第29話 かわうそちゃんとおばけちゃん

 おばけちゃんは気ままなお化け。今日も気ままに散歩をしているよ。おばけちゃんはおばけだから自由にどこにでも行ける。入場料が必要な建物だって壁抜けで簡単に入れるんだ。

 そんなおばけちゃんの今一番のお気に入りの場所は水族館。様々な魚とかを見るのがマイブームになっているよ。


 海の魚、川の魚、タコやイカ、クラゲなどの魚以外の生き物達、ペンギン、イルカ、アザラシなどの海獣、そして、カワウソ達。おばけちゃんの最近のルーティーンは、水族館をタダで見回す事だった。

 まぁおばけはお金持ってないからね。普通の人には見えないから問題ないんだ。


「みんなみんなかわいいなあ。海に潜らなくても魚が見られるのってすごい」


 水族館をしっかり堪能したおばけちゃんは、また別の場所へとフラフラと飛んでいく。街のパトロールなんかをして日々の生活を楽しむのだった。


 翌日もまた、おばけちゃんは水族館に向かう。それはカワウソがいるエリアに向かった時だった。


「ねえねえ」

「え?」


 おばけちゃんを呼んだのは、好奇心旺盛な1匹のカワウソ。今までにも訪れていたものの、声をかけられたのが初めてだったので、おばけちゃんはニッコリと笑顔を浮かべた。


「君は僕が見えるんだね。僕はおばけちゃん。気ままなおばけだよ。よろしくね」

「じゃあ、僕の事はかわうそちゃんって呼んで」

「よろしくね。かわうそちゃん」


 おばけちゃんが見えるカワウソのかわうそちゃん。きっと霊感に目覚めたのだろう。彼は目をキラキラと輝かせながら、おばけちゃんの顔を見つめる。


「ねえ、君は外から来たんでしょ? 外ってすごい?」

「そうだね。確かに色々賑やかかな」

「僕もつれてって!」


 流石好奇心旺盛なかわうそちゃんの望みは外に出る事だった。この無茶振りに、おばけちゃんの表情は分かりやすく沈む。


「僕はおばけだから君に触れないんだ。ごめんね」


 おばけちゃんはそう言うと、かわうそちゃんの前に手を差し出した。彼はその手を触ろうとするものの、空を切るばかり。

 それで、おばけちゃんの言葉の意味を理解する。


「じゃあ、外の話をして!」

「それなら!」


 こうして、おばけちゃんはかわうそちゃんと友達になった。来る日も来る日もおばけちゃんはカワウソコーナーに赴き、彼と他愛もない話をする。大抵はおばけちゃんが外の世界の話をするのだけれど、たまにかわうそちゃんからの世間話なんかも語られた。

 それらの話が毎回盛り上げるので、おばけちゃんもかわうそちゃんも毎朝飛び切りの笑顔になる。そんな日々が続いていった。


 その頃、他のカワウソ達にはおばけちゃんが見えていなかったため、何もない所に話しかける彼の言動を不思議がり始める。

 それで、かわうそちゃんに理由を聞くものも現れ始めた。


「かわうそちゃん、誰と話してたの?」

「おばけちゃんだよ。いつもふわふわと浮いていて、僕らを見に来ているだろ?」

「えっ?」


 かわうそちゃんは丁寧に説明するものの、他のカワウソ達にはおばけちゃんが見えないため、一向に理解は得られない。キョトン顔の友達は何も言わずに彼の前から去っていった。

 この反応で、ようやくかわうそちゃんはおばけちゃんが見えるのは自分だけだと自覚する。それを確かめるためにコーナー全てのカワウソ達に話を聞いたものの、自分の仮説を証明する結果にしかならなかった。


 翌日、また遊びに来たおばけちゃんにかわうそちゃんはつっかかる。


「おばけちゃんは僕にしか見えないの?」

「そんな事はないけど、見える人にしか見えないんだ」

「どうして?」

「僕はおばけだから。おばけってそう言うものなんだ」


 その説明で普通のカワウソはおばけを見る事が出来ない事を知ったかわうそちゃんは、ショックで顔を青ざめさせた。

 しばらくそのまま固まっていたものの、かわうそちゃんは何かを決意してぎゅっと手を強く握る。


「じゃあ、僕がおばけちゃんの事をみんなに説明するよ!」

「別にいいよ。それよりさ」

「僕が嫌なんだよ! きっとみんな分かってくれる!」


 それから、かわうそちゃんはおばけちゃんの存在を仲間達に必死に訴え始めた。最初はまだ頭の柔らかい子供達から始まって、次は経験を積んだお年寄り、最後は自分の見たものしか信じない若者達と、少しずつハードルを上げていく作戦だ。

