鬼子の恩返し 後編

 我々――私と千鶴さんと鬼子の青年はホテル近くの喫茶店でダッチコーヒーを飲みながら膝を突き合わせていた。

 店内は平日の昼間ながらそれなりに賑わっており外国人観光客の姿もちらほらと見えた。


 鬼子とは異様な姿で生まれた子供や異様な生まれ方をした子供を指す民間信仰だ。

 概して怪物のように語られる怪談や民話が多い。

 鬼の代表格である大江山の酒呑童子は三十三ヵ月母親の胎内に居て生まれたと語られている。

 首塚が今ものこる平将門も三十三か月目で生まれたと言われている。

 怪異とは異様な生まれ方をするものと決まっている。

 彼らもまた鬼子の一種と言えるだろう。

 

 目の前の青年はごく普通の青年に見えた。

 私に霊感がなければ素通りしていたところだろう。

 しかし、実際によく集中すると彼からは人ならざるモノの気配がする。

 仮に低周波で感覚を乱されていなくても、一見して気付くことはなかっただろう。

 それほどまでにこの怪異は怪異とも言えないほど普通に見えた。 


「警戒しなくていい。私は祓い屋だけど、君をどうこうするつもりは無いよ。

全く邪気を感じないからね」


 千鶴さんがそう言うと、青年はしばし逡巡した。

 当然ながら、我々は初対面の人物である。

 常識的に考えて初対面の人物に自分の身の上を語るのは躊躇いを伴う行為だ。

 逆に言うと、それほどまでにこの鬼子――正確には鬼子として生まれた青年は人間社会の常識を弁えているようだ。


「あの人たちは――ホテルのオーナー夫妻は僕の生みの親なんです」


 しばしの躊躇いの後、彼は語った。


 オーナー夫人の江田順子が三十三歳の時、鬼子の青年は生まれた。

 鬼子は生まれた瞬間から意識があり、言語を解し歩くこともできた。

 江田夫妻は自宅に助産師を呼んで出産したが、その場に居た全員が気味悪がった。

 自分が望まれない存在であることを悟った彼は、生れ落ちたその晩に闇夜に紛れて出奔した。


「鬼子は親に不幸をもたらす存在です。どちらにしてもあの場に居てはいけなかったんですよ」


 その後、鬼子は成人する過程で人間社会を見て歩き、人間社会から距離を取るのではなく人間社会に溶け込むことを選んだ。

 鬼子の青年は多くを語らなかったが、目立たない会社で目立たない役職に就き目立たない仕事をしているらしい。


 気味悪がられた記憶しかないが、生みの親のことはずっと気になっていた。

 息子だと名乗るつもりは無かったが、様子を見に行きたいとは思っていた。

 しかし、踏ん切りがつかなかった。


「偶然ネットで記事を読んだんです」


 何の記事か聞いてみると、それはオカルト年代記のまさしく私が書いた記事だった。 

 私のつまらない記事が彼らの縁を再び繋ぐきっかけになっていた。


「元気でいるようだったし、ホテルも繁盛してるみたいでした。

やはり僕はあの人たちの元に居るべきじゃなかった。

それだけわかれば十分です」


  〇


 我々がやるべきことは終わった。

 ポルターガイスト現象の根本原因は不明だが、直接的原因が低周波であることは分かった。

 この先は物理学者や建築家の領分であり私や千鶴さんの領分ではない。

 

 我々は江田博と江田順子のオーナー夫妻に挨拶して辞去することにした。

 私はどこまで記事にしていいのかの確認を取り、オーナー夫妻は我々に丁重に礼を述べた。

 言うまでもないが元鬼子の青年との会話は一切話題に出さなかった。 


「しかし、どうしてまた急に調べてみたいと思われたんですか?」


 会話の終わりに私は何気ない疑問をぶつけてみた。

 なんのつもりもない。

 深い意味はなく、ただ疑問に思っただけだ。


 その疑問に対してオーナーの江田博氏は相当に深刻そうな反応を見せた。

 その表情はあの青年の面差しとどこか似ていた。


 私も人並みに空気ぐらいは読める。

 謝罪して質問を撤回しようとしたしたが、彼はそれに先んじて答えた。


「実は、このホテルやめようと思ってるんです」


 夫人が沈痛な面持ちで俯いた。


「私のせいなんです」


 それは想像以上に深刻な事情だった。


 ホテルは年中無休の仕事だ。

 自主的に夏休みや冬休みを数日取る程度のことはするが基本的にほぼ休みは無い。

 自営業であるため会社員のように会社から言われて健康診断を受けることもない。

 日本の観光ブームに乗って忙しさにかまけ、丸二年健康診断を受けていなかった。

 

