学校の怪談 後編

 古い建物は独特の風格があるか、ただ古いだけのどちらかだ。

 鉄筋コンクリートの校舎は後者だと思っていたが実際に相対した印象は違っていた。


 形容しがたい異様な雰囲気が漂っている。

 今回の自称は九割がた科学で解明できる現象だと思っていたが、旧校舎の印象はそれを覆すものだった。


 建物はかつて三階階建て二つの棟と体育館がコの字を描く形になっていた。

 二代目校舎建設の際に、体育館と片方の棟が解体され、現在残っているのは一つの棟だけだ。

 旧校舎残骸は現在の体育館の先に離島のようにひっそりと残っている。


「校長先生はただの古い建物って言ってましたけど……」


 我々、霊能力者と一般人は神秘に対するセンサーの感度が違う。

 校長先生にとってはただの古い建物、生徒たちにとっては牧歌的な噂話の種に過ぎないのだろう。  

 旧校舎に何の曰くもないことは教員である高橋先生にとっても周知のことだったが、彼女もこの異様さを感じったのだろう。

 我々が呼ばれた理由に私はこの段階になってようやく得心がいっていた。


 千鶴さんにとっても旧校舎の印象は意外なものだったようだ。

 彼女は聊か困惑した自身を宥めながら言った。


「とにかく調べてみよう」


 校舎はやや小ぶりだった。

 年を取ると人は小さく見えるものだが、建物もそうなのだろうか。

 半世紀以上にわたる年齢を重ねた鉄筋コンクリートは半ば解体された形であるため実際に在りし日より縮んでいるのだろう。

 もとは白い柔肌のような壁を持っていたのだろうが、経年劣化で黒ずんでいる。

 闇の迫る時間帯に黒ずみに混じった白い部分が浮かび上がっていた。


 入り口は引き戸だった。

 金属製の取っ手は錆びが目立ち、人の生活する空間ではないことがうかがえる。

 臆病な私に代わり、千鶴さんが引き戸を開いた。


 錆によるものか経年劣化による軋みなのか、嫌な音をさせて扉が開いた。


 すでにこの校舎に電気は通っていない。

 頼りになるのは学校から借り受けた懐中電灯だけだ。

 懐中電灯のスイッチを入れると嫌な予兆が襲い掛かってきた。


 電灯がついたと思いきや、チカチカと点滅し始めた。

 しかも我々二人のものが両方ともだ。

 チカチカと点滅した電灯は、モールス信号のように規則的なリズムを刻むと、数秒後に点滅を止めて安定して点灯した。


「電池の残量が少ないんですかね」


 私は自分を宥めるようにそい言った。

 千鶴さんは小さく頷いて「そうかもね」と答えた。


 校舎の中は寒かった。

 寒波の押し寄せるこの頃なので我々は二人ともかなりの厚着をしていたがそれでも寒く感じた。

 寒風の吹く外のほうが幾分暖かく感じる程だった。


 吐き出した息が白く濁り、懐中電灯の光に浮かび上がっていた。

 嫌な感じだった。

 本能的に立ち去りたかった。

 私が好奇心で怖いもの見たさに立ち入った思春期の少年だったら迷いなく回れ右して立ち去っていただろう。

 だが、我々は好奇心で立ち入った思春期の少年少女ではなく、仕事として調査を請け負っている。


 千鶴さんも同じ気持ちだったに違いないが、特に職業意識の高い彼女は慎重に歩幅を小さくしながら前に進んだ。


 一階の廊下を懐中電灯で照らしながら歩いて進む。

 窓の外からは月明かりと、近所の住宅街の明かりが見える。

 窓の反対側には教室が並んでいる。

 一階は一年生の教室らしく、並び順で「1-A」「1-B」「1-C」と続く表記が見える。


 「1-B」「1-C」の表記の間あたりを歩いていると、第一の怪奇が発生した。

 暗い廊下に白い光が現れた。

 白い光は滑るようにして廊下を横切り、どこかに消えていった。

 我々は慎重に進めていた歩みを止め、立ち止まった。

 

