仙狐の嫁入り 前編

 入国して最初に聞いたのは日本語だった。

 日本語を公用語とする国は事実上日本のみだ。

 パラオのアンガウル州では憲法上形式的に日本語が公用語とされているが、それ以外に事実上、法律上に関わらず日本語を公用語とする国は無い。


 私の父は生臭坊主で、野菜より肉が好きで、晩酌を欠かさず、パンクロックが好きだ。

 最初に海外旅行に連れていかれたのは私が十二歳の時だが、その時の旅先はロンドンだった。

 夏でも朝は肌寒いブリテン島の気候、多人種が行き交うロンドンの街中、店員の無愛想な接客に多感な私はショックを受けたが、何よりも衝撃的だったのは日本語が全く通じなかったことだ。

 大人になった今では当たりまえのこととして受け入れているが、隔絶された島国から初めて出た子供の私にその事実は衝撃的だった。


 台湾桃園国際空港の入国審査のカウンターで指紋の登録を求められた。

 もちろん指紋を登録されて困るような後ろめたい理由は無いので素直に応じた。

 しかし、機械が上手く作動しないようだ。

 「どうしようか?」と「英語で何といえばいいのか?」の二つの思考を私が巡らせていると、入国審査官の中年男性が言った。


「もっとヤサシク」


 私は拍子抜けしてその指示に従った。

 その様子が面白かったのか隣で審査を受けていた千鶴さんは笑っていた。


 審査を終えて空港を出る。

 湿り気を帯びた生暖かい空気が全身を包んだ。


 台湾は冬でも平均気温が二十度を超える常夏の島だ。

 「台湾と沖縄は季節感が狂う」とバイト代をことごとく貧乏旅行に費やしていた学生時代の友人が語っていたが、成程その通りだと思った。 


 空港出口を出ると、迎えが来ていた。

 リモートで度々話していたが、直接会うのは久しぶりの人物だ。 

 向こうが先にこちらに気付き、向かってきた。

 私はそれを迎え入れた。


「ようこそ台湾へ」


 がっしりした体格の男性が私に手を差し伸べた。


  〇


 迎えに来た三十歳ぐらいでがっしりした体格の青年は名前を林念庭リン・ネンティンと言う。

 生まれ育ちは台湾の台北だが、日本の高校と大学を卒業しており、ネイティブと聞きまごうような完ぺきな日本語を話すし、記事も日本語で書いている。

 人種的には原住民族のブヌン族と中国福建省にルーツを持つ本省人の混血で、彫りの深い顔立ちをしている。

 本職は日本人向けの観光ガイドで、近々日本人女性と結婚する予定らしい。


 林さんは私が編集部入りして間もない頃から定期的に記事を書いている古株で、彼の記事は編集部の間で「台湾便り」と親しまれている。

 大の親日家である林さんは仕事と私的な用事の両方で度々来日しているが、そのたびに編集部に立ち寄っており、ライター陣の中で最も遠方に住んでいるにも関わらず最も飲み会出席率が高い。

 温厚で真面目な性格で、彼の事を悪く言う人を見たことが無い。


 今回、我々が渡航する側になったのは林さんから提案された企画だ。

 日本では1990年代に流行した学校の怪談や、インターネット掲示板を起源とするネットロアなど多くの都市伝説が存在する。

 日本文化を浴びるように受け入れている台湾でも同様の都市伝説が生まれており、類似性も指摘されている。

 今回の主目的はそれらの取材だ。


 編集長の本城さんは旅好きで、幽霊屋敷の取材は趣味と実益を兼ねられるためかなりの頻度で海外に渡航している。

 あまりにも海外出張に行くので、奥さんと子供に「自分だけずるい」と怒られ、ある時の渡米取材で渋々連れていくことにした。

 本城さんはカリフォルニア州サンノゼのウィンチェスター・ミステリー・ハウスとカリフォルニア州サンディエゴのホエーリーハウスを取材し、奥さんと子供はカリフォルニア州サンフランシスコとカリフォルニア州ロサンゼルスで観光を楽しんだそうだ。

 旅の間、ほぼ別行動だったが奥さんと子供に帰国の便で合流したとき、彼らは極めて上機嫌だったらしい。

 「俺は亭主元気で留守がいいの意味を思い知った」と本城さんはぼやいていた。

 なお、そのような犠牲を払って書かれた「本城の幽霊屋敷探訪記」は中々の人気コーナーであることを付け加えておくべきだろう。


 本城さんは取材のため、私の知る限りでもアメリカ、メキシコ、イギリス、インドネシアに渡航している。

 そんな本城さんが、我々の渡航に許可を出さないわけもない。

 加えて台湾の航空会社にコネがある林さんが割安で航空券を手に入れてくれた。

 

