学校の怪談 前編
真夏の熱気が去り、残暑が去って、冬が来た。
夏の通り雨と秋の台風で鬱陶しいほど降った雨が音沙汰無しになり、カラカラに乾いた空気が寒風を吹かせていた。
今年は数年ぶりの強い寒波が押し寄せているらしい。
私の一家は私以外全員夏生まれで夏が好きだが、私は冬の方が好きだ。
ここ数年の暖冬に冬好きとして忸怩たる思いを抱えていたが、今年は冬らしい冬を堪能することが出来そうだ。
自宅を出て上野駅で乗り換え、飯田橋駅で下車する。
駅で千鶴さんと合流し、歩みを進める。
JRの駅を出て数分でビジネス街の飯田橋から一気に雰囲気が変わる。
神楽坂はかつての花街だ。
その名残を残す表通りは華やかで、一本道を入ると一転して高級レストランや料亭が並ぶ閑静な高級感が漂う一体になる。
かつて泉鏡花や尾崎紅葉などの文人が生活してたと聞くが、彼らがここを気に入った理由がわかる気がする。
フランス関係機関も多く、外国人観光客の姿も多い。
華やかな表通りがから一本道を入り、閑静な裏通りを新宿方面に向かう。
やがて料亭やレストランの姿が消え、高級住宅街が現れる。
今回の目的地である神明学園中学・高等学校はこのやんごとなきエリアにある。
立派な門を通って守衛に要件を告げると、守衛はどこかに連絡を入れ、「お待ちください」と我々に告げた。
平日の昼間なので当然、学校は授業中だった。
どこかのクラスは体育の授業中らしく、「一体土地代はいくらなのだろう?」という下衆な疑問の浮かぶ立派な校庭で体操服の学生たちが躍動していた。
私は体育教師笛の音で、自分が学生時代体育の授業が大嫌いだったことを思い出した。
二十代後半の青年にとって学生時代は忘れかけた過去だが、嫌な思い出は中々にしぶとい様だ。
「体育、嫌いだったの?」
千鶴さんは霊能力者で祓い屋の筈だが、読心術も身に着けているのだろうか。
「何で分かったんですか?」
彼女は「好きなものを見るときの表情には見えなかったから」 と答えた。
私は自分で思っている以上に思考が表情に出やすいらしい。
それから数分後、冬空の下で待つ我々の元に一人の若い女性が駆け寄ってきた。
今日、こうして私と千鶴さんがここを訪れたのは彼女の報告に端を発する。
〇
祓い屋の業界には正式な認可を受けた祓い屋以外に「協力者」が存在する。
私のように調査を直接援助する「助手」は「協力者」の典型例だが、数的に最も多いのが「目」だ。
目の祓い屋協会への目撃報告が仕事につながる場合は非常に多い。
彼らは本職を持ちながらバイトとして目撃報告を挙げ、それが正式な祓い屋の仕事につながると歩合給がもらえる仕組みだ。
我々のアテンドに来た高橋沙也加は高校の社会科教師を本職としつつ、目の仕事をしている。
霊能力者の家系に生まれた彼女だが、祓い屋の才能には恵まれず、本人も興味が無かった。
だが、本人なりに"こちら側"の世界とはかかわりを持ちたいと思っていた。
学生の頃に親戚の祓い屋からバイトとして目の仕事を紹介され、以降、熱心に報告を挙げている実績のある人物だ。
彼女から祓い屋協会にこの学園での怪奇現象について報告が上がり、祓い屋協会は我々に調査を依頼した。
依頼内容は「旧校舎の怪奇現象について調査して欲しい」という何ともロマンのあるものだった。
我々の訪れている新明学園は中高一貫の私立校で、都内でも有数の進学校だ。
一学年300人を超えるなかなかのマンモス校だが、単に生徒数が多いだけでなく、東京大学合格者数も都内トップクラスだ。
進学実績も凄いが、授業料の高額さでも有名で、入学難易度も高い。
頭脳と家柄に優れた子女が通うラグジュアリーな教育サービスを提供する名門だ。
校舎は定期的な増改築を繰り返しており、内部は高級ホテルのように清潔で豪華だった。
学生食堂は栄養士監修のもとメニューが決められており、共働きの家庭が多い保護者から大変好評らしい。
