第9話 ヨルズの物語⑥
『勝て!』
操縦桿を握っていると、いつもの幻聴が聴こえた。
コックピット・シートに座る度、フェリスが大声で応援してくれるような気がする。
勿論、そんなことは無い。孤児院を出て疎遠となった姉がアリーナに足を運ぶわけもなかった。
頭を振って集中力を元に戻す。今は余所事に気を取られている場合じゃない。
(投石だけで2機は戦闘不能にしておきたかった……)
いや、思いつきで試した割に効いているので文句は言うまい。
布製の投石機を自作し、窓ガラスを割って回った子供の頃のフェリスに今だけ感謝しておく。
屈折水晶は衝撃に弱いので頭部を狙えば、カメラアイを潰せる。
これは接近戦においても定石だ。視界を奪われた機体はもう戦えない。
その点では人間も
もしくは背面の通気孔を潰せば冷却不良を誘発できる。
血のように全身を巡るオイルジェルは高温になると電素による制御を受け付けなくなる。熱交換器を保護する装甲は放熱性を考慮してスリットが入っているため強度が低い。
その機器は背中に取り付けられているのだが、背を向けて逃げ出すマヌケはいなかった。
(これは厳しいな)
直ぐ側にあった5階建てのビルへと身を隠して次弾を用意する。
敵の『フォージド・コロッサス1』はライフル系の武器とシールドを装備していた。
腰回りには接近戦用のナイフもあるだろう。
不意打ちできない状況で身を晒せば蜂の巣にされかねない。
ライフルの弾に装甲を貫通されると、その下にあるシリンダーに穴が空いてオイルジェルが漏れる。
油圧を確保できなければ、その部位はもう死んだも同然だ。脚を撃たれれば走れないし、腕を撃たれれば武器を振り回すことができない。
勿論、単発でそうなるケースは稀だろうが運などいくらでも悪い方へ転がってくれる。
当たらないのが1番だ。
強化繊維のカバーに次の弾を込めて、俺は走りながら飛び出す。
屈折水晶のディスプレイに映ったのは固まって移動する3機の『フォージド・コロッサス1』である。
どうやらカメラをやられた1機は下がらせたらしい。
相手は投石を警戒して頭を守るように盾を持ち上げて、反対の手でライフルを構えてくる。
走りながらでは命中精度は落ちるから無闇には撃ってこないようだ。
「残念。飛んでくるのが石コロだけとは限らない」
こちらの飛び道具の威力を推して測った結果だろう。コンクリートの塊では
俺は右側の真ん中の操縦桿を手前に引き、足元のペダルをつま先と踵で2つ同時に踏み込む。
『ナイン・タイタン』は再び、シートを大きく振りかぶっていく。
そして布の中身を投げつけてやった。
(わずかにコックピットを逸れてる……けど、仕留めた)
赤黒いオイルジェルが血飛沫にように流れ出ている。あれでは圧が確保できず、肩周りのシリンダーは動かないだろう。
編組合金製のナイフは鉄筋コンクリートとは硬度が全く違う。
装甲にぶつかっても砕け散らない。
礫でカメラを狙うという予想は崩してやった筈だ。
これで残り2機。ナイフはあと1本。
他には刃の潰れた手槍がある。
敵は動揺したのか動きを止めた。
(つけ込むならば今……)
今度は両足で左右の隅にあるペダルを踏み込む。
全速前進だ。ガシャガシャと重い足音を立てながら『ナイン・タイタン』は走る。
2対1の接近戦で勝ち切れるかなんて分からない。
相手は名の知られている傭兵団だ。それなりに技量は高いに違いない。
ライフルに対しては頼りないシールドで防御し、距離を詰める。
2丁分の火力相手であれば接近戦に持ち込むまでギリギリ耐えてくれる筈だ。
敵はその場で発砲してくる。
こちらの装甲に弾がめり込む音がする度に貯蓄が減っていくのを感じる。
これは――テンガナ・ファクトリーから相当な修理費を要求されるだろう。安く直す方法はいくらでもあるが防御を疎かにしたくはない。
ケチなことを考えるのは後でも良かった。
(まずは1機目から)
雑念を捨てる。肉薄されると敵はライフルを捨ててナイフを握り込む。
こちらはリーチを重視して槍を手に取り、水平に突く。
セオリー通り軸をずらしてかわした『フォージド・コロッサス1』は腰を落として踏み込んできた。
この隙に、もう1機の方は俺の背後へと回ろうとしている。
連携にも優れていた。流石と言っておくべきだろう。
突きを繰り出して伸び切った右腕はもう使えない。
敵は引き手に合わせて懐へ入ってくる。そこへワザとバランスを崩して体を当ててやった。
コックピットへの衝撃はダンピングされ、一拍置いてから計器を一瞥してチェックする。どの部位も油圧は低下していない。
少なくともナイフで刺されてはいなかったし、弾も貫通していなかった。
(上半身を回転させて肘打ち)
崩した体勢からシールドごと重さを乗せて、低い姿勢の敵機へ左肘を落とす。
下手をすれば自機を壊すが、そんなことに構ってなどいられなかった。
どの部分でも関節パーツは特に高いので可能ならこういう使い方はしたくない。
「ヒット」
敵の機体が腰から2つに折れているのを見て、頭部目掛けて膝蹴りを見舞う。
くっ付き過ぎて武器が使えないときに多用する手段である。目の肥えたアリーナの観客はむしろ徒手空拳の方が喜ぶのでファンサービスのひとつだ。
何度でも言うが、関節パーツは高価だ。本当はこんな戦い方はあまりやりたくない。
3機目の視界を奪うことに成功した俺は、すぐに距離を取る。
これで戦闘可能な敵は1機のみ。うまく事が運び過ぎて怖いくらいである。
あとはメッサーがサービスしてくれた『BOOST』を使えば、綺麗に片付く。
そんなプランを立てた矢先のことだ。
『抵抗をやめろ』
パブリック回線から低い男の声がした。僅かな震えは怒りによるものだろうか。
どうやら、対峙している『フォージド・コロッサス1』のパイロットが喋っているらしい。
「こっちだって、恨まれるような真似はしたくないんだ。それに借り物の
『アリーナの新人王を甘く見ていた。ここまで凄腕だとは思っていなかった』
「そりゃどうも。追い討ちかけるなんて面倒な真似はしないから、このまま引き下がってくれ」
『たった今、部下から通信が入った。お前のトレーラーに女が乗っていたな? そいつを人質にした』
「なっ……」
声に詰まる。安全だと思って避難させておいたのだが……こいつらフェリスに手を出したのか!
