第9話
「どこへいきやがった?」
武彦が叫ぶ。
鳥籠男爵が角を曲がってから、僕らがつづくまで、時間にしてほんの十秒くらいだ。
道はいきどまりじゃないけど、見通しが良く、十秒で走り去られるほどの長さじゃないし、近くに曲がり角もない。
鳥籠男爵どころか、誰もいなかった。五十メートルくらいはなれたところに、おばさんが歩いてたけど、あそこまで走って変装するなんてひまがあるわけもない。
左側は幽霊屋敷の塀が遠くまでつづいているし、右側にはなにかの倉庫が建っていて、そっちもやっぱり塀でおおわれてる。どっちも高さは二メートル以上ある。ひとっ飛びで中にはいるのは無理だし、そもそも塀を乗りこえたりしたら、僕たちに見つからないはずがない。だって、一瞬とはいえ、鳥籠男爵が僕らの視界から消えたのは、塀の陰になってたからで、それより高いところにいけば丸見えになるのはあたりまえだ。
倉庫側の塀ぎわにジュースの自動販売機がいくつか並んでいたけど、その陰になどはもちろんいなかった。電柱とか他に身を隠せそうな場所もない。
忍者みたいに、塀と同じ色の布で体を隠しているんじゃないのとか馬鹿なことも考えて、じろじろ観察したけど、もちろんそんなことはなかった。
「や、なんか、怖いよ」
虹子がはじめて素直にそんなことをいった。僕ははじめから怖かったけどね。
まあ、虹子の場合直接語りかけられたからよけいなんだろう。
「くそっ、やつは本物の化け物なのか?」
武彦がいらついた様子で近くの自動販売機をけっ飛ばした。
「虹ちゃん、念のため、このあたり一面、スマホのカメラで撮っといたら?」
獏がのんびりした口調でするどいことをいった。たしかにそうしておけば、あとで有効な手がかりになるかもしれない。
「わ、わかった」
虹子は気を取り直すと、スマホをポケットから取りだして、あたりをかしゃかしゃと撮影しだす。
「虹ちゃん、その写真、あとで僕のパソコンに送っといてくれる?」
「いいよ。っていうか、今送っとく」
虹子はさっそくなにやら操作しだした。それにしても、獏もパソコンを持ってたんだ。そんなことちっとも知らなかった。
「だけどあいつ、変なことをいってたねぇ。虹ちゃんのお父さんって、なにか知ってるのかな」
獏は消えた鳥籠男爵よりもそっちのほうが気にかかるようだ。
「さ、さあ? 知らない。どういうことなの?」
虹子は不安な顔になる。
たしかに鳥籠男爵はどうしてあんなことをいったんだろう? まるで虹子のお父さんが復讐に関係あるような口ぶりだったけど。
「とりあえず、高子さんに相談してみないか?」
僕はそう提案した。ひょっとしたら警察に行ったほうがいいのかもしれないけど、その判断もふくめて、高子さんならきっといいアイデアを出してくれる。
僕がなにかいってもたいていは却下されるんだけど、今回は誰も反対しなかった。虹子も武彦も自分たちの手にあまると思ったらしい。
そもそもこの事件が虹子たち青空家に関係あることなら、高子さんだってなにか知ってるかもしれないし。
僕たちはぞろぞろと高子さんのお店にむかった。
なにしろ、もうここにはいたくない。そろそろ夕方だし、おまけに雨でかなりうす暗くなってるからなおさらだった。
「ところで虹子のお父さんって、なにやってるひとだっけ?」
歩きながら聞いた。なにしろよく考えてみたら、僕は虹子の家にいったことがない。とうぜんお父さんを見たこともなければ、その職業も知らなかった。
「え? ええっと、……社長さん」
虹子はなぜか恥ずかしそうにいった。
「え、そうなの?」
素直にびっくりする。そんなこと思ったこともなかったからだ。
武彦と獏は知ってたらしく、聞き流してる。やっぱり転校してから一ヶ月じゃ知らないことも多いよね。……とも思ったけど、やっぱりちょっとさびしかった。
もっとも僕だって、みんなに父さんの仕事のことを話したことなんかないけど。まあ、ただのサラリーマンだけどさ。
「で、なんの社長さん?」
よく考えたら社長っていっても、いろいろいるしね。すごくえらい社長さんと、それほどでもない社長さんがいることくらい僕だって知っている。
「……車屋さんかな?」
車屋さん? そこらの販売店かな?
