鬼子の恩返し 前編
私が編集部員を務めるオカルト年代記への問い合わせはそれなりに多い。
特に多いのが「心霊写真を撮ってしまった」というものだ。
これに関しては今のところ例外なくただの失敗写真か偶然の産物だ。
我々編集部員は「盲信はしないオカルト好き」であり、パターンに当てはまるようなオカルト現象は大体網羅している。
それゆえに心霊写真と勘違いされるパターンは網羅している。
足が消えて見える写真はただ足が体の後ろに隠れているだけ。
頭が消えて見える写真はシャッタースピードが遅い状態で被写体が動いたために起きた失敗写真。
何かが写っている場合は多重露光、顔が写っていると主張されている場合は三つの点が並んでいるのを見る側が勝手に顔だと意味付けしているだけだ(心理学的にはパレイドリア効果という)。
そういった事象に対する問い合わせがあった場合、我々編集部員は手分けして検証を行い、「これこれこういう理由の失敗写真」と投稿者に説明する。
反応は大体二パターンで、「理由がわかって安心しました」「そんな筈はない。これは心霊写真だ」のどちらだ。
前者のように言われると骨折った甲斐もあるというもので嬉しいが、後者の場合はもうどうしようもない。
「イワシの頭も信心から」ならぬ「失敗写真も妄念から」だ。
腕利きの祓い屋である風宮千鶴さんには数々のサポートをしてもらっているが、こういう事象の解明に彼女を駆り出すことはない。
しかし、時に簡単に事象が解明できない場合もある。
そういう場合、本当に心霊現象である場合もある。
それは数々の経験、私自身が生まれつき「視える」体質であることからも重々承知している。
今回の投稿は要調査の事象だった。
投稿者は都内でホテルを経営する初老の夫婦で「不安なので調べてほしい」と切羽詰まった気持ちがメールからも伺えた。
実のところ、「そろそろ来るのではないか」と思っていたところだった。
そのホテルはオカルト好きの間で「ポルターガイストホテル」として噂になっている名所でネット界隈で噂になっている。
読者からの投稿を元にで以前に記事にしたことがあるが、今回はホテルのオーナーからの依頼だ。
しかもこちらは調査をお願いされている。
ちっぽけだが私にも義侠心はある。
この世ならざるモノが視えて、オカルト現象に詳しいだけというつまらない能力だが誰かの役に立つなら役に立てたい気持ちがある。
私は編集長の本城さんにお伺いをたてると取材費の名目で千鶴さんへの謝礼をせしめ、彼女に調査への協力を依頼した。
彼女は「面白そう」と気安く引き受けてくれた。
そんな経緯で私と千鶴さんは浅草を歩いていた。
盛夏は終わり、暦の上では秋だがまだ暑い。
おまけに台風が発生したり消滅したりと忙しない活動を見せている。
今日も人雨降りそうな空模様だ。
じめじめした悪天候だが、仲見世通りは多くの観光客でにぎわっていた。
中国語が特によく聞こえたが、それに混ざって韓国語や英語やフランス語も耳に届いてくる。
2010年代に入ってから政府は訪日外国人のビザ発給要件を緩和した。
加えて円安基調になったこともあり、昨今、日本の観光業は大きな伸びを見せている。
政府の発表によると2003年から2018年の間に訪日外国人は四倍以上に増えているそうだ。
賑やかな仲見世通りを突っ切り、赤提灯を下げた飲み屋が軒を連ねるホッピー通りを過ぎる。
仲見世通りから遠目に見えていた花やしきがすぐ目前に見えた。
目的地はその近所だ。
花やしきを横目に見ながら横道に一本入る。
そこに立つ築四十年目ほどの古ぼけた建物が目的地だ。
浅草観音ホテル。
この鉄筋コンクリート三階建てで家族経営の小規模ホテルはバブル期真っただ中の1980年代に営業を開始した。
バブル崩壊後に経営危機を迎えたそうだが、客室は全部でわずかに16室という無駄を排したミニマムな経営規模で細々と営業を続け今日まで至っている。
その外観はお世辞にも清潔とは言えないが、「浅草観音ホテル」というネオンサインが灯る看板と蔦の絡まる外壁は何とも言えないノスタルジーを感じさせる。
