第17話 ヨルズとラインヒルデ②
夜。また冷え込みが激しい。地形の問題もあってか風が常に吹いていて、体感温度はさらに低かった。
そのおかげで空気が澄んでいて美味い。
トレーラーの物陰にキャンプを張ったので食事や焚き火の際はあまり気にしなくてもいいのが幸いだろう。
けれど歩き回る際は身に染みる。
俺は荷台で鎮座する『ナイン・タイタン』のコクピットハッチを開けて空を見上げた。
肌寒いがなんとなくそうしたかったのである。
フェリスに教えてもらった星座を順に探してみるが半分も覚えていない。
相変わらず、脳みその性能が悪くて自嘲してしまう。
さっきも間柄を「姉」と言ったら肘打ちされた。血も繋がっていない不出来なヤツと姉弟だと思われるのが嫌だったのだろう。
正直なところ、結構凹んでいる。
「ふぅ……」
マイナス思考を切り替える。今日は脳で処理しきれないほど色々なことがあった。
伝説の黒い
(まぁ、もしもフェリスがいなかったらラインヒルデと2人きりだったんだよな)
精神が持ちそうにない。
強引についてきた姉に感謝しておく。
そんなフェリスは食事後、しきりに身体の臭いを気にしていたがシャワーなど無いのだから仕方なかった。
お湯とタオルで拭いて我慢するしかない。
もっとも、そういった不平を我慢して声にしないのが彼女の良いところでも悪いところでもある。
何も無い場所に来るとどうなるかは想像できていただろう。
埋め合わせとしてリノの街に戻る途中で、シャワーのあるホテルにでも泊めてやればいい。
食事の後、ラインヒルデは「念のため」と断って『ナイン・トゥエルヴ』をキャンプから離れた岩陰に隠すように移動させた。
こういう用心深さは俺も見習うべきなのだろう。
漆黒の機体は闇夜に紛れて目で探すのは難しそうだった。俺の座るシートからではどこに置いたのか分からない。
「ヨルズ」
声をかけられ、地面を見下ろす。
俺のジャケットを肩からかけたラインヒルデがいた。勿論、着替えていないので例のボディスーツのままである。
「お前の
「あぁ、いいよ」
拒否する理由もない。
こいつはアリーナ用のカスタムをしているとはいえ、そう珍しい機体ではなかった。
快諾するとラインヒルデは助走をつけてジャンプし、膝をついて座る『ナインタイタン』の大腿の装甲の継ぎ目に右手を伸ばして指先を滑り込ませた。
「おっ……」
そのまま右手1本で身体全体を上に引き寄せ、タイミングよく壁を蹴り上げてさらに跳躍する。
こうしてロープすら必要とせずにラインヒルデはハッチの上に着地した。
あまりに見事な搭乗なのでスローモーションに見えてしまう。ジャケットが風でマントのようにはためき、腕を組んで立ち尽くしている。
やばい、カッコいい……
「シートに座らせてくれ」
「お、おう」
こちらの視線に無頓着なのか、あるいは何とも思われていないのか……
ハッチの上で身体を入れ替えてやるとラインヒルデはジャケットを手渡してくる。
そして計器を見回しながら席に着く。
操縦桿を何度も握り直し、ペダルのストロークを1個ずつ時間をかけて確認し、最終的には眉を持ち上げた。
これまで見せていない珍しい表情である。
「経年劣化しているが、メンテナンスは見事なほど行き届いている」
「起動させずに操縦桿を引くだけで分かるのか?」
「分かるさ。使い込まれたグリップだが、押すのにも引くのにも余計なフリクションが無い。ペダルもリニアに踏み込めるし、反発力もちょうど良くて長時間の操作でも足に負担が少ないだろう。メーター類も視界に収まる位置にオフセットされていて確認し易い。優れたメカニックマンがいるのだな」
良かったな、メッサー。
お前の偏執狂具合が褒められているぞ。
アリーナの
機体の操縦性に対して根性論が横行する中で、あいつはコックピット周りの扱いやすさまで気にかけていた。
破損した腕の修理よりも先に座席の革を張り替え始めたときには流石の俺も「優先度を考えろ」と怒ってしまったが。
「質問だが、この後付けの計器は何だ? 『BOOST』と書かれているようだが……」
日頃のご愛顧とやらに感謝したメッサーが準備してくれた代物である。
あのクソ野郎が悉く褒められているのが何だか気に入らなくなってきた。
これは嫉妬というやつだろう。
けれど聞かれたことには答えておく。
「オイルジェルの添加剤を注入する装置でね。使えば数分の間だが、シリンダー内の圧力が倍加して運動性能が飛躍的に向上する」
「私の知らないモジュールだな……」
「戦後に開発されたものだよ」
「しかし、そんなことしてシールは破損しないのか?」
「100%の確率じゃないけど、破損する。もしくは寿命が急激に縮む。だから使う度にシール類は全交換の上、オイルジェルも内部から抜いて洗浄しなくちゃいけない。メンテナンスにすごく金がかかるから、死にそうなとき以外は使いたくないよ」
「はははっ、正直な意見だ」
冗談っぽく言ったのがウケたのか、ラインヒルデは派手に笑ってくれた。
メカに詳しいようなので通じる部分がある。それが妙に嬉しくなってしまった。
この手の会話はアリーナにいる人間にしか出来ないから余計に。
「今更だが、細かい部分こそ改造されているがこいつは『ナイン・タイタン』だな?」
「そうだ。旧帝国の傑作機だよ」
「私の隊でも運用していたし、乗ったこともある。当然見慣れているが、外装はダメージを受けているようだ。急所にこそ喰らっていないが70ミリのライフルに斉射されている」
月の僅かな明かりでも装甲に空いた穴は見える。
それだけで口径を判断できるのだから驚いた。
隠しても無駄なので理由を説明しておくべきだろう。
「ここへ来る途中で襲撃を受けて」
銀影団のことには軽く触れておくが間違っても戦績を自慢しない。武勇を語るのはどうにも苦手だ。
だがラインヒルデは予想外に食いついてくる。
敵機の数や装備、そのときの時間や状況などなど。
なるべく素直に回答はするがフェリスの持つ不思議な力や彼女が敵を人質にとったことは伏せておいた。
そのせいで大戦果を挙げたかのように捉えられてしまう。
「なるほど。荷台に積んである余剰分のライフルは戦利品だったということか。火器のない4対1の状況から勝つとは凄腕だな」
伝説的なパイロットに褒められてしまった。
こういうのに実は慣れていない。
あまり褒められずに育ったからむず痒かった。
「電素探知機をオミットした機体で、どうやって敵を探し当てたのか興味がある。まさか数の利がある敵が雁首そろえて正面に突っ立っていたわけではないだろう?」
手痛いツッコミである。実際は、それに近い状況だったけれど。
コックピットを見れば分かるが、電素探知機のスイッチも水晶表示も取り払っていた。
そのくらいラインヒルデならすぐ気付くだろう。
まさか、敵意を感知する超能力を使いました……なんて言える筈がない。
フェリスはフェリスで、自分の持つ力を身内以外には見せないようにしていた。
あれは他人を怖がらせる程度には異質なものである。
「ラインヒルデは4対1どころか、10,000対1の状態から共和国軍の包囲網を突破したことがあるんだろ?」
ちょっと露骨だったが話を逸らす。
それでも食い下がるならボカして話すつもりだった。
「あのときの相手は
近づく間もなく機体を焼き切る長距離兵器が100台あって止まらないというのは俺にも想像できない。
今回の墓参りの途中で受けた襲撃ですらライフルを持った4機の『フォージド・コロッサス1』に苦戦したというのに。
「数字が正確なのかも今となっては分からないな。後世にどう伝聞されているかは知らないが、歩兵などすべて含めたというならそうかもしれない」
「それでもすごい戦績だ」
「あのとき、私はヨルズたちと同じ『敵意を察知する能力』を使ったから切り抜けることができた」
俺は、かけ引きが下手である。顔に出てしまっていた。
その証拠に目の前のラインヒルデは紅い瞳を細めている。
明らかにこちらの反応を確かめようとして、能力のことを話した。
動揺が走り、呼吸を忘れそうになる。
「どうしてその力のことを知っている?」
「遭遇戦の4対1で勝つ方法は幾つかあるが、この
「もしかして旧帝国軍では一般的な力だったのか?」
「一般的ではないが極秘裏に戦争利用されたことがあった」
「……まさか、電素探知機代わりに積んだとか?」
「軍事機密だ。これ以上は言えんな」
踏み込んだ質問にはもう答えてくれないだろう。
どことなく悲しげなラインヒルデの様子を受けて、追及はしないでおく。
重い空気になるのが嫌だったので別のことを話題にしよう。バレていることをさらに隠そうとしても仕方ない。
「それならお互いノーコメントでいいかな?」
「構わない。詮索はこれまでにしておく。あぁ、そろそろ退いた方がいいかな」
ラインヒルデがシートから立ち上がり、同じくハッチの上に立ったのを見計らって思い出したかのように切り出す。
すると強い風が吹き、彼女の銀色の髪の毛が揺れた。
「そういえば寒くないのか?」
「ん?」
「いや、すごく薄着だからさ」
全く関係ない話題を振ったせいか、キョトンとしている。
ジャケットを羽織っていてもその下は水着同然だ。夜風に吹かれれれば一気に体温を奪われてしまうだろう。
「寒い」
