百物語

 その日、私はいつものリモートワークではなく青山のオフィスに赴いていた。

 社長で編集長の本城龍太郎は根っからの理系であり、「必要の無いことはしない」をモットーに掲げる根っからの理系で合理主義者だ。

 私が所属する「オカルト年代記」編集部でオフィスに常勤しているのは編集長の本城さんの他、副編集長とシステムの保守をするエンジニアのみだ。

 それ以外の編集部員、記者は全員リモートワークで最も遠方の者は台湾に在住している。

 

 そんな徹底した効率主義者の本城さんだが、それでもやはり日本人で会社への帰属意識は気になるらしい。

 時折「オフィスに寄って行かないか?」と誘われることがある。

 そういう時は申し訳程度に仕事の話をした後、飲みに行くのが流れだ。

 本城さんは必ず奢ってくれるので私は毎度喜んでご相伴にあずかっている。


 私は飲み会というものがどうにも苦手だ。

 居酒屋はうるさ過ぎて隣の声がよく聞こえないし、概して椅子が固いので辛くなってくる。

 自慢ではないが私は幼少期から集団行動が苦手で、十人以上の人間と同じ空間に閉じ込められるとそれだけで苦痛を感じ始めてしまう。

 おしゃべりというものが元来あまり好きでないため、自然と私は飲み会が苦手な人間へと成長していた。


 そんなわけで学生時代から度々飲み会に参加するたび、当時実家住まいだった私は「どうにも飲み会は苦手」と両親や兄にこぼしたが、両親も兄も「お前は神経質だな」と言うばかりだった。

 同じ遺伝子を持っていても人と人が分かり合うのは難しい。


 だが、編集部の飲み会を嫌だと思ったことは一度もない。

 集まるのはいつも多くとも六人程度だし、何より我々にはオカルト好きという共通項がある。

 本城さんはもともと音響機器メーカーのエンジニアで大の「解き明かし好き」だ。

 彼が語る「オカルト現象の謎解き」はいつも興味深い洞察に満ちていて、そのためだけに飲み会に参加してかまわないと思える。

 それでいてオカルト現象自体を全否定することのないバランス感覚を持っていて本当に頭のいい人だと話すたびに感心させられる。


 一か月ぶりに私が出社し、いつもの流れで飲み会に流れ込むことになったある日。

 その日はオフィスから電車で少々の移動をし、渋谷の居酒屋で酒を飲んでいた。


 炭火焼きした干物と豊富な日本酒が売りの店で、その月のサイトPVが好調だったこともあり少々豪華な催しになっていた。

 我々は特上の鍋島大吟醸を傾けながらたっぷり脂の乗った炙りしめ鯖に箸をつけていた。


 いつものようにオカルトの話で盛り上がったあと、盛り上がりもひと段落しそろそろお開きにしようかという頃合い。

 酔っても全く表情の変わらない本城さんがいつもの調子で「そうだ、長南くん」と何気ない調子で興味深い話題を持ち出した。


「百物語に参加してみない?」


 私は寺生まれで「こちら側」の人間でもあるから、無論その存在は知っている。

 百物語は日本の伝統的な怪談会のスタイルだ。室町時代を起源とし、武士たちが胆力を試す催し物として広まった。江戸時代には特に広く流行し、怪談話を収集した『諸国百物語』、『御伽百物語』、『太平百物語』はいずれも江戸時代に出版されている。

 厳密な作法は無いがある程度の定まった形式がある。

 蝋燭を百本立てて置いて、一人が一つずつの怪談話をし、一本ずつ蝋燭を消して行くというものだ。

 百本目の蝋燭が消された時、真の化物が出ると言われているが、九十九話で終わらせるのが慣習であるため実際のその化け物の姿を見たという話は聞かないし、本当にその化け物が存在するのかもわからない。

 森鴎外は化け物の正体を「事によったら例のファキイルと云う奴がアルラア・アルラアを唱えて、頭を掉ふっているうちに、覿面に神を見るように、神経に刺戟を加えて行って、一時幻視幻聴を起すに至るのではあるまいか」と推理しているが、実際に化け物を見た例がないため、かの文豪の推理が正しいのか誤っているのか判断のしようがない。


 恥ずかしながら寺生まれでありながら、私は近しい存在であるはずの百物語とこれまで無縁だった。

 いい機会だと思った。


 私は「面白そうですね」と答え、本城さんに詳細を訪ねてみた。

 本城さんは「いいぞ」という風にニヤリと笑って話し始めた。

   

「俺の知人に趣味で民俗学を研究してる物好きがいるんだが、この人が無類の怪談好きでね。夏の風物詩の百物語を春夏秋冬関係なく三か月に一回開催してるんだ。そろそろ次の会合があるんだが、その日、生憎と法事で出られなくてね。それで前の会合の時に『ウチの編集部に寺生まれがいる』と言ったら『ぜひ連れてきてください』と言われたんだ」


 寺生まれが怪談好きという偏見だ。

 証拠として身近な実例を知っている。

 私の父はゾンビ映画は大好きだが、怪談は特に好きではない。

 兄はスプラッター映画は大好きだが、怪談は特に好きではない。

 母はそういう類のものを全般的に好まない。

 わが一族で積極的に怪談話を収集しているのは私ぐらいだ。

 寺生まれだから怪談が好きなのではなく、怪談好きな人間がたまたま寺生まれだったというだけの話だ。


「本城さんの代わりっていうことは、僕も怪談を披露しないといけないんですか?」


 私が確認するように問うと、本城さんは答えた。


「いや、そういうわけじゃない。ただ、参加者全員がそういうのを期待されてるから全員話を披露するのが望ましいっていうだけだ」


「なるほど」と私は答えた。

 本城さんは「で、どうだろう?」と意思の確認を促した。

 私は「ええ、行きます」と首を縦に振った。


 夜も遅くなってきたのでその日は解散になった。

 居酒屋の入っている雑居ビルの地下を出ると、夏の熱気が体に纏わりついてきた。

 真っ暗な空の下で渋谷の高層ビル群が輝きを放っている。

 私は暗く蒸し暑い道を急ぎ、駅へと歩みを進めた。


  〇


 その翌週。

 私は集合場所である高岩寺の門前に立っていた。

 高岩寺の前を通る地蔵通り商店街は毎月四のつく日に開催される縁日で多くの屋台が軒を連ねていた。 

 土曜日の昼前という時間帯だったこともあり地蔵通りの混雑は相当なもので、通りを進むのも一苦労といった具合だった。

 私が近辺の住人だったこの混雑を苦々しい目で見ていたかもしれない。

 

 目印として造花でもいいのでホオズキを持っていることと言われたので、私はそれを愚直に守っていた。

 確かホオズキは盆の時期にあの世から帰ってくるご先祖様のための提灯替わり、道しるべとしての意味があったはずだ。

 初対面の者同士が合う目印と相通じるものがある。

 主催者の連絡先は知らない。名前も聞いていない。

 初めて参加する人物は目印を持って指定の時間場所で待つというしきたりらしい。

 集合場所の高岩寺は多くの人が行き交っていたが、他にホオズキを持っている人間はいない。

 腕の時計は集合時間の三十分前を指している。

 まだ早すぎたようだ。

 私は近くに見えた喫茶店に入って時間をつぶそうかと考えた。


「百物語にご参加の方ですか?」 


 行き交う群衆の中から突如、こちらに声をかける者がいた。


 声をかけてきたのは男で、南方風の浅黒い肌で彫りの深い顔立ちをしていた。 

 私が「そうです」と答えると彼は会の案内人であり「廣田ひろた」と名乗った。


「では、行きましょうか」


 挨拶もほどほどに済ませると、私は廣田の先導するに従い歩き始めた。


  〇


 我々は地蔵通りを逸れ、中山道を突っ切り染井霊園を駒込方面へと向かっていた。


 建物は低くなり、人口密度は減り、緑が増えていく。

 初夏の陽気で気持ちのいい日だった。

 染井霊園はソメイヨシノの名所として有名だ。

 春の盛りであればもっと気持ちのいい行脚だったかもしれない。


 我々は染井霊園を歩いていたが、この周辺には多くの有名人が眠っていた。

 廣田は「あれは芥川龍之介の墓、あっちは遠山の金さんの墓」とだれでも知っている名前を並べるだけでなく「あれは東洋のナイチンゲールと呼ばれたローダスカ・ワイリックの墓だ」と興味深い所以を教えてくれた。


 廣田はとにかくよくしゃべる男だった。

 染井霊園を抜けて住宅街に差し掛かると自身の話をし始めた。


 明らかな訛りがあったため出身地を聞いてみると大分の出身だという。

 実家は造り酒屋で大学時代にこちらに来たという。


 彼の話は傾聴に値する興味深いものだった。

 学生時代は農学を研究し、いずれ実家の酒屋で新しい酒を造ろうと思っていたが大道芸人の友人に誘われて行ったシルクロードへの旅で人生が一変する。

 大学の専攻をを中東文化に変更し、アラビア語とペルシャ語を学ぶと卒業後は中東・中央アジアの雑貨を個人輸入する事業を立ち上げた。


 彼はただおしゃべりなだけでなく話は起伏に冨み、語り口は色鮮やかで、行ったこともないアラブの国々の情景が浮かんでくるようだった。 

 

「そろそろだよ」


 廣田は一度会話を止め、会場が近いことを告げた。


 我々はいつの間にか相当の距離を歩いていたらしい。

 景色は急速に変わり、あたりには時代劇で見るような立派な町屋敷が並んでいた。

 廣田が言うに会場は江戸時代に建てられた町奉行の屋敷で行われるとのことだった。

 この辺りは比較的古い建物が残っているらしいが、それにしても奇妙な光景だった。

 

 しかし、その違和感はその時の私にとって些細な問題だった。

 これほど語り上手な人の百物語なのだから、きっと貴重な体験になるだろう。

 私はそう思った。


  〇


 会はとても楽しいものだった。

 間違いなく貴重な体験をした、私はそう断言できる。


 問題はその内容をよく思い出せないことだ。

 廣田という男に案内され、その道すがら色々な話をした。

 そこまでは確かだ。


 その後の記憶に濃い靄がかかっている。

 次に思い出せるのは、自分がいつの間にか帰路についていて地蔵通りを歩いていたことだ。

 その前のことを思い出そうとすると記憶の靄は余計に濃くなっていく。

 これは不味いことになった。


 私は本城さんの代理で会に出ている。

 どう報告したものだろう。


 帰路を急ぐ私に着信があった。

 相手は今、対応を検討中の本城さんだった。


 私は「困った」と思いつつも「通話」をタップした。

 開口一番謝ろうとしたが、電話口の本城さんが先んじて第一声を口にした。


「ああ、やっとつながった」


主催者の急病により会は急遽中止になっていた。

 中止の連絡を受けた本城さんは私の携帯に連絡を入れたが私は応答せず、会の関係者が高岩寺まで来たが、目印のホオズキを持った人間は誰もいなかったという。


 狐か狸に騙された気分だった。

 否、騙された気分ではなく、実際に騙されたのだろう。

 私の身の上を考えると不思議な出来事に遭遇することはまったく自然なことだ。


 嘆かわしいことに私はそういった問題に対処する能力を持ち合わせていない。

 が、幸いにして対処する能力の持ち主を知っている。


  〇


 不思議な体験の翌日。

 私は当然の行動として千鶴さんのもとを訪れ、わが身に起きた出来事を報告していた。

 千鶴さんは私の報告を聞き終わると彼岸一笑した。

 彼女は可笑しくてたまらないという様子で、笑いのあまり涙すら流していた。


「天明くん、珍しいものを見たね」


 私は釈然としない気分で続きを待った。


「その人は廣田って名乗ったんだよね?」


 「そうです」と私は答えた。

 「ちょっと待って」と彼女は大笑いの末の呼吸の乱れを整えると、努めて冷静な口調で言った。


吉四六きっちょむで検索してごらん」

「吉四六って吉四六さんの吉四六ですか?」


 千鶴さんはニコニコしてこちらを見るだけだった。

 言われた通り検索し、検索エンジンの結果を見る。

 するとウェブの百科事典に既視感を感じさせる情報が載っていた。


 吉四六さんは民話の登場人物だが、廣田吉右衛門という人物がモデルと言われている。

 廣田吉右衛門は豊後の国、現在の大分県の出身で酒造業を営んでいたいう説がある。


「待ってください、僕は吉四六さんの幽霊にでも会ったんですか?」 

「それはちょっと違うかな。廣田吉右衛門は諸説ある吉四六さんの原型の一つでイコールじゃない。君が会ったのは吉四六さんの殻を被ったトリックスターだと思うよ」


 トリックスターは神話や伝承などに登場するいたずら好きの妖精や神霊のことだ。 

 

「トリックスターはどの文化圏にも伝承があるからね。パックやロキはもともと人ならざる存在だけど、ティル・オイレンシュピーゲルはおそらく実在した人物だし、もともと人間だった存在が時間をかけて人ならざる存在になるのは十分ありうる話だからね」

「どうしてそんな存在が僕の前に現れたんですか?」

「オカルトサイトにあることないこと書くのはある種イタズラみたいなものでしょ?

それで親近感を感じてふらっと表れてみた……そんなところだと思うよ」


 ひどく釈然としない気分だった。

 私の中でもやもやした疑問が湧き上がってくる。

 

「じゃあ、僕が聞いた話は出鱈目だったんですか?」

「少なくとも染井霊園に有名人が眠ってるのは本当だよ。でも、シルクロードの話は怪しいものだね。そうそう、最近、中東に行ってみたいとか考えなかった?頭の中を読まれたんじゃない?」


 まったくの図星だった。

 少し前に知人から湾岸諸国と中央アジアを旅したという話を聞いて興味を持っていたのだ。

 私が素直に白状すると、千鶴さんは「うんうん」と頷いた。


「いやあ、その話、私も聞きたかったな。

吉四六さんの頓智話は有名だけど、頓智話の達人が考える法螺話なんてすごく面白そう」


 がっくりと来た。

 貴重な体験談を聞いたと思ったのに、すべて台無しだ。


「でもさ、天明くん」


 千鶴さんは相変わらずニコニコしている。

 それほどに愉快な出来事なのだろう。


「面白かったでしょ、吉四六さんの話?」


 私の友人に誰もが知っているタブロイド紙の記者をやっている人物がいる。

 そのタブロイド紙は「日付以外何一つとして信用できない」と言われるほど確たる地位を築いている。

 記者の彼は常々語っている。


「ネタが無いときは想像力を働かせてネタを考える」


 彼の所属するメディアは一応とは言え、新聞、いわばジャーナリズムの領域である。

 ジャーナリストとしてその姿勢はいかがなものかと思うが、似た立場の私としては大いに同意する。


 時に事実よりも大事なことがある。

 それは私自身もまた職業体験から得た教訓だ。


「ええ。実に遺憾ですが」


 私はただそう答えるしかなかった。


「吉四六さんに一本取られたようだね」


 千鶴さんはニッコリと笑った。 

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