「いいね。都の重要文化財として登録するべきだよ」
千鶴さんが感心したように言った。
年季の入った手動開閉のガラスドアを開け、中に入る。
一台の自動販売機とくすんだ色合いのソファーに、古ぼけた机が一脚。
その脇にはその日の朝刊が並べられている。
分煙のこの時代に珍しく、自動販売機のすぐ横にはスタンド型の灰皿が設置されている。
浅草花やしきのすぐ近所というかなりの好立地にあるこのホテルは、老朽化した設備ながら良心的な価格設定で立地も良いため客室の稼働状態はかなり良好らしい。
ソファは若い白人の三人組で埋まり、灰皿の横で二人組の東南アジア系の中年男性が紫煙をくゆらせていた。
奥がフロントで、初老の女性が中国語を話すアジア系の男女二人組とボディランゲージで必死のコミュニケーションを試みていた。
地図を広げているところからすると二人組のアジア人はどこか行きたい場所があるが上手く意図が伝わっていない様子だった。
それを見た千鶴さんは「ちょっと待ってて」というと彼らの会話に割り込んだ。
千鶴さんは二人に笑顔で挨拶すると流暢な中国語(中国語の全くわからない私にはそう思えた)でやり取りを始めた。
二、三分何かを話すと、アジア人の男女二人組は千鶴さんと握手をしてどこかに去っていった。
千鶴さんは彼らに手を振ると手招きして私を呼んだ。
私は忠実なポチのように彼女の手招きに応じた。
「中国語話せるんですね」
「うん。普通話ならね。あんまり上手くはないけど。英語と韓国語もまあまあわかるよ」
彼女はさらりと言ってのけた。
日本語一つだけでも苦労する身としては何とも妬ましい話だ。
私はやや情けない気持ちでフロントの女性に身分を告げ、取材と調査のお願いをした。
〇
浅草観音ホテルの「ポルターガイストホテル」としての評判はかなり古い。
バブル崩壊による平成不況の真っただ中の頃も辛うじて生き残れたのは本来は悪評のはずの「ポルターガイストホテル」という評判が好事家たちを引き寄せたからだ。
実際、好んで泊まった物好きな宿泊者のかなりの割合がポルターガイスト現象に遭遇しており、そういった好事家たちの体験がさらなる好事家たちを呼び寄せるという経営側からすれば好循環な現象がホテルを存続させていた。
それがわかっているのもあり、ホテル側も敢えて現象を調査しようとはしていなかった。
私が以前に取材の赴いた際もホテル側から「調査をしてほしい」といった要望はなく、ただオーナー夫婦と物好きな宿泊客に取材して状況をまとめただけだった。
特に霊的なものは感じなかったので、このホテルのポルターガイストの原因はまず間違いなく科学で解明できる類のものだろう。
「言わぬが花」という格言に従い、私もあえて深い調査はせず「原因は目下調査中」と書くにとどめていた。
なぜ改めて調査を依頼されたかだが、どうもロビーの様相を見るに海外からの観光客の増加で好事家たちを引き留める事への旨味がなくなったからではないかと思う。
目下、東京はホテル不足の状態だ。
それも浅草などという観光地のど真ん中にある最高の立地なのだから、ポルターガイスト現象を放置するより普通の観光客のために解明なり解消なりした方がいいと考えたのだろう。
私はそう推理した。
ホテル内を案内してくれたのはオーナー夫婦の奥方の方だった。
先ほど中国人観光客と必死のコミュニケーションを試みていた人物だ。
六十歳手前ほどの奥方は江田順子という名前でにこやかな温顔を崩さない人だった。
江田夫人は我々を今現在、一室だけ宿泊者がいない部屋に案内した。
狭い部屋だった。
シングルルームでバスルームはユニットバス。
部屋のおおよそ半分をシングルベッドが占めており、その脇に申し訳程度の小さなテーブルがある。
壁には小さなテレビが取り付けらており、スーツケースなど置こうものものなら部屋の空きスペースが大半占拠されてしまいそうな狭さだった。
部屋には窓が一つで窓の外には花やしきが見える。
一日観光して寝に帰るには丁度いい設備かもしれない。
私は神経を集中させ、霊的な存在を感じ取ろうとした。
しかし、何も感じない。