高級エリアの神楽坂でこのように巨大で豪華な施設を建てたらいくらかかるのか、私には想像もつかない。
清潔な廊下を通るとすれ違う生徒たちから一緒にいた高橋先生と共に挨拶の言葉をかけられた。
育ちが良いのだなということがよくわかる。
応接室に通された我々は校長先生に迎えられた。
篠原と名乗った校長先生は六十がらみの男性で元は数学教師らしい。
高橋先生が妙に若い男女の二人組を連れてきたことで校長は面食らっていた。
私が同じ立場ならやはり同じ反応をしていただろう。
彼女は「超常現象の専門家」と我々のことを事前に説明していたようだ。
どんな種類の「専門家」であるかは我々が説明するのがベターだと思ったのだろう。
祈祷師やエクソシストならもっと年配の人物が来ると思っていただろうし、科学者がくるなら大槻教授のような年配の人物が来ると思っていたのだろう。
挨拶が終わり私が話すか千鶴さんが話すか、という段階になってやはり千鶴さんが話した。
彼女は無難に「まずは経緯を伺えますか?」と言った。
そして我々は我々が呼ばれる元凶となった件の旧校舎の事情を拝聴することになった。
新明学園は今後ICT教育を充実していく方針で固まっていた。
新しいICT教育用の設備は既に物置としての機能しか果たしていない旧校舎を取り壊し、場所を確保することで決定した。
すでにOB、OGから寄付を募って資金も用意できており後は実効するだけだった。
取り壊しの工事は滞りなく実施されたが、そこで問題が起きた。
作業初日に作業員に怪我人が出た。
怪我は重症ではあったが命のかかわるようなものではなく、代替要員が補充されて工事は続行された。
外国人技能実習生への過重労働が内部告発によって発覚した。
怪我をした作業員は過重労働による注意力の低下が起きていた可能性が囁かれ始めた。
解体業者は裁判沙汰になり工事は中断された。
法的な争いは今も続いているが、それは学園とは関係の無い話だ。
大人の妥当な判断として新しい業者を選定し、工事は再度進行された。
すると、工事開始から三日後またしても作業中に事故が発生した。
今度は複数人の怪我人が出た。
業者は態勢立て直しのため、一時工事は中断された。
今度は劣悪な労働環境の内部告発のような劇的な事態は発生しなかった。
単なる不運が続いただけだったのかもしれないが、人は単なる不運にも意味付けをしてしまう。
ピントがズレてぼやけた何かが見える写真や、顔に見えなくもないシミが映っている写真が心霊写真に思えてしまうのと同じ原理だ。
そして噂が流れ始めた。
旧校舎に憑いた何かが工事を邪魔している。
好奇心の塊のようなティーンエイジャーの口に戸を建てられるはずもなく、噂は拡大。
人は案外、迷信深いもので父兄や卒業生の間でも一度旧校舎についてしっかりと調査をすべきなのではないか、という意見が出始めた。
目である高橋先生から祓い屋協会を通じて千鶴さんに依頼が来て、そうして我々はここにいる。
校長先生は根っからの理系らしい。
怪奇現象など信じていなかったが、すでに旧校舎の曰くについて自身で調べていた。
「何も無いのですよ」
校長先生は語った。
新明学園の歴史は古く、二十世紀最初の年となった明治三十四年に創設された尋常中学校まで遡る。
創設者はメソジストのキリスト教徒で生徒に寛大で伝統的に自由な校風で知られている。
日本の学校でも有数の校則が緩い学校で、制服を着崩そうと髪を染めようと教職員の誰も咎めない。
半世紀以上にわたって東大合格者数が全国十位内なのだから文句を言う筋合いも無いのだろう。
多くの学校がそうだったように新明学園も太平洋戦争で甚大な被害を被った。
旧校舎が建てられたのは戦後間もない昭和二十八年のことだ。
