第七話 苛立ちの理由
ちゅんちゅんと小鳥が鳴く声で、リオンは目を覚ました。寝ぼけたままの頭で、工房の机につっぷしていた顔を持ち上げる。
あれ、どうしてここにいるんだっけ。ぶんぶんと顔を左右に振って、リオンはなんとか記憶をさかのぼった。
*
意地悪兄妹の襲撃からの帰宅中、リオンは一言もしゃべろうとしなかった。
僕は技師になりたいわけじゃない。なりたいわけじゃなかった。だけど何だろう。この腹の底からわいてくる苛立ちは。
馬鹿にされた。けなされた。そんなのいつものことだ。
でも今回のこれは許せない。何故? どうして?
「気にしてる?」
小走りで追いついてきたイノーラが、リオンの顔をのぞき込む。
「気にしてるって……」
「私が負けたこと」
足りない言葉を補われ、リオンは口を開きかけた。
「それは……」
しかしそれ以上の答えを言う勇気がなくて、リオンは口を閉じる。
その時、声を張り上げて歩み寄ってきた女性が二人に何かを手渡してきた。
「あと十日! 公式大会開始まであと十日! 今ならまだ観戦席が取れますよー」
通りがかる人全員にチラシを配る彼女を、二人は見送る。その内容に視線を落としたリオンは、チラシの端をゆがめる勢いでそれを強く握りしめた。
第二十回、ステラシア・クロス
あいつらもこの大会に出るはずだ。これに出れば僕は……。
チラシを見たまま歩いていくと、ほんの五分ほどで自宅までたどり着いた。
ドアノブに手をかけ、引き開ける。入ってすぐの居間では、アルコールで赤くなった義父がコップの中身をあおっていた。
「おかえり、二人とも!」
マドックは満面の笑みを浮かべると、酒瓶を置いてリオンたちへと歩み寄ってきた。
「おお、可愛くなったじゃないか! さすがリオンだ!」
彼は服装が変わったイノーラの頭に手を置いて、がしがしと撫でた。彼女は何を思っているのかは分からないが、目をちょっと細めていた。
そして彼はリオンが持っているチラシに気がつき、上からその内容を覗き込んできた。
「ん?
リオンはびくりと肩を震わせる。
「いいんじゃないか? いい腕試しだ」
にっと笑う義父の顔をろくに見られず、リオンは目をそらす。マドックはそんなリオンの様子に気づかず、ドアの外へと向かっていった。
「俺はちょっと出かけてくる。冷蔵庫の中身がもうなくてなあ」
あっと声を上げ、リオンは思い出す。確かに朝食の時点で、冷蔵庫の中身はかなり少なくなっていた。イノーラの服を買いに行っていてすっかり忘れていたが。
「待って義父さん、僕が行くよ!」
義手のマドックに無理をさせるわけにはいかない。リオンは彼を追いかけようとしたが、マドックは右手を上げて振り返らないままひらひらと振った。
「いいさいいさ。お前はイノーラと
ばたんと音を立てて扉は閉まる。少しの間、リオンは行き場のない手を持ち上げていたが、諦めて左手に持ったままだったチラシに目を落とした。
「
ステラシアの年少クラスの頂点を決めるための大会。これに優勝すれば、ステラシア・クロスお抱えの戦姫と技師になれるという。
そんなものにリオンは興味がない。だけど、このチラシを見ていると、見過ごせない感情がゆらゆらと揺れるのを感じる。
「ねえ、君はどう思う?」
リオンは顔を上げてイノーラに尋ねた。
とは言っても、答えは分かりきっていた。きっといろいろなことに無関心な彼女らしく「別に」とか返ってくると――
「出る」
「えっ」
「コレクション、出る」
予想外の答えに、リオンは目を見開いた。そんな彼に、イノーラは畳みかけるように言う。
「リオンは出たいように見える」
「え」
「だから私も出る」
リオンはイノーラの言い分をゆっくり飲み込んだ。僕が出たそうだから自分も出る。相変わらず受動的な理屈だ。
「私はなんでも踊れる」
彼女の言葉に、リオンはハッと顔を上げた。
「だから、あなたの思う強いドレスを着る」
イノーラはリオンのことをじっと見つめていた。相変わらずの無表情だったが、そこにはかすかに炎が宿っているようにも見え。
「協力してくれるってこと?」
こくりとイノーラはうなずいた。
「リオンは、あの二人に負けたくない、と思った」
負けたくない。その言葉は、リオンの胸の中にすっと浸みこんできた。
馬鹿にされてもいい。けなされてもいい。
そうか。それでも、僕は負けたくなかったんだ。
今まで気づいていなかった己の中の感情に少し笑ってしまいながら、リオンはイノーラに向き直った。
「君、何も考えてないようで、ちゃんと周りを見てるんだね」
イノーラは目を何度かしばたかせた後、リオンの横に回り、彼のほっぺたを人差し指でぐいっと押し込んだ。
「ふぇ、何!?」
「失礼」
ぐりぐりと指を押し付け、イノーラは心なしか不機嫌そうに言う。
「とても失礼」
ようやく彼女に失礼なことを言ったと気が付いたリオンは、のけぞってそれを避けようとしながら必死に謝った。
「ご、ごめん。ごめんってば」
謝罪を受け取ったのか、それとも飽きたのか。イノーラは指を押し付けるのをやめてくれた。
リオンはそんな彼女の正面に回り、力強く頷いた。
「分かった」
彼女もじっとリオンを見る。リオンはその眼差しを受け止めてぐっとこぶしを握った。
「イノーラ、あいつらに勝とう!」
「うん」
いつも通り無表情なイノーラも、ほんの少し感情をこめて頷いたように見えた。
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