第56話 ヨルズの物語⑰

 その日、俺とフェリスの住む隠れ家に客がやって来た。

 リノの街にはもういられないのでジュネイロの郊外にヒッソリと居を移し、療養生活を送っていたのである。

 外観は何の変哲もない木造で、屋根裏部屋があった。けれど間取りは広くない。


 俺は立って歩けるほどに回復はしていたが、大腿を折られたため脚を引き摺るようになっていた。

 医者の話では気長にリハビリしても元に戻るかは分からないらしい。

 あのとき、『ナイン・トゥエルヴ』を操作できていたことが奇跡のようである。


 フェリスが甲斐甲斐しく世話をしてくれることに深く感謝しつつ、自然と溜息がこぼれた。

 姉には借りを作ってばかりで一向に返せる気がしない。

 けれど目の前の男にはさっさと借りを返してやりたい。


「ヨルズ。お前なぁ、1年ぶりに会ったってのになんだその顔は?」


 厳つくて、むさ苦しくて、暑苦しいメカニックの男だ。

 ツナギ姿で油臭く、近寄り難い。


 久々に顔を見たメッサーは全く代わり映えがしなかった。

 ここがテンガナ・ファクトリーの敷地なのではないかと疑うほどに。


「どうやってここが分かった?」

「普通は客を招き入れてから話をするモンだろ」

「玄関先でも高待遇だよ、お前の場合」


 メッサーは「違いない」と笑いこけながら勝手に中へ入ってくる。

 仕方なく応接室兼ダイニングへと通し、座ってもらう。

 椅子を軋ませながら部屋の中を見回したメッサーは少しだけ真面目な顔になった。


「随分と質素な生活しているんだな、元チャンピオン」

「天辺はとってなかった。闘技場アリーナの新人王で、お尋ね者で、今は死人だよ」


 ヤカンで湯を沸かし、とっておきの紅茶を出してやる。

 こんなときに限ってフェリスは出掛けていた。そろそろ戻ってくる筈だが、メッサーの顔を見たら驚くに違いない。


 湯気の立つカップを前に野郎とお茶だなんて最悪の気分である。

 口角が持ち上がって笑いがこみ上げてきてしまうほどだ。


「驚いたぜ、共和国軍に喧嘩売ったんだってな」

「結果的にそうなっただけだ」

「俺が『ナイン・トゥエルヴが本物か確かめたいなら殲滅光砲アニヒレイターに突っ込ませてみろ』なんて言っちまったから、早まったんじゃないかと焦ったぜ」

「お前の人生の中で1番アタマが冴えてたと思うよ、あの電話のときは」

「ナイスアイデアだったよなぁ。で、ホンモノだったのか?」

「どっちだろうな」

「風のうわさじゃ、カラカスの近くで謎の黒い機械巨人ギアハルクが軍属の真っ赤な機械巨人ギアハルクをぶっ壊したらしいぜ。片方は羽の生えたヤツと、もう片方は腕が三本生えてるヤツだったってさ」

「そうかい」


 他人事みたいに他愛のない会話が続いていく。

 俺にとってはそれが心地よかった。

 少しずつ紅茶が冷めて、猫舌のメッサーはようやくカップに口を付ける。

 音を立ててすするので汚らしい。


「メッサー。お前はどうなんだ、最近」

「俺か? 俺は転職して引っ越したよ。テンガナ・ファクトリーが倒産しちまったからな」

「倒産だって?」

「正確には夜逃げだ」


 機械巨人ギアハルクの整備やレンタルで、そこそこ客の出入りがあったのに?

 俺が呆然としていると天井を仰いだメッサーが続ける。


「うちの会社でレンタルしていた『ナイン・タイタン』が犯罪に使われちまったんだよ。ケルなんとか部隊を襲ったらしいぜ。国家反逆罪だってさ」

「……」

「で、その整備を担当していた俺ンとこにも軍の臭い連中が来てな。職務に忠実だから『客のプライベートなんて知らない』って突っぱねた」

「……それで?」

「そんな事件があったせいか客足も遠くなるし、半ば恫喝されたせいで社長がビビっちまってな。ある日、出社したらボロい建屋だけ残して消えてたよ。金になりそうな部品も、工作機械も経営している連中が全部持っていっちまいやがった。債権者どもの焦った顔は傑作だったぜ」