「……外からの光かもね。ここは都会の真ん中だから、光源なんていくらでもあり得る。遠くを通ったバイクから車の光がそう見えたのかも」


 千鶴さんは頷きながらそう言った。

 私ものその見解にひとまず納得することにした。


 一階ではそれ以上のことは起きなかった。


 廊下を渡り終えると階段に突き当たった。

 「不安定なので慎重に」と校長先生、高橋先生に念押しされていたので一層慎重に階段を登った。


 二階は二年生の教室だ。

 一階と同じように並び順で「2-A」「2-B」「2-C」と続く表記が見える。

 我々はより一層慎重になり、ゆっくりと歩みを進めた。


 教室の前を通り過ぎて特に何も起きなかった。

 旧校舎に踏み入った時に感じた嫌な感じはまだ継続していたが、嫌な感じが神秘の現象に直結しているとは限らない。

 千鶴さんが校長先生に話した通り、微かな建物の傾きが不快感の原因になるのは確かだからだ。

 私は少しだけ安堵し始めていた。


 一般の教室を通り過ぎると、先導していた千鶴さん立ち止まった。


「天明君、ここ」


 彼女の視線の先には「理科室」の文字が見えた。


「確か、動く人体模型の噂があったよね?」

「あまりにも典型的過ぎませんか?出所もよくわからない噂だし、人体模型そのものが存在しないかもしれませんよ?」


 彼女は私の情けない言い訳に逡巡はした。

 彼女もあまり深入りはしたくなかったのだろう。

 それでも、これは仕事で彼女は高い職業倫理を持っている。

 当然の結果として扉を開けて入ることを選択した。


 中は埃臭かった。

 いかにも理科室らしい実験台が並んでおり、それらが埃をかぶっていたからだ。

 それらに加えて、雑多な備品が押し込められていた。

 今では倉庫になっているので当然だが、それらにはまるで統一性が無かった。


 雑多なものをかき分けながら、理科室の中を歩いて回る。

 恐る恐る、懐中電灯で照らしながらそれらを吟味していると、見つけてしまった。

 私は千鶴さんを手招きした。


 まさかの人体模型だった。

 骨格だけの人体骨格模型ではなく、内臓が描きこまれたより不気味な方のモデルだ。

 暗闇に頼りない懐中電灯の光だけで照らされた人体模型は、異様なオーラを放っていた。

 私が小学生だったら一生のトラウマになっていたかもしれない。


 千鶴さんと私は自身の中で警報を鳴らしながらその人体模型を観察した。

 素材はごく普通のプラスチックのようだ。

 全体を見回したが呪術的な仕掛けも特に見当たらない。

 ただの人工物に見えた。


「行こうか」


 我々は踵を返し、入り口の方に取って返した。

 退出しようとした時、後方から「ズルッ」と何かが動くような音がした。


 振り返った。

 教室内の大きな変化はない。

 ただ一点を除いては……だが。


 人体模型の位置が明らかに変わっていた。

 窓際の隅の一角にあったはずが、入り口方向に動いている。

 我々は恐る恐るそれに近づき、もう一度慎重に検めた。


 だが、配置が変わったことを除けば人体模型はただの人体模型だった。

 どうすべきか思案したが、神秘の仕掛けを感じない。

 我々は再度、踵を返して理科室を去った。

 今度は何も起きなかった。


 廊下に出て、進むと何事もなく階段に到達した。

 最上階に進む階段だ。

 

「天明君、前言撤回。何かはわからないけど、この校舎、何かがいる……と思う」


「だから慎重に進もう」

 

 三階も特別奇怪な現象は起きなかった……と言いたいところだがそうではなかった。

 階段を登り切り、数歩進むと怒涛の勢いで旧校舎が襲い掛かってきた。


 まず最初に感じたのは微かな揺れだった。

 古い建物は傾きが原因で揺れが発生することがある。

 最初はその解釈を推していた。

 微かな揺れは次第に大きくなり、二つ目の教室を過ぎたあたりで立っていられないほどの規模になっていた。


 続いて聞こえてきたのはラップ音だった。

 ラップ音は家鳴りのような「ギシギシ」という音から始まると、何かが破裂するような音が混ざり、校舎全体が一つの不快なオーケストラのようになっていた。

 加えて、ピアノの音が聞こえてきた。

 三階に音楽室があることは聞いていた。

 曲目は「エリーゼのために」だった。

 ベートーヴェンが女性に宛てたラブソングだが、この状況下ではロマンスは欠片も感じなかった。


「千鶴さん!」


 声を張り上げて千鶴さんを呼ぶ、

 千鶴さんは床に座り込んで揺れに耐えていた。

 彼女はもはや冷静ではなかった。

 だが、私よりは冷静だった。


「高天原に神留坐す。神魯岐神魯美の命以て、皇御祖神す伊邪那岐命い、祓い給えと畏み畏み申す」


 天津祝詞だ。

 彼女はわからないなりに対処をしようとしているのだ。

 しかし、祝詞は効果が無かった。


「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」


 今度は不動明王の真言だ。

 だがやはり効果は認められなかった。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」


 千鶴さんが縦に五度、横に四度、手刀で空を切った。

 九字護身法だ。

 やはり効果は無い。


「めでたし……聖寵充ち満ちてマリア、罪人なる我らのために、今も臨終のときも祈り給え……」


 さらに調子が変わった。

 アジアから飛び出し、カトリックの悪魔祓いだ。

 千鶴さんは相当焦っているに違いない。


「聖ミカエルよ、我らのために祈りたまえ。聖ガブリエルよ、我らのために祈り給え。聖ラファエルよ、我らのために祈り給え……」


 天使の名前を三つまで唱えたところで彼女の口が止まった。

 揺れとラップ音と『エリーゼのために』はまだ続いている。

 次に彼女の口から出たのは経文でも祈りの言葉でもなかった。


「……わかった」


 「わかったって何がですか!?」と私は言った。


「……これはウソだ」


 ウソも何も今、目の前起きているのは体感を伴う確かな現象だ。

 だが、彼女の口から出たのは正解だった。


「これはウソだよ」


 ピアノの音が止んだ。

 ラップ音は聞こえなくなり、揺れは収まった。

 ただ夜の静けさでかあり、暗闇の廊下が横たわっていた。


  〇


 校長先生に「顕著な怪奇現象は起きなかった。やはり老朽化が原因と考えられる」と伝え、後日、本格的な科学調査にために人を送ることを約束した。

 実際、祓い屋協会にはSPR(心霊現象研究協会)のメンバーを兼ねている人員もいる。あとは彼らが上手くやってくれるだろう。

 どちらにしてももう怪奇現象は起きないだろう。


 見送りの高橋先生と一緒に校舎を出るその短い道中で、千鶴さんは自分なりの"こちら側"の結論を話し始めた。


「ヨダソウ」 


 その一言で分かった。

 「ヨダソウ」または「ヨダソ」は都市伝説の文脈で言葉遊びから誕生した怪異だ。

 4時44分44秒にブランコを見ると現れ、どんなに逃げても追いつかれる。

 最終的には背中をナイフで刺されてしまうが、ヨダソウを逆さ読みした「ウソダヨ(嘘だよ)」を三度唱えることで退散すると言われている。


「でも、今回の件は僕が知っているヨダソウのエピソードとは全く合致しません。どうしてヨダソウだと思ったんですか?それに、生徒の噂話にもヨダソウらしいものは一つもありませんでした」

「まずヨダソウだと思ったのは、旧校舎で起きた現象があまりにも"らしすぎる"と思ったからだよ。どうして動いたのが人体模型だったのか?どうしてピアノが動いて『エリーゼのために』が流れてきたのか?……答えは学校の怪談の定番だから。定番だからそうじゃきゃいけなかったんだ。そうしたら、知っている限り答えはヨダソウだと思った。生徒の噂話にヨダソウが含まれてなかったのは、まだヨダソウという神秘がこの旧校舎に根付いてなかったからだと思う。それが偶然の連続事故が神秘の種になり、生徒の噂話が芽を吹かせた。私たちという完全に"こちら側"の存在が介入したことでヨダソウという神秘の花が咲いたんだ。ついでに言うと、都市伝説に出てくる怪異の姿が変わるのはよくある話だよね?この旧校舎のヨダソウは"噂話を具現化させるヨダソウ"だったんじゃないかな」


 高橋先生は頷きながら首をかしげる不思議な動作を見せていた。

 納得はしたが、納得しながらどこか騙されたような気分だった。 


「この世に不思議なことなんてそうは無いと思っているし、その考えは変わらないけど、不思議が生まれることもあるんだね」


  〇

 

 これで旧校舎の怪異というあまりにも定番すぎる怪奇現象は決着を見た。

 祓い屋協会とSPRによる調査が行われ、工事は態勢を立て直した業者によって恙無く再開された。

 だが、後日、さらに分かったことがある。

 仕事熱心な高橋先生は、半世紀前の旧校舎解体が半端な形で中断された理由を突き止めていた。


「旧校舎取り壊しの途中で事故があってそのまま放置されたんだって」


 私と千鶴さんは別件で再び同行していた。

 道中、彼女は高橋先生からの追加の報告を語り始めた。


「二度取り壊し工事をして二度とも事故が起きたってことですか?」


 半世紀前のことはもはや調査にしようがない。

 事件現場は歴史の彼方だ。


「偶然の女神はこの学校に微笑まなかったみたいだね」

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