戦いとは全く違う緊張感に胃が縛られる。
ここで言葉を間違えば危ないことになってしまう。
『この意味が分かるな? 抵抗をやめて、
「本当に捕まえたのか?」
『ハッタリだと思うなら声を聞かせてやる』
唾を飲み込むと、スピーカーからノイズが入ってきた。少し待つと甲高い声へと変化していく。
『ヨルズ……? ヨルズ!』
最悪だ。間違いなくフェリスの声である。
通信機は渡していない。ということは、これは敵側の機器を通して喋っているに違いなかった。
「フェリス……だな」
『そっちは大丈夫なの? 無事? 怪我は無い?』
「無事だよ。生きてるし、怪我も無い」
『よし、ナイン・タイタンから降りろ。変な真似をすれば女がどうなるか分かるな?』
「えっと、銀影団さんだったよな。あんたら、ちゃんとフェリスを捕まえたのか?」
『街中に観測手を配置していた。そのうちの1人が女を見つけて確保したんだ。声は確かに聞かせたぞ』
ダメだ。俺の言ってる意味が通じていない。
向こうも声だけの無線通信では真の状況が把握できないのだろう。
ならば直接、訴えるしかない。
「よく聞け、フェリス。何もするな。くれぐれも危害は加えないように」
『えぇ〜? 人質とって投降させようと思ったんだけど……』
「自分の胸に手を当てろ。内なる良心と対話するんだ。お前はいつだって、リミッターってものが無い」
『いい加減にしろ、ヨルズ・レイ・ノーランド。お前は人質を取られていることが理解できないのか?』
『あ、もしかしてこの人って私が本当に捕まったって勘違いしている?』
『何?』
苛立ちがそのまま声に乗っている。気持ちは察するが、いくら傭兵でも想像出来ていないだろう。
これも何度でも言うがフェリス・エル・ノーランドは超人である。
本当に神が存在するのであれば、どうして彼女に力を与えてしまったのか問いただしてやりたい。
荷運びを生業としている男にも涼しい顔して腕相撲で勝ち、ちょっと助走をつければ人の背丈よりも高く跳ぶ。
その上、勘の鋭さは野生動物以上ときたものだ。
自分へ悪意を向ける者がいれば(これにはフェリスが家族だと思っている者も含む)数キロメートル先からでも感知してしまう。
だから、フェリスは俺に4機の機械巨人が待ち伏せていることを教えることができた。
この不可思議な力については本人も出処が分かっていないらしく、便利な道具として扱うことにしているらしい。
圧倒的な身体能力と、敵影を察知する能力。この2つが合わさっているから生身でフェリスを制するのはほぼ不可能だった。
今回のケースでは、敵の観測手が銃を持っていたとしても勝ち目はあるまい。
『最初の通信は脅して演技させたわ。あんたたちの観測手とやらは拘束している。さっさと撤退しないならば、20秒ごとにこいつの指を1本ずつ折っていく』
『馬鹿な。そんなことがあるわけないだろう!』
『信じない? ハッタリだと思うなら声を聞かせてあげる』
敵のリーダーの台詞をそのまま返した。
これでは完全に悪役ではないか。
俺は放心して口を挟むことができなかった。
『り、リーダー! 助けて! この女、化物だ……!』
『おい、どういうことだ! どうしてお前が捕まっている!』
『リーダーさんの義弟だそうね。何本まで意識が持つかしら?』
『ひいっ!』
思わずデカイため息が漏れてしまった。
いくら超人フェリスでも、生身では
しかし、こういう戦い方をされてしまったのでは止めようがなかった。
銀影団リーダーの身内を人質にとってしまったことが幸いしたらしい。
結局、哀れな被害者の指が3本折れて戦いは終結した。
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