 猛烈に胃が痛い。

 いや、心が痛くなる。

 流石の俺もシラを切って適当な会話をする気にはなれなかった。


「本当にすまない……」

「俺は俺で、わざわざ機械巨人ギアハルク用の偽装書類を作って出向いたのに完全にスッポカサれたことがあってなぁ」

「それもすまない……」


 テーブルに額を付けて頭を下げると、下品な笑い声が室内に響いた。

 よりにもよってメッサーにも迷惑をかけまくっている。


「気にすんなよ。機械さえイジれりゃ楽しく生きていられるんだよ、俺は。ヨルズみたいにが無いからなぁ」

「いっそ羨ましいが、なおのこと最初の質問に答えてくれ。どうやって、この場所を知った?」

「つい最近まで俺にも尾行がついてたらしいぜ。ようやくいなくなったから、こうして会いに来たわけだ」

「それをお前に教えてくれる人物がいたわけだな?」

「あぁ。インセイとかって連中だ。あんまり関わり合いになりたくねぇ感じだったが仕事も紹介してくれたよ。実はジュネイロで整備士をやっているんだ」


 なるほど、ノーランド孤児院の卒院生たちか……

 気が利くのか、何か企みがあるのか微妙なところである。

 しかし、メッサーが意外と近くにいたことに驚く。


 その後はしばらく沈黙が流れ、耳が痛くなる。

 いつもとは違う空気だ。



 不意にメッサーが吐いた台詞の意味を噛みしめる。

 小さく頷き、答えてやった。


「終わったよ。ヨルズ・レイ・ノーランドはもうこの世にいない」

「そうか。じゃあ、名無しのお前はもう機械巨人ギアハルクに乗らないワケだ」

「多分な」

「惜しいな。俺はお前のファンだった」

「ありがとう。メッサーがいなければ俺はアリーナで生き残れなかった」

「当たり前だ」


 椅子から立ち上がり、メッサーは背を向ける。

 この男は挨拶もなしに上がりこんで、手土産も残さず帰ろうとしている。

 そんな関係でいられたことに思いを馳せた。


「実は、ここへ案内してくれたのはフェリスちゃんなんだ。気を遣ってくれたんだろうな。俺が出ていったら入れ替わりで戻ってくる」

「そうだったのか……」

「これ以上の長居はしないさ。ここには2度と来ない」

「珍しく寂しいことを言う」

「それじゃあな、ヨルズ・レイ・ノーランド。伝説の機械巨人ギアハルクをぶっ壊してスクラップにしちまった大馬鹿野郎。もしも昔が忘れられなくて、偽名でも仮面でも使ってアリーナへ戻ってくるときが来たなら……俺に声をかけてくれ」

「気が向いたらな」


 見送りはしない。

 俺はダイニングの椅子に座ったまま、遠ざかっていく足音を聞いた。

 辺りが静まり返って、胸の辺りに妙な温かさを感じる。


 しばらくすると家の外から別の足音が聞こえた。

 玄関のドアを軋ませて入ってきたのは金髪で小柄な女性である。

 エプロンドレスがよく似合う、俺の姉だ。


「さっきまでメッサーが来ていたよ」

「ちょうどすれ違ったわ。相変わらず油臭かったから『ちゃんとお風呂に入りなさい』って言っておいた」

「忠告を聞くようなタマじゃないけどな、あいつ。……ん?」


 フェリスの背後で何か動いた。

 ピタリと重なるように隠れているつもりらしいが、足元は丸見えだ。

 白いワンピースを着ているのだろう。

 フワリと揺れる布地から細い脚が生えている。


「その子は?」


 俺の質問に、姉はニンマリと笑った。

 体を入れ替えるように小さな子供と立ち位置を入れ替える。

 半ば強引に押し出されたのは、10歳くらいの女の子だった。


 フェリスよりも小柄で、健康的な褐色の肌をしている。

 肩口まで伸びた髪の毛は銀色に輝き、上目遣いに俺を見る瞳はルビーのように真っ赤だった。


 どうしてだろう。

 初対面なのに物凄い既視感がある。


「ほら、どうせバレるんだからさっさと自己紹介すれば?」

「し、しかしですね…… いくらなんでもこの展開は恥ずかしすぎます」


 幼い外見に似合わず口調はしっかりとしている。

 ただし、頬は紅潮していて不安そうに視線を泳がせていた。


「待て」


 俺は手のひらで2人を静止した。

 理解力を遥かに追い越した現実が迫っている。

 そのせいで心臓が身体の内側を強打していった。


「ヨルズは奇跡を信じる?」

「それは死んだ人間の名前だ。というか、奇跡と呼ぶには都合がよすぎるだろ」

「完全復活はしかなったからギリギリ奇跡の範疇じゃないかしら」

「何故、身長が縮んでいるのかが特に不思議だ……」


 以前は俺と同じくらい背が高かった。

 けれど今はフェリスの胸のあたりまでしかない。


「う~ん、オイルジェルに同化した時点じゃ手脚が崩れていたからじゃない? それでが減ったのよ、多分」

「そもそもの話、どこから来たんだ?」

「なんでも回収した『ナイン・トゥエルヴ』の残骸から這い出てきたそうよ。それで院生たちに保護されたの。詳しいことは本人が説明してくれるわ」


 女の子の肩を掴むフェリスの手に力が入る。

 かわいそうに、その子はビクリと肩を震わせた。


「い、いや…… こんなに恥ずかしいと思ったのは生まれて初めてです。うまく言語化できるか自信がないのです……」

「前はすごく恥ずかしい服を着てても堂々としてたのに」

「勘弁してください、フェリス……」


 適当すぎる。

 変な笑い声をあげるのを堪え、自分の頭を押さえた。

 もしかしたらメッサーの来訪も、この小さな子も、うたた寝の間に見た夢なのかもしれない。


 あの涙の別れを返せなどとケチなことは言わないが、それにしたっておかしい。


「なぁ、フェリス。その子をどうするつもりなんだ?」

「もちろん、一緒に暮らすのよ。毎日を精一杯、生きるために」

「良いことだとは思うが、その子の意志も尊重してやらないとな」


 俺とフェリスの視線が集まり、銀髪の子どもは姿勢を正した。

 果たして誰が信じるだろうか。

 この子が、50年も前の戦争で活躍した英雄だなどと。


「私は……」


 凛とした声。

 俺をジッと見つめる真紅の瞳。


「私は、ここで暮らしたい」


 これから先、どうなるかなんて分からない。

 復讐という道がなくなった俺はもう空っぽで、残った人生はフェリスに尽くすつもりだった。


 けれど、家族が増えるのなら……大歓迎だ。


「よろしくな、ラインヒルデ」


 小さな指が、俺の差し出した手を握り返してきた。

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