 本城さんが乗り気なので私も少々大胆になった。

 祓い屋であり、民俗学者で中国語も堪能な千鶴さんを連れて行くのは我ながら素晴らしいアイディアだと思ったので、それを提案した。

 千鶴さんと面識のある本城さんはあっさりOKしてくれ、こうして我々は台湾に三泊四日の取材旅行に赴くことになった。

 言うまでもないが千鶴さんの本業が祓い屋であることは秘密だ。


  〇


 空港のある桃園市から林さんの運転で台北市へと向かう。

 台湾と日本の時差は一時間、フライト時間は直行便で四時間に満たない。

 時差ボケなどあるはずもなく、日の落ちかけた車窓の風景を家に帰る時のノスタルジーのように感じていた。


 車内は歓迎の証なのか寒いほどの冷房が効いている。

 運転席で日産・ティーダのハンドルを握っている林さんは「寒かったら言ってくださいね」と気遣ってくれたが、夏より冬派の私と千鶴さんに異論はなかった。

 

「本城さんから話を聞いてます。天明くんの知り合いに何でも知ってる凄い人がいるって話になって。お会いできて嬉しいです」


 千鶴さんは賞賛の言葉に対して、こともなげに答えた。


「我不知道一切(何でも知っているわけではありませんよ)」

「すごい!中国語も話せるんですか?」

 

 車はスムーズに走り抜けていく。

 この時間帯はあまり混まないのだろうか。


「ほら、あれ、見てください」


 林さんが車窓の外を指差した。

 指さす先には台北のシンボル、かつて世界一高いビルだった台北101が見えてきた。


「ようこそ!台北へ!」


  〇

 

