人を呪わば 前編

 今年の梅雨はだいぶしつこいようだ。

 短い春が終わり、夏が訪れた日本列島は夏とセットでやってくる招かれざる客「梅雨」が到来していた。

 ここ数日ずっと雨が続いている。日の光をたっぷり浴びたのがいつだったか思い出すのがやや困難なほどだ。


 今日もまたどんよりとした鼠色の空が鼠色の街を包んでいる。

 予報の雨は降っていないが雨の予感を感じさせる空模様だ。

 スマートフォンで確認すると降水確率は六十パーセントだった。


 湿気を含んだ夏の熱い大気を感じながら私は目的の場所に歩みを進めていた。

 言うまでもなく、呼び出したのは千鶴さんだ。

 憑き物の一件以来、彼女とはシャーロック・ホームズとジョン・ワトソン、或いはエルキュール・ポアロとヘイスティングス大尉、或いはバスカヴィルのウィリアムとメルクのアドソに相当するような関係になっている。

 言うまでもないが、私はホームズ枠では無い。凡庸なるワトソン君だ。

 今日も今日とて彼女に呼び出され、事件の取材兼調査の助手として駆り出されることとなっていた。


 最寄りの駅を降り、文明の利器、GoogleMapを手に歩みを進める。

 ドブ鼠色の低中層マンションが立ち並ぶエリアを抜けると目的の場所にたどり着いた。

 品川の東北部を管轄とする所轄署、品川警察署だ。


 受付で名前を告げるとゲスト用のバッチを渡され、私は応接室に通された。

 約束の十分前だったがすでに向こうは到着していて、私を待っていた。


「やあ、天明君」


 応接室のソファから立ち上がり、千鶴さんが手を挙げて私に声をかけた。


「千鶴さん。ニューヨークはどうでした?」


 優秀な祓い屋である彼女は時々海外からも依頼を受けることがあるらしい。千鶴さん曰く「簡単な事件」だったらしく、たっぷり観光を楽しんだそうだ。能力のある人とは時にそういう恩恵にあずかることがある。


「暑かった。こちらとどっちがマシかというレベルだったね。冬の大寒波と真夏の灼熱地獄が交互に来るあの街が世界最大級のビッグシティに発展したのは近代史最高レベルの謎だね」


 そして、彼女の隣に座った長身で黒髪の白人男性がペコリと頭を下げた。

 私はひとまず促されるままに応接室のソファに腰かけた。


「天明君、依頼人が来る前に二つ話しておくことがある」


 千鶴さんは分かりやすく指を二本立てると語り始めた。


「こちらはデヴィッド・ヒュームさん。祓い屋協会の連絡役だ」


 紹介され、白人男性はまたしてもペコリと日本式にお辞儀をした。


「はじめして。天明さん。千鶴さんから良く聞いています。

日頃から色々ご協力いただいているようで大変感謝しています」


 見た目に反する訛りの無い流暢な日本語でヒュームさんは言った。


「ひょっとして日本人なんですか?」


 私は阿呆のように聞いた。

 彼は笑って答えた。


「ええ。そうです。両親はスコットランド人ですが私は生まれも育ちも日本です。英語と日本語の両方がネイティブに話せるので重宝、というか珍重されてましてね」


 「祓い屋協会」はいつから存在するのか誰もわからないほどの昔からある祓い屋の互助組織だ。

 開国と明治維新に伴い海外の同様の団体と連携することもある。ヒュームさんの言う「重宝、というか珍重」はそういう時に発揮されるのだろう。千鶴さんがニューヨークに呼ばれたのもそういった連携の結果と思われる。


「さて、では千鶴さんに代わりまして二つ目のお話を私から説明いたします」

 

