第44話 とある皇帝の胸懐

「追撃は無し。帝都を完全包囲したという割にザルだったわね」


 手狭なタンデムシートの前方に座り、あたしは大袈裟に鼻で笑い飛ばしてやった。

 周囲を覆う半球状のディスプレイには山間部から昇る朝日が映し出され、見事なオレンジ色で辺り一面が染まっていく。


 20mの巨躯で一晩走り続けたため、帝都は既に遠い。

 しかし油断できる距離ではなかった。

 いつ共和国軍の魔手が迫ってくるとも限らない。


「陛下。どうぞ休憩なさって下さい」

「ダメよ、ラインヒルデ。この機械巨人ナイン・トゥエルヴには電素探知機が積まれてないんでしょ? あたしの『獅子の瞳』が無いと敵の感知が出来ないわ」

「それはそうですが……」

殲滅光砲アニヒレイターが効かない逃げる者を追うなら、相手も機械巨人ギアハルクを出さざるを得ないでしょ。それとも、あたしに背中を預けるのが怖くなった?」


 頬を膨らませて背後を振り返ると、1mほど高くに設置された座席に褐色肌の美女が困った顔をしている。

 腰まで伸びる銀糸の髪に、切れ長の赤い瞳。

 完璧な左右対称の容貌。

 おまけに背が高くて、脚が長くて、腰が細くて、胸が特大サイズときたものだ。

 身に付けているのは大胆なカットが入った水着に似た衣装であり、扇情的と言わざるを得ない。


 もっとも、ラインヒルデ=シャヘルは真面目でやや天然気味の性格なので己の容姿を悪用しようなどと思いつく筈もなかった。


「私は陛下を信じております。同時に御身体を案じてもいます」

「帝国は滅びたの。あたしはもう皇帝じゃないわ。だからそんなに堅苦しく話さなくてもいいのに」

「それでも貴女は、私にとって主君です」


 コックピット内部の壁面から生えた無数の琥珀色の糸は、ラインヒルデの露出した肌を貫通している。

 赤く明滅するそれは、機械巨人ギアハルクの筋肉にあたるシリンダーとオイルジェルを直接制御するためのものだそうだ。

 はりつけのようで傍目には痛々しく見えるものの、本人曰く「痛覚は殆どない」とのこと。


 つまり、ちょっとは痛いのだ。

 機体の負荷やダメージが多少はフィードバックされるらしい。

 そんなデメリットに目を瞑ってでも、手足と同じ感覚で意のままに機械巨人ギアハルクを操れるシステムは捨て難かったのだろう。


「それじゃあ、少し休ませてもらうわ。その前に聞かせて」

「なんでしょう?」

「あたしたち、これからどうなるの?」

「反共和国の勢力圏まで逃げます。既に交渉は済んでいますから」

「そいつら、いきなり裏切ったりしない?」


 猜疑心は晴れない。

 敗戦寸前に突然、帝位を押し付けられたのだ。

 似たようなことが逃亡先で起きる可能性もある。


「皇帝の血を継ぐ者を無碍にはしないでしょう。共和国を倒すのが悲願ですからね」

「じゃあ『彼ら』の技術も一緒に売り渡すの?」

「無条件には受け渡しません。『彼ら』の君主は1000年来、『獅子の瞳』を持つお方に限ります」

「あたしが生まれてこなかったら『彼ら』は帝国なんてとうに見捨てていたんじゃないかな」


 ラインヒルデが返答に詰まる。

 どうすればいいか分からないのに、あたしから視線を外さないのは彼女の誠意からだろう。

 こちらを傷付けまいと言葉を選ぶために時間をかけている。


「確かに『彼ら』の一部は陛下が生まれる前に共和国へ離反しました。『獅子の瞳』はもう帝国側に現れないと悲観したからです。そのせいで技術流出が起きて対機械巨人用の兵器・殲滅光砲アニヒレイターは完成してしまった」

