ピグマリオンは電気羊の夢を見るか 前編

 私と私の奇妙な友人……パートナー……協力者……ピンとくる表現が思い当たらないが、私と千鶴さんは今までにいくつかの奇妙な事件に介入してきた。

 私が彼女に話を持っていく場合もあるし、彼女が私を呼ぶ場合もある。

 今回は後者のパターンだった。


 久しぶりの休日。

 私は墨田区にある築15年だが小奇麗な集合住宅のワンルームで休日の惰眠を貪っていた。

 その惰眠としか表現しようのない無意味に長い睡眠を電気的な音が破った。

 私のスマートフォンがメッセージを受信していた。

 そのメッセージを送信した人物らしい簡潔なメッセージだった。


「天明君。今、暇かな?」


 遺憾ながら私は暇だった。

 今日は在宅の仕事もしない完全なオフだ。

 趣味の古本屋巡りでもしようかとちらと思ったが、相も変わらず日本列島が茹だるような猛暑で、部屋で冷房を全身に浴びながら過ごすという要求には勝てなかった。

 彼女は私が今日、休日であることを知っている。

 私の行動パターンと平均レベルを下回る社交性の事も把握している。

 そこから私が暇である可能性が高いという解を導き出すのはシャーロック・ホームズや金田一耕助でなくても容易なことだろう。 

 私は「暇ですよ。ご承知の通り。見透かされてるようで遺憾ですけど」と返信した。


 一分もせずに返信が来た。


「一緒に依頼人に会って欲しい。詳細は後で話すから、ウチに来てくれる?」


  〇


「ホムンクルスって知ってる?」


 四十分後。

 私は千鶴さんの一軒家で共に冷たい茶を啜っていた。

 惰眠と冷房で生じた気だるさは真夏の凄まじい暑さで吹き飛んでいた。

 熱い外気を散々浴びた苦しみを冷たい茶が幾らか和らげ、幾分か気持ちも落ち着いたとこれいつものような唐突な問いから会話が始まった。


「錬金術で生み出す人工生命……スイスの錬金術師パラケルススが生成に成功したという逸話がありますね」


 パラケルススの名を知らないオカルト好きはそういないだろう。

 パラケルススことテオフラストゥス・フォン・ホーエンハイムは表の歴史では医師として幾らかの功績を残した人物として名を知られているが、我々の世界では錬金術の大家としての方が名高い。

 パラケルススは多くの著書を残したが、その中にホムンクルス生成に関する記述がある。

 蒸留器に人間の精液を入れて(それと数種類のハーブと糞を入れる説もある)四十日密閉し腐敗させると、透明でヒトの形をした物質ではないものがあらわれる。それに毎日人間の血液を与え、馬の胎内と同等の温度で保温し、四十週間保存すると人間の子供ができる。ただし体躯は人間のそれに比するとずっと小さいという

 おそらく、この製法には宗教的な意味もあるのだろう。「創世記」の「ノアの方舟」で、神々は堕落した人々を滅ぼすために四十日四十夜にわたって雨を降らせた。

 パラケルススが生きたルネサンスにおいて科学と神秘はその領域が曖昧だった。そういう意味でも、ホムンクルスの製法は正しく神秘の世界の技術なのだろう。


 私の回答に彼女はニコリと笑った。


「いいね。話が早い。それじゃあ世界の三大魔術都市は知ってる?」


 私は答えた。


「ロンドンとプラハとサマルカンドで合ってますか?」

「そう。そのとおり。よく勉強してるね。その三大魔術都市でも特に錬金術が発達したのがプラハだ」


 千鶴さんは語り始めた。

 チェコ共和国の首都プラハは我々"こちら側"の人間にとって特別な意味のある街だ。


 その"こちら側"の歴史は十六世紀後半に遡る。

 十六世紀当時、この地を収めたルドルフ二世は政治的には全くの無能だったが、教養に溢れ文化人としては優れていた。

 国王は"魔術王"と称されており特に錬金術を奨励した。

 王自身も錬金術師のパトロンだった。

 居城であったプラハ城内のある「黄金小路」は現在では観光名所だが、その全盛期には多くの錬金術師たちが工房を構えていた。


「ここまでは表向きによく知られてる歴史。……それで、この先は歴史書には残ってない"こちら側"の歴史」


 王の庇護を受けた人物の一人にティコ・ブラーエがいた。

 ブラーエは一般的には天文学者として名高いが占星術師で錬金術師でもあった。

 つまり彼は「こちら側の世界」の人間でもあった。


 王の庇護を受けたブラーエは錬金術の最奥と呼ばれる成果に辿り着いていた。

 ホムンクルスの生成だ。

 ホムンクル生成の成功例はパラケルススのみと表向きは記録されているが魔術の歴史は歴史の裏側にある。

 この成功はプラハに居を構える他の錬金術師たちにも波及した。

 錬金術師たちたちはさらなる高みを目指し家系同士で婚姻を続けた。

 そして、いくつかあったプラハの錬金術師たちの家系は一つの家に集約された。


「それがティコ・ブラーエを祖とするブラーエ家だ。正確には"家系"というより"一門"といった方が正確だけどね。とにかくそのブラーエ家が今回の依頼主」

「しかし、天文学者が占星術師というところまでは想像がつきますが、錬金術師でもあったんですか」


 千鶴さんは私の疑問にふわりと笑ってやんわりと諭した。


「オカルトと科学は歴史的に見ると曖昧だった時代が長いんだよ。パラケルススが活躍したルネサンスぐらいまでは容易に想像がつくだろうけど、十八世紀に活躍したアイザック・ニュートンも錬金術の研究をしていたし、二十世紀に突入してもトーマス・エジソンがエレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーの降霊会に参加していたという話がある」


 そこまで言ったところで千鶴さんは「そろそろ来るはず」と腕の時計を確認した。

 すると図ったかのように呼び鈴が鳴った。

 「ここで待ってて」という千鶴さんの現に愚直に従い、私は座って茶を啜っていた。


 やがて足音が二人分と気配が二人分、近づいて来た。

 一人は言うまでもなく千鶴さんで、もう一人は人ならざる何かだった。


 一見してそれがわかった。

 彼女は確かに人型をしていた。

 私にはそれが琥珀色の不思議な眼をした人間の若い女性にしか見えなかった。

 私に限らず視力のある人間であればことごとくが同じ認識を持っただろう。


 だが私には――おそらく千鶴さんにも――それが人間ではない人間モドキであることが「解った」。

 その不思議な琥珀色の目をした人間モドキは名を名乗らず、ただ「ブラーエの使い」とだけ名乗った。


「もう直感的にわかってるだろうけど、彼女はブラーエ一族の使い。人の姿をした人工生命、ホムンクルスだ」


 千鶴さんがそう言うと、ホムンクルスはペコリと頭を下げた。

 その動きはプログラミングされたものであるかのように感情を感じなかった。


  〇


 心理学に「不気味の谷現象」と呼ばれるものがある。

 人形や人型ロボットなどに恐怖や嫌悪感を感じる現象だ。

 アメリカのイースト・マーテロー博物館に展示されているこのロバート人形は不気味の谷現象の最も有名な例であり、「幽霊に取りつかれた人形」として多くの人を恐怖させた。


 あれは明らかに人ではなかったが見た目は人のそのものだった。

 パラケルススの著書と違い、フラスコの外でも悠々と活動し、背丈のごく普通の成人女性のものだった。

 デジタルなAIのような言動でありながら、肉体には生々しさがあり血が通っていた。

 そんなものが人知れず存在し、そのような技術が脈々と受け継がれていたのだ。

 私は怒涛の不思議な体験に驚きも動揺も隠せなかった。


「じゃあ、状況とやるべきことを纏めようか」


 さすがに千鶴さんは落ち着いていた。

 彼女の不思議への耐性はただ事ではない。

 今は……訂正、何時でもありがたい。


 ホムンクルスは使者だった。

 その目的は秘密裏な人探しの依頼だった。


  〇


 ブラーエの一族から一人の錬金術師と一体のホムンクルスが消えた。


 彼らは必要が無い限り外に出ない。

 一族が拠点とするプラハは中世以来、錬金術を追求する理想的な環境が整っている。よって錬金術以外に興味を持たない一族は外に出る必要が生じない。


 その筈だった。


 ある日のこと。


 ブラーエ一族が居を構える邸宅から、一人の錬金術師が居なくなっていた。

 彼が鋳造したホムンクルスも消えていた。

 

 工房として使っていた部屋はもぬけの殻で、生活の痕跡がことごとく消去されていた。


 一族の面々はこの出来事をどう解釈していいか解らなかった。


 彼らは錬金術以外に興味がない。

 生まれながらそう躾られているからだ。

 そして、プラハ以上にその目的に沿う土地は無い。

 その論法は「外に出る必要が無い」という結論にたどり着く。


 一族はこの不可思議な出来事の解釈について話し合った。

 そして一つの推論にたどり着いた。


「研究成果の持ち逃げ」だ。 


 ブラーエの一族にとって各人の出した成果はイコール一族の財産であり、共有しなければならない。

 消えた錬金術師はホムンクルスという研究成果そのものと共に消えた。

 ならば合理的な解釈は「研究成果の持ち逃げ」一つしかない。


 一族はその推論を導き出すとすぐに行動に移った。


 チェコは小国で内陸に位置する。

 ヨーロッパなら陸路でどこにでも行けるが、まずブラーエ一族は空の玄関口であるヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港をあたった。

 中世まで歴史をさかのぼる一族は一般的には名家であり俗世にもある程度根を張っている。


 消えた錬金術師は空港のカウンターで航空券を複数枚購入していたが調査の結果、彼と彼の人形ホムンクルスの行先は成田国際空港であると特定された。

 逃亡先は日本。

 テクノロジーの先端を行く国だ。

 もちろん、逃亡した錬金術師とホムンクルスはたっぷりデジタルな足跡を残していた。


 成田国際空港から鉄道で東京都へ。

 そこから在来線に乗り継ぎ都心を目指した。

 人ごみに紛れるのは逃亡において妥当な判断だ。

 彼らは世界最大級のターミナル、新宿を目指した。

 新宿から京王線のホームに入った。


 そこで一人と一体は忽然と姿を消した。

 京王線の車両には防犯カメラが搭載されているが、設置箇所は痴漢が多発する車両に限られている。

 つまりここで彼らは完全にテクノロジーの死角に入ったのだ。 


 以後、数日間。

 彼らは一切の痕跡を残していない。


 彼らは消えたのだ。


  〇


「今後の方針だけど」


 彼女はいつもながら冷静そのもののサマリーを述べた後、自らの推論を述べた。


「彼らは西新宿のエリアにいると思う。あの辺りは人口密集地で人ごみに紛れ込むには最高の場所だから、新宿駅を最後に姿を消したのもその辺に理由があるんだと思う」


 私は「木を隠すなら森、人を隠すなら人ごみってことですね」という冴えない相槌を打った。


 新宿区は十八㎢に過ぎない面積に三十四万人以上が住んでいる凶悪なレベルの人口密集地だ。

 新宿駅がある中心部の西新宿に至ってはその密度はさらに高くなる。

 集めた情報からも妥当な判断に思えた。


 彼女は話を聞いている時点からすでに策を練っていたようだ。

 話し終えるといそいそと立ち上がり、机の引き出しから糸に球状の物体を吊り下げた道具を持ち出して私の手に押し付けた。

 「何ですか?これ」と私が訪ねる前に彼女は話し出した。


「これはフーチ。『気』を読み取る魔道具で、探し物の近くで垂らすと激しく振れる。東洋版のダウジングだね。これを持って新宿を練り歩く」


 彼女の語りは当初の冷静さから熱を帯び始めていた。


「今回は人間ローラー作戦で行こう。人口密集地の新宿とはいえ面積は限られてるし、あの場所に他の魔術師が立ち入ることはそうそうないだろう。彼らが監視カメラに映るようなことがあればヒュームさんからもサポートが受けられる」


 千鶴さんはまくし立てるように言い切った。

 やはり彼女の口調からは些かの興奮を感じた。


「ずいぶんやる気の感じる言動ですね。何かあったんですか?」


 私の問いに彼女はにっこり笑って答えた。


「金払いがいいんだよ。もちろん天明くんにもおすそ分けするから頑張ってね」


  〇

 それから一週間。

 残念ながら結果は出ていなかった。


 狙いは問題なかった。

 最初の面会を終えた後、私と千鶴さんはまず新宿駅を目指した。

 駅に降り立った時点で、早くもフーチは反応を示し始めていた。

 方針に間違いはなかった。


 しかし、その後がよくなかった。

 フーチは対象に近づけば近づくほど反応が強くなる。

 私と千鶴さんは西口を中心に連日歩き回って見たが「ここ」というポイントが見つからなかった。


 帰宅ラッシュが始める平日の夕刻。

 春になり気温の上がった室外で動きまわって大分疲労の蓄積していた我々はビル街の隙間にひっそり佇む昭和風の喫茶店で冷たいドリンクに口をつけていた。

 口をつけながらお互いに意見を出し合い考えを纏めていた。

 ヒュームさんに情報提供をお願いしていたが残念ながらテクノロジーの目は錬金術師とホムンクルスの姿を捉えていなかった。

 足で稼ぐしかない状況ということだ。


「観点だけど、一番重視するのは『人口密集地』だっていうことですよね?」


 私は言った。


「そうだね」と彼女は即座の相槌で答えた。


 私は児童のような素朴な疑問を口にした。


「結局、新宿で一番人が集まるのってどこなんでしょうか?」


 千鶴さんはすぐに相槌を打たなかった。


「それだよ」


 代わりに正鵠を射た沈思黙考があり、彼女は一本指を立てた。


「新宿にある設備で、一番人が集まるところ――利用者数が最も多い施設はどこだと思う?」


 私は思わず「あっ」と感嘆符を口から漏らし解を述べていた。


「新宿駅ですね!?」


 彼女は報酬額の話をした時のようににっこり笑った。


「そう。新宿駅の利用者数は一日で三百万人を超える。これは横浜の人口を超える数だ。近年の観光客の増加で、ヨーロッパ系が駅構内を歩いていても全く目立たない。

おまけに新宿駅の近くには建設途中で破棄された駅がある。その駅は京王線の地下沿線沿いだ。どう?謎は解けったっていう感じがしない?」

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