第10話 フェリスの願い①
悪意や敵意はいつも、冷たい手であたしの頬を撫でてくる。
自分が過敏症なことぐらい分かっていた。けれどそういったものを無視して生きるなんて真っ平である。
抵抗して、抵抗して、捩じ伏せて、乗り越えてこその人生だ。
そんなことをしているうちに、いつからか……弟へ向けられる邪悪な気配も感じ取れるようになる。
弱っちい男だ。喧嘩であたしに勝てたことがない。
あたしが13歳のときに身長は抜かれてしまったが、腕力では圧倒的にこちらが上である。
今日だって、教えてあげなければ
戦わなければいいのに。そもそも争い事なんて向いてないし、あたしと一緒に子供たちの面倒を見る方が性に合っている筈だ。
それなのに……過去を振り切れなくて
敵をたくさん作ると理解しているのにやめない。
あたしは「いつか院長先生の跡を継いで、ヨルズと一緒に孤児院を切り盛りしていくのだろう」なんて、ボンヤリしたことを考えながら生きてきた。
けれど現実は違う。弟は院を出て、自分のやりたい事を始めた。
馬鹿みたいな妄想だと気付いた頃には遅かったのである。本当に、弟と一緒にいたければ代償を払わなければならなかった。
それは努力であり、時間であり、あたしがボンヤリしている間に指の隙間から落ちていった何かである。
離れてみて痛感したのは、同じ名字を与えられただけの他人だということだ。
ヨルズ・レイ・ノーランドとフェリス・エル・ノーランドは一緒の孤児院で育っただけで、本当の家族ではない。
せめて血の繋がりがあれば……何度もそう考えてしまう。
ポッカリと胸に穴の空いたあたしは今まで以上に、院の仕事に打ち込んだ。
けれど、弟が出る試合は必ず見に行っている。
闘技場のことはよく分からなかったが、22戦20勝1敗1分というのはかなり立派な戦績らしい。
すごく弱かったくせに。どうしてだろう、悔しくて仕方なかった。
あんな鉄の塊に弟を取られてしまったことが……
思えば院長先生はそんな心中を見透かしていたのだろう。
だから病床に伏せたとき、あたしに『ヨルズへの報酬』を預けたのかもしれない。
最期の願いを叶えてくれるのと引き換えに渡して欲しい……と。
あたしが勝手に中身を見てしまうことも予想していただろうに。
これを渡してしまえば弟はもっと遠くへ行ってしまう。
今は同じリノの街に住んでいるが、今度こそ知らない場所へ旅立ったきり戻ってこなくなる。
そんな内容のものだった。
「積み込み終わったぞ」
弟に声をかけられ、黄昏ていたあたしは輸送用トレーラーの助手席に戻る。
あちこちの装甲に穴の空いた『ナイン・タイタン』は最初、寝そべる形で載せられていた。
今度は片膝をついて座った姿勢である。シートもかけていない。
多分、次に襲われたときに素早く行動するためだろう。
辺りには未だ鉄の焼けたような臭いが漂う。さっきの戦闘が夢物語では無かったと訴えてくるようだ。
ヨルズの考えていることを表情から読み取るのは簡単である。
弟は単純だからすぐ顔に出てしまう。
どこにでもいそうな黒髪で黒目の青年で、特別にカッコいいわけではない。強いて言えば眉が太いのが特徴だろうか。
背は高いがいつも疲れたような雰囲気で少し覇気が無い。
年齢の割に妙に落ち着いているせいもある。
達観している理由は知っていた。
「モルビディオ廃坑まで、あと少しだ」
「怒っていないの?」
「何を?」
「あたしがしたこと」
結局、襲ってきた連中をヨルズは見逃している。
勿論、敵の
物騒なのは承知の上でも、生かして返すべきではなかったと思う。
あいつら、またヨルズを攻撃するかもしれない。
そうなったときに間違いが起こらなければいいけど。
「あいつらはどういうわけか『ナイン・タイタン』を狙ってきた。巻き込んでしまってすまないと思っているくらいだよ」
「心当たりはあるの?」
「さぁな。でも、戦利品としてST8を4丁も手に入れた。
「ヨルズが使えばいいのに」
「アリーナは銃を持ち込めないんだ。修理費くらいにはなるから、そっちの方がありがたい」
いつもそうだ。
そうやって、悪いのは自分だと周りにアピールしてしまう。
出しゃばったことを怒られるとばかり思っていたのに。
「あたしがいなかったら、ヨルズは死んでいたよ?」
「そうだな」
否定もしない。
それが腹立たしくて、あたしはそっぽを向く。
ヨルズからすれば急に機嫌が悪くなったように見えるだろう。
言葉は喉元まで出てきているのに、いつもハッキリと告げることができない。
あぁ、どうして素直に言えないのだろうか。
機士なんて危ないこと辞めて、あたしと一緒に孤児院で働いてほしい……って。
(タイムリミットが近い……)
モルビディオ廃坑の中に何があるのかは知らない。
本当にただのお墓参りなのかも分からない。
けれどあたしの知らない場所へ行ってしまったら、ヨルズを守ってあげられない。
もしかしたら命を落とすかもしれないのだ。
だから留めておかなければならない。その決断を迫られている。
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