仙狐の嫁入り 後編
三日目の夕方。
我々は取材の仕上げとして西門に向かっていた。
西門は若者の多い繁華街であり、活気があってよく賑わっている。
三日間台湾にいて思ったのは、とにかくこの国が自分の国とよく似ていることだ。
都市規模が近いこともあり、台北の繁華街を歩いていると名古屋の栄あたりを歩いているような気分になる。
台北には日本統治時代の建造物が少なからず現存しているが、ここ西門にも日本統治時代の洋風建築が残っており、異国にいるのに私は不思議とノスタルジーを感じていた。
取材の仕上げとして、林さんの婚約者と会うことになっていた。
類が友を呼んで、さらには伴侶も呼んだのか、林さんは婚約者もオカルト好きらしい。
彼女は日本人だが台湾在住歴も長く、中国に留学していたこともあって日本と中華圏の両方の文化に詳しい。
時刻も夕方五時をまわって良い頃合いなので、食事でもしながら話そうということになっていた。
せっかくなので夜市にでも行きたいと私は勝手に思っていたが、「ゆっくり座って話したいので」と几帳面な林さんはレストランを予約していた。
ガイドの仕事をしている関係で割引券を持っており、しかもこの日の夕食だけは「交際費」の名目で領収書を切っていいと本城さんから有難いお達しをいただいていた。
林さんの婚約者は仕事の都合で少し遅れるとのことだったので、先に店に入っていることになった。
店の内装はレトロなデザインだったが清潔で、平日の夜だからかそれほど混雑もしていなかった。
どことなく、昭和の純喫茶を思わせる作りだ。
やはり文化圏が近いだけに国民レベルで感性がよく似ているのだろう。
レトロで懐かしい雰囲気の中でお茶を飲みながら待っていると、三十歳ぐらいでほっそりとした体形の女性が店に入ってきた。
この三日の修業の成果で、私は何となく現地人と日本人の違いが雰囲気で分かるようになっていた。
おそらく彼女は日本人で、我々が待っている人物その人なのだろう。
案の定、向かいの席の林さんが入り口の彼女に向けて手を挙げるような仕草を見せた。
先ほど店に入ってきた三十歳ぐらいでほっそりとした体形の女性は、顔全体の表情筋を使って笑顔を浮かべ、こちらに向かってきた。
彼女は
言うまでもなく、林さんの婚約者だ。
大学時代は中国文学を専攻しており、元々は研究者になりたかったそうだが現実は厳しく、得意の中国語を活かす仕事にシフトチェンジして日系企業の台湾現地法人に就職した。
中華圏の文学や文化に対する熱意は今も強く持っており、その文脈で伝承や怪異譚にも詳しい。
林さんから提案を受けた時、断る理由は一つも無かった。
「仕事は暇じゃないけど、余裕が無いって言うほどでもないし、これからもそういうものには関わっていきたいと思ってたので、嬉しくて。だから、今日の事をすごく楽しみにしてました」
嘘のつけないタイプの人なのだろう。
彼女の口ぶりには、これから好きなことを嫌と言うほど話せるという期待感が漂っていた。
千鶴さんは思うことがあったらしく、
「民間で研究者をやる方法もあります。私は調査業をしてますが、民俗学者もやってますよ」
私はそれに対して――全く売れていないことは伏せて――千鶴さんは民俗学の本も出していると付け加えた。
「すごい!尊敬します!」
天寧さんは、最初に笑顔を見せた時のように表情筋をいっぱいに使って感嘆した。
取材と言う名の半ば宴会が始まった。
「小籠包がおいしい」と林さんは教えてくれたが、小籠包以外も絶品だった。
日本で同じ量、同じ品質のものを食べたらもう二割程度は取られるだろう。
台湾ビールを軽く傾けながら食べ、話した。
好きなものという共通点もあって、話は大いに盛り上がった。
楽しかったが、何を残して何を削るかを私は後日悩むことになるだろう、という嫌な未来予想図が同時に頭をよぎった。
南国器質の大らかさなのだろうか、林さんと天寧さんは隠そうともしないほどに仲睦まじかった。
私のもっとも身近なカップルは兄夫婦で、二人が付き合いたてのカップルだった頃から知っているが、こんなに人目を憚らずに仲睦まじくしているのを見たことが無い。
やはり似た文化圏でも違うところはあるのだろう。
