第六話 ストリートバトル

 リオンは残っていたクレープを一気に口の中に押し込むと、早足で彼らから遠ざかろうとした。しかし、そんな彼よりも、意地悪兄妹の動きのほうが早かった。


「聞いたぞ、リオン。お前、そこの戦姫とバディを組んだらしいじゃないか」


 兄のアレックスはリオンの前に立ちふさがると、彼を背後のベンチのほうに追い詰めてきた。


 戦姫と呼ばれて指さされたイノーラを、妹のステファニーはじろじろと見回している。イノーラはベンチに座ったまま、興味がなさそうに鳩を見下ろしていた。


「バディとかそういうのじゃないけど……それがどうしたの」


 彼らから目をそらしながら、リオンは一歩後ずさる。膝の裏に、ベンチの板が当たった。


「決まってるでしょ! 戦姫と戦姫が出会ったらすることは一つ!」


 エアハート兄妹は大げさに腕を広げて、ポーズを取った。


「コレクションバトルだ!」


 あっけにとられたリオンは、わざとらしい動きをする二人に怪訝な目を向けた。


「正気? 街中でのバトルドレスの展開が禁止されてるの、知ってるでしょ」

「ああ、正気だね。ここでお前を逃がして、俺たちから逃げ回られるのも面倒だからな」


 うぐ、とリオンは言葉に詰まる。

 確かに理にはかなっている。もし彼らがコレクションバトルを仕掛けてこようとするのなら、自分が全力で逃げようとするのは火を見るよりも明らかだ。


 だが、それと挑戦を受けるかどうかはまた別の話。

 リオンは背後で立ち上がったイノーラに、そっと近づいてささやいた。


「逃げよう、僕が合図したら一緒に走るんだ」


 しかしイノーラはリオンの言葉に答えることなく、アレックスの目の前までつかつかと歩いていった。


「イノーラ?」


 何の意図での行動か分からず、リオンは困惑の声を上げる。周囲の視線を一身に受けながら、イノーラは自分より背の高いアレックスの顔を見上げた。


「戦いたい?」


 単調な声でイノーラは言う。アレックスは困惑した表情のまま、なんとか頷いた。


「お、おう。戦いたいって言ってるだろ」


 その瞬間、イノーラの目に光が宿ったような気がした。


「戦いたいのなら私も戦う」

「え」

「えっ」

「ええ?」


 そんな理屈、受動的にもほどがあるだろう。それとも売られた喧嘩は買う的な闘争心の塊なのか――いや、それはないか。彼女はそういうのじゃないと思う。


「ふん! そうと決まればさっそくバトルだ!」

「待ってよ、僕今、裁縫籠手ミシンも持ってないのに」


 アレックスは顔をゆがめると、カバンの中からもう一つ裁縫籠手ミシンを取り出してきて、リオンの足下に投げてきた。


「ほら貸してやるよ。だから俺たちと戦え!」


 リオンはそれを見下ろして、それでもなお動くことを渋り続けた。


「でも…・・・」

「不要」


 硬い声が響く。イノーラはリオンを一切振り返らないまま、淡々と言った。


「あなたが戦いたくないなら、私一人で戦うだけ」


 イノーラは服の下に隠していたペンダント型のコアを取り出し、それに手を当てながら小さく宣言した。


着装セット


 途端にコアから糸があふれ出し、イノーラの体へと巻き付いていく。やがて布が形成され、彼女の服装は戦闘用のものに変わったのだが――


「なんだぁ、そのドレス? それでドレスなんていえるのか?」


 彼女が身にまとっているのは、昨日と同じ、ボディスーツ型のドレスだった。

 エアハート兄妹はそれをあざ笑い、リオンは自分が作ったものでもなく、彼女のバディだと認めたわけでもないというのに、なぜか無性に腹立たしくなっていく。


着装セット!」


 腕をびしっと斜め上にあげながら、宣言するステファニー。


「見ろ、リオン! これが俺たちの最新ドレスだ!」

「最強なんだからね!」


 エアハート兄妹は自信満々に胸を張る。


 そしてコアの中から現れたドレスを前にして、リオンは思わずつぶやいてしまっていた。


「悪趣味……」

「なんだとぉ!?」


 彼女が身にまとっているのは、七色に輝くフリルがごてごてとつけられた重そうなドレスだった。


 確かに多くの色の布を使って多機能にしていることは間違いないが、それ以上に見た目が見るに堪えない。


「馬鹿にしないでよね!」

「そうだ! お前らのドレスだってドレスらしくないじゃないか!」

「そうよそうよ!」


 大声の抗議に気圧されて、リオンはうっとうなりながら一歩後ろに下がる。イノーラは動かなかった。


「そっちの戦姫も準備できたみたいだし、じゃあ始めようか」


 イノーラは相変わらず何を考えているのか分からない横顔で、じっとエアハート兄妹を見つめていた。兄妹はにやりと笑い、朗々と宣言した。


「コレクション、スタート!」