 翌朝。

 雇われ人らしいスケジュール通りの仕事が始まった。


 真面目で几帳面な林さんは、当然ながらどこを巡るかを綿密に決めていた。

 噂話を収集し、その話の舞台となったスポットを巡るものだ。

 その中には台北市内の学校など、観光客が決して入らないような場所も含まれている。


 林さんの本職は不定休だが、この取材旅行のために本職を調整してスケジュールを組んでくれていた。

 我々は、林さんの手配してくれた中山のビジネスホテルを出発し、林さんの案内で噂話のある曰く付きのスポットを一つ一つ訪ねて周った。


 林さんがエピソードと、その場所がどのような場所であるかを説明し、千鶴さんが解説する。

 いつもながら千鶴さんの知識量はすさまじく、初対面の林さんはいちいち驚いていた。

 千鶴さんを連れてくるという大事な仕事をすでに済ませていた私は阿呆のように相槌を打っていた。


 最初に訪ねたのは幽霊が出ると評判のホテルだった。


 グランドハイアット台北は日本植民地時代の死刑場の上に建てられており、幽霊を見たとの噂が絶えない。

 ホテルは霊を鎮めるために一階ロビーに密教黒宗のリン・ユン氏の書を飾っているとの噂だったが、ホテルの従業員に取材したところその経緯は否定していた。


 ホテルが建っているエリアは台北101や世界貿易センターのある高層ビル街で神秘の気配はまったくなかった、

 ホテル自体もモダンな高級ホテルだった。

 千鶴さんは小声で「何もないね。ここ」とつぶやいた。

 本城さんは幽霊屋敷巡りに加えて、プライベートの旅行でもわざわざ幽霊が出ると評判のホテルを出来るだけ選んでいるらしいが、

「何かが起きたことは一度もない。だから科学的に分析することもできない」と残念そうに語っていた。

 どうやら本当の有名スポットに本物の心霊スポットは少ないようだ。


 続いて向かったのは中山にある名門高級中学――日本でいうところの高等学校にあたる――だった。

 観光客として来ていたら決して立ち入ることのない場所だっただろう。

 日本を発祥とし、主に学校を舞台とする都市伝説の一種「学校の怪談」は台湾でもポピュラーで、ならば出来るだけ歴史のある学校を訪ねてみようというのが趣旨だ。


 第二外国語として日本語を学んでいる学生も多いらしく、日本語で挨拶してきた生徒もいた。

 そうえいばここに来る途中、土産物屋や占い屋の客引きに日本語で話しかけられたのを思い出した。

 どうも台湾人の観光業関係者はアジア人の中から日本人をピンポイントで見抜く特殊技能を身に着けているらしい。


 ここの校舎は日本統治時代に建てられた洋風建築らしい。

 台湾ではいくつか古い洋風建築を見たが、どうも日本統治時代に建てられたものが多いようだ。


 我々は放課後の時間帯に訪問し、学校の噂話を聞いて回った。

 生徒たちは全員礼儀正しく、彼らは日本のことをかなりよく知っていた。

 そして制服のデザインが日本の学校のものによく似ていた。

 彼らが中国語を話していなければ日本にいると確実に錯覚していただろう。


 ここはかなりの名門校らしいが、我らがオカルト年代記のようないかがわしいメディアの取材を受けてくれたのは、学校の教師と林さんが個人的なオカルト仲間だからだ。

 客である我々を対応してくれたシュウという四十がらみの教師は、自らが収集した都市伝説を惜しげもなく披露してくれた、

 許先生はその道ではかなり有名な人らしく、中華圏の都市伝説の本を書こうとしていた日本の民俗学者に取材協力をしたこともあるらしい。

 

 惜しげもなく披露される都市伝説を聞いて思ったのは台湾が本当に日本とよく似た文化圏であるということだ。

 アメリカの都市伝説である「消えたヒッチハイカー」は文化圏を問わずに類話がある。

 消えるのがヒッチハイカーではなくタクシーの客であったり、微妙な違いはあるが、この類話は古今東西を問わず、古いものだと「馬車の客が消える」「駕籠かごの客が消える」というものもある。

 日本では「こっくりさん」が代表例として知られる占いは、西洋では「テーブル・ティッピング」「テーブル・ターニング」などと呼ばれ、19世紀末のアメリカでは「ウィジャボード」呼ばれるそれ専用の商品が開発されている。

 これらは時代や文化圏を問わず、人類が考えることは何となく似てくるという事実を示しているといえるだろう。


 私が驚いたのは台湾には「学校の怪談」の文脈で「トイレの花子さん」が存在することだ。

 台湾版のトイレの花子さんの噂が出始めたのは1990年代の半ば以降であり、ちょうどこのころ、日本ではトイレの花子さんが映画になっている。

 台湾版の花子さんは台湾人の名前ではなくそのまま「花子さん」で、ダイレクトに日本の都市伝説をルーツとしているのは確実だろう。

 日本文化が当たり前のものとしてそこらじゅうに転がっている台湾でなければありえない現象だ。


 日本の都市伝説とよく似ているが、微妙に異なる文化を持つ「異国」であることを感じさせるものもある。


 呪われた開かずの間である「赤い部屋」は日本の学校の怪談をルーツとするものだが、これについてもよく似た類話があった。

 違うのは赤い部屋の中にいるのが「鬼」であるという点だ。

 また、鬼の意味も日本とは異なる。

 中華圏の文化でとは本来「」であり、あの世から「帰」ってきたもの――即ち「幽霊」のことを指す。


 「白衣白傘女バイイーバイサンニュイ」は最近ネット上で話題になった怪異だが、これもいかにもな都市伝説だ。

 この都市伝説について白い服を来て白い傘を差した女で、この女のものとされる写真も出回っていて、宜蘭大学の周囲を徘徊していてハサミをもって学生を追いかけるらしい。

 白い服の怪女ならば「横浜のメリーさん」を思わせるし、ハサミを持って人を追いかけるのは「口裂け女」を思わせる。

 (メリーさんは都市伝説ではなくどうやら実在の人物だったようだが)

 林さんによると口裂け女は台湾でも有名で、「白い口裂け女」と取り上げるメディアもあったらしい。

 注目すべきなのは「傘をさしている」というポイントだ。

 傘をさすと、傘の下には影ができる。

 つまり白衣白傘女は傘の影の中――中華圏に根強い陰陽説の「陰」に居る存在であり、怪異であることを物語っている。

 清の時代まで遡る中華圏の古典的怪談、林投姐リントウジェも傘を差した姿で描かれることも多く、白衣白傘女が傘をさしているのは文化レベルでこの怪談が沁みついているのも関係あるのだろう。


 紙銭ズーチェン――日本で言うところの三途の川の渡し賃――によって相手が怪異であることがわかるというパターンも中華圏によく見られる。

 「消えたヒッチカハイカー」と同系統の都市伝説は、日本では消えるのがヒッチハイカーからタクシーの客に変わっているが、台湾でも同様のパターンのものが見られる。

 よくある、タクシーの利用客が実は幽霊だったという類の話だ。

 台湾の場合、客から受け取った代金が紙銭だったことから幽霊と発覚するパターンになっている。


 これらは日本の都市伝説を強い類似性を感じさせつつも、台湾が中華圏であることを感じさせる興味深いものだった。

 問題は、情報量が多すぎて編集・校正が相当に手間であることが想像に難くないことだ。

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