千鶴さんに「どうですか?」と水を向けたが彼女の方も「何も感じないね」と呟いただけだった。
見たところ目立った現象は起きていない。
どうやらポルターガイスト現象は常時発生しているというわけではないようだ。
これは何か起きるまで待機かな、と私は考えたが千鶴さんは違った。
なにか考えがあるらしく、窓の方まで近づいて行った。
「やっぱりだ」
千鶴さんは私と江田夫人に手招きした。
千鶴さんが指さす先を見る。
部屋の窓が微かに前後に揺れている。
風も音も振動も感じない。
だが確かに窓が前後に揺れている。
江田夫人が微かな恐怖を顔に滲ませた。
私もその奇怪さには少々身が引けた。
しかし、千鶴さんは何事も起きていないように平常運転だった。
何を考えたかスマートフォンを取り出すと何か操作をし始めた。
画面を見ると納得したように小さく頷き、夫人に問いかけた。
「ゾクゾクして何かがいるような気がすることはありますか?」
夫人は少し考えこむと頷いた。
「めまいがして、自分の意識が体の外に飛び出すような感覚は?」
夫人は再び頷いた。
千鶴さんは操作していたスマートフォンの画面を我々に見せた。
何かを計測するアプリらしい。
「これは低周波を計測できるアプリです。意外と精度高いんですよ、これ」
聞いて合点がいった。
「7Hrzで約90db。低周波が発生してますね」
低周波とはその名の通り、波動や振動の周波数(振動数)が低い(小さい)こと、または周波数の小さい音波、電波や交流を指す。
具体的には100 Hz以下のもので人の耳では感知することが出来ないため、感じることはないが「霊現象」との関連が科学者たちによって指摘されている。
その霊現象にはポルターガイストも含まれる。
「低周波の発生源まではわかりませんが、それは引き続き要調査ですね。
参考までに言うと、水道管を交換したら収まったという例があります」
夫人は安堵したように見えた。
安堵したと見える夫人に千鶴さんは言った。
「この世には不思議なことなどそうはありませんよ」
心からそう思っているに違いない。
〇
こうして浅草観音ホテルポルターガイスト事件はあっさりと解明された。
我々は宿泊客に取材をしてお暇することを伝え、江田夫人と一旦別れた。
今回の記事は低周波と心霊現象の関連がメインテーマになりそうだ。
自分でも調べるつもりだが、編集中の本城さんなら更に詳しいネタを持っているだろう。
よってこの先はオマケのようなものだが、宿泊客の話も何かのネタになるかもしれない。
せっかく外国語が堪能な千鶴さんがいるので、ロビーにいた外国人観光客の何人かに話を聞いた。
話を聞いた客はフランス人とシンガポール人と台湾人で彼らはいずれもポルターガイストホテルの評判を知らなかった。
どうやら時代の流れは、いかがわしいポルターガイストホテルを汚くて古いが好立地で良心的価格の隠れ良いホテルに変えてしまったようだ。
これはこれで記事の題材向けかもしれない。
題は「変わりゆくポルターガイストホテル」というところか。
客の話を聞き終わり、「そろそろ引き上げましょうか」と私は千鶴さんに提案した。
しかし、彼女は首を縦に振らなかった。
「待って」と私を制すると、何かに意識を集中させ始めた。
やがて、彼女の視線はロビーに置かれているソファーに引き寄せられた。
ソファには二十代半ばほどに見える青年が座っている。
青年はスマートフォンを見るでも、誰かと談笑するでもなく狭いロビーを見渡している。
このホテルに何かしらの思い入れでもあるのだろうか?
「低周波の違和感に紛れて気付くのが遅くなったけど……これは偶然かな?」
千鶴さんは謎の一言を発すると青年の方に向かって歩き始めた。
こうなっては私も行くしかない。
引っ張られるように彼女の後を追った。
「こんにちは」
彼女は青年に気安く挨拶をした。
青年は顔を上げ、挨拶を返した。
そして千鶴さんは思いがけないことを言った。
「君、鬼子だね?」
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