「こっちだって次元羽じげんはっていう無敵のバリアがあるじゃない。しかも電素を反射しない装甲材も。この手のオーバーテクノロジーって『彼ら』の技術でしょ」

「最強の鉾と、最強の盾です。争うだけで実のところはバカバカしい。本来であれば陛下の膝下に両方が揃うべきでした」


 笑い事ではないのだが、今は笑わせてもらおう。

 初代皇帝が打ち負かしたという姿

 そんな『彼ら』がいたからこそ、帝国は1000年近くも繁栄したのだ。


「イマイチ、実感が無いのよね〜 あたしの目が違う世界と、この世界を繋いでいるかなめだなんて」

「他の生物の意識を感じることができる……つまり物質的なレイヤーとは異なる精神的なレイヤーにアクセスできるということです」

「そんな大層なモンじゃないわよ。自分に向けられた悪意にしか反応しないし、せいぜい数と強弱が伝わってくるだけ。相手が何を考えているかまでは読めないわ」

「『獅子の瞳』で互いの世界はリンクしています。遺伝的継承者が現れないまま時間が過ぎれば繋がりは薄れ、いずれ絶たれるでしょう」

「そうすると『彼ら』も困るわけね。散々、利用してきた帝国側の人間が言うのも憚られるけど現金だこと」

「仕方ありません。ヒトとは違う存在の考えることです。しかし陛下の知覚能力があったからこそ、あの包囲網を抜けることができました。それは動かない事実です」


 ラインヒルデに褒められるのは素直に嬉しい。

 ただの使用人だった頃から密かに憧れていた皇帝親衛隊のエースパイロットがこうして目の前にいる。

 それだけでなく、自分の身を案じてくれていた。


 強くて、カッコよくて、綺麗で……


 身に余る光栄だけど萎縮なんてしない。

 秘めた思慕に気付かれてしまったら恥ずかしくて話もできなくなってしまう。


「さ、お休みになられて下さい。反共和国の勢力圏まではまだ距離がありますが、山がちな地形を通るので発見される可能性は低いでしょう。ここからしばらくは私ひとりで大丈夫です」


 気遣いを無駄にしたくはない。

 けれど目を瞑って、開いたときにラインヒルデがいなくなっていそうだ。

 胸のざわつきは単なる直感から来るもの。

 払拭したくてたまらない。


「ラインヒルデは、あと何年生きていられるの?」

「陛下、今は私のことなど構わずに……」

「答えて」


 多少、強引に行かせてもらおう。

 あたしは国を捨てて逃げ出した。

 得るものの無かった人生と決別して、自分らしく生きようと思ったからだ。


 そのせいで大勢に迷惑をかけている。

 大人しく共和国に首を差し出した方が万事丸く収まったに違いない。


 けれど。あぁ。

 運命を受け入れ、国ために死のうとしていたあたしにラインヒルデがかけてくれた言葉を忘れはしない。


 貴女は、貴女の望むがままにしていい。

 誰かの都合にひれ伏す必要なんてない。

 私は死ぬまで貴女の味方だ……と。


「帝都から離れてしまったのでメンテナンスは望めません。残りの寿命はせいぜい5年程度でしょう。私の身体は空気に触れているだけで急激に酸化しています」

「ねぇ、帝都の地下にある起源室ジェネシス・チャンバーさえ奪還すればラインヒルデは生き永らえることができるんでしょ?」

「夢物語です。今から共和国軍を退けることは不可能に近い」


 現実はいつだって最悪を更新し続ける。

 いっそ夢物語の中で生きていたい。

 けれど不都合なんて真っ向から打ち砕くしかないのだ。


「決めたわ。何年かかってでも帝都を奪還する」

「陛下……」

「だから、そのときまで待っていて」


・・・・・・・・・

・・・・・・

・・・


 夢から覚めると、灰色の天井が目に入った。

 顔を横に向けると見舞いの花が枯れている。

 もともとはオレンジ色のガーベラだった筈だ。

 もう力の入らない身体だが記憶と意識がハッキリしているので自嘲してしまう。


 病に蝕まれ、あと少しで死ぬ。

 結局、50年かかっても帝都を取り戻すことはできなかった。


 多くの民が帝国の復活を望み、武器を手に取り、果敢に戦って死んでいったのである。

 煽動した回数など覚えていない。

 反共和国思想を持った工作員や傭兵も数え切れないほど育ててきた。

 大陸に混乱を招いたことに罪悪感がないわけではない。

 けれど私の悲願から比べれば些細なことだと思えてしまう。


(とっくに狂ってるわね……)


 晩年になっても私は皆に「死ね」と命令し続けたのだ。『リノの魔女』などと謗られても関係ない。

 シンボルでしかない私のために、皆がそれに従う。

 腹の底では帝国の復活など二の次で、全ては起源室ジェネシス・チャンバーの奪還のためなのに。


 もう1度、『彼ら』に会って叡智を授かる必要があるのだ。

 共和国の連中が宇宙人だと嗤った『彼ら』に。


 ラインヒルデを……帝国の都合で作られた真っ直ぐで哀れな人造人間を救ってほしい。

 願いでも祈りでもなんだってする。

 だからどうか、数年で朽ちて死ぬように作られた彼女を……


「こんにちは」


 ふと、懐かしい声が遠くなった耳に届く。

 病室の入り口を見遣れば背の高い女性が立っていた。

 長い銀色の頭髪に、紅い瞳に。


 その傍らには私の弟子と孫娘もいた。

 弟子の方は報告があった通り大怪我をしているようで、車椅子に乗せられている。

 孫娘が甲斐甲斐しく世話しているようだ。

 

(フェリスがヨルズを愛してしまったことが最大の誤算だったのかもね)


 愛は時折、人に道を見誤らせる。

 自分がそうだったようにフェリスも帝国の血筋としては間違った方向へ進んだ。

 今更、責める気も起きない。


 わがままなのは理解している。

 最期にどうしてもラインヒルデと会いたかった。


 その願いを叶えてくれたヨルズ・レイ・ノーランドに感謝しよう。


「陛下、お久しぶりです」


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