昭和二十五年の建築基準法制定により鉄筋コンクリート造校舎の標準設計が示されたことで、旧校舎も鉄筋コンクリートで建築された。
当時としてはモダンに見えたことだろう。
校舎の寿命は四十年が目安と言われているらしい。
ご多分に漏れず新明学園旧校舎も現役時代に終わりが来た。
生徒に最高の教育環境の用意を約束している新明学園は戦後初代の校舎に築三十年で見切りをつけ、二代目の校舎に乗り換えた。
昭和が終わり平成も終わり、令和が来ると三代目の校舎に乗り換えた。
今、我々が校長先生の話を拝聴しているのはその三代目校舎で、取り壊しが予定されていたのが戦後初代の校舎だ。
長い歴史があれば曰くぐらいあってもおかしくない。
だが、旧校舎にはまるで曰くらしい曰くが無かった。
新明学園の敷地は空襲で被害を受けたが、幸いな事に学園関係者に死者は出なかった。
生徒や職員の自殺のようなきな臭い逸話もなければ、学園の敷地が病院や墓場だった歴史もない。
古い建物にはある種の風格か、ある種の気味悪さを感じるものだ。
初代校舎は二代目の校舎が建てられた際に、なぜか完全な形では取り壊されず一部を残した形で神楽坂の高い土地の一部を不法占拠していた。
完全に取り壊しがされなかった理由は、当時の関係者が全員退職しているため誰にも分らない。その奇妙さが生徒たちの噂を加速させていた。
疑い深い理系の校長先生のよると「若い人はそう感じないかもしれないけど、昔から知っている私からしたらただの古い建物」だとのことだ。
「火の無いところに煙はたたぬ」と言うが、実際のところ噂とは根も葉もないところから生えてくる場合がある。
ツタンカーメンの呪いは近代史における有名な伝説の一つだが、実際のところ発掘関係者でツタンカーメンの墓を暴いた直後に亡くなったのは
パトロンのカーナヴォン卿だけだ。
中心人物だったハワード・カーターを初め多くの関係者は天寿を全うしている。カーナヴォン卿についても、発掘前から体調不良だったことが分かっている。
情報伝達速度が格段に速くなった現在ではデマを広めるのはもっと簡単だ。
不特定多数の人の夢に現れたと噂になった"This Man"はイタリアの広告会社社長による作り話であることが分かっている。
私がこういった前例を挙げると、校長先生は幾らか安心したようだったが、懐疑的な理系らしくもう一つ疑問をぶつけてきた。
「しかし、さすがに事故が連続で起きるとなると、旧校舎に何かある可能性も考えた方がいいのではないでしょうか?」
私はそれに対する回答を持っていなかった。
「例えばですが……」
有難いことに千鶴さんは持っていた。
「一メートルにつき三ミリの傾きは新築基準として問題なしと判断されますが、平衡感覚に敏感な人は不快感を覚える場合があります。一メートルに付き六ミリになるとたいていの人は違和感を感じるし、一メートルに付き十ミリまで傾きが増えると、頭痛やめまいなどの重度の健康被害の原因になります。旧校舎は築半世紀以上ですから、老朽化で何かしらの問題が起きていてもおかしくありません」
「成程」と校長先生は言った。
「成程」と私も思った。
「この世に不思議なことなんて、そうはありませんよ。だから私たちが呼ばれたんです。ご理解いただけましたか?」
校長先生は理解した様子だった。
〇
校長先生との接見が終わると、放課後になっていた。
冬の太陽は弱弱しく、まだ十五時半手前だったが早くも傾きかけていた。
ホームルームが終わり、教室から出てきた生徒たちが廊下を闊歩している。
部活に行く生徒もいれば、直行で帰宅する生徒もいるのだろう。
とにかく多くの生徒が廊下にいた。
彼らに話を聞くには丁度いい機会だった。
我々は二手に分かれて無作為の聞き取り調査を開始することにした。
「旧校舎も見に行きたいから最小限にしよう」という千鶴さんの提案で十六時合流する約束をした。
それから、三十分と少し。