天寧さんはとてもよく笑う人だった。
林さんが職場の同僚の笑い話をすると笑い、千鶴さんがアメリカの豪胆な友人の話をすると笑い、私が本城さんの家族旅行兼取材旅行の話をすると転げるように笑った。
「笑う門には福来たる」という使い古された諺があるが、彼女はとても楽しそうだった。
「私、気にしない質なんですよ。ほら、バカは風邪ひかないって言うじゃないですか?職場で同僚がインフルエンザでバタバタ倒れても、いつも私だけ無傷で。むしろ得だって思ってますよ」
「本当に楽しそうですね」と私が述べると、彼女はそう答えた。
感じのいい人だと最初はただ単純にそう思っていた。
――しかし、何か引っかかる。
一時間も歓談していると、純粋に楽しい気分からそんな気分に変わっていた。
見えない湿り気を帯びた靄のようなものがまとわりついてくる感覚だ。
それが"こちら側"の存在が放つ、妖気とも魔力とも呼ぶべき特有のものであることに気付いた。
千鶴さんは私がそれに気づいたことに気付いたようだ。
当然ながら彼女はとっくに気付いていたようだ。
林さんは泥酔とまでいかないがかなり飲んで気持ちよくなっている。
私も千鶴さんももともと対して飲まないので、まだ冷静な状態だ。
アルコールは古代より神事にも用いられてきたが、人はコミュニケーションにかかるストレスを軽減するために酒を飲むようになったという説もある。
こちらは冷静で向こうは気持ちよくなっているなら、話を聞き出す絶好の機会だ。
当然、それをわかっている千鶴さんは二人の馴れ初めから話を振り、うまい具合に彼女の生い立ちに話を持っていこうとしていた。
二人は照れつつも出会いと、生い立ちについて話し始めた。
〇
時は遡って二年前。
二年は十代にとっては大きな変化が起こり得る年月だが、大人が変化するには短すぎる年月だ。
林さんは既に今と同じ仕事をしていたし、天寧さんも今と同じ仕事をしていた。
違うのは二年前より少しばかり給料が上がったことぐらいだろうか。
しかし、「二人の関係」という一点に絞れば二年前は重大なターニングポイントだった。
花見は今では桜の花を見るイベントだがかつては梅の花を見るイベントだった。
林さんの勤める会社は台湾人向けの日本観光、もしくは日本人向けの台湾観光を主力商品としている。
上司の
日本観光の最も人気があるシーズンは桜の開花時期、春先だ。
雪の降らない台湾では冬の北海道や北陸も人気があるが、やはりどれか一択となると春になる。
しかし、風流な林さんの上司はちょっと捻って梅のお花見ツアーを始めようと考えていた。
奈良時代の日本では、主に貴族を中心に花見と言えば梅の花を観賞する行事だった。
当時の日本では遣唐使を介した中国との交易が盛んで、中国文化、物品も多く日本に伝わった。
その一つが梅で、香立つ梅の花は珍重され、桜よりも人気があった。
その後、中国の衰退で遣唐使制度が廃止され、唐文化の影響が弱まっていくと国風文化が形を成し始め、古来から倭の国に存在する桜が人気を集めるようになった。
平安時代には梅と桜の地位は逆転し、安土桃山時代には盛大な桜の花見が催されるようになる。
中華圏から日本に来た観光客には日本にノスタルジーを感じる人も多いと聞く。
それは日本の伝統行事に唐代中国の残り香を感じているからだろう。
平成から令和に変わったときに催された天皇即位の儀を見て「まるで唐代中国の儀式みたいだ」と感想を述べる中国人もいたと聞く。
日本を訪れる台湾人観光客はリピーターが多い。
すでに定番の桜の名所は見つくしていたヘヴィーユーザーが食いついた。
梅は一月下旬から四月下旬にかけてが開花時期だが、品種によっては十二月なかば、冬至の頃に花開くものもあり、桜が開花する時期と合わないものもある。
それは言い換えると、観光客でごった返す季節に来日しなくても、花見が出来るということだ。
林さんは両親を連れ、下見も兼ねて二月初旬に来日した。
仕事として行っても良かったが、林さん自身が日本観光のヘヴィーユーザーで、両親も何度も日本に来ているので親孝行のつもりだった。
狙い通りだった。
