第40話 ヨルズの物語⑮

 轟音と共に閉じ込められている部屋の入口が震えた。

 建物そのものが揺れて天井からパラパラと塵が落ちてくる。

 続けて通路から無数の足音が聞こえ、いずれも何か叫びながら遠ざかっていく。


(爆発? もしかして助けが来た?)


 具体的な心当たりがある。

 小柄で、金髪の、おおよそ人間の規格から外れた身体能力に直感を併せ持つ味方がいるのだ。

 耐えていればなんとかなるという甘い見立てが現実となるのだから、俺が普段からしている苦労は何だったのだろうと虚しくなる。


 閉ざされていた扉が僅かに開き、光が差した。

 現れたのは共和国軍の軍服を着たガタイのいい兵士である。

 完全に白目をむいている。


 そいつが室内へ倒れ込んでくると同時に、俺は特大の溜息をついてしまう。

 入ってきたのは普段のエプロンドレス姿を少しだけ粧し込んだフェリスだった。

 動作は極めて機敏で、あっという間に気絶した兵士を室内に引き摺り込む。


 何度でも言うがフェリス・エル・ノーランドは超人だ。

 膂力・握力・動体視力……全ての身体能力に於いて、その辺の凡夫が勝てるわけもない。

 多少の訓練を積んだ相手でも無駄だ。


 何せ、フェリス自身が院長先生から戦闘の手ほどきを受けた身である。

 ようやくの再会でもフェリスは歓喜の声など上げず、淡々と倒した兵士の装備を剥いでいく。

 血が鼻の中で固まってうまく喋れずにいると、一瞥してきたフェリスは首を横振る。


 黙っていろということなのだろう。

 彼女は後ろ手で縛っていたロープも難なく解き(ナイフを持っているように見えなかったから、指先で摘んで結び目を解いたに違いない)、俺はようやく自由になる。


「すまん、助かった」

「お礼は後でしょ。ここから逃げ出さないと助かったことにならない」

「ありがとう、フェリス」


 俺は椅子の背もたれを掴んで立とうとするが脚にまったく力が入らなかった。

 生まれたての子鹿のように震え、結局はその場にへたり込む。

 上半身は脱がされて裸だし、ズボンも汚れだらけだった。

 注視されたくなかったので別の話題を切り出しておく。


「どうやってここに?」

「電素列車で機械巨人ギアハルクごと連れ去られたんだから、近場で該当しそうな共和国軍施設なんてすぐ調べられるわ」

「それにしたって施設の中に入るのは……」

「どういう風の吹き回しかアルベルトが助けてくれたわ。宿場町で拝借した車でカラカスの街まで走って、貴族特権で威張り散らして怒鳴り込みをかけたの」


 俺には何となく、あいつの考えそうなことが分かった。

 どうせ「僕が勝つまでは死ぬな!」とでも言いたいのだろう。

 だがアルベルトの意地やプライドに救われそうなのも事実だ。

 次に会ったときは礼のひとつでもしておこうと心に決める。


「不思議なこともあるもんだな……ラインヒルデは?」

「メイド服着て一緒に侵入したわ。給湯室でお茶を淹れるのをしくじったフリをしてガス管を破裂させたわ」

「色々とツッコミどころ満載だが触れないでおく」

「そうね。この建屋はコンクリートだから簡単には燃やせない。とりあえずドサクサに紛れて逃げるわよ」


 フェリスは急がせようと俺の手を取る。

 その瞬間、グシャリとした肉の感触と血の滑りを感じ取ったのだろう。

 いつもは豊かな表情が凍りついた。俺の指先に爪が1枚も残ってない。

 姉の手から力が抜けるのがハッキリと分かった。


「貴様、何を……」


 背後からの唐突な低い声。

 フェリスの背後には拳銃を構えた軍服が1人いた。

 エプロンドレス姿の彼女は瞬時に弧を描きながらそいつへと肉薄する。


 複雑なステップを踏んでグルリと一回転し、ちょうど敵の眼前で向かい合う形になるように。

 台詞は最後まで言わせてもらえない。

 フェリスの姿を見て敵意を向けた瞬間にはもう察知されているからだ。


 捻った上体をバネに人体で1番硬い部分……すなわち、肘を男の胸腔へ深々とめり込ませる。

 心臓を打ち抜かれたら即、気絶だ。下手をするとそのまま死ぬ。


 さぞや凄惨な表情を浮かべているのだろう。

 俺からは見えなくてもハッキリと殺気が伝わってきた。


「ここにいる奴ら全員、殺してやる」

「やめとけ。3枚におろしたって食えるわけじゃない」


 宥めてはみるものの、ここまで怒るのも珍しい。

 まぁ、後で他の傷の具合を見せたらもっと怒るだろうけど。

 完全に無表情となったフェリスは倒した男の襟首を掴んで片手で持ち上げ、そのまま廊下へと投げ捨てる。


 するとちょうど顔を出した別の兵士に直撃した。

 大人の男が飛んできたのだから面喰らったに違いない。

 無念だろうが、なす術なく倒れた。これで3人を気絶させたことになる。


「とりあえず逃げるのが先決だろ?」

「分かってる。でも」


 我ながら声が弱々しい。

 そのことで余計な心配をかけている。

 ようやくこちらを振り返ったフェリスは泣き出しそうだった。


 何か言ってやらねばなるまい。

 直接的な慰めでなくてもよかった。

 姉は言葉を待っている。


「肩を貸してくれ。足の骨を折られてて、うまく歩けないんだ」

「それじゃ逃げ切れない。お姫様抱っこしてやるわよ」

「はははっ、カッコ悪いけど頼む。生き残らないとな」

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