我々は約束通り合流した。
今日は活動が無いと聞いていたので茶道部が使っている茶室を合流場所として借りていた。
私と千鶴さんはお互いの集めてきた噂話を交換し合っていた。
集めてきた噂話はポルターガイスト現象、幽霊の目撃などいかにもなものばかりだった。
口伝えであるため、話に出てくる幽霊の姿は男だったり女だったり若かったり老人だったり様々だった。
ポルターガイスト現象現象はラップ現象だったり、物の移動だったり、激しい揺れだったり様々だった。
ほか、「誰もいないはずなのにピアノの音が聞こえてきた」「人体模型が動いた」「鏡の中に引き込まれた人がいる」など、我々からしたら嫌と言うほど浴びてきた類の噂話もあった。
バラバラなこれらの噂話だが一つだけ共通点があった。
「典型的なFOAFですね」
FOAFとは"Friend of a friend"、「友達の友達」の略だ。
信憑性に欠ける情報ソースの典型であり、都市伝説の類はたいていFOAFが情報源になっている。
「旧校舎で自殺した生徒の幽霊を見たって話を聞きましたが、体験した当事者どころか、当事者から直接話を聞いた生徒もいませんでした」
「こっちも。仕事を苦にして自殺した教師の霊が出るって噂を聞いたけど、ベテランの先生に聞いたらそんな同僚はいなかたっし先輩の教員からもそんな話は聞いたこと無いってさ」
情報収集を三十分にとどめたのは、有益な情報が得られる可能性は低いと考えていたからだが残念ながら予想通りだった。
「となると、今回は本物の怪奇現象の可能性は低そうだね。不運が重なっただけか、科学的に説明のつく事象かな。人を呼んで本格的な調査をしてもらうにも下調べは必要だし、とにかく旧校舎を見せてもらおうか」
ひとまずの方針を固め、校長先生と高橋先生に告げて旧校舎に向かうことにした。
報告を済まると、だいぶ校舎は閑散としていた。
新明学園は部活動の時間を一日二、三時間程度に留めており、平日週一回は休養日を設けているらしい。
平日は水曜日を休養日にしている部活動が多く、水曜日を訪問日に定めたのはそういう理由からだった。
綺麗に磨かれた窓から西日が差し込んでいる。
白を基調にした廊下が西日のオレンジで染められている。
黄昏時は逢魔が時だ。
この時間帯は怪奇現象が多く起きると言われている。
この案件については怪奇現象の心配はあまりないと考えているが、この光景はなにがしかの神秘を否応なしに感じてしまう。
「旧校舎の調査に来られた方ですよね?」
背後から声を替えられた。
制服を着た女生徒だった。
今日を噂話を聞いた生徒ではない。
我々の噂を聞いて駆けつけたのだろうか。
「気を付けて。あの校舎には悪霊が取り憑いています」
彼女は毅然としてそう言った。
「私には見えるんです。あなたたちにも見えるんですよね?」
私は困惑した。
その女生徒からは何も感じなかったからだ。
"こちら側"の存在は"こちら側"の存在に遭遇すると何かを感じる。
その反応は極めて微妙である場合もあり、調査しないと超常現象なのか科学で解明できる現象なのかわからないこともある。
しかし、こちら側の村税である高橋先生からは感じた何かがその女生徒からは全く感じ取れなかった。
十代の少女などどう扱っていいかわからない。
気の利かないことでもいいので何か言おうとしたが、何を言っていいかわからなかった。
「ありがとう。気を付けるよ。私たちは経験豊富だけど、油断はしない。約束するよ」
女生徒は満足した様子でお辞儀すると去って行った。
「あの子、"こちら側"の存在ですか?僕には何も感じませんでしたが?」
千鶴さんは首を横に振ると、苦笑した。
「思春期なんだよ。そっとしておいてあげよう」
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