 先に仕掛けたのはステファニーだった。棒立ちのイノーラめがけて突進してくるも、重いドレスのせいでスピードはそんなに速くない。


 対するイノーラはそれを避け、手首の包帯めいた布を刃にして対抗した。


 土煙を上げて足を踏ん張り、方向を変えるステファニー。それを迎え撃つべく刃を構えるイノーラ。


 ステファニーの突進。彼女のドレスを真っ向から切り裂くイノーラの刃。


 数秒の鍔迫り合いの後、ステファニーの攻撃の重さに軍配があがった。


 吹き飛ばされるイノーラ。地面を転がっていく彼女に、リオンは慌てて駆け寄った。


「イノーラ!」


 彼女は腕の力で起き上がった後、「平気」とだけつぶやいて、再び対戦相手へと向かっていこうとした。


「ははは! 弱い! 弱いなぁ!」

「そんな実力で戦姫やってるなんて恥ずかしくないのお?」


 リオンは腹の底からむかっと怒りがわいてくるのを感じていた。そして、彼らに負けたくないとも。


「イノーラ。僕が援護する」


 彼は落ちていた籠手を拾い上げ、イノーラにささやきかけた。


「煩わしくても、僕の指示に従って」


 だがイノーラは、リオンに振り返らなかった。


「断る」


 それだけを言うと、彼女はステファニーめがけて突進していく。ステファニーはそれを真っ向から迎え撃ち、再びイノーラは後方へと吹き飛ばされた。


「イノーラ!」


 仰向けに倒れるイノーラに、リオンは駆け寄ろうとする。しかしその前にステファニーが彼女に距離をつめるほうが早かった。


「ふっふっふ、やっぱりお前のドレスなんかより、俺たちのもののほうが優れてるってことだな」

「こんなドレス壊れちゃえ」


 ステファニーは尖らせたドレスの袖を、イノーラのドレスコアめがけて振り下ろそうとする。

 しかし――その直前に鋭く響いた声に、彼女は動きを止めた。


「おやめなさい!」


 公園の入り口からリオンたちに近寄ってきたのは、大きなサングラスをかけた少女だった。肌は日焼けして浅黒く、その足は凜として長い。


「それ以上続けるようなら警察を呼ぶわよ」


 携帯端末を振って、彼女はエアハート兄妹を威圧する。彼らは顔を見合わせると、バトルドレスを解いて、逃げだそうとした。


 その直前、アレックスはリオンを振り返る。


「おい、リオン! あと、そこの戦姫!」


 名前を呼ばれたリオンはびくりと肩を震わせる。アレックスは彼をびしっと指さした。


「俺たちは今度の公式大会に参加するぞ。だからお前も来い! 今度もぼこぼこにしてやるからな!」

「私たちのほうが圧倒的に上だって証明するんだから!」


 捨て台詞を吐いて、エアハート兄妹は公園から逃げ去っていった。

 イノーラは胸元のコアに手を当てる。バトルドレスは解除され、糸へと戻り、コアの中へと吸い込まれていく。


「あなたたち大丈夫? ケガはない?」

「は、はい」

「私は無事」


 混乱が解けないまま、リオンはおずおずと頷く。サングラスの少女は満足そうに笑った。


「それはよかった」


 どこか余裕と優しさを感じさせるその微笑みに安堵しながら、リオンは妙な既視感を覚えていた。


 浅黒い肌、ウェーブした黒髪、長くてしっかりとした足。そして、サングラスの向こう側の、気が強そうな目元。


「……ああっ!」


 サングラスの下に隠された正体に気づいてしまい、リオンは不躾にも彼女を震える指で指さしてしまった。


「ホ、ホープ・リリエン……」

「しーっ」


 彼女は口元に人差し指を当てて、リオンに顔を寄せてきた。


「お忍びなの。あまり騒がないで」


 リオンは自分の口を押さえて、こくこくと頷いた。

 そんな二人に、イノーラはとてとてと近づいてきて首をかしげる。


「お忍び?」

「あはは、正確には会議から抜けてきちゃったの。私の相棒の技師って――ああ、レティっていうんだけどね。彼女、ステラシア・クロスの社員だから、私も何かとつけて面倒な会議とかに出なきゃいけないの。でもいい加減飽きちゃって!」

「は、はあ……」


 思ったよりも年相応な理由に、リオンはあっけにとられる。


「ふふ、あなたたちが戦姫と技師なら、いずれまた会うことになるかもね」


 ぱちっとウインクを飛ばされ、リオンはぽかんと口を開けながら頷く。

 そのとき、遙か遠くから泣きそうな女性の声が響いてきた。


「ホープさん、どこですかー! ホープさーん!」

「あら、いけない。もう追手が来たわ」


 わざとらしく口元に手をやり、彼女は身を翻す。


「それじゃあまたね、可愛らしいバディさんたち!」


 手をひらっと振って、長いスカートをひらめかせながら、ホープはどこかへと走り去っていった。

 残された二人は、呆然とそれを見送ることしかできなかった。

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