第八話 二人の特訓
「どんなドレスが強いと思う」
背の低い机を挟んで、コーヒーカップを持って向かい合う。イノーラはカップに口をつけようとしないまま、首をかしげて尋ねてきた。
彼女と一緒に勝つためのドレスだ。ならば、自分が思う最善のドレスを調整しなければ。
「ええと……君は白色のあのドレスをいつも使ってるんだよね?」
こくりとイノーラは首を縦に振る。
「だったら同じ白色のエヴァンジェリン型かな。義母さんが使ってた様式なんだ」
イノーラはちょっと考えた後、義母の部屋だった場所を振り返った。
「あのウェディングドレス」
「うん、義母さんはなんというかそう、ロマンチストだったから」
あの部屋にまだ飾ってあるウェディングドレス。あれこそがエヴァンジェリン型の原型だ。
「義父さんと踊る時、喜んであの服を着てたよ」
ウェディングドレスを纏う義母は、いつまでもまるで新婚の少女のようで、まぶしく思った覚えがある。義母の優しいほほえみを思い返していると、いつの間にかこちらを向いていたイノーラは告げた。
「私も着る」
リオンは彼女の目を見返す。彼女は繰り返した。
「私もウェディングドレス、着る」
その目は真剣そのもので、リオンは逆に彼女から勇気をもらったような気さえした。
「うん。あれを着て、強くなろう!」
イノーラは首を縦に振る。しかし、リオンが立ち上がって、ドレスの調整に向かおうとしたその時、彼女は唐突に彼の名を呼んだ。
「リオン」
「ん?」
「私は誰と結婚すればいい?」
「え」
何の脈絡もないことを言われて、リオンは困惑を通り越して混乱で動きを止めてしまう。
「ウェディングドレスを着る。つまり結婚」
彼女の補足を聞き、リオンはようやく彼女が言っている論理を理解した。
「いやいやいや! それを着るからって別に結婚しなきゃいけないってわけじゃなくて!」
「違うの」
こてんと首をかしげるイノーラ。
「なんでちょっと残念そうなのさ……」
リオンは先行きが不安すぎて、がっくりと肩を落とす。イノーラは立ち上がり、リオンの肩に手を置いた。
「知ってる」
「な、何を?」
「こういうものは、形から入る」
びしっとこちらを指さしてくるイノーラに、リオンは頭が痛くなる思いがした。
「そうかもしれないけど、今回はしなくていいよ……結婚したい相手もいないでしょ?」
イノーラはほんの数秒沈黙し、首を縦に振った。
「うん」
なんだ今の間。
*
そうだった。僕の思う強いドレスを作るために、ほとんど徹夜で作業をしたんだった。
「起きてる?」
「うわっ!」
ノックもなしに勢いよく扉を開けられ、リオンは慌てて立ち上がる。そして、机にひざをぶつけて悶絶した。
「き、急に開けないでよ、びっくりしたぁ」
ひざを押さえて悶絶しながら、リオンは文句を言う。イノーラはどこ吹く風で要件だけを伝えた。
「練習の約束」
「えっ、もうそんな時間!?」
「まだだけど」
時計を見るも、彼女の言う通り練習の時間には早すぎる。
「それならなんで急かしたの……」
「さあ?」
すっとぼける彼女にだんだん慣れてきたリオンは、固まってしまった肩をぐるぐる回しながら工房を後にしようとした。
「とりあえずご飯食べよう。練習に行くのはそれからで――」
「じゃじゃーん」
突然、目の前に差し出されたバスケットに、リオンはすんでのところで立ち止まる。
「え、お弁当?」
かごの中には大きく切られたサンドイッチがぎゅうぎゅうに詰められていた。リオンは目を丸くしてイノーラに尋ねる。
「君が作ったの?」
「ううん」
イノーラは首を横に振った。
「マドックさん」
部屋の外をびしっと指さすイノーラに、リオンはますます脱力してしまった。
「ええ……自慢してくるから君が作ったものかと……」