湯島天満宮は梅の名所として名高く、二月初頭から三月初頭は梅園がライトアップされ、昼と姿を変えた
観光客はそれなりにいたが、四月の上野恩賜公園の混雑を知っている林さんからすれば、これはねらい目だと思えた。
立春は過ぎていたので、暦の上では春になっていたが二月初旬の東京は寒かった。
数日前に珍しく大雪が降っており、湯島天満宮には残雪があった。
寒さに弱い台湾人だが、雪が見られるのは僥倖だった。
梅園と残雪が織りなす光景は"風流"と呼ぶにふさわしい光景だった。
寒いが良く晴れた日だった。
太陽の光が残雪に反射し、眩むような光を放っている。
人々の吐く息が白く濁り、宙に舞っている。
その向こうに淡い色の梅の花が咲いている。
林さんの好きな日本の風景だった。
林さん一家はゆっくりとした足取りでその光景を愛でながら歩いた。
――しかし、やがて林さんの視線は梅の花から違うものに向いていた。
一人の若い女性が両親と思われる年配の女性と男性を連れて、梅の花を愛でながら歩いていた。
それは珍しいほど――少なくとも林さんにとっては――佳い容色で、その笑うさまは手に掬って取りたいほどだった。
林さんは彼女をじっと見詰めて、相手から厭がられるということも忘れていた。
女性は林さんの視線に気付いたらしい。
二足三足ゆき過ぎてから同伴の二人を振り返って、
「あ、あの人――。あんなにじっとこっちを見て――。私の顔に何かついてるのかな?ハハハハハ――、ハハハハハ――」
と、腹をよじらせて笑っている。
林さんは先住民族の血が混ざっているため、見た目に日本人には見えなかったのだろう。
同伴している両親とは中国語で話しているし、向こうが日本語で何か言われてもわからないと思ったのは想像に難くない。
普通なら、からかわれたと思って、腹をたてるか肩を落とすかのどちらかだろう。
林さんは温厚な性格で、私は彼が怒ったのを見たことが無い。
若い女性の両親と思われる二人は「失礼だから止めなさい」と女性を窘めていた。真っ当な反応と言えるだろう。
ところが林さんは全く不快に思っていなかった。
彼女の笑顔は人を不快にさせるようなものが無い――それどころか不思議と林さんは楽しい気持ちになっていた。
彼はは屈託なく笑う女性におずおずと近づいた。
「すいません。……僕たち日本語わかるんです」
林さんの両親は日本語教育世代の父母――林さんにとっては祖父母――から日本語を教わっており、日本語の達人だ。
彼女は笑顔を引っ込め一転、心の底から申し訳なさそうな顔で言った。
「啊!真是太抱歉了……(あ!失礼しました……)」
その数分後、彼らは家族ぐるみで意気投合していた。
意気投合したのですぐに彼らの素性もわかった。
娘の名前は「天寧」だとわかった。
台湾で就職しており、一時帰国中で林さんと同じく子供の立場から家族サービス中だった。
父親は日本人で、母親は福建省をルーツとする中国系マレーシア人。
中国人の多い池袋西口界隈で、中国文化にどっぷり浸かって育ったので自然と中華圏の文化に興味を持つようになった。
天寧さんと林さんは共に台湾在住で、ちょうど同じタイミングで日本に滞在していた。
二人は共に歴史や伝承が好きで、不気味なほどに話が合った。
これに運命を感じない人間はいないだろう。
二つの家族はその晩、夕食を共にした。
天寧さんの両親は「娘の事をお願いします」と林さんに告げた。
彼らは半ば冗談めかして言ったつもりだったが、素直な性格の若い二人はその時、すでにその気になっていたそうだ。
〇
私はオープンな人が苦手だ。
苦手だが嫌いではない。
素直に心情を吐露できる林さんや天寧さんのような人たちを羨ましいとすら思う。
それにしても天寧さんから感じた奇妙な気配の正体がわからない。
今の話から伺えるのはただの少し運命的な馴れ初めだけで、魔的なものを感じなかった。
千鶴さんは違ったらしい。
すでに同棲を始めている二人の惚気話に話を持って行かせると、実際は全く酔っていないのにまるで酔っ払いの戯言であるかのような調子で聞いた。
「二人が一緒にいて変なことが起きることは無いですか?」
この場にはオカルト好きが集まっている。
それに酔っているのだから、酔ったうえでの冗談ぐらいに思ったのだろう。
