないぞ。安全は確認した。というか、俺といっしょに見ていこう」
後藤警部補は僕らの先頭に立ち、ライトでひと部屋ずつ中を照らしていく。ただ、どれもほとんど同じだった。基本的に、誰かの個室。ベッドや机があり、そのどれも古くさい。埃とカビと蜘蛛の巣だらけのいかにも廃屋の一室でしかなかった。もちろん、中には誰もいない。
「さあってと、次は二階だな」
後藤警部補のかけ声で、僕らは吹き抜けになっているホールに行く。廊下よりは明るくなった気がするけど、うす暗いことにかわりはない。
きょうは天窓から光は降りそそいでこない。かわりにぽたぽたと雨がしたたり落ちてくる。きっと屋根はもう穴だらけなんだろう。床にはところどころ小さな水たまりができていた。
「よし、おまえらひとっ走り先に見てこい」
また、制服警官のふたりを先にやった。ふたりは階段をかけのぼり、ひと部屋ずつ調べていく。
安全を確認するまで、僕らは警部補とホールで待機だ。
「待ってる間、きのう、君らがここで見たことを確認しておきたい」
後藤警部補は真顔でいった。
「君らは、きょうと同じルートでここまできた。そして、君がおととい見た、少女の幽霊がでた部屋を確認しようと、一番奥の部屋まで行った。そうだな?」
「はい」
僕が代表して答えた。きのう来たのは全員だけど、おととい幽霊を見たのは僕だけだから。
「そこには誰もいなく、ドアには鍵も掛かっていなかった。そして部屋から日記とアルバムを失敬したが、それは高子さんといっしょになくなった」
「そうです」
これに答えたのは、虹子だ。アルバムと日記の保管場所を知ってるのは虹子だけだ。
「その日記にはどんなことが書かれてあった?」
虹子が説明する。僕が聞いていても、ほとんど抜けのないきれいな説明だった。
「なるほど、そこに鳥籠男爵というやつが出てくるわけだな? しかも、日記ではその子は家族に閉じこめられていた。だが現実にはドアには板など打ち付けられていなかったし、食事を渡すための小さな穴などもなかった。しかも、日記ではまるで終戦直後のようなことを書いてある」
後藤警部補はうなった。
「その子はなぜ日記にそんな嘘を書いたんだ? それともそれは日記のふりをした物語なのか?」
これは質問というより、ひとりごとのようだった。
なんにしろ、この警部補も、あれに書かれたことがほんとにあったことだなんて、まったく信じてはいない。まあ、仕方ないよね。胸に鳥を飼っていて、遠くまで瞬間移動する鳥籠男爵の話とか、板を打ち付けられた形跡もないのに、閉じこめられていたとか、外の世界は終戦間際だったとか、それをぜんぶ信じろっていうほうが無理だ。
「警部補、一番奥の部屋をのぞいてぜんぶ調べました。誰もいません」
上から報告が聞こえた。
「あ? なんでその部屋は調べん?」
「そ、それが……、ドアを外から何重にも板で打ち付けてあります」
「なんだと?」
どういうことだとばかりに、警部補は僕らを見る。
はっきりいって、それは僕が聞きたいことだった。
「きっと、あいつだ。あの足の悪いじいさんが、きょうドアに打ち付けたんだ」
そういったのは武彦だ。
それはたしかに一理あった。あいつがきょうここに入るのは僕たちが見たとおりだし、きっと僕らがここに忍びこんだのをおもしろくおもってなかったんだ。だから入れないようにした。
「まあいい。危険はなさそうだ。いっしょにきて確認してくれ」
警部補はそういって、階段を上る。僕たちはそれにつづいた。
なんか胸がドキドキする。すごくいやな予感だ。
ただでさえ、暗く、ぽたぽたと天井から雨が落ちてくるという最悪の雰囲気の中、僕らは一番奥の部屋の前まできた。
制服警官がドアをライトで照らす。
たしかにドアには板が打ち付けてある。縦に横に斜めに。かなり厳重だった。
板はとてもきのうきょう打ったとは思えないほど古びていた。そして釘の頭は完全に錆びている。武彦がいったように、きょう、あの男が打ち付けたようにはとても見なかった。
「警部補、ここを見てください」
警官がライトをドアの下の方に向ける。
「このドアにだけこんなものが付いています」
それは囚人に食事を渡すかのような細長い窓だった。
あの日記に書いていたとおりだ。そして十年前、高子さんが探検したときに見たとおりだ。
どうして、僕らが見たとき、こんなものはなかったんだろう?
僕らは顔を見合わせる。まったくわけがわからなかった。
警部補は下の小さな窓からライトで中を照らしながら、のぞく。
「誰かいるぞ。椅子に座っている」
「お姉ちゃんだわ、きっと」
虹子がそう叫んだが、よく考えたらへんだ。高子さんだとしたら、どうやってこの釘止めされた部屋の中にいれられたんだろう?
「どけ」
警部補は若い警官を押しのけると、板の先端をつかみ、プロレスラーのような怪力でばりばりとはがしはじめた。
あっというまに作業を終え、ドアを開ける。
とたんに中から異様な臭気があふれ出てきた。
警部補と警官たちのライトが部屋を照らす。僕はそれを見て仰天した。
板張りの床には埃がたかだかとつもり、部屋のいたるところには蜘蛛の巣が何重にも張りめぐらされている。
部屋の形や家具の配置はたしかに、きのう来たときと変わらないように思える。だけど、きのうは人が住んでいないといっても、それなりにきれいになっていたのに、ここはそれこそ何十年もの間、一度も掃除もしていなければ、そもそも人が入った形跡すらない。もし、きのうきょう、誰かがここに入ったのなら、埃だらけの床に足跡が付くはずだし、そこら中に張り巡らされてる蜘蛛の巣だって切れているはずだ。
そしてこのよどんだ空気。たんに何十年も閉めきってるというだけじゃ説明のつかない雰囲気、匂い。なんというかまがまがしい。
そして机の前の椅子にはたしかに誰かが座っていた。
着物を着ている。振り袖だ。古くてもううす汚いけど、もとは赤い布地みたいだ。
部屋が暗い上に、蜘蛛の巣だらけ、おまけにドアを開けたせいで埃がそこら中にまって、座っている人の顔はわからなかった。
だけど勘だけでいうなら、あれは高子さんなんかじゃない。
あの写真の少女だ。幽霊になって、僕をこの屋敷に誘い込んだあの笛の女の子だ。
「ここにいろ」
後藤警部補は僕らにそういうと、自分はライト片手に中に踏み込んでいった。ふたりの警官は、廊下から中を照らす。
警部補は蜘蛛の巣をかき分けながら、中に進む。そして椅子に手をかけ、こっちに向けて回転させた。
椅子に座っていた少女。それはやっぱり高子さんではなく、あの女の子だ。
振り袖を気、手には笛を持った少女。だけど、もちろん生きてはいない。
それはミイラだった。
しかも、その顔はつぶれていた。
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