第45話 ヨルズの物語⑮

 そこは風通しのいい2階の部屋だった。


 廊下で先頭を歩いていたラインヒルデは表札に掲げられた名前を確認してから、ノックも無しに中へ入る。

 流石にいつものエクステンションスーツでは目立つため、フェリスが用意してくれた外套を羽織っていた。


 部屋にはベッドに横たわる老女がいる。

 痩せ細っていて小さな吐息だけが聞こえた。

 長い間、俺が世話になったノーランド孤児院の院長である。

 ラインヒルデはそんな院長先生のことを「陛下」と呼ぶ。


(院長先生が、帝国最後の皇帝だったわけか)

 

 随分前の段階から、ラインヒルデには確信があったという。

 カラカスを脱出してから俺たちはノーランド孤児院のたちが率いる部隊に助けられ、リノの街まで戻って来た。

 その間にラインヒルデは自らの出自や最後の皇帝のこと、そして『彼ら』や起源室ジェンシス・チャンバーなど自らの持つ知識の殆どを提供してくれたのである。


 正直に打ち明ければ、俺はそのうちの半分程度しか受け止められていない。

 帝国の繁栄や戦争の裏にあった真実なんて、機士きしでしかない俺には重すぎる。

 フェリスは理解度が高く、ラインヒルデに同情していた。


「整形して顔を変えたのに、よく分かったわね」

「ヨルズに託した手紙の筆跡、間違いなく陛下のものでしたから」

「手に力が入らなくてね。文字がヨレていたでしょ?」

「それでも誰が書いたのかはすぐに分かりました」

「本当はこんな年老いた姿、見られたくなかったのよ」

「いえ、お変わりありません」

「皮肉が上手になったわね」


 ベッドに寝たまま院長先生は大きな溜息をつく。

 照れているのを誤魔化しているように見えたのは気の所為ではない。

 ラインヒルデは静かな視線を送っていた。


 顔がほころんでいる。

 クールな彼女が見せる初めての表情だった。

 頃合いを見計らって俺も挨拶しておく。


「こんにちは、院長先生」

「こんにちは、ヨルズ。それにフェリス。今日はちゃんと挨拶できたわね」

「俺の怪我のことはツッコミ無しですか?」


 脚を折られて歩けない俺はフェリスの用意した車椅子に乗せられていた。押してくれるのも勿論、彼女である。

 両手にも額にも包帯が巻かれた自分の姿は笑えないほど病院に溶け込んでいた。


「複数のルートから情報を得ているわ。監視だけで介入はしないように厳命していたのに、通行料だとか言って話しかけてしまった者もいたみたいね」


 モルビディオ廃坑の入り口にいた老人のことだろう。

 帰り道にはいなくなっていたので訝しんだが、彼も道中を見張るエージェントの1人だったのか。


「流石は『リノの魔女』ですね……」

「落ち目もいいところよ。想定外のアクシデントばかり。銀影団に、アルベルトに、三本腕に……本当はもっと簡単に済む筈だった」

「ラインヒルデを起こすだけなら、別に俺じゃなくてもよかったんじゃないですか?」

「卑下はよくないわ。私はヨルズを信用しているもの」


 顔だけこちらへ向けた院長先生は力なく笑う。

 この前、ここを訪れたときよりもずっと死に近い。

 皮膚からは血の色が完全に失せている。


「でもありがとう、ヨルズ。それからフェリスも」

「あたしは、あなたに言いたいことがたくさんあります、院長先生。いいえ、と呼んだ方がいいでしょうか?」

「好きに呼んで構わないわ。聞きましょう」

「でも今はラインヒルデと話してください。あたしはその後で構いません」

 

 複雑そうな表情のフェリスは唇を噛み締め、俺よりも一歩前へ出ていく。

 ラインヒルデはベッドのすぐ横でかしづき、院長先生の手をとった。


「またお会いできたことを光栄に思います、陛下」

「私が即位していたのはたったの2週間よ。そう呼ばれるのは慣れないわね」

「正確には15日と7時間34分です」

「もう歳ね。よく覚えていないわ」


 院長先生は……使用人との間に生まれた皇位継承権を持たぬ侍女は、敗戦の生贄として支配者の地位を押し付けられた。

 帝都の周りに完成した殲滅光砲アニヒレイターの包囲網を抜けられるわけがなかった。

 一目散に逃げ出した皇族たちは財力やコネを使い逃亡したが、つい昨日まで使用人だった最後の皇帝にそんなものは持っていない。


 数日後には共和国軍が総攻撃を仕掛けてくる。

 捕えられれば処刑されるに違いない。

 最後の皇帝は国のために死ぬ覚悟をしていた。


 だが『彼ら』によってラインヒルデ=シャヘルは、その設計思想に殉じて君主への義を貫こうとする。


 彼女は、首都強襲用に製造された……電素のレーダーに探知されない装甲と、殲滅光砲アニヒレイターの軌道を歪曲する装置を搭載した機械巨人ギアハルクを逃走に使った。

 その力は絶大で、ラインヒルデの操縦技術も相まって伝説を残している。


 そうだ。『ナイン・トゥエルヴ・ブラックナイトモデル』は本来、という逆転勝利のために造られたのである。


 そんな無茶苦茶な作戦を提唱した皇族たちが逃亡したため、黒い機械巨人ギアハルクは戦争の最後まで帝都に死蔵されていた。

 皮肉といえば皮肉である。

 おかげで院長先生は脱出できたのだから。


「ラインヒルデ」

「はい」


 いくつか小さな話題を終えた後で院長先生は声のトーンを上げる。

 呼びかけに答えたラインヒルデは様々な感情が張り付いている筈なのに、驚くほどニュートラルな表情をしていた。

 俺とフェリスは黙って2人を見守る。


「ごめんなさい。帝都を奪還したら封印された貴女を迎えに行くつもりだったのに。その約束を果たせなかった」

「いえ。私こそ、例え残りの時間が少なくとも命が尽きるまで陛下のお側に仕えるべきでした」

「オイルジェルを硬化させた中にいれば、貴女の身体は酸化しなくて済む。私が『ナイン・トゥエルヴと一緒に封印されろ』って命令したのだから気にすることじゃないわ」

「あのときは反対して押し切るべきでした」

「ふふっ…… そうかもしれないわね」


 静かな時間が流れる。

 窓の外は晴れ渡っていた。

 通りを走るクルマのディーゼルエンジンの音が聞こえる。


 自分が遠くへ置いて行かれたかのような錯覚すら受けた。それくらい、院長先生とラインヒルデは深い再会を果たしている。


「ありがとう、ヨルズ。確かに私は救われた」


 不意に、院長先生の手を握ったままラインヒルデが俺の方を向く。

 凛としたいつもの様子は変わらず、しかし儚いようにも見えた。


「俺は怪我した他は特に何もしていないぞ。むしろ何度もラインヒルデに助けられているよ」

「いいや、私を迎えに来てくれたのがお前で良かった」


 折れた脚も殴られた頬もまだ痛くて熱を持っている。

 気恥ずかしくて動くのも億劫で、正面から受け止めるしかない。


「すまない。陛下と2人だけで話がしたい。席を外してもらえないか?」

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