第57話 とある女機士の転生

 これほど穏やかな日々の中にいるのは生まれて初めてだった。

 身を隠す静かな生活に私は溶け込んでいる。

 私は部屋の掃除や薪拾いをしたり、フェリスと一緒にジュネイロの街に買物に出たりして過ごしていた。

 どれも慣れない仕事だったが根気よく続けるうちにこなせるようになって、料理に関してはフェリスから褒められるほど上達している。

 その間、ヨルズの怪我も徐々に良くなっていき、私は彼が歩くための訓練を手伝ったりもした。


 結局のところ説明できることなんてたかが知れている。

 私が『彼ら』によって造られた『電素神経知的生命体パルマー』だったとして、私自身が何もかも手の内に入れているわけではなかった。


 オイルジェルを血肉としてヒトに擬態する生物が存在する。

 それは人間の10倍もの学習能力を持つが生命活動は5年程度で終えてしまう。


 滅亡した帝国の人間しか知らないであろう事実を、知識として持っているだけだ。

 そんな私が最期は『ナイン・トゥエルヴ』に吸収されるという道を選んだのは、ただの感傷である。

 ただ死ぬよりも、ヨルズとフェリスの戦いを間近で見届けたいと……そう願ったのだ。


 同化については笑い飛ばされるような根拠しかない。

 もともと私の身体はオイルジェルで出来ていて、操縦するときは愛機の『ナイン・トゥエルヴ』と繋がっていた。

 だから内部へ溶け込むくらい平気だろうと考えてしまったのである。


 勿論、こんなことになるなんて予想していない。

 共和国軍の『オンスロート』に大破させられた『ナイン・トゥエルヴ』は卒院生たちの必死の活動により回収され、今も直すことができずに保管されている。


 私が意識を取り戻したのはその戦いから半年も経ったときのことだ。

 拡散した自分が次第に形を取り戻し、気付けば光が目に入る。

 無意識に手を見ると、子供のものと思しき小さなものがあった。


 正直に打ち明ければ、身長が縮んだのはショックである。

 フェリスは「恥ずかしい格好」だなどと指を差したが、私はエクステンションスーツが気に入っていた。

 こんな手脚の短い子供になってしまっては着れたものではない。


 それでも……別に構わないか。

 陛下と共に過ごした日々とはまた違った幸福を噛み締め、今日もベッドへ入る。


 しかし、目蓋を閉じた瞬間に窓の外からを感じた。

 私はフェリスのような『獅子の瞳』を持っていない。

 そのが敵性のものならば、彼女の方が先に目を覚ましている筈だ。


 生憎と同室で寝息を立てているフェリスは起きる様子が無い。

 気になった私は勝手口を通って森に面した庭へと出る。


 隠れ家の周囲は他に建物が無く、少し離れた場所に細い道が通っていた。

 近くに住んでいる人間はいないので不便といえば不便である。


 月が明るく、黒い雲は風に流されていく。

 そろそろ春だというのに肌寒い。


 周囲を見渡しても誰もいなかった。

 ここで私はようやく気配の主が何なのか気付く。



 木々の間でのそりと闇が蠢き、宙に線を引いたが如く輪郭が現れる。

 4本の脚を地に付けてはいるが全くの無音だ。

 頭部には正面に向いた青い双眸と、牙がのぞく大きな口がある。

 その後ろから生えたたてがみは硬質でありながら艷やかだった。


 所作は優雅ですらあるが、体躯は人間の倍ほど。

 垂れ下がった尻尾の先は後ろ脚にピタリと付いている。


 現実ではあり得ない青い毛並みのライオンが1匹、私達の家の庭に現れた。

 はるか昔、帝国の初代皇帝が邂逅したという――


「ここから起源室ジェネシス・チャンバーは遥か遠くだ。姿を現すだけでも難儀したとお見受けする。どんな用向きか教えていただきたい」


 私にとっての創造神は、ゆっくりと腰を降ろして伏せる。

 決して距離を詰めようとはせずに青い目だけをこちらに向けていた。

 傍目にも呼吸をしている様子はない。

 本当に形だけ獅子を真似ているのだ。


 唐突に出現した『彼ら』に戸惑う。

 敵意がないのは分かっていても混乱する。

 そんな私の心中くらい見透かしているだろうが、ヒトとは全く異なる精神性を有する『彼ら』が気遣ってくれるわけもなかった。


「私だけを呼んだわけか。それもまた不可解だ。にとっての要であるフェリスは家の中で寝ている。まさか連れて行くつもりか?」


 当然、返答は無い。

 もともと『彼ら』は声を発することがないのだ。

 その代わり生物の精神に言葉ならぬものを訴えかけてくる。

 そうやって向こう側の技術を、こちらの世界に伝えていた。


 刹那、頭痛で意識が途絶する。

 戻ってくるまでに半秒ほど要しただろうか。

 以前と比べて短くなってしまった手脚で何とか転倒は防いだものの、身体が大きく傾いてしまった。


 慌てて立て直して、眼力を強める。

 このとき『彼ら』の言わんとしていることは理解できた。

 

「……なるほど。にとって私が有用だから、こうして生まれ変わらせたわけか」


 どうせならば元の身体のサイズにして欲しかったが、抗議したところで無駄だろう。

 ヒトの機微など創造神の前では無に等しい。

 青い獅子は座ってから微動だにしていなかった。


「頭の中の恨み言も拾われているだろうな。何故、今更になって姿を現した? 帝都包囲戦の後からつい昨日まで姿を見せなかったというのに」


 返事はなかった。表情に変化もない。

 ならばと私は続けてしまう。


「元はと言えばの一部が我々を見限り、殲滅光砲アニヒレイターの技術を共和国にもたらしたがために帝国は滅びた。そのせいで陛下は大変な苦労をなさった」


 これこそ塵芥ちりあくたの戯言だ。

 すぐに処刑されてもおかしくはなかったが、嫌味のひとつくらい飛ばしてやりたい。


「だが今の私が望むのは、ヨルズとフェリスの幸福だ。その結果として『獅子の瞳』がこの世界に在り続けるのかは分からない。それでも構わないなら――引き受けよう」


 雑念なく声に出すと、『彼ら』はゆっくりと立ち上がった。

 頭の中など透かしてみているのに手間をかけてくれる。

 もしかしたら、こういう問答が好きなのかもしれない。


 それくらい『彼ら』がこの世界に焦がれ、肩入れし、離れ難いものだと認識している……そう信じたかった。


 あるいは、大陸は――人類は『彼ら』に弄ばれているのだろうか。


 濃紺の線が虚空へ溶け出し、青い獅子は自らの歩みに合わせて霧散していく。

 始めから森には何もいなかったように。


 その様子を見届けた私は深く呼吸した。

 もう気配はしない。


 月が雲に隠れ、闇が辺りを覆う。

 命の時間が大きく引き伸ばされたことに、今は感謝しておこう。


「この後も2人を見届けろ……か」


 創造神も難儀なことを仰るものだ。

 命令とも懇願とも分類できぬ『彼ら』の思念にてられ、私はその場にへたり込んでしまう。


 後ろを振り返れば窓に灯りが点く。

 どうやらフェリスかヨルズが起きてしまったようだ。


 あの2人に余計な心配などさせたくはない。

 つい先程の出来事を胸に仕舞い、私は家の中へと戻った。

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