「ブルースカイ自動車工業だ」
武彦がいった名前を聞いておどろいた。日本有数の自動車会社じゃないか。それくらい小学生だって知ってるぞ。
「え? 虹子って、大企業の社長令嬢なの?」
僕がすっとんきょうな声を上げると、虹子はよろこぶどころかなんとなく不機嫌そうだった。
「まあね。でも、それってあたしの手柄じゃないし」
なんなんだろうね? 僕だったら、素直にうれしいし、友達にいいまわってるような気がするな。
きっとプライドの高い虹子は、親のきずきあげたものを自分の力のようにふるまうことがいやなんだろう。まあ、マンガとかによく出てくるからね、そういうなやつ。たいていどうしようもなくいやなやつだけどさ。
普段の虹子を見てるとそんなことちっとも思わなかった。そういう子は、私立の小学校にでも通うのかと思ってたし。
それはそうと、虹子の家がそんなお金持ちだったら、鳥籠男爵の復讐って話も、なんか現実的な気がしてきた。よくわかんないけど、そういう家がライバル会社とか、関係会社に逆恨みされるっていうのは、ドラマなんかでもよくありがちだしね。
そんなことを考えているうちに、高子さんのいるミステリー専門店の前まできた。
「お姉ちゃん」
虹子がそういいながら、真っ先に中に入った。僕らもそれにつづく。
相変わらずせまい店の中には、誰もいない。ただでさえ人の来ない店だけど、きょうみたいな土砂降りの日はなおさらそうなんだろうね。
ただ、床に濡れた足跡が残ってたから、さすがにきょうのお客さんがゼロってこともないみたいだ。
それにしても、お客さんはともかく、店番をしてるはずの高子さんさえいなかった。
「あれ、奥かな?」
虹子はひとりでぶつくさいうと、奥に向かって「お姉ちゃん、いないの」と叫んだ。
トイレにでもいってるのかな。不用心といえば不用心だけど、いつ来てもお客さんなんかいないから、ほとんど問題ないのかも。
ぴるるるるるぅ。
その鳴き声を聞いて飛び上がった。
「高子さん、カナリヤ飼ってたっけ?」
僕の問いかけに、虹子は青くなりつつ、首を横にふった。
なんか、いやな予感がすごくした。
カナリヤの声は奥の方から聞こえる。
いつも高子さんが座っているレジのところ。そこの椅子に高子さんのかわりに、鳥かごがあった。竹で編んだ古くさい鳥かご。
もちろん、カナリヤはその中にいた。止まり木にとまりながら、羽をぱたぱたとはためかせ、美しい声で歌っている。
「え、え? どういうこと?」
虹子はよろめいた。
どういうことって? そ、それは……。
高子さんが鳥籠男爵に誘拐されたってことかもしれない。
鳥かごの中には、カナリヤの他に入っているものがあった。一枚の紙切れだ。
それにはこう書いてある。
『鳥籠男爵の復讐はまだはじまったばかりだ』
虹子はスマホを取り出すと、それに向かって叫んだ。
「お姉ちゃん!」
すぐ近くから着信音がする。
見てみると、レジの奥の床にスマホが落ちていた。
「お姉ちゃんのスマホ?」
虹子が中にもぐり込むと、それをひろって確認する。
いよいよただごとじゃない。いったいここでなにがあったんだ?
「虹子んちはどうだ? 帰ってるんじゃないか?」
武彦がどなる。
虹子はふたたびスマホに叫んだ。
「お母さん? 大変なの!」
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