第41話 フェリスの願い④

 ヨルズは両手の爪を全て剥がされ、大腿骨を折られて歩けない。

 顔も殴られて腫れ上がっており血が固まってこびりついている。

 ざっと見ただけでそれだけの怪我を負っていた。殺されていないということは、拷問にかけられたのだろう。


 すぐに治療しなければならないが、カラカスの街では医者のアテが無い。下手に重傷者を連れ込めば通報される。


 ここにいる軍人を全員、即座に殺してやりたかった。

 あたしの弟をこんな目に遭わせた連中をタダで済ませるわけにはいかない。


 だが、それよりも優先すべきは脱出だった。殺意を必死に堪えて、あたしはヨルズを抱き上げる。

 が走れないほどではない。


(外へ!)


 すぐ近くに非常階段があった。ルートを邪魔する者はいない。

 通路から飛び出し、錆びた鉄板を蹴って駆け下りていく。



「もう少しゆっくり走ってくれないか。傷が痛む」

「時間が無いから我慢して!」


 建物の中を通るより、外階段を降りたほうが見つかるリスクは低い。

 それに逃走用のクルマが停めてある駐車場も近かった。


 時間はなかったが念のため、気絶させた軍人から衣服を奪い取りヨルズに着せている。

 脱がせた奴は代わりに部屋へ閉じ込めておいた。

 誤魔化せるほどじゃないし、やっていることが杜撰なのは自覚がある。

 だが仕方あるまい。


 あたしは1階と2階の間の踊り場からジャンプしてショートカットする。

 ヨルズを落とさないように注意を払い着地すると、近くにたまたまいた軍人に声をかけられた。


「な、なんだお前たちは!」

「怪我人です! すぐに運びます!」


 二の句を遮ってやった。呆然としていて追ってこない。

 走りながら横目を遣ると現場の混乱が見て取れる。

 余程の爆発だったのだろう。


 大勢が慌てて避難するため遠ざかって行く。

 1階の給湯室があったと思しき場所は大穴が開き、隣接した部屋の外には割れた窓ガラスが飛び散っている。

 可燃物もあったのだろう。火の手も上がっていた。


 周辺にはガスの臭いが漂っているから誰も近づこうとはしない。

 協力してくれたアルベルトには悪いが「陽動で火事を起こす」とだけしか伝えていなかった。


 次に会うことがあったら文句を言われるかもしれない。

 全然構わないけど。


(多分、無事でしょ。簡単に死ななそうだし)


 あの気障ったらしい少年は、貴族待遇だから優先して避難させてもらえる筈だ。

 これまでかけられてきた迷惑料はこれでペイにしてやる。


「フェリス!」


 石ころを敷いた粗末な駐車場まで着くと予定通り、ラインヒルデがクルマのエンジンをかけて待機していた。

 宿場町からここまで乗ってきたボロボロのワゴン車ではスピードが出ないので、駐車場にもともと停めてあった中で速そうな1台を選んで奪っている。


 を使えば、イグニッションキーを使わずともクルマのエンジンをかけるくらい造作もない。

 ちょっと火花を散らすくらいワケもないのだ。


 そんな彼女は今、やたら短いスカートに脇と胸の半分が出たデザインのソッチ方面に特化したようなメイド服姿である。

 普段の水着のような服……本人はエクステンションスーツと呼んでいたが、あれはまだ機械巨人ギアハルクの操縦に必要だから着ているのだと分かる。


 しかし、どうにも今回のメイド服のチョイスからは察するに露出癖があるように思えてしまった。

 まぁ、脚が長くてスタイル抜群だから似合うには似合うんだけど。


「運転お願い!」

「大丈夫です。ヨルズは……生きているな」

「あぁ、何とか」


 ドアの隙間へヨルズの身体を押し込み、あたしも後部座席に乗り込む。

 奪取したのは町中でもあまり目立たない普通のクルマにしておいた。

 室内はあまり広くないが、移動には十分である。


「それにしても目のやり場に困る服だな、それ」

「後でじっくりと見せてやる。早く乗れ」


 ヨルズを座らせてやると、ルームミラー越しにラインヒルデが笑う。

 だが、あとはアクセルを踏み込むだけというときに警備と思しき数人がフロントウィンドウの前に立ち塞がった。


 けれど遅い。

 妨害されることは10秒以上前から織り込み済みである。

 あたしには敵意が


「ラインヒルデ!」

「分かっています、フェリス!」


 全員が揃って小銃を手にして、こちらへ向けていた。

 フロントガラスくらいなら簡単に貫通してくる。


「動くな! 両手をあげてクルマから降りろ!」


 彼らは既に詰まれていることに気付かない。

 警備兵たちの足元からは琥珀色の糸……もとい、電素制御されて糸状となった

 コントロールしているのはラインヒルデだ。


 糸は瞬時に小銃へ巻き付くと、地面へ引き摺り下ろしてしまう。

 慌てて抵抗する彼らを尻目にクルマは急発進する。


「ひっ!?」


 警備兵たちは情けない声で両脇へ飛び退いていく。

 両脇に停めてあった高級車のボディをガリガリ擦って、あたしたちを乗せた盗難車は火花を上げた。


 駐車場の砂利を巻き上げ、2回ほど曲がって正門へ。

 リアガラスからは走って追ってくる警備兵が見えた。


 ゆうに3メートルの高さがある正門の柵は重たい音を立てながら閉じようとしている。

 逃げ出す者がいると門番に連絡があったのだろう。


「フェリス、飛びます!」

「了解!」

「飛ぶって……えぇっ!?」


 ヨルズだけが状況についていけてない。

 あたしは弟の身体をしっかり抱き締めて動かないようにした。

 正門の上とそこへ続く道に、薄氷のように琥珀色の板が伸びていく。


「ちょっ、待て!」

「喋るな! 舌を噛むぞ!」


 満身創痍のヨルズが泣きそうな顔をしていたが、説明している暇は無い。

 唐突に出現した板の上をクルマで走り、坂を登るようにして正門を飛び越える。

 急激な縦方向の上昇から一気に下降へ。


 ハンドルを握るラインヒルデも、あたしも、ヨルズも、フワリと一瞬浮いた。

 次に来るであろう衝撃に備えて歯を食いしばるが意外なほどソフトランディングする。


 もう1度、リアガラスから背後を確認すると無数のが解けてスルスルとクルマの中へ戻ってくる。

 閉ざされた正門からは追手などなかった。


「もしかしなくても、ラインヒルデの仕業だったのか……」

「詳しい説明は落ち着いてからでいいか?」

「そうしてくれ。そろそろ痛みで気絶しそうだ」

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