 順子夫人は最近、胃に変調を感じていた。

 健康問題を放置していた自覚があったため重い腰を上げて病院で検査を受けた。 

 発覚した事実は残酷だった。

 彼女は胃癌を患っていた。 


「まだ五十代ですから、体力的にはまだ何とか……ですが、病気ともなるとさすがに仕方ありませんから」

「私も家内についていてやりたいので。何しろ一人しかいない家内ですから」


 ロビーの壁時計は午後四時を指していた。

 正面の扉からスーツケースを抱えたアジア人の二人組が入ってきた。

 彼らは韓国語を話している。

 千鶴さんには彼らの言葉が理解できているのだろう。

 なぜかそんなことを考えた。


「ですので、最後に謎が解けてよかった。ありがとうございました」


 控えめな商売人の夫婦は揃って頭を下げた。

 こんな時に何と言えばいいのか。

 山ほど文章を書き、言葉を仕事にしてきたがかける言葉が見つからなかった。


  〇


 取材から一か月後。

 私は千鶴さんを伴って浅草観音ホテルを再訪していた。

 取材が目的ではない。

 彼らのその後が気になって仕方がなかったのだ。

 千鶴さんも私と同じ気持ちだったようだ。

 「オーナー夫婦の様子を見に行きたい」と正直に告げると、私がはっきり誘いの言葉を述べる前に「私も同行していいんだよね?」と意思を表明した。


 一か月前と同じように雨が降っていた。

 常々思うがこの時期の気候は過酷だ。

 オーナー夫人の体に障らなければいいが、と余計な気遣いが頭に浮かんだ。


 一か月前と同じように年季の入った手動開閉のガラスドアを開け、中に入る。

 入るとすぐにロビーが見える。

 フロントには今回はオーナー夫婦が揃って立っていた。

 どうやら我々の来訪を待っていてくれたらしい。


 揃って商売人らしい笑顔で我々を出迎えた。

 そして、意外なことにその表情には沈痛さがまったく感じられなかった。

 それどころか順子夫人はむしろ以前よりも血色良く、元気そうに見えた。


 一体どうしたことだろうか。

 吹っ切れた人間はこのような表情をするものなのだろうか。

 人生経験の乏しい私には原因を類推しかねる事象だった。


 フロントまで行き、我々が挨拶を返すと夫人が勢いよく話し始めた。


「それがね、不思議な話なんですが」


 ある日、妙に体調がいいことに気付いた順子夫人は病院で再検査を受けた。

 すると彼女の胃に巣くっていた癌細胞は綺麗さっぱり消滅していたのだ。

 医者は「奇跡だ」と言った。


「お医者様には言わなかったけど実は心当たりがあるんです」


 そう言うと夫人は「自分たちには事情があった離れてしまった子供がいる」と前置きした。

 私と千鶴さんは精一杯それが初耳であることを装った。

 我々の反応が不自然でなかったことを祈りたい。


  〇

 

 私と千鶴さんがホテルに調査に訪れた翌日。

 一週間滞在していた青年――言うまでもない鬼子の青年だ――がホテルをチェックアウトした。

 忙しくない時間帯だったので、オーナー夫妻はそろって青年を送った。

 その時世間話になり「実は健康上の問題でホテルを閉める」という話をした。

 青年は他人とは思えないほど深刻な表情になり、しばらく黙り込むとそっと順子夫人の手を取った。


「大丈夫。きっと大丈夫ですよ」


 その時、青年の手からは体温の温かみだけではない不思議な温かみを感じたという。

 鬼子は怪異である。

 きっとその手から超常的な何かが流れ込んだのだろう。


 青年が去ったあと二人ははたと気付いた。


 「きっとあの子だったんだ」 


 二人は青年の後を追ったが青年は見つからず、意気消沈してホテルに戻った。

 ホテルに戻り、ふと受付のカウンターを見ると見覚えのないメモが置かれていた。

 そっけない無地のメモ用紙にはたった一言、メッセージが残されていた。


「体に気を付けて。長生きしなよ」


  〇


 これはいけない。

 私の感動体質がまたしても醜態をさらしてしまう。

 千鶴さんにからかわれるのは必至だ。


 こみ上げる熱いものをこらえながら、ホテルを辞去した。

 駅までの道のりを足早に歩きながら千鶴さんはニヤニヤとこちらを伺い、都度「泣きたかったら泣いていいんだよ。天明君」と言ってくる。

 私は反抗期の中学生のように「うるさいですよ」と返した。

 意地でも泣くものかと思った。


 私の表情は雨模様ならぬ涙模様だ。

 その隣で千鶴さんがニヤニヤとしている。

 傍から見たら相当奇妙な二人組に見えたことだろう。


「鬼子の恩返しだね。まるで日本昔話だ」


 千鶴さんが笑顔で呟いた。

 いつの間にか雨は止み、雨から曇りに代わっていた。

 久しぶりに晴れるのだろうか。

 天気予報を確認しなかった愚を悔やみながら、私はそう期待した。

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