「作ってほしかった?」
「えっ、いや、それはううん……」
ほんの少しの下心と期待を言い当てられ、リオンは気まずくなって顔をそむける。イノーラはそんな彼を気にせず、自分勝手に話を進めた。
「キッチンから追い出された」
「何故……」
「見れば分かる……かも」
とてとてと居間に歩いていってしまうイノーラを追いかけ――リオンはその惨状を目にした。
まず、天井と壁が派手に焦げていた。火事になる一歩手前だったのだろう。大事にならずに本当によかった。
床は案の定、水浸しだ。きっと火事になりかけたのを消し止めたのだろう。タオルが敷き詰められていて、水がこれ以上床に侵食しないように応急処置がされている。
「何がどうしてこうなった……」
「分からない」
イノーラはまたすっとぼける。天然なのか故意なのかは分からないが、そのとぼけ具合に、もはや諦めすら感じてしまう。
「こっちは私が」
イノーラが指さしたのは、居間の机の上に並べられた皿だった。
「わー、黒の海」
思わず棒読みでその惨状を表してしまう。
そこにあったのは、黒焦げになった食材らしき何かだった。
「味は保証する」
ぐっとガッツポーズをしながらイノーラは言う。ただし、表情筋は動かないままだ。
「本当?」
訝し気にリオンは尋ねる。イノーラの眼差しは変わらなかった。リオンは皿を指さした。
「じゃあ先に君が食べてみなよ」
「
「君が作ったんだよね!?」
「味見してない」
「よくそれで僕に食べさせようと思ったね!?」
リオンはイノーラにつっかかるが、彼女はどこ吹く風だ。それどころか皿を持ちあげて、じーっとリオンの顔を見つめてくる。
「……」
じーっ。
「…………」
じーーっ。
「……分かったよ」
先に根負けしたのはリオンのほうだった。彼はイノーラから皿を奪い取ると、黒く固まった何かをフォークで突き刺し、口の中に詰め込んだ。
顔をしかめながらもぐもぐとしばらく咀嚼し、なんとか飲み込む。
「ギリギリ辛うじて食べ物の味がする」
「褒められた」
「褒めてないよ!」
もーっとうなりながらも、リオンは椅子に座り、再び黒い塊にフォークを突き刺した。
「食べるの?」
「君が食べさせたんでしょ」
こんな哀れな姿になっても食材は食材だ。決して裕福なほうではない暮らしをしている身分としては、そのまま捨ててしまうのはあまりにももったいない。
「私も食べる」
イノーラは隣に座ると、横から食べ物(もどき)を奪っていった。それを口に押し込んで数秒、彼女は固まる。
「……まず」
ぽつりとつぶやいて、フォークを机に置くイノーラ。リオンは大きくため息をついた。
「君はしばらくキッチン出入り禁止ね」
「何故」
「君が今食べたものの惨状を思い返してからものを言ってね」
「なるほど」
「納得してくれて何よりだよ」
なんとか食べ物への冒涜である黒い塊を胃に収め終え、リオンは立ち上がろうとした。そんな彼の腕をイノーラはちょいちょいと引く。
「レッツゴー練習」
「そうやって、真顔でボケるのやめてくれない?」
「ボケてない。本気」
「そっかあ……」
皿を持ってリオンは悲惨な有様になった台所へと向かう。
「練習に行くのはこれ、片付けてからだからね」
イノーラは珍しく表情を変えた。一見すると変わっていないようだが、よくよく見ると眉が寄っている。
「そんな不満そうな顔してもダメ。ほら、片付けるよ!」
不服な顔をしたイノーラをなだめながら後片付けをし、リオンたちは演習所へとやってきていた。
「よし」
技師としての道具たちをしっかりと装着し、何もおかしいところがないか確認する。うん、不備はなさそうだ。リオンは
「イノーラ、着装してみて」
