第16話 フェリスの願い②
そろそろ日が暮れる。廃坑の中へ入っていったヨルズは戻ってこない。
待ち続けてトレーラーの荷台でボーッとしているのは辛かった。
まだ風邪をひくほど寒くはないがそれも太陽の出ている間だけである。
夜が冷え込むのは昨日のことで分かっていた。
あたしは夕食の準備だけはしておく。と言っても、ありものを温めるくらいしかできないのだけれど。
(失敗したかなぁ……)
水と鍋を用意して、結局は手が止まってしまう。
我ながら駆け引きが下手くそだ。院長先生の報酬と偽って、全く別のものにすり替えておけば全ては丸く収まったのに。
そういった類の嘘をつくことができないから、こんなことになっている。
ヨルズは自分のことを話さない。それは子供の頃からずっと一貫していた。余程、辛い目に遭ったのだろう。
埋め合わせになればと愛情いっぱいに接してきたつもりだ。
1人になりがちな弟に声をかけ、引き摺り回し、みんなの輪の中に入れてきたのである。
あたしはどうしてヨルズが孤児院に来たのか理由すら知らないまま、彼の側にいただけ。
だから弟の根底にあるものが復讐だなんて想像していなかった。
院長先生の用意した報酬とやらから読み取れるのはヨルズがずっと『三本腕』と呼ばれる
「全然、知らなかったなぁ……」
自嘲してしまう。
あんなに大きな顔しておいて、何も知らなかった。
悔しい。どうしてだろう。
苦しかったのなら、話してくれればよかったのに……
いや、ちゃんと話さないのは自分も同じだ。
あたしはヨルズの試合を22回も見ている。お金も名誉もかかった戦いにみんなが必死で、楽に勝てたことなんてなかったと思う。
あれが全部、後々の復讐のためだというなら……否定なんて出来ない。
「ダメだな、あたし」
彼が戻ってきたら全部終わってしまう。
『三本腕』の居場所を渡して、それを追ってヨルズはいなくなるだろう。
もう止めようがなかった。例え、あたしが院長からの報酬を渡さなかったとしてもそのときはいつか訪れる。
院長先生はどうして、ヨルズの復讐に加担するのだろう?
あの人が何を考えているのかなんて、読み取れるものではないと分かっていても不可解である。
「あれ?」
気付けば涙が溢れていた。
借り物のジャケットの袖で拭うと、目にゴミが入ってしまう。何をやっても悪い方にしか転ばない。
ゴシゴシ擦っていると、風に混じって機械の駆動音が聞こえてくる。距離はかなり遠い。
(何?)
目を腫らしたまま顔を上げ、坑道の入り口の方を向いた。
コンクリートの絶壁の上には岩が連なり、その向こうには山が広がっている。
その上を黒い点が這う。
(背中から羽根が生えた、黒い
真っ黒なヒトガタが岩の上から身を乗り出してくる。顔には十字輝の形をしたスリットが赤く光っていた。
察するに旧帝国軍の兵器だったのだろうが、形に全く見覚えがない。密かに通ったアリーナでもあんな姿のヤツはいなかった。
そいつはあたしからかなり離れた位置で膝をついて停止する。
ゆっくりと地面につけた手から誰かを降ろして、その後でコクピットのハッチを開いた。
飛び降りて合流した人影はふたつ。同じくらいの背丈で、同じ歩幅で近付いてくる。
片方はヨルズだった。
しかし、もう片方は全く見覚えが無い女性だ。
「……誰?」
いや、誰かということよりも……なんて格好をしているのだ。
扇情的な水着である。足の付根のカットが際どすぎて見ているこっちが恥ずかしくなった。
しかも手脚にゴツゴツしたグローブとブーツを着用している。
どういうファッションなのだろう。
あたしが呆然としていると、ヨルズとその人はトレーラーのすぐ横で歩みを止めていた。
立ち上がって荷台から飛び降り、2人の前に出る。
「……えっと」
あたしの顔を見るなり、弟は困ったというオーラを全身から醸し出した。眉の角度も頬の汗も心情を如実に伝えてくる。
この状況を本人も把握できていない証左だった。
「何? あの黒い
「説明に窮する」
「うん、困っているのは伝わってくる」
それにしても、すごい美人である。
美人なのに、おおよそ人前に出るべきではない破廉恥なコスチュームを纏っているのが残念でならない。
スタイルも抜群だ。
露出している腕や脚には無駄な肉がなく、褐色の肌の下に筋肉が程よく付いているのが分かる。なのに胸が大きい。
そこだけ脂肪を残したまま体をシェイプアップできるのが不思議というより理不尽だった。
けれど、それを見せつけたい気持ちは全く理解できない。
慎ましやかなプロポーションにコンプレックスを持っている私からすれば嫌味としか受け取れなかった。
あたしは同性として、借り物のジャケットを差し出して羽織るように促す。
素直に応じてはくれたものの、何故かあたしの顔をまじまじ見ている。相手の背が高いので目を合わせるため、自然と見上げる形になった。
「あたしの顔に何か付いてる?」
「いえ」
「もしかしてどこかで会った?」
「多分、ないでしょう。失礼しました」
恭しく頭を下げてくれた。悪意や敵意はまるで感じないが、その代わりに全く別の危機感が募っていく。
ヨルズと2人きりだと信じていた時間に割り込まれたからだ。
しかも常識という枠から飛び出している格好だからさぞエキセントリックな発言をするのかと身構えていた。
実際はこちらが戸惑ってしまうくらいに腰が低くて丁寧に尋ねてくる。
「私はラインヒルデ=シャヘル。その……貴方のお名前を教えていただけますか?」
「フェリス・エル・ノーランドよ」
「……ありがとうございます、フェリス。お二人は夫婦でしたか」
「夫婦!」
甘美な響きに思わず声を上げてしまう。
それもそうだろう。あたしとヨルズくらいの年齢で同じ苗字を名乗れば、そう思われても仕方ない。
外見はかなりアレだけど、良い人じゃない!