 おばけちゃんは余計な口を挟まずに、黙ってその経緯を見守る事にする。


「見えないけどいるの? 不思議だね」

「見えなくても何か感じない?」

「な~んにも感じない」


 子供達作戦は失敗。かわうそちゃんは落ち込む事なくすぐにかわうそコーナー一番の長老のもとに向かった。


「おばけじゃと? おらんおらん」

「いや、いるんだよ。ここにっ!」

「はぁ? お前、何かの病気か?」


 長老もまたかわうそちゃんの言葉を信じない。おばけは想像上の概念で実際にはいないと訴える長老との対話は、最後まで平行線を辿った。

 失望してトボトボとその場を去る彼に前に、生意気盛りの若者カワウソが行く手を阻む。


「最近のお前変だぜ。何やってんだアレ」

「おばけと話してるっていたら……信じる?」

「そんなの信じられねーよ。どこにいるんだよそんなの」


 生意気仲間の挑発に、かわうそちゃんは背後で見守るおばけちゃんを指さした。


「ここにいるよ」

「はぁ? 見えねーよ。いるなら証明してみろよ!」


 見えなくて触れないものの証明なんて出来るはずもなく、かわうそちゃんは悔しさで歯を食いしばりながらその場を後にする。その背中越しに、彼を馬鹿にする言葉がいくつも飛んでいた。

 おばけちゃんは、失意のかわうそちゃんを慰めようと優しく声をかける。


「僕、何も出来なくてごめんね」

「や、これで分かったよ。おばけちゃん、ずっと1人で淋しかったよね」

「えっと……。そうかも」

「でも今は僕がいるからね」


 励まそうと思ったら逆に励まされて、おばけちゃんはかあっと顔が赤くなる。そんな反応を見たかわうそちゃんは元気になって、あははと笑った。

 また2人で楽しく話そうとしていたところで、最初に説得しようとしていた子供カワウソがやってくる。


「ねぇ、おばけって怖いんでしょ?」

「おばけちゃんは怖くないよ」


 かわうそちゃんはニッコニコの笑顔で子供カワウソに向き合う。怖がらせないようにとの精一杯の反応をしたものの、その顔を見た子供カワウソはみるみる顔色が青くなっていく。


「かわうそちゃん、顔が怖いー!」

「えっ?」


 作り笑顔がよっぽどキャラと合っていなかったのだろう。子供カワウソは逃げるようにこの場を去っていった。

 一連のやり取りを見ていたおばけちゃんは、かわうそちゃんがどんどん立場を悪くしている事を感じ取って申し訳ない気持ちになる。


「なんかごめん」

「おばけちゃんは悪くないよ」

「今日は帰るね……」


 その場にいられる雰囲気ではなくなり、おばけちゃんは水族館を去っていった。かわうそちゃんも無言でその後姿を見送る。お互いがお互いに悪い事をしたと言う罪悪感を覚えながら、その日は過ぎていった。

 次の日、心配になったおばけちゃんがカワウソコーナーに顔を出すと、恐れていた事が現実になっていた。かわうそちゃんの周りには誰もいなかったのだ。


「あ、おばけちゃん。おはよう」

「かわうそちゃん、大丈夫だった?」

「そんな暗い顔しないで。楽しく話をしようよ」

「でも……」


 かわうそちゃんがおばけちゃんと話し始めた時、周りのカワウソ仲間達が遠巻きにおばけちゃん達のやり取りを眺めてそれぞれに何かを言い合っている。彼らにはおばけちゃんが見えないのだから、かわうそちゃんが変になったと思われているのだろう。

 このままの状態が続いたら、かわうそちゃんは完全に仲間外れになってしまう。そう思ったおばけちゃんは、懸命に話しかけるかわうそちゃんの話をさえぎった。


「ごめん、かわうそちゃん。僕来ない方がいいね」

「え? 急に何?」

「かわうそちゃんはもっと自分の仲間と話した方がいいよ」

「そんな……そんな事言わないでよ!」


 おばけちゃんはかわうそちゃんが止めるのも聞かずにそのままカワウソコーナーを後にする。今後、自分があの場所に行かなくなれば、かわうそちゃんもまた仲間達との仲も元に戻ると思ったからだ。

