金縛る 中編

 カフェを出た我々はバスに乗りこんだ。

 元々利用者の多い路線ではないのだろうが、平日の昼間と言うこともあって客は殆どいなかった。

 我々に続き、杖を突いて買い物袋を提げた老婦人が乗り込むと運転手は誰もバス停に並んでいないのを確認しドアを閉めた。

 バスは引退したサラリーマンの寝起きのようにゆったりと出発した。

 

 小金井市の属する多摩地域は緑豊かで閑静な地域であり、少なからぬ数の学校法人がここに学び舎を構えている。

 我々の目的地、マルタ女学院もその一つだ。


 小金井を出発したバスは三鷹方面へと向かっていた。

 ただでさえ静かなこの地域にマルタ女学院はテーマパークでも作れそうな広大な敷地を持っている。

 思索や勉強にはいい場所だろうし、変な虫がつく危険性を考えれば親にとっては安心な環境かもしれない。

 夜は十時消灯で最寄りのコンビニまで徒歩十五分の環境など私は絶対に御免だが。


 隣の千鶴さんは熱心にスマートフォンの画面を見ている。


 私は車窓の風景を半分程度の意識を傾けて見ていた。

 窓の外からは程よい、せせこましくならない程度の余裕をもって並んだ住宅街とそれにまざって時折公園が見える。


「マルタ……主婦の守護聖人を名前に冠するとはね。この学校は良妻賢母を育成する機関なのかな?」


 千鶴さんはマルタ女学院のホームページを閲覧していたようだ。


「まさか。創設当初から女性の社会進出を目標とする方針だったらそうですよ。『マルタ』は聖マルタのことではなくて創設者の名前のラテン語読みで、元々はマーサ女学院と呼ばれていたそうです」


 訪問にあたり私はマルタ女学院について調べていた。

 創設者のマーサ・クラークははイギリスのパブリックスクールの女子バージョンのようなものを構想し、大正末期にこの学院を創設した。

 女生徒たちは外界から隔離された敷地内で共に学び、寝食を共にする。

 外泊は土日祝日や長期休みの時に限られ、自由はかなり大きく制限される。

 その代わり、生徒一人一人に対する対応は手厚い。

 各個人に合わせた教育プログラムが組まれ、授業の多くは少人数制で行われる。

 敷地は広く余裕があり、逍遙学派のように歩きながら思索ができ、スポーツも庭いじりもできる。


 警察沙汰でもない調査目的で男子禁制の全寮制女学校に部外者が入るのは難しいと思われたが、千鶴さんに話したところあっさり許可が出た。

 どうもヒュームさんが手を回してくれたらしい。


「ところで、君は自分の職業の守護聖人を知ってる?」


 彼女の質問はいつも藪から棒だ。


「オカルト記事を書くことをジャーナリズムと言えるか微妙なところですが一応ジャーナリストなので聖フランシスコ・サレジオだと思います」


  私は謙遜とも自虐ともつかない自己評価を述べてから聞いた。


「千鶴さんは?」

「魔術師の守護聖人はいないみたいだからね。勝手にセビーリャのイシドロスを崇めてるよ」


 彼女の答えは即答だった、いつもそう言うことを思考しているのだろうか。


「それはどういう理由ですか?」

「イシドロスは百科事典の原型を作った人物だ。知識の重要性を理解していたんだろうね。だから尊敬する。以上」


 私は「なるほど」と思い、その気持ちの通り「なるほど」と答えた。


 バスが幾つ目かの停留所で停まり、杖をついて買い物袋を持った老婦人が降りた。

 客は私と千鶴さんだけになった。


「あとどのくらいかかるのかな?」

「はっきりとは言えないですが、大分先です」


 彼女は「そう」と言ったが本当は「やれやれ」と言いたかったのかも知れない。


  〇


 人を殺したことがありそうなオーラを纏わせたガードマンの対応を受けて受付を通り、地方の赤字経営真っただ中なテーマパークがすっぽり入りそうな広大な敷地を歩くこと十分。


 私と千鶴さんは「アインシュタインが講義したこともある」と言われたら信じそうな風格溢れる建物の前に立っていた。

 建物はレンガ造りで蔦が絡まり、チップス先生あたりがひょっこり顔を出しそうな雰囲気があった。


 私がそう述べると「私はピーター・オトゥール版の方が好きだな」と千鶴さんは答えた。


「オックスフォードかケンブリッジの学生寮みたいだね」


 千鶴さんは感想を述べた。

 大学のパンフレットによるとここは明治時代からある建物を改築したもので、オックスフォード大学のキーブル・カレッジをモデルにしているという。

 母国パブリックスクール形式を持ち込むとはいえ、建物まで英国風にする必要はないのではないかと思うが、それは人情というものなのだろう。


 寮の受付で名前を述べ、待つこと数分。

 背中までの髪を後ろで束ね、眼鏡をかけた少女が近づいてきた。


「あの……和尚様の紹介してくださった調査員の方でしょうか?」


 私が「そうだよ」と答えるとその真面目そうな少女、今回の依頼主である豊原佐那はペコリと頭を下げた。

 私は「この分野に詳しいジャーナリスト」と自己紹介し、千鶴さんは「学者」と名乗った。

 千鶴さんは学術的な研究者としての側面も持っている。

 間違いではない。


 部屋は一部例外を除き二人一部屋。

 ルームメイトは留守だった。


 古めかしい外観に反して部屋は清潔で新しかった。

 ほんの二年前に大々的なリノベーションを行ったとのことだった。


 内装はシンプルだ。

 ベッドと机が二つずつ。

 セパレートされた洗面所とシャワールーム。

 窓の外にはベランダ。


 テレビは無くスマートフォンは持ち込み禁止。

 外部との連絡は共同の公衆電話を使う。


 勉強にはいい環境かもしれないが、私は絶対に御免だと思った。

 地味に物欲にまみれている千鶴さんもそう思っているに違いない。


 千鶴さんは部屋に入ると「失礼するよ」と言って部屋をぐるぐる回り始めた。

 私はその後ろを少し間をあけてついて行った。

 部屋の主である佐那は我々の動向を不安げに見ていた。


 千鶴さんは部屋をじっくりと歩きながら見回していた。

 術を行使する様子は全く無い。


「降霊術は使わないんですか?」


 私は佐那に背を向けたまま小声で聞いた。

 千鶴さんは小声で答えた。


「天明君、何か感じるかい?」


 そう言われて私は今日初めて、自分の「視える人間」としての勘を意識した。


 そして改めて言われて気付いた。

 「こちら側」のアンテナに引っかかるようなものを全く感じなかった。


「何も感じないです……千鶴さんは?」

「私もだよ」


 千鶴さんは部屋の中央で手持ち無沙汰になっている佐那に背を向け窓の外を見た。

 そして何秒かすると振り返った。


「さて、佐那ちゃん」

「金縛りの件は聞いてるけど、もう一度私に話してもらえるかな?」


 父から伝え聞いたのと一部表現は違うもののほぼ同一と言っていい内容だった。


「超常現象とは考えにくいね」


 千鶴さんはきっぱりと言った。

 佐那にとってその答えは些か不満だったようだ。

「そうなんですか?」と問う彼女の表情には落胆の色が見えた。

 千鶴さんは飄々として窓の方を指した。


「ベランダに出ていいかな?」


 「どうぞ」という許可の声で彼女は静々とドアを開けた。

 ベランダに出た千鶴さんはベランダを端から端まで歩くと「うんうん」と頷いた。

 素早く何枚か写真を撮り、部屋に戻った。


「『金縛り』は『金縛きんばく』という仏教用語を訓読みにしたもので、『金縛』は、悪霊などを身動きできないように抑えて鎮めることだ。そこから転じて身動きが取れなくなる状態を金縛りと呼ぶようになった」

 

 千鶴さんは撮った写真を検めながら唐突に話し始めた。

 彼女のペースに慣れていない佐那は「はあ……」とどうにか呟いただけだった。


「され、それじゃ今回の件について確認。『寝ていると誰かがのしかかってる感覚がして、目を開けると亡くなったはずのお姉さんが青白い顔をしてこちらをジッと見つめていた』で大体合ってる?」


 佐那は唐突な質問に面食らったがシンプルに答えた。


「はい、そうです」


 間髪入れずに千鶴さんは尋ねた。


「さて、じゃあ事件のことを思い出してみようか?君は夜寝るときは、部屋を真っ暗にするタイプ?それとも薄明かりが無いと寝られないタイプ?」

「暗くします」

「じゃあ、どうして胸の上に圧し掛かっているのがお姉さんだとわかったんだい?」


 佐那は目を見開いた。


「金縛りには複数回あっているようだけど基本は夜中の出来事で、コートを着たお姉さんと手形を見たときも昼寝して目を覚ましたら、外は暗くなってたんだよね?

ここは住宅街からも離れた陸の孤島だ。寮の規則で夜は一斉に消灯して真っ暗になる。私ならすぐ隣の人の顔も判別できる自信がない。忍者並みに夜目が利かないと難しいだろうねそんな状況でどうして人の顔の判別がついたんだい?」


 基本的な見落としだった。

 佐那も私も、恐らくは佐那の診察をした精神科医もそこまでは考えていなかったに違いない。


「ヒトは現実にあるものをそのまま見てるわけじゃない。脳というフィルターを通して認識しているに過ぎない。だから枯れ尾花と幽霊を見間違えるし、金星とUFOを見間違える。それに、君は親しい親族を無くしたんだ。大変なストレスだっただろう。であれば、金縛りの原因はストレスによる睡眠バランスの乱れ。亡くなったお姉さんの姿は半覚醒状態の幻。多くの金縛りがそうであるように、君が体験した現象は睡眠麻痺による特殊なレム睡眠と思込みからくる入眠時幻覚と考えるのが合理的だね。君を診断したお医者様の見解を支持するよ」


 佐那はここまでの千鶴さんの話に納得したようだった。


「……確かにそうかもしれません。あのコートを着た姉の姿も幻覚だったのかも」


 しかし、まだ謎は残る。


「でも、手形はどうなんですか?」


 千鶴さんは答えた。


「それは別問題だね。少し時間を貰えるかな?」

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