「男物でよければズボン貸すけど。ちゃんと洗濯済みのやつ」
「気遣いありがとう。やはり気になるか、この服のことが……」
「気にするなという方が無理だよ」
「これはエクステンションスーツと呼ばれている。帝国軍が開発した兵装だが、これも軍事機密に触れるため詳しくは教えられないな」
得意げに鼻を鳴らすラインヒルデの様子から察するに、やたらと露出が高いことはあまり気にしていないらしい。
これだけの美人がその部分に無頓着なのはまずい。
そんな考えが視線に出てしまったのだろう。ラインヒルデは訝しげに首を傾げた。
「もしかして、この格好は変か?」
「う〜ん……若い女の子が足の付け根とか脇とか、肌を見せるのはあまり良くないとは思う。フェリスもいい顔してなかったし」
「フェリスはこういう服を着ないのか?」
そんなぴっちりとボディラインが出る服、普通は着ない。というか売っていない。
だいたいあの体型でそんな格好が似合うとも思えなかった。
おっと、これではラインヒルデならば似合うという意味になってしまう。
実際にサマになっているから不思議ではあったが。
「やはり時代が変わっているからなのか……」
「いや、違うと思う」
「そうか? ではヨルズは紳士なのだな」
「これから院長先生のところへ連れて行くけど、その間に出くわす人間が紳士とは限らないぞ。だから普通の服を着てくれた方が俺は安心できる」
「なら適当な布でいいから貸してくれ。マントのように羽織っていればとりあえず肌は隠れる」
ちゃんとした服を着るつもりは無いんだな、あくまで……
まぁ、ポリシーだというなら邪魔するつもりは無かった。
「私の方からも気になったことを聞いてもいいかな?」
「どうぞ。『ナイン・タイタン』以外にも何かあるならね」
「立ち入ったことかもしれないが、キミとフェリスは姉弟なのだな」
二の句は分かっている。
似ていないと言いたいのだろう。
だから先回りさせてもらった。
「似てないだろ? 血は繋がっていないからな」
「だが、仲が良いな」
「どうかな。フェリスにはあまり好かれていないと思う」
記憶を巻き戻していけばトラブルの尻拭いばかりさせられていた気がする。
孤児院を出て機士になってからは、会う度に文句ばかり言われてきた。
「好かれたいと思ったことは?」
「さぁな」
「キミはフェリスのことが嫌いなのか?」
「それは……」
「自分では分からないか」
「根暗なんだよ、俺は。つまらない目的のために生きてる」
「つまらない……もしかして彼女がそう言ったのか?」
どうしてそこで絡んでくるのだ。
女子特有の興味なのだろうか。
そういえばアリーナの新人王のインタビューでも同じようなことを聞かれた記憶がある。
付き合っている女性はいるのかとか……
「例えば……だけど」
言葉が下手で嫌になる。
小さい頃、もっと本を読んでおくべきだった。
自分の言語の引き出しがあまりに浅く、そして少ないことに嘆きたくなる。
「俺は最終的に不幸になっても構わない。ある目的を果たすために生きている。いつか、そのツケを払う。けれどフェリスはそういう人生を歩んじゃいけないと思っている」
「ありがとう。よく分かった。そして……すまない。会ったばかりなのに詮索が過ぎた」
「いや……」
気まずい沈黙が続き、時間ばかりが過ぎていく。
そうしているうちにラインヒルデの鼻から黒い液体がポタリと落ちた。
「……鼻血が出てるぞ?」
「すまん」
慌てた様子で鼻を押さえて顔を背ける。
急に弱々しくなったように見えたのは気のせいだろうか……
「もしかして、体調でも悪いのか?」
「気にしないでくれ」
それ以上、どう言葉をかければいいのか分からない。気遣うこともマトモに出来ない自分が情けない。
少し待つと鼻血は止まったらしく、ラインヒルデはハッチの腰掛ける。遠くを見る彼女の紅い瞳は何故か悲しげだった。
「やはりダメか……」
ポツリと漏らした台詞は、俺の耳に焼き付いた。
体調が優れないのではないのだろうか。
「早く休んだ方がいい」
「そうだな」
トレーラーの中にはフェリスとラインヒルデが、外のテントには寝袋を使って俺が寝ることにし、その日は終わった。
そして翌朝。
太陽が地平の雲を眩しく照らしている中でのことだ。
「来るよ!」
テントの中に入ってきたフェリスは真剣な顔で、俺の身体を激しく揺らした。
熟睡していたところを起こされ、ボーッとした頭を振る。
フェリスが迫り来る敵意を捉えたのである。
テントから出て地平線へと目を凝らすと、朝焼けの中で1体の
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