 それからもおばけちゃんは水族館には遊びに行った。けれど、決してカワウソコーナーには寄らなかった。どれだけ様子が気になっても、顔を出したら元の木阿弥だと思ったからだ。


 一方、カワウソコーナーでは、かわうそちゃんが孤立したままだった。おばけちゃんが来なくなったので、他の仲間が感じていた奇行はしなくなくなる。

 けれど、一度ついたレッテルは簡単には剥がれず、事あるごとに若者カワウソがかわうそちゃんをからかっていたのだ。


「今日は見えない友達は来てないのかよー」

「俺達に遠慮せずに話してもいいんだぜー」

「……」


 かわうそちゃんはそんな心ない声に無反応。おばけちゃんが去った後から口数はほとんどなくなっていたものの、このちょっかいで更に無口になっていった。

 やがて、かわうそちゃんは体調を崩して寝込んでしまう。おばけちゃんが来なくなってしまったショックがそれほど大きかったのだ。

 この顛末には、調子の良い若者カワウソ達も流石に動揺する。


「やりすぎじゃ?」

「し、知らねー」



 1ヶ月後、何の事情も知らないおばけちゃんは、よく遊びに行く霊能者の家に来ていた。そこで他愛もない雑談をしていたところで、何かを閃いた霊能者が突然話を切り出した。


「そういやさ、水族館のカワウソ、一匹病気になったらしいぞ。早く元気になって欲しいよな」

「えっ? それって……」

「確かかわうそちゃんて呼ばれてたやつ。本名は違うんだけど、周りからはそう呼ばれてんだよ。あっ、おばけちゃんどうした?」

「ごめん、また来るね!」


 病気になったカワウソの話が気になったおばけちゃんは、速攻で水族館に向かって飛んでいく。壁抜けを駆使してカワウソコーナーに辿り着くと、すぐにカワウソちゃんを探した。

 すると、隔離された場所で横になって弱りきっている1匹のカワウソの姿が目に入った。


「かわうそちゃん? 大丈夫?」

「おばけちゃん、やっと来てくれた。ずっと淋しかったよ」

「まだ辛い?」

「おばけちゃんが来てくれたから楽になったよ。原因はよく分からないんだって」


 かわうそちゃんは無理して作ったような笑顔を向ける。それが痛々しくて、おばけちゃんはすぐに言葉を返せなかった。

 しばらく無音の時間が続いた後、かわうそちゃんは突然苦しみ始める。


「うわあああ!」

「えっ? 大丈夫っ?」


 おばけちゃんが心配してかわうそちゃんに触ろうとしたところ、彼は思いっきりおばけちゃんを払いのける。触れないはずのおばけちゃんなのに、何故か思いっきり弾き飛ばされていた。

 これには流石のおばけちゃんもビックリして、目を白黒させる。


「かわうそちゃん……?」

「許さない……何もかも……っ!」


 この時のかわうそちゃんは、今までとは全く別の気配を漂わせていた。攻撃的で、誰の意見も聞かない憎悪に満ちた表情を浮かべている。


「うそでしょ?」


 霊体であるおばけちゃんはこの急変に心当たりがあった。そう、悪霊だ。心身が弱っているかわうそちゃんに悪霊が取り憑いてしまったのだ。

 憑依かわうそちゃんは驚異的な力を発揮して、カワウソコーナーに躍り出る。そうして、品定めするみたいにコーナー内にいるカワウソ達を見渡した。


「俺を信じなかったお前らは、みんな許さない!」

「ちょ、なんだよ……どうしたんだよ……」

「うるせえええ! お前からだああ!」


 憑依かわうそちゃんは肥大した腕で若者カワウソに殴りかかる。野生の勘でかわせたものの、その一撃で簡単に床がえぐれてしまった。


「うわあああああ!」

「ちっ、避けんじゃねーよ」


 悪霊に支配されて全く別カワウソのようになってしまったかわうそちゃんは、逃げる若者カワウソを追いかける。彼のターゲットは自分を認めなかったカワウソなので、長老カワウソも、子供カワウソにまで殺意の目を向ける。