「いや、夫婦じゃなくて姉弟だよ」
まったく空気の読めていない訂正をするヨルズの脇腹を目掛けて、肘を叩き込んでおく。
痛そうに呻くが一撃を見舞われた理由は分かっていないだろう。
しばらく待つとヨルズはあたしに向かって切り出す。
「えっとな、ラインヒルデが院長先生に会いたいそうだ。お互いに全く話が見えてこない」
要領を得ないヨルズの説明に耳を傾けると、彼女は50年も前の黒い
地図の場所にはあった『紅い十字輝の墓標』とは、それのことだったらしい。
とてもではないが信じられなかった。
しかし、有りっ丈の質問を浴びせても要領を得ない答えしか返ってこない。
「どうして
「これは私の機体ですから」
所有の有無を聞いているのではない。
これはワザと答えをはぐらかしているのだろう。
天然ボケという可能性も否定できないけど。
「いつから中に?」
「帝暦956年からです」
それって終戦の年だ。もう50年も前の話である。
不思議の一言で片付けられるわけもないし、素直に信じることもできなかった。
ただし嘘を言っているようにも思えない。ならばコミュニケーションをとるに当たって必要なことを知りたい。
「う〜ん……結局、あなたは何歳?」
「私ですか。私は……その……19歳です」
「嘘っ? あたし、23なんだけど!」
えっ……4歳も年下なの? 年齢を知っておいたほうが距離感を作りやすいと踏んだが意外だ。
同い年か上に見えるのに、この中で最年少である。
ちなみにヨルズは20歳だ。
なんで答えるのに恥ずかしそうに顔を背けたのかは謎だけど、クールな見た目でそんな仕草をされると可愛く思えてしまう。
ともあれ、驚くべき箇所はもっと他にあったのでそこにも突っ込んでおく。
「で……50年間も経っていて、あなたは全く年齢を重ねていないわ。どうして?」
「ずっと眠っていました。この件に関してはいずれ……詳しくお話させていただきます」
謎だらけだが、あたしやヨルズに対して害意が無いのがせめてもの救いか。危機を知らせてくれる冷たく頬を刺す感触が無い。
あったとすればロープで縛り上げるとか何かしらの対応が必要になる。
「ところでヨルズはラインヒルデを院長先生に会わせてあげるつもり?」
「連れて行くよ。墓参りと聞いて墓参りじゃなかったし、院長先生の意図がまるでわからない。そういや見舞いの花も忘れてた。こんなモヤモヤするのは晴らすに限る」
「院長っていつもこんな感じだもんね……」
頭痛の種だが、院長先生のやることはあたしでも計り知れない。
だから深く考えないようにする。
ここで『三本腕』に関する報酬のことには触れないでおく。余計なことを口にすると話がややこしくなりそうだからだ。
問題は――あたしたちが戻るまで院長先生が生きていてくれるかだけど。
「それはいいけど、ラインヒルデが俺と話すときとフェリスと話すときで全然口調が違うのが気になる」
「目上の者には敬意を払うべきだ」
結構、年齢を気にするタイプなのだろう。
そういうラインヒルデの律儀なところには好感が持てる。
あまり慇懃無礼な振る舞いをされても肩が凝るので、少し話してみて大丈夫そうなら距離を詰めてやろう。
「殊勝な心掛けね。けど、その派手な服だけ何とかしたほうがいいわ」
「申し訳ございません。必要があってこの衣裳を着ております。お見苦しいとは思いますがご容赦ください」
見苦しいというか、目に刺激的過ぎるんだけどね。
真面目な理由がありそうだが、さっきからヨルズがチラチラと胸元や脚を気にしている。
放置しておいて間違いが起こるといけない。
疲労しているであろう2人には栄養を摂ってもらい、脳の回転をよくしてからクギを刺す。そうしよう。
「まずは夕食にしましょう。簡単なものしかないけど、腹が減っては戦はできぬ……って言うからね」
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