人を呪わば 中編
「拙いことになった」
依頼人が去った後、千鶴さんの第一声はそれだった。
「丑の刻参りの目撃者を生かしておいてはいけない。最大の禁忌だ」
「丑の刻参り」は神道の思想を起源とする呪いの儀式だ。
儀式に際して顔を真っ赤に塗りたくり、頭に五徳をかぶって松明を灯し、藁人形に五寸釘を打ち付ける。
確かに少女の証言と一致している。
「行こう、天明君」
千鶴さんはヒュームさんに「状況は報告するので、サポートと後処理をお願いします」と告げると勢いよく立ち上がった。
私は勢いよく部屋を出ていく千鶴さんの後を阿呆のように追いかけた。
〇
ドブネズミ色の住宅街を足早に歩く。
雨模様だった空は雨模様から雨に変わっており、真夏の熱気をおびた細かい雨が我々を濡らしている。
「まずはあの女の子が『目撃』してしまった神社からだ」
足早に歩きながら千鶴さんは言った。
「『まずは』ということは他にもあるんですか?」
「でなければいいけどね、恐らく違う」
「なぜですか?」
「まともな術者ならば追跡の術ぐらい使えるだろうし、儀式の現場は入念に秘匿するはずだ。ましてや行っていたのは『決して見られてはいけない』丑の刻参りだ。
天明君、思い出して。あの女の子は『ストーカー被害の』相談で警察に来ていたよね?」
私にはよく意味が分からなかった。
「丑の刻参りに必要なものはいくつかあるけど、前提として呪い殺す相手の髪が必要だ。目撃した女の子の背格好から中高生、近所の学校にあたりをつけて張り込んだんだろう。それで尾行して自宅から学校まで生活圏を把握し、髪の毛を手に入れる機会を窺ったんだ。人は一日百本程度は脱毛するから、ただそれを回収すればいい。
急に姿を見せなくなったのは髪の毛を手に入れるという目的を達したら、そんな手を使わなければならないのは術で追跡できるような正統派の術者じゃないからだ」
「でも、素人……強力な術者でないならば御しやすいってことにはならないんですか?」
「それが問題なんだよ。まともな術者ならば次にやることの推測が付きやすい。素人はかえって質が悪いんだ」
尚、私にはよく意味が解らなかったが千鶴さんは「今は構っていられない」という様子だった。
「丑の刻参りは七日で満願になる。まだ痛みは末端で済んでいるけど、最終的に心臓を潰される。急ごう」
〇
我々は少女が呪いの現場を目撃した場所、荏原神社に赴いていた。
荏原神社は龍神を祀る神社であり、古くは徳川家からも崇敬されていた由緒ある社だ。
江戸時代に創建された社殿が現存しており見ものになっている。
千鶴さんは鳥居の前で儀礼的に一礼し、手水で清めると観光的興味の対象物には一切興味を示さず、社殿の裏にそびえる木々を検め始めた。
真昼間に機会な行動をして見とがめられないか心配だったが、平日の昼間であり見とがめるような人は殆どいなかった。
「やっぱりだ」
周囲の人影を心配していた私に千鶴さんが言った。
「証言によると、丑の刻参りをしていた女は平均的な成人女性の背丈……私と同じぐらいの背格好だったそうだ。それで、私の目線で探してみた」
彼女は一本の木の一点を指さした。
そこを見ると、何か――おそらく釘のようなものを指した跡があった。
その跡からはラヴクラフトならば「名状しがたい何か」と評しそうな邪気があふれていた。
「うん……秘匿の痕跡が全く無い」
魔術や呪術あるいはその近似のカテゴリーに入るものは「秘匿」が大原則になる。
とりわけ歴史の古い家系はそれを重んじる。
どのような神秘の術であれ、古来より術者は秘匿することでその力を守ってきたからだ。
例えるならば、「こちら側の世界」は暗闇だ。
暗闇は人を畏れさせ、そこに人は神秘を見出す。