指先から浸みこむように、彼女の知覚が自分とシンクロしていく。イノーラは首から下げたエヴァンジェリン型のコアに手を置いた。
「
コアから白の糸があふれ出し、神秘の布エトワールとなってイノーラを包んでいく。
以前イノーラがまとっていたものとは正反対の、長い丈のスカートに、裾にふんだんに使われたフリル。袖はなく、代わりに長い白手袋がはめられている。
着装が終わったイノーラは、体をひねって自分のまとったドレスをきょろきょろと見回していた。
「着心地はどう? 一応、義母さんのドレスからサイズは合わせて、糸の量を調整してみたんだけど」
イノーラは自分の手を握っては開き、リオンに振り向いた。
「いける」
リオンは頷き返す。
「じゃあ練習だ。前は黄色のドレスで失敗しちゃったけど……あれはどうしてだったか覚えてる?」
イノーラはちょっと考えた後、疑問形で答えた。
「黄色は反射、だから突っ込んじゃダメ?」
「正解。これからも忘れないでね」
彼女はこくりと首を縦に振る。その表情は、気のせいかもしれないが、少し誇らしそうだ。
「黄色は一枚は弱いけど、重ねると反射の特性が出る布。それに有効なのは一枚一枚の布を細かく切る布。切れ味の鋭い刃を生成できる、青色のエトワール」
黙ってリオンの話を聞くイノーラ。リオンは、訓練用のマネキンを出すボタンを押し込んだ。
「僕が援護の青色を飛ばしてもいいけど、まずはそのドレスに鳴れるために白色の特性を使ってみようか」
マネキンのドレスコアが光り輝き、黄色と橙色のドレスが姿を現した。
「黄色を切り刻むための薄い刃。出せる?」
彼女は腕を横に振って呟いた。
「
腕にまとっていた長手袋がぶわっと細切れになり、彼女の手の中に一本の刀の形に再構築された。
イノーラは刀を構えると、離れた位置のマネキンめがけて振り下ろした。刀から現れた無数の細かい刃が黄色のエトワールを切り刻んでいく。
「うん、その調子! でもこのドレスは黄色一色じゃないからそのままだと――」
リオンの言葉を聞き終わらないうちに、イノーラは跳ね飛ぶようにして、マネキンへと距離を詰めていた。
その途端、マネキンから噴き出してくる橙色の布の帯。イノーラはそれに巻き取られて、壁へと投げつけられた。
ぶつかった衝撃で演習場が少し揺れる。イヤホンの向こう側でイノーラは小声で「痛い」とつぶやいた。
「あーー! なんでそういうことしちゃうかな!」
「敵が前にいたから」
「まさか君って意外と好戦的!?」
「血気盛ん」
イノーラはピースサインをして、ちょきちょきとそれを動かした。
「嘘だあ……」
頭痛をこらえながら、リオンはガラス越しの彼女を見据える。
「いい? 橙色矮星から取り出された橙色のエトワールの特性は、伸縮。柔軟性が高いから、変形して相手を攻撃するのに向いてるんだ」
「なるほど」
本当に理解したかは不明だが、リオンはとにかく話を進めることにした。
「それから、エヴァンジェリン型の特徴は、ドレス全体のなめらかさとは対照的に、裾のフリルがふんだんに使われていることなんだ。だから、君のいつものドレスと違って、比較的重い部類に入る」
「つまり?」
「いつものような軽業師みたいな動きじゃなくて、裾のフリルを活用した、もっと重心を下にした動きを――」
言い終わらないうちにイノーラは動き始めていた。
彼女は重いフリルスカートを持ち上げて飛び上がり、落ちる勢いでマネキンに攻撃した。力強い一撃にマネキンは大きく揺れ、そのコアもぱきんと破壊される。
「だからちっがうって!」
いや確かに運用法としては間違ってはいない。だけど、今言っているのはフリルを変形して使ってみてほしいということで、お願いだから人の話を聞いてほしい。
「何が違う?」
