金縛る 後編

 いつものように午前中の予定を済ませて昼寝してました。

 調査のおかげでしょうか、最近は金縛りも少なくなってきていて今日も何事もありませんでした。

 一時間ぐらいだったと思います。

 普通に目が覚めて……それで気づいたんです。


 カーテンの向こうに"あの"スプリングコートを着た誰かが居たんです。

 私……怖くてビックリして固まっちゃって。


 そのうちにカーテンの陰にその人は消えました。

 前みたいにベランダに出たら、あの時みたいにメッセージと手形がありました、


「誰か呼ばなきゃ」


 そう思って部屋を出ました。


  〇


「それで、部屋を出たら長南さんが居て……あの、何が起きてるんですか?」


 佐那は私と共に部屋に戻ると怯え切った様子で勢いよく語り始めた。

 もちろん、何が起きているかは説明するつもりだ。

 だが、その前にやらなければいけないことがある。


 怯えている佐那を宥めながら私は部屋に入った。

 彼女の方は「何が何だか」という様子だった。


 早々に謎解きをするべきだろう。

 私は声を張り上げ、ベランダに身を縮めて隠れているであろう私のホームズを呼んだ。


「もう入ってきて大丈夫ですよ」


 カーテンがふわりと動き、慌てた佐那が開けっ放しにしていた窓から長髪でイエローのスプリングコートを着た人物が入ってきた。


「ワトソン君、首尾はどうだった?」


 柔らかくそう言った彼女がロングヘアーのウィッグを外すと肩で切り揃えられた亜麻色のウェーブした髪が現れた。

 私はウィッグを外した千鶴さんに親指を立てて答えた。

 ベランダから現れた千鶴さんを見た佐那は目をパチパチさせていた。


「驚かせてごめんね。これから種明かしをするからね。」


 千鶴さんの言葉に彼女は小さく頷いた。


  〇


「天明君。君が知っている中で最も頭がいいと思う人は誰?」


 前回の訪問の帰り道、千鶴さんが唐突に聞いてきた。


「そうですね……まずは千鶴さん」

「おや、ありがとう」

「それと編集長の本城さんでしょうか」


 この質問に何の意味があったのか。

 千鶴さんの頭には消えたメッセージと手形について既に仮説があり、検証の為に誰かと議論したかったのだった。

 議論の相手が私では不足であることは遺憾だったが、金縛りの謎さえ解けなかった私には何も言えなかった。

 「君が役不足なわけじゃないけど」と千鶴さんはフォローしてくれたが実に遺憾な事実だった。


 私は仕事の進捗報告と「協力者」である千鶴さんの紹介も兼ねて彼女を職場に連れて行った。


 私が勤めるオカルト年代記編集部は青山のレンタルオフィスを拠点にしている。

 私は社員ではあるが毎日出社する義務はなく基本はリモートで作業をして必要に応じて出社している。


 編集部に常勤しているのは編集長で代表取締役の本城龍太郎ほんじょうりゅたろうさんと副編集長、ウェブを管理しているエンジニアの三人だけで、当然ながらその日もオフィスにいたのはその三人だけだった。


 本城さんはオカルト好きが高じてメディアを立ち上げた人物だが元々音響機器メーカーのエンジニアで根っからの理系だ。

 オカルトは好きだが妄信はしておらず、徹底的に調べないと気が済まない。

 子持ちの既婚者だが、家にいる時もその殆どをオカルト関係の番組や書籍を確認する時間に充てている。

 結婚十五年で自称「家庭円満」だが本当に家庭円満なら、円満の理由はあまりにもミステリーだ。

 また、四十三歳だが異様に若々しく、少なくとも中学生の子供がいる既婚者には見えない。

 特に節制はしていないと自称しているが、それが本当ならそれもまたミステリーだ。


 常勤社員三人は全員が男であり、本城さん以外は全員独身だ。

 千鶴さんはスラッとして色白、目鼻立ちのくっきりしたよくあるタイプの美人なので、当然ながら千鶴さんが入ってきた瞬間彼らの顔色が変わった。


 残念ながら既婚、子持ちの本城さんも明らかその反応だった。

 家庭円満の秘訣は煩悩を捨て去ることでは無いようだった。


 私は千鶴さんを「オカルト分野をフィールドワーク的に研究している民俗学者」と紹介し、今回の調査について具体名を伏せて説明した。

 (今回の件は檀家さんから頼まれての事なので記事にするにしても具体名を出すわけにはいかない)

 私の説明に続いて千鶴さんが手形とメッセージの件について仮説を話し始めた、

 「なるほど」と思う内容だった。


 本城さんも私と同じ感想を持ったようだった。

 しかし、その後が流石だった。


 彼は「なるほど」と言うとさらに続けた。


「十分納得のいく仮説だと思います。特に異存はありません。では、あとは実証だ」


 そう言うと本城さんは実験のアイディアを提示してくれた。

 根っから理系なのだろう。

 本城さんの口からは自然科学から心理学まで様々な知識を基礎とした理路整然としたアイディアが淀みなく出てきた。


 私の中で頭の良い人の筆頭格になっている千鶴さんですら本城さんの頭の回転の速さには舌を巻いていた。


  〇


 本城さん提案の実験が成功裏に終わり、千鶴さんの仮説は証明された。

 千鶴さんはポカンとしている佐那にはあの日行われたであろう出来事を推測を交えながら語り始めた。


「まず、窓の外に立っていたのは亡くなった君のお姉さんじゃない。黄色いスプリングコートを着た全くの別人だ」

「でも、確かにあの時は姉だと……」

「人間の心理っていうのは何か強い印象のあるポイントがあると、それに意識がいって思いこみが働く。特に色は心理へ働きかけが強いんだ。ほら、信号機は形じゃなくて色でストップとゴーを表現してるでしょ?だから、黄色いスプリングコートなんて目立つ物を着てれば思いこみで錯覚するのも当然なんだ。ましてや、暗闇のなかでなおかつ目覚めたばかりの寝ぼけ眼でみたんだろ?現に、今さっきベランダに立ってたのは間違いなく私だ。でも、君にはお姉さんに見えた。間違いないね?」


 佐那は頷き、続けてこう尋ねた。


「でも、貴女は今までどこにいたんですか?それにあのベランダにあった赤字のメッセージは?」

「それはもっと簡単だよ。となりの部屋は空き部屋でしょ?ベランダの仕切りを乗り越えて隣の部屋のベランダに屈んで隠れてたんだ。ただそれだけのことだよ。

それとメッセージはセロファン紙に書いて貼り付けてあっただけ。君が部屋を出ていったタイミングで剥がせばそれで消えるメッセージの完成ってわけ。ほら、これ。演劇部の備品から拝借してきた」


 そこで千鶴さんが右手に握ったセロファン紙を広げて彼女に見せた。

 彼女はそこに書かれた文字を確認して言った。


「そんな……でもなんで?誰がそんな事を?」

「こんなおざなりなトリック、そうそう成立するものじゃない。よっぽど不注意な状態じゃないと引っかからないだろう。たとえば、薄暗闇で寝ぼけた人間とかね。君の昼寝は日常的な習慣なんだろう?じゃあ、犯人はその習慣を知っている人物だ」


  〇


 犯人はルームメイトの芦原茉奈だった。


 犯行の動機は成績上位争い。

 茉奈の家は医者や学者を輩出してきた家系でとかく成績のことを責められがちだった。

 彼女にとって常にトップをキープしている佐那は目の上のたん瘤だった。


 その佐那に悲劇が起きた。

 茉奈は自分の行動が非常識であることを自覚してはいたが、佐那にゆさぶりをかければ彼女を引きずり下ろせるのではないかと考えてしまった。

 

 佐那の姉のことは佐那から聞いていた。

 イエローのスプリングコートを着たのはSNSで二人の写真を見て印象に残っていたから。

 茉奈は演劇部に所属しており、小道具作成で使ったセロファン紙の余りを持ち出すのは容易だった。

 ただそれだけのことだった。


 あれだけずさんな計画だ。

 おまけにこのトリックは不確定要素が多く成功率が低い。

 千鶴さんと私は似た間取りの部屋で実験をしたが、成功率は十回に一回というところだった。

 ところが茉奈は成功してしまった。

 まんまと成功してしまった彼女はすぐにばれると思っていた。

 ばれたらばれたですぐに謝るつもりだった。


 しかし、外部から調査員が入ってくるなど事態が深刻化していくのを見て言いだせなくなってしまったようだ。


 茉奈は謝罪し、佐那はその謝罪を受け入れた。

 少なくとも表面上は彼女たちは友好的なルームメイトに戻った。


 しかし、女性の友情は複雑怪奇だ。

 男は一度「許す」と言えばすべて元通りになり、酒を飲んでサッカー観戦か野球観戦でもして楽しみを分かち合う。

 しかし、もともと親友同士だった二人の友情がその後どのような変遷を遂げるか、それは私の想像力の埒外だ。


 スティーヴン・ホーキング博士は言った。

 「女性。全くの謎だ」

 ホーキング博士にもわからないことが私に分かるはずがない。


 こうしてひとまず事件は解決した。

 私は父に報告をして駄賃を受け取り、千鶴さんにその半分を渡した。


  〇


 「ただ、一つ。まだ分からないことがあるんですよね」


 私は古民家を改造した谷中のクラシカルな喫茶店で、冷たいコーヒーを啜りながらその後の経過を千鶴さんに話していた。

 既に昼前だったが千鶴さんは朝食をとっていなかったらしく、一緒に卵サンドも注文していた。

 関西風の卵焼きを挟んだ卵サンドだった。

 千鶴さんはサンドイッチを含みながら、私の二言目を遮るように言った。


「メッセージの件かな?」


 やはりこの人には敵わない。


「調べたんだよ。ちょっと気になってね。そしたらやっぱり、彼女のことを『シャナ』なんて呼ぶ人物は学校には居なかった」


 それが唯一残った謎だった。


 茉奈はメッセージを残したことは認めたが、彼女の書いたメッセージは「元気でね、佐那」だった。

 少なくとも彼女はそう証言しているし、そんな部分で嘘をつく理由が分からない。

 父経由でそのように証言していることを聞き、私は気になって調査を進めた。


 その結果、「シャナ」というあだ名は佐那は幼く舌足らずで自分の名前が上手く言えなかったことに由来するもので、佐那のことを「シャナ」と呼ぶ人物は一人しかいなかった。

 佐那の亡くなった姉だ。


 千鶴さんの事なのでその辺は恐らく調査済みなのだろう。

 連絡先も交換しているので気になって早々に確認したに違いあるまい。


 私が一応、父経由で確認した事実を述べると千鶴さんは小さく頷き、感想を述べる代わりに語り始めた。


「昔聞いた伝承にこんな話がある」


 晴れた冬の日に留守番していると、いつの間に来訪したのか叔父が縁側に座っていた。

 叔父は偉く上機嫌で飴売りの歌を口ずさんで帰った。

 入れ違いに帰宅した親が、叔父の頓死を告げた。 


「この話に限らず、急死した人物が別れの挨拶に来るという話は山ほどあるんだ。

カラスの姿になって挨拶に来たり、不思議な色の花を咲かせたりやり方は色々だけど、血の繋がりって言うのは強い力になるっていうことだね。あの子のお姉さんも事故で急死だったらしいね。姉妹仲もよかったそうだから、名残は尽きなかっただろうね。だから、どうしてもお別れを言いたかったんじゃないかな」


 今日も暑い。

 だというの私は背筋寒いものを感じていた。 


「こんな時、なんてコメントすればいいんでしょうね?」


 私の情けない感想に千鶴さんが答えた。


「『麗しい姉妹愛だ』でいいんじゃないかな?」

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