沖ノ島が世界遺産に登録されたのをきっかけに、年に一度抽選で選ばれた男子だけに許可していた入島を禁止したのは術師としての判断としては限りなく全うだ。
「天明君、二手に分かれよう」
こうした事態に対して私は千鶴さんの忠実なポチになるしかない。
「何をすれば?」と判断を問うた。
千鶴さんはスマートフォンで呼び出したGooglemapを睨み、少々の黙考の後にきっぱりと告げた。
「品川区と周辺の神社を当たり、他にも同じような痕跡が無いか確認する。
私は北品川のエリアを調べるから、天明君は青物横丁と大井町、二葉町の方面をお願い」
〇
「当たりでしたよ」
私と千鶴さんは品川駅で落ち合い、高輪口の少々お高めの喫茶店で冷たい珈琲に口をつけていた。
他のもっと安価な喫茶店を探したが、この悪天候の中、みな考えることは同じらしい。
帰宅ラッシュの時間が迫っていることもあり、窓の外に見える景色は世界最大のメガシティに相応しいせわしなさだった。
結果は千鶴さんの予想通りのものだった。
青物横丁と大井町駅の周辺にはいくつかの神社が点在している。
それらを一つ一つ周り、千鶴さんの視点で検めてみた。
その通り、いずれの神社には「その痕跡」があった。
「やっぱり。私の方も結果は一緒だったよ」
品川駅で千鶴さんと合流し結果を改めて報告すると彼女の方も同じ結果だったことを告げた。
「これではっきりした。犯人は全くの素人だ。儀式の意味を正しく理解していない。稀にあることだけど、恐らくたまたま呪いの儀式が成功してしまったんだ」
寺生まれの私でも知っている。
神社を転々とすることは心願成就の妨げとなる。
八百万の神の間で譲り合いや諍いを起こしてしまうからだ。
術には所以があるし意味もある。
千鶴さんの言う通りこの犯人は儀式の意味を正しく理解していないのだろう。
「場所を転々とすれば見とがめられる危険性も減ると考えたんだろうね」
「あの女の子が目撃した時、荏原神社で儀式が行われていたのは偶々だったんですね」
「そうだね。犯人はこの周辺を生活圏にしていて周囲の神社をローテーションしながら丑の刻参りをしている。目撃されたときはそれが荏原神社だったんだろう」
私はようやく合点がいった。
確かに素人はより質が悪い。
つまり今夜何かが行われる場所には複数の候補があるのだ。
おまけに丑の刻参りが満願になるにはあと四日しかない。
「それで、どうします?」と私が問うと、彼女は少々の黙考の後に答えた。
「これは推測だけど、犯人は恐らく車を持っていないかそもそも運転免許を持ってない。徒歩か自転車か公共交通機関を使わざるを得ないんだ。丑の刻にあたるのは午前一時から午前三時ごろ。深夜では公共交通機関が使えない。だから範囲が狭い。張り込みで対応しよう」
その後、念のため、戸越、大崎まで捜査範囲を拡大したがそのエリアに神社には痕跡は見当たらなかった。
千鶴さんはヒュームさんに神社から不法侵入、器物損壊の通報が無かったかを確認していたがやはりそういった通報があったのは品川の限られたエリアだけだった。
「でも、タクシーを使う可能性は?」
「これから丑の刻参りをしようって格好でタクシーに乗ったら怪しさ全開だろ?その程度の理性は残してるんだ」
「でも張り込む言ってもどうやって?対象範囲は狭いけど、僕らは二人ですよ?」
我々はテーブルに乗せた紙の地図で確認のために該当の神社に印を付けていた。
印の数は十にも満たないが二人では手に余る。
しかし、彼女は人差し指を立てると今日初めての微笑を浮かべた。
「そこは素人の手段には玄人の手段で対抗だよ」
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