二人は笑いながら「そういえば」と語り始めた。
彼女と一緒にいると確かに時折不思議なことが起きるということだ。
動かした覚えのない食器の位置が変わっていたことがある。
深夜に石が壁にぶつかるような音がすることがある。
夜中にふと起きたら、彼女が浮いているように見えたことがある。
「まあ、どれも夜中だったので。寝ぼけてただけだと思いますが」
林さんは笑いながらそう言った。
「オカルト好きなのにずいぶん現実的ですね」
私は極力酔っ払いの戯言に聞こえるように言った。
「好きなのと信じるのは別問題ですよ。長南さんも千鶴さんもそういうタイプですよね?」
そう言って天寧さんは屈託なく笑った。
林さんもつられて笑った。
千鶴さんも連られて笑った。
私も笑っていた。
彼女の笑いは伝播するようだった。
〇
翌日。
千鶴さんは何か行動を起こすかと思ったが、何もしなかった。
林さんが帰りも空港まで送ってくれ、我々はそのまま暇を告げた。
「また飲みに行きましょうね。今度は天寧も連れて行きますよ」
彼の「また飲みに行きましょうね」が社交辞令だったことは無い。
いつになるかまではわからないが、彼ら夫婦が来日したら飲みに行くことになるだろう。
〇
帰りのフライトまで一時間ほどの待ち時間になった。
暇つぶしに空港内の店を見て回ったが、やはり彼らは的確に日本人であることを見抜いて日本語で話しかけてきた。
台湾を旅する日本人は非常に多いが、言葉が通じる利便性も日本人観光客を呼び寄せるのだろう。
そういう私もすっかり「また来よう」という気分になっていた。
「仙狐だね」
登場開始の待ち時間にベンチに座っていると千鶴さんがようやく語り始めた。
仙狐とは修行によって神通力得た狐のことだ。
中国では古くから伝承に登場しており、清代前期の怪奇小説にも登場する。
「天寧さんは池袋の出身だって言ってたよね?オサキ狐と言い換えてもいいかもね」
東京の池袋はかつて池袋村という村だったが、江戸末期の俗信に池袋村出身の下女を雇うと奇妙な事件が起きるというものがある。
柳田国男の編纂した伝承によると、「食器が宙を飛んだ」「屋根や雨戸に石が打ちつけられた」「下女が宙に浮いた」などの記述がある。
江戸時代後期に編纂された『遊歴雑記』には「オサキ狐」という狐の怪異と同一視するような説話が掲載されている。
オサキ狐は那須野で滅んだ九尾の狐の金毛が霊となったものと言われているが、九尾の狐の伝説自体が中国をルーツとしており、ひょっとしたら仙狐も同一かもしくは近似の存在なのかもしれない。
「それで……まさに今、帰国の途につくところですけど、何もしなくていいんですか?」
彼女は答えた。
「『
『聊齋志異』は清代前期の中国で生まれた怪異文学だ。
存在は知っているが、残念ながら読んだことは無い。
私は大人しく教えを乞うことにした。
「『聊齋志異』に『
彼女に目を奪われた王子服だが、彼女は「この人の眼は、ぎょろぎょろしてて、盗賊みたいね」と呟いてどこかに行ってしまう。
王子服の手元には、彼女が手折っていった梅の花だけが残された。
恋煩いで食事ものどを通らなかった王子服だが、奇跡的に彼女を探し当て、やがて二人は婚約する。
その彼女、嬰寧は「自分は狐から生まれたものだ」と告白するが二人は結ばれる。
世界中にある異類婚姻譚の一種だ。
「それで、嬰寧と王子服はどうなったんですか?」
結ばれてハッピーエンドならばいいが、バッドエンドなエピローグがあるかもしれない。
「幸せな家庭を築いたそうだよ」
登場開始を知らせるアナウンスが聞こえてきた。
正確にはアナウンスがあったと中国語の堪能な千鶴さんが教えてくれた。
彼女は荷物を持って立ち上がりながら言った。
「心配いらないよ。彼女はただの良く笑う人。ちょっと古い
〇
これはまた別の話だが。
翌年になって夫婦に子供が出来たとの知らせが林さんからあった。よく笑う元気な男女の双子で、知らない人を畏れなかった。
その姿は大いに母のようだと評判だとのことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます