ピグマリオンは電気羊の夢を見るか 後編
京王線は都内を走る私鉄だ。
始発駅の新宿を出発した電車が、地下のトンネルを3分ほど走ると、進行方向右側の窓の外にホームのようななにかがうっすらと見える。
その間はわずか三秒ほど。
憂鬱な通勤時間に下を向いてスマートフォンをいじっていたら決して気づくことがないであろうそれの正体は破棄された古い駅、旧初台駅だ。
新線が開通する前の1964年に誕生し、無事に新線が開通した1978年に駅としての役割を終えた。
現在は資材置き場及び、緊急避難場所なっており非常時を除いて関係者以外は立ち入ることが出来ない。
全ての列車の運行が終わった午前一時過ぎ。
ヒュームさんの手引きで無事に許可を得た私と千鶴さんは、本来、関係者のみ立ち入りを許されるビルの入り口から地下へと続く螺旋階段を下りていた。
日に日に気温の上がっていく季節の変わり目だが深夜の空気は冷たかった。
施設内部は煌々と人工的な明かりで照らされていたが、私は背筋に寒いものを感じていた。
手元のフーチを見やる。
フーチは今までにないほど激しく揺れ、私の手首から先をもぎ取らんほどの勢いだった。
「当たりだね」
先導して歩いていた千鶴さんが前を向いたまま呟いた。
彼女の魔力的勘は私よりも遥かに優れている。
「日本の大規模な駅は入り組んだ構造のせいで地元民にとっても迷宮に等しい。
言ってみれば天然の結界みたいなものだ」
歩みを勧めながら千鶴さんがいつもの調子で始めた。
「この空間、激しく歪んでる。多分、二人……一人と一体はその歪みに隠れてるんだ。鉄道員がここに立ち入ることがあっても術者とホムンクルスの存在に気付くことはないだろうね」
深夜の静寂に靴底がコンクリートを打つコツコツという音が響く。
永遠に続くように思えた螺旋階段を下りきると、その先は開けた空間になっていた。
薄汚れたコンクリートのうちっぱなしに、機能を最優先した無愛想な鉄製の柵。
段差の先にむき出しの線路があることが、ここがかつてホームとして作られた空間であることを物語っていた。
施設は小ぶりだった。
ここがホームとして使われていた当時、京王線は現行の半分程度の編成だったらしい。
よく見るとホームには水飲み場らしきものがある。
私の知らない昭和の時代、こういったものはホームにあるのが普通だったのだろう。
生まれる前の時代へのノスタルジアを感じる情景だった。
フーチは揺れの激しさを増している。
まるでのたうち回る大蛇のようだ。
私は緊張に体を強張らせた。
「そんなに構えなくていい。アクション映画に似合いそうなロケーションだけどバトルになったりはしないよ」
私の緊張を見破った千鶴さんがさらりと言った。
その時、ふっと一陣の風が吹いたように感じた。
そう感じたのは私だけでは無かったようだ。
私が風を感じた方を向くと、ほぼ同じタイミングで千鶴さんがその方向を向いた。
我々の目線の先にあったのはコンクリートの壁だった。
よく見ると壁の下方に四段ほどの階段が見える。
位置からしてかつて改札へと通じる階段だったのだろう。
そのささやかな階段付きの壁の前に人が――正確には一人と一体が立っていた。
一人は白髪に髭を蓄えた老紳士で、もう一人はダークブロンドに琥珀色の不思議な眼をした若い女だった。
手元のフーチは彼らの方向に引っ張られように激しく反応していた。
ブラーエの使者から面相については説明を受けている。
その一人と一体が捜索対象の錬金術師とホムンクルスであることは明らかだった。
彼らは呆気ないほど簡単に姿を見せた。
私も面食らったが、千鶴さんは私以上に驚いていた。
驚く我々に彼らは女王陛下にでも謁見するかのように恭しく社交のお辞儀をした。
意外なことに、私はその動きには友好のようなものを感じた。
〇
「さて、どこから話したものかな」
我々は階段の段差に腰を降ろし事情の聴取を試みていた。
言葉は通じるのかと懸念していたが老紳士は驚くほど流暢な日本語で語り始めた。
後で知ったことだが、彼らの家系では必要に応じてソフトをインストールするように言語を習得できるらしい。
何百年も様々な言語の文献を当たってきたことによって獲得した進化の結果だという。
「その前に」
千鶴さんが制するように手を挙げて言った。
「私たちが依頼されたのはあなたたちの捜索です。今の時点でその目的の九割以上を達成しています。あとは依頼主に報告するだけですが……それ以上に私たちはあなたたちに興味があります」
千鶴さんは確認するように私を見た。
私も同意見だったので頷いた。
「なので、今の時点では対等な関係でいたいと考えています。まず、名前の交換から始めてもいいでしょうか?ちなみに私は風宮千鶴。彼は長南天明です」
千鶴さんは日本式に頭を下げて挨拶し、私もそれに従って頭を下げた。
老紳士は言った。
「礼儀正しいお嬢さんだ。そうだな、私に名前は無いが、識別の番号はある。
とりあえず
老紳士はホムンクルスの方を見た。
「名無しだったが最近名前をつけた。イライザだ。ミュージカルのヒロインから取ったんだ。いい名前だろう?」
女性型のホムンクルスはそう言われて照れくさそうに笑った。
彼女の挙手は意外なことに私を不気味の谷に落とさなかった。
むしろ微笑ましい無垢さを感じさせた。
私にとっての意外な事象は、千鶴さんにとっては驚愕の現象だったようだ。
彼女は驚愕の余りしばし硬直し、そして硬直に幾分かの興奮を交えて言った。
「……ホムンクルスに感情が?」
デセット老紳士は肯定するようににっこり笑い、事の顛末を語り始めた。
〇
十六世紀に活躍したティコ・ブラーエは天文学者として知られるが、錬金術にも傾倒していた。
超新星1572の発見が表向きに知られる主な功績だが、その一方で錬金術でも成果を残していた。
ホムンクルスの生成だ。
ブラーエは多くの子供を残したが、その中に人知れず錬金術の最奥を目指す者がいた。
"こちら側"の世界で一派を成しているのがその子孫たちだ。
一派はホムンクルス生成に関して更なる高みを目指した。
いつからそうなったのかはもはや誰にも分らないが、いつしかその目標は「人間と同等の存在のモノを生成する」ことになっていた。
ホムンクルスは見た目には人間と変わらないが、人に備わってしかるべき「意思」や「感情」が無い。
命令された範囲内で思考することは可能だが、それ以上のことはできなかった。
それが備わったとき一族の目標は達成される。
誰も達成していない難事だ。
どうやったら達成できるのか、達成のためにどれだけ時間がかかるのか誰にも想像すらできない。
成し得るには統一した意志を持った同士が必要だった。
異端の一派はただひたすらに一族の数を増やし、子が出来るたびに統一した意思を刷り込み続けた。
それはもはや遺伝子レベルで刻まれた呪いにようになっていた。
デセットは現在の家系で十番目に生まれた存在で、先人たちと同じ道を目指した。
少なくとも中年期までの彼はそれに疑いを持つことが無かった。
〇
「私はね。疲れてしまったんだよ」
老紳士は言った。
「一族の妄念は何百年も続いたが、私の中の妄念が尽きてしまったんだ。
データをディスクからディスクにコピーするときに発生してしまうデータの欠損……コピーエラーのようなものなのだろう。そのエラーが私という個体で発生してしまったんだ」
〇
デセットが今までの動機を失った時。
突然それは起きた。
今まで何百体生成したかわからないホムンクルス。
今までで最もおざなりに生成したそれに奇跡が起きた。
何の予感も予兆も無かった。
彼はホムンクルスの意思を図るために様々な問いかけをしていた。
いつもであればホムンクルスはただ問いかけに問われたまま答えるだけだ。
ところがそのホムンクルスは――彼女は自ら進んで好奇心を示していた。
〇
「私はもう年だ。孫でも愛でているような頃合いだろう。まともな人生ならな」
深夜の廃駅は静まり返っている。
ぼそぼそとした老紳士の声は良く響いた。
「イライザは我が子も同じだ。一族に渡せばリバースエンジニアリングでもするようにこれを解体し、調べつくすだろう。かと言っていつまでも隠しておけるものではない。ならば逃げるしか無いだろう?親が子を傷つけるような真似などどうして許せる?」
彼は目尻にしわを滲ませた。
「君はどうなの?」
私は老紳士の隣で静かに佇んでいたイライザに聞いた。
彼女は問われたことに面食らった様子だったが、それでもはっきりと答えた。
「私にとってデセットは父のような存在です。なぜ親を見捨てられますか?」
彼女の目には確かな人の意思が感じられた。
「デセット、イライザ」
今まで聞き手に徹していた千鶴さん口を開いた。
考えながら、絞り出すように彼女は言った、
「私たちがここで見逃せば、あなたたちは安泰だと言いたいところですが、今後もあなたは背後に怯え続けるでしょう。ブラーエ一族の妄念は私も伝え聞いています。決して許されないでしょうね」
千鶴さんは頭を抱えて考え込み、そして妥協案を述べた。
私も同意見だった。
〇
そろそろ始発電車が走り始める。
我々はいそいそと立ち上がり、この場を辞することを二人に述べた。
踵を返し、立ち去る直前。
ふと私の頭を疑問がよぎった、
私は振り返り、見送るデセット翁とイライザに問うた。
「しかし、なぜ東京に?大都市に行くならロンドンやパリに行ったほうがずっと近いし、あなたたち白人がいても目立たない。ニューヨークでもいいし、アジアなら香港でもシンガポールでもよかったはずです」
老紳士は静かに答えた。
「写真で、渋谷のスクランブル交差点を見てね。プラハと全然違う。すごい光景だと思ったんだ」
あまりに人間らしい、理由だった。
「特にイライザが見たがっていたんだよ。それが理由だ」
〇
「私たちは非人間ではありません。少なくともそう信じています。お二人の事は尊重したい。ですが、ブラーエ一族のような大家にあからさまに逆らえるほどの気概もない。どうか理解してください。私たちは巨人の足元に佇む小人のようなもので、かといってゴリアテを倒したダビデのような英雄でもない。だから妥協案です」
千鶴さんは妥協案として、一晩待ってから彼らの居場所を依頼人に報告した。
今ごろ彼ら二人はあの場を去っているだろう。
依頼主たちが現場を検めれば二人がその場に居たことは痕跡から分かるはず。
成功報酬はもらえないにしても我々の仕事にケチをつけられることは無いだろう。
実際、千鶴さんはまんまと必要経費と謝礼をブラーエから受け取り、私は分け前を貰った。
「
私がそう言うと、千鶴さんはニコリと笑って「もっと褒めて」と言った。
本当に
彼らの行く末だが、全くわからない。
ホムンクルスは短命な場合が多いそうだが、イライザは特例の存在であり人並みに生きるのか犬や猫と同程度なのか亀並みに長寿なのかわからない。
結末が『ピグマリオン』なのか『マイ・フェ・レディ』なのか、或いは『ブレードランナー』なのか誰にも予想できない。
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