第42話 フェリスの願い⑤
共和国軍の施設で奪ったクルマは早々に捨てて別のクルマを拝借している。
完全に泥棒だが……弟の命には変えられない。乗り捨てた後で持ち主の元に戻ってくれることを祈ろう。
あたしたちの乗るクルマは何回も路地を曲がった末に、カラカスの街の外環道路に出る。
この時点で追っ手は無かった。
共和国軍事務局と、カラカスが持つ都市軍が不仲というのは本当のようだ。
犯罪者の逃走ですら手を組めないらしい。
「ふぅ……」
思わず、安堵の息が漏れてしまった。
それはラインヒルデも同じである。
対照的にヨルズだけは、痛みに呻きながら別に心配事があるような顔をしていた。
「なぁ、助けてくれたのは嬉しいんだが『ナイン・トゥエルヴ』はどうしたんだ?」
「例の宿場町に置いてきたままだ。私とフェリスが動いている間の囮としてな」
「えっ」
弟は肩から盛大にコケる。
無理もないだろう。敵ですら『ナイン・トゥエルヴ』を放置しているなんて考えない筈だ。
あたしはしばらく、2人の会話を黙って聞くことにする。
「置いてきた……って奪取されたらどうする?」
「あの機体は元々、私が承認した者以外では起動できない」
「そんな機能があるのか……でも分解されたら?」
「そうなった場合は仕方ないな。だが、伝説の
「ラインヒルデはそれでいいのか?」
「ヨルズ、私の本来の目的はなんだ?」
「院長先生に会って、話を聞くこと……だよな」
「そうだ。しかし、優先順位を変えたよ。捕まったお前を放ってはおけない」
すっかり忘れていた。これは墓詣りの旅だ。
院長先生の友人の紅い十字輝の墓標に手紙を添えるという。
あたしはヨルズに報酬を渡さないために説得しようとしていたが……
(遠回りに遠回りを重ねて、もうグチャグチャだけどね)
院長先生は多分、嘘はついていないが本当の事を喋っていない。
それを確かめるためにラインヒルデを案内するのがヨルズの役割だった。
途中で三本腕の
「分かったよ、ラインヒルデ自身が納得しているならそれでいい。あとは単純な疑問を解消させてくれ」
「いいだろう。何でも聞いてくれ」
「あの琥珀色の糸は何だ?」
左手はハンドルを握ったまま、ラインヒルデは右手の人差し指をルームミラーの近くに持ってくる。
その指先から無数の琥珀色の糸が現れ、捻れながら車内の天井を這ってあたしとヨルズの間に到達した。
爪の剥がれた指先でそれに触れて何かを確認している。
「最初に『ナイン・トゥエルヴ』は琥珀色の結晶に閉じ込められていた。それと同じ素材だ」
「その通り。オイルジェルを私の意志でコントロールしている。離れた場所からガス用の金属パイプに穴を開けて火花を起こすくらい容易い。少々頑張れば、クルマのジャンプ台だって作れる」
「それで爆発を起こしたのか……」
「どうしてこんなことが出来るか、理由は訊かないのか?」
「それは……長くなりそうだからあとで教えてくれ。今は疲れてるし、体のあちこちが痛む」
あたしは糸の正体……というかラインヒルデの素性まで教えてもらったから、もう驚きはしない。
ヨルズは敢えて深く詮索しないようにしているみたいだ。
近くにいて呼吸が荒いのが分かる。大きく胸が上下し、痛痒に顔が歪んでいる。
捕まってから2日と経っていないのに、かなり消耗していた。
それだけ苛烈な拷問を受けたのだろう。
あたしも、カラカスへの移動中を除けばほぼ寝れないで行動している。
疲労が重なって思考能力が鈍るのも致し方なかった。
その点、ラインヒルデは疲れ知らずである。
車内はやがて静かになる。流れていく景色は段々と寂しくなり、カラカスの街の外れまで来た。
何本もの線路が東西南北へ伸びてゆく。そのうちの東へ向かうレールに並行する道路を進んだ。
もう少し行けば大きな湖がある。そこでクルマをさらに乗り捨て、ヨルズの応急手当てをする予定だ。
骨折している箇所は冷やして、当て木もしてやらなければならない。その程度の処置しか出来なくても何もしないよりははるかにマシな筈だ。
ふと、ヨルズは呟く。
「どのみち俺はもう終わりが近いな」
「終わり?」
不吉な単語に、あたしは思わず聞き返してしまった。
弟は目を逸らす。
「共和国軍に身元がバレてる」
「喋っちゃったの?」
「まさか。拷問には耐えたが、『ナイン・タイタン』の製造番号か何かを調べられてアシが付いたみたいだ」
ヨルズと一緒に連れて行かれた
下手すれば既に分解されているだろう。
「何かの間違いで無罪放免になったところでレンタルしている『ナイン・タイタン』を持っていかれちまった。ほぼ全損している。テンガナ・ファクトリーに対して弁償できる額じゃないし、夜逃げ確定だよ」
「そうなると、あとは両親の仇を討つだけか」
運転を続けるラインヒルデは声のトーンを落とす。
ヨルズは驚いたような顔をし、ちょっと待ってから顔の筋肉を弛緩させた。
本当は秘密にしておきたかったのだろう。
「知っていたのか。フェリスが喋るだなんて珍しいな」
「ごめん、ヨルズ。ラインヒルデに協力してもらうために……」
「怒ったりはしないよ。安っぽい動機がバレちまって恥ずかしいだけだ」
「そんなことはないぞ。家族はいいものだ。きっと」
ヨルズはずっと窓の外へ視線を向けていた。
その先にある油の浮いた湖は表現し難い色彩で反射している。
カラカスの街から出て、すれ違うクルマは物流を担うトラックばかりになった。
「事情は全部、院長先生が知っていそうだ」
「あたしもそう思う」
「これだけ巻き込まれているんだ。説明くらいしてもらうさ」
「私も同席させてもらっていいだろうか?」
「勿論よ。これだけ協力してくれたんだもの。ラインヒルデには聞く権利があるわ」
「あらましを聞いた後で、俺はリノの街を去るよ。名前を変えるなり、身を隠すなりして三本腕を討つ機会を待つ」
「うん……そうだね」
あたしは曖昧に切り返しておく。
気持ちはどんどん沈んでいった。
遠くへ行こうとする弟の決意は固い。
この旅路に答えなんて最初から無かったのかもしれない。
誰もが皆、勝手に振る舞って状況を作っていく。
あたしは同じだ。
院長先生がヨルズとラインヒルデに送ったという手紙も、詰まる所は本人たちがどうしたいかに寄る。
ラインヒルデがどう救われるのか?
ヨルズは『ナイン・トゥエルヴ』……都市強襲用機械巨人をどう使うのか?
その行く末を見守るだけのつもりはない。
あたしはあたしで、やれることをやる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます