第6話 ヘンゼルは決意する。別に泣いてなんかないし。

次の日の晩。

 

私はぐったりとして、家に帰った。

知り合いに仕事について相談に行ったのだ。

手には大量の資料。


「あなたほどの魔女だったらいくらでも仕事、ありますよ!」


前のめりに言ってきた。あいつホント苦手。

押し切られないように私は、とりあえず考えると言って帰ってきた。


扉をそっと開ける。

兄妹を不安にさせないように二人が寝てから黙って家を出てきたのだ。


リビングの明かりがついている。首をかしげる。

深夜なのに。

中に入ると、グレーテルが床にへたり込んで泣きじゃくっていた。


「お、おい。どうしたんだ⁉」


まさかあのクズがやってきたんじゃないだろうな。

辺りを見渡す。荒れた様子はない。


グレーテルが涙を流しながら言った。


「お兄ちゃん…いなくなっちゃった」

「え」


寝室に向かう。いない。

家中を駆け巡ったがヘンゼルの姿は見当たらない。


どうしていなくなる?

食べられるからか?

いや、あの子が大切な妹を置いて逃げるとは思えない。

全く訳が分からない。


グレーテルに問いかける。


「行きそうな場所とかわかるか?」

「わからない…」

「だよな」


視線を上げるとグレーテルの肩越しに棚が見えた。

わずかに開いている。

そこには家計簿が入っていたはずだ。


「なあ、もしかして棚に入っていたノートを見たか?」

「?うん、お兄ちゃん、見てた」


私はグレーテルを抱え、家を飛び出した。


きっと、見られていたんだ。私が金に悩む姿を。

ヘンゼルは金銭感覚がある。

そのうえ聡い。


暗い森。フクロウが鳴く。

こんな中、一人ヘンゼルが彷徨っていると思うと―


目を閉じ、感覚を研ぎ澄ます。


森の中。人間の気配を探す。

これじゃない。これは大人だ。

子供。こんな夜に歩いてる子供は。


「見つけた」


南方に1000メートル。


またなぜこんなところに。


私は右手にグレーテルを抱え、左手に箒を呼び出した。

グレーテルが目を見開いた。

私はグレーテルを前に座らせそれを抱え込むように、箒にまたがった。


「しっかり掴まってろよ!」

「うん!」


箒が宙に浮く。

月明かりの綺麗な晩でよかった。

視界は良好。

木々の間を縫いながら、ヘンゼルの姿を探す。


「おにーちゃーん!」


グレーテルが声を上げる。


この方向で間違っていないはずだ。

焦りがこみあげる。


なあ、ヘンゼル。なぜカジノに向かっている。

金は減っていなかった。

カジノで賭けなんてするなんて性格じゃない。

そもそも未成年だしムリ。

じゃあなんだ?


森の中、気味悪く輝くカジノ。


箒から降り、グレーテルと共に走る。

たぶんこのあたりだ。


来たのはカジノの裏側。


「本当にいいんですね」


男の声が聞こえた。

とっさに身を隠す。グレーテルも大人しくしている。


ちらりと顔をのぞかせると、狐顔の男、まどろっこしい。狐男がいた。

あのヤな奴だ。

グレーテルはその正面に向かい合い、頷いた。


「はい。僕を売ってできたお金は、全て魔女さんに届けてください」


絶句した。

ヘンゼルは自分自身を売ろうとしている。


狐男が口を開く。


「わかりまし―」

「待った!」


私は、飛び出た。

そして、ヘンゼルの首根っこを掴み、私の後ろに控えさせる。

ヘンゼルが目を見開く。


「魔女さん⁉」

「おい、狐男、その話、なしにしてもらおう」


男も目を見開いた。


「狐男とはひどい」

「いや、お前の顔かなり狐っぽいぞ。こう、胡散臭さが」

「ここまで正直な人とは」


狐男はため息をついた。

そして、困ったように笑った。

その表情には覚えがあった。


ひどく懐かしい。


狐男は言った。


「知っていましたけどね」

「え」

「やっぱりお前は子供が好きなんだな」


ふっと顔に触れた狐男。

仮面が外れるように顔が変わった。

仮面の中。そこには見知った顔。


息を呑んだ。

あの子の父親。私の人間時代の大切な夫。


彼は言った。


「あの子を生き返らせようとしたお前は馬鹿だ」


唐突な言葉に私は黙った。

だが、口を開く。


「そうだな」


私の愚かさはどうやっても否定できない。


記憶をさかのぼる。

あの子を甦らそうとして作った偽の命。

できたのはただの泥人形だった。


「俺も馬鹿だった。あの子に生き返ってほしかった。そして、あの子が生き返れば、君も戻ってきてくれると信じていた」


人間としての寿命を全うしたと思っていた。

でも、こいつは生きている。

そして、もう人間ではない。


「だからお前も化け物に身を堕としたって言うのか…」

「そうだよ」


困ったように笑った。

そうだ、この顔だ。知ってる。

見ると胸が痛むこの顔だ。


だが、彼はふっと頬を緩めると、吹っ切れたように笑った。


「過去が恋しいさ。でも、戻れやしない。だから前へ進め」


彼は姿を消した。


「幸せになれよ」


声だけが残った。

私は彼が消えた何もない空間を見つめた。

泣いてないし。


「お兄ちゃん!」


グレーテルが、呆然と立ち尽くすヘンゼルに駆け寄る。

私も我に返り、へンゼルの方へ足を進めた。


「馬鹿な子だ。私から逃げようなんて」


ヘンゼルは俯いて首を横に振る。

ぎゅっと握られた手は震えている。


「僕は出ていきます」

「なぜ」

「あなたには、本当によくしてもらった」

「だから、どうして―」

「これ以上迷惑かけられない!」


カジノの喧騒に負けない叫び声が響く。

ああ、予想通りだ。


悲しいぐらい、この子は優しい。


「僕たちがいたら、あなたに迷惑がかかる。わかっている、だから、グレーテルだけでも―」

「私はお前たち二人を食うんだ。私は欲張りだ。悪い魔女だからな」

「あなたは悪い人なんかじゃない!」


ヘンゼルの涙がこぼれて土に溶けた。


「僕たちに家を、食事を、幸せをくれた!カジノから助けてくれた!父さんからもいつも守ってくれてたじゃないか!」

「え」

「いつも僕らに屋根裏に行くように命令した。それは父さんが酒に酔ったら暴力を振るうからだ。僕らの代わりに殴られて、いつもあざだらけだった」

「お前―」

「そうでしょ。お義母さん…」


言葉が出てこなかった。


この子は知っていたのだ。私が継母であることを。


服の裾が引っ張られる。

見ると、グレーテルがこちらを伺う。


「魔女さんが、新しい方のママなの…?」

「…」

「本当は意地悪じゃなかったの?」


私はそれを否定しようとした。

私はこの子たちに何もしてあげられなかった。

そう、魔女としてやったことは罪滅ぼしだ。

食うためだけど。だけど―


ヘンゼルは私より先に口を開いた。


「そうだよ。グレーテル。この人は新しい方のママだ。そして、とっても優しい人なんだ」

「優しいの、知ってる!」


そう言ってグレーテルがぎゅっと私に抱き着いた。

それを見ていると、この兄妹の言葉を必死に否定しようとしている自分が馬鹿らしくなってきた。


私は恐る恐るグレーテルの頭を撫でた。

ヘンゼルがそれを見ている。


こんなことを言う資格はない。

だが、アイツの言う通りだ。


前に進みたい。


「お前もおいで」

「え」

「いいから」


目に涙をいっぱいためて来たヘンゼル。

私は手を大きく広げて二人を包み込む。


「ヘンゼル、グレーテル。私は、お前たちを守るよ」


そして付け足す。


「それは食うためだからな。迷惑なんかじゃない。私のためだ」

「…ありがとう」


ヘンゼルの涙混じりの声。

グレーテルは嬉しそうに私に顔をうずめる。

私は、二人を力いっぱい抱きしめた。


二人の体温はとても温かった。

あの子を思い出した。


許してくれ。私は前に進む。

この子たちと一緒に進むんだ。


私の瞳からも涙が伝っていた。


きっと、守る。今度は、必ず。

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