 祓い屋協会の「連絡役」は視える人間の側――我々にとっての「こちら側」の世界と「向こう側」の一般社会の折衝を行うために存在する役職だ。

 ヒュームさんその中でもは警察に寄せられる相談から「こちら側」の事件を選り分けする担当らしい。

 祓い屋協会の歴史は非常に長く、政府や警察のような近代的組織が誕生する前から存在している。そのため日本が近代化する過程でそういった近代的組織にも根を張っている。

 警察情報に特別にアクセスする権限を得ているヒュームさんは、あるストーカー事件の相談に反応した。

 被害届や相談内容から「こちら側の事件である」と判断し、千鶴さんに依頼する形になった。


「どういう内容なんですか?」

「呪いです」


 私の問いに彼は微笑して言った。

 底の見えない微小だった。


「そろそろ被害者本人が来ます。詳しくは直接聞いてください」


 そう言って話を終わらせた彼に私は小さな問いをかけた。


「ところで、そういう『選り分け』はあなた一人で対応しているんですか?」

「勿論、交代で対応しています。私一人でやったらそれこそカローシしてしまいますから」


 そういってクスクスと笑った。


  〇


 程なくしてノックがあり、二人の女性が応接室に入ってきた。

 中年の女性と十代の半ばから後半ぐらいの少女の二人組だった。

 面差しが似ている。

 親子だろう、と私は推測した。

 中年の女性が「娘の件でありがとうございます」と頭を下げた。


 やはり二人は親子で、どうやら今日の主役は娘の方らしい。


 娘の方は桟原結衣さじきはらゆいと名乗った。

 彼女は日よけか日よけ兼オシャレなのか、キャップを被っていたが千鶴さんに促されて脱いだ。


 千鶴さんは営業用の温顔で頭を下げるとミスターヒュームに紹介されたとおり「ストーカー専門の私立探偵」と名乗った。

 私のことは「助手」と紹介した。

 もちろん、嘘なのだが嘘も方便という諺がピタリと当て嵌まるこの状況なので別に問題はないだろう。


「では、お手数ですがもう一度、警察に相談されたことをお話いただけますか?」


 時候の挨拶も無しにミスター・ヒュームは切り出した。

 少女は憔悴しきった様子で話し始めた。


  〇


 十日ほど前の事。

 結衣は夜中、強烈な渇きで目を覚ました。

 最悪なことに冷蔵庫は空っぽだった。

 水道の水で済ませようかと思ったが、冷えたスポーツドリンクが飲みたかった。 


 近所に自動販売機があったが、試験の結果が思わしくなかったためお小遣い減額の罰をうけており安価なプライベートブランドのものが帰る24時間営業のスーパーを目指した。


 彼女は地元の中学校に通っている。

 自宅はすぐ近くで、山手通りをまっすぐに進むと学校。

 その中途に神社がある。


 スーパーで購入したプライベートブランドのドリンクを飲みながら歩く。

 夜中だが連日の猛暑は夜中の時間帯も寝食しており、水分を補給した先からじっとりとした汗になって発散されていた。 


 湿気を含んでじっとりとした熱気が肌に絡みついてくる。

 渇きは癒されたが眠気と暑さで意識はぼんやりとし始めていた。


 「コーン、コーン」と硬い何かを打ち付けるような音がした。

 スマートフォンのディスプレイを見ると時刻は午前二時を指している。


 こんな夜中に何が?

 恐怖を感じたが、思春期特有の好奇心がそれを上回った。


 「コーンコーン」という音はじっとりとした真夏の空気を破り、鼓膜を震わせている。

 音が近くなる。

 どうやら神社からのようだ。


 それは人だった。

 白装束を来て頭に金属製の何かを被って松明を灯した人だった。

 その人は一心不乱に木に何かを打ち付けていた。


 それは異様な光景だった。

 頼りなげな街頭で照らされる薄暗がりに浮かんだのは藁人形とそれに打ち付けられる釘だった。


 その人の風貌も異様だった。

 彼女――どうやら女性らしい――は顔を真っ赤に塗りたくっていた。


 それ以上に異様だったのはその人の表情だった。

 それはまだ二十年も生きていない人生経験の浅い少女の目から見ても「狂気」としか形容しようのないものだった。


 今度は思春期の好奇心を恐怖が上回った。

 彼女はゆっくりと後ずさった。


 その時、馬鹿げたことが起きた。

 彼女が後ずさったとき、後ずさりながら踏みつけた小枝が「ポキッ」と音を立てて折れたのだ。


 深夜の神社にその音は思いのほか大きく響いた。

 それまで、その場にある音は釘を打ち付ける音だけだった。

 そんな状況で他の音がしたら目立つのは無理もない。


 顔を真っ赤に塗りたくった女は振り返った。

 その目はこちらをキっとにらみつけていた。


 ハイキング中に熊に遭遇したような、そんな恐怖を結衣が襲った。

 恐らく数秒、結衣は睨まれたまま動けなかった。

 そしてふと我に返り、全速力その場から駆け出した。