 その暴走はこの騒ぎに加担しなかった女子カワウソにも向けられた。悪霊に精神を乗っ取られたせいで、味方以外は全て敵と言う認識に囚われていたのだ。


 その狂気に当てられたカワウソ達は全員必死に逃げ回るものの、憑依かわうそちゃんは暴れながら逃げ回るカワウソ達を一匹残らずひとつの場所に追い詰めていく。

 おばけちゃんはこの急展開に動揺して、ただ眺める事しか出来なかった。これだけの凶行が行われたらすぐに飼育員さんが飛び出してくるはずなのにそれもない。有り得ない光景に迂闊に動けないのだろうか。


 怯えるカワウソ達を追い詰めて、憑依かわうそちゃんの表情は不気味に歪む。この異常な威圧感には、普段怖い物知らずだったイキリかわうそも震えている。


「悪かった! 悪かったから勘弁してくれえ!」

「今更許しを請うても遅いぜえ」


 憑依かわうそちゃんは思いっきり腕を振り上げ、ものすご勢いで振り下ろした。この場にいたカワウソ達全てが絶望したその時、彼の前に何かが立ちふさがる。


「やめてーっ!」


 そう、それはおばけちゃんだ。憑依かわうそちゃんの拳はおばけちゃんの手前でピタリと止まる。それは彼が自分の意志で止めたのではなく、必死になったおばけちゃんが放った不思議な力でかわうそちゃんの動きを強制的に止めてしまったのだ。


「お、お前、何者だ……」

「かわうそちゃん、元に戻ってぇーっ!」


 おばけちゃんの必死の叫び声は、その場にいるカワウソ達全員にも聞こえる。おばけちゃんの本気と極度の緊張感で、カワウソ達が一匹残らず霊感に目覚めたのだ。


「おい、何かいるぞ」

「あれが、かわうそちゃんの言ってたおばけちゃん?」

「僕らを守ってくれてる!」

「やべえよ……やべえよ……」


 全カワウソがおばけちゃんに注目する中、おばけちゃん自身の身体にも異変が起こる。その内側から光が発生したのだ。

 やがて、その光はカワウソコーナーの全てを包み込んでいく。


「この光は……止めろォォォ!」

「ごめん。止められないんだ」


 このおばけちゃん光を浴びた悪霊は浄化され、かわうそちゃんはばたりとその場に倒れた。カワウソ達の危機は去ったのだ。光が収まった後、命を救われたカワウソ達は喜びに包まれる。

 そうして、今回の功労者のおばけちゃんの前にみんなが涙を流しながら集まった。


「助けてくれて有難う」

「おばけ……本当にいたんだな。俺、あいつに悪い事をしたよ」

「おばけ様……有難やぁぁぁ」


 次々にお礼を言われて、かわうそちゃんは照れて顔を真赤にする。子供カワウソから握手を求められるものの霊体だから触る事は出来なかった。なので、お互いに握手をするふりのエア握手。それでも、子供カワウソはニッコリと笑顔を浮かべる。

 やがて、倒れてたかわうそちゃんも起き上がり、今までと全然違う雰囲気に目を丸くした。


「あれ? みんなおばけちゃんが見えるようになったの?」

「かわうそちゃん! 元に戻った?」

「え? 僕何かやっちゃった?」


 どうやら、かわうそちゃんは暴れていた時の記憶をなくしているらしい。おばけちゃんが説明しようと頭の中で文章を組み立てていると、イキリカワウソがかわうそちゃんの前に立ってペコリと頭を下げる。


「おばけなんていねーって言って悪かった」

「あ、うん」


 イキリカワウソが謝ったのを見て、他のカワウソ達も次々にかわうそちゃんに謝っていく。最初は戸惑っていた彼も、いつしかポロポロと涙をこぼしていた。


「みんながおばけちゃんを見えるようになって良かった。本当に……うわあああん」


 こうして、かわうそちゃんはカワウソ達全員と仲直り。みんなに笑顔が戻って、おばけちゃんも太陽のような笑顔になった。

 おばけちゃんは水族館に行く日課を再開。特にカワウソコーナーでカワウソ達と触れ合うのが一番の楽しみになる。勿論、一番の親友はかわうそちゃんだけどね。



(おしまい)

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