こてんと可愛らしく首をかしげるイノーラ。リオンは額に手を置いた。
「とりあえず、何が違うか聞いてくれてありがとう」
イノーラは目をぱちくりとさせた。
「聞いた方がいい?」
「うん。せめて会話はしたいから……」
リオンは大きく息を吐き出すと、気合を入れなおしてイノーラが立つフィールドを見た。
「これは、援護の練習から入ったほうがいいかもね」
「援護?」
「僕が技師席から星の糸を飛ばす。それで、君のドレスの形状を少し変えるんだ。それが戦闘時の技師の仕事だからね」
イノーラはちょっと考え込み、やっと思い至ったのかこくこくとうなずいた。リオンは視線を落としてぼそりと呟く。
「逆に言えばそれぐらいしかできないんだけど……」
本音を言えば、本当はもっと直接的にバトルに関わりたい。だけど、それがかなわないのなら、せめてこれぐらいはできるようになりたい。
ほのかにこみあげてきた感情を飲み下し、リオンはヘッドホンをいじった。
「まず音楽に合わせるってことを覚えよっか。準備はいい?」
答えはフィールドから向けられた彼女の視線だった。その目に、今さっき浮かんでしまった私欲を見透かされているような気がして、リオンは慌てて彼女から目を逸らす。
「じ、じゃあ流すね。基本のワルツだ」
ヘッドホンのスイッチを切り替える。リオンはボビン台に手を置いた。
「せーのっ」
ボビンを一つ傾ける。二つ、三つ。緩やかに糸は持ち上がり、技師席から放たれていく。
一、二、三。
一、二、三。
糸を纏った
大きく踏み込み、小さくステップを二回。靴音が音楽と少しズレた。慌ててリオンはボビンの出力を変える。
左斜め後ろに足を踏み込み、右足を引き寄せる。今度はズレなかった。リオンが安堵で息を吐くと、次のステップでは大幅にリズムが一致しなかった。気を引き締め、もう一度ボビンを押し込む。
一、二、三。
一、二、三。
台に置いた手が汗ばんでくる。イノーラの熱も伝わってくるようだ。
バラバラだった二つの呼吸は、ステップを踏むごとにだんだん一致してくる。
リオンは目を上げてフィールドの戦姫を見た。イノーラもまた、技師席の戦姫技師を見た。二人の目はばちりと合い、そこには確かなつながりがあると知った。のだが――
「あ」
「あっ」
ずべしゃっと派手な音を立てて、イノーラは転倒する。その拍子にドレスはしゅるりとほどけてコアの姿へと戻っていった。
リオンは慌てて技師席から飛び出すと、イノーラのもとへと駆け寄った。
「大丈夫? けがはない?」
イノーラから返事はない。倒れたままだ。
彼女は音楽がなくても何でも踊れると言っていた。きっと、自分に合わせてくれているのは重荷なのだ。
自己嫌悪に浸っていると、イノーラは勢いよく顔を上げて、まっすぐにリオンを見た。
「平気」
その目の真剣さに、リオンはあれこれ考えてしまいそうになっていた思考を吹き飛ばされた思いがした。
「やっぱりなかなか上手くいかないかあ」
あははと笑いながら、リオンはイノーラに手を差し伸べた。
「でも、ありがとう」
さわやかな気分で彼女に礼を言う。彼女は不思議そうな顔をリオンに向けた。
「何故?」
手を取ってくれたイノーラを助け起こしながら、リオンは目を細める。
「歩み寄ってくれたこと、すごく嬉しい」
その言葉がイノーラにどう響いたのかは分からない。だが、彼女は無表情で告げた。
「練習する」
一歩ぐいっと彼女はリオンに近づく。リオンはのけぞった。
「リオンは勝ちたい。私も手伝う」
それだけを言うと、イノーラは彼から距離を取った。リオンはすがすがしい気分で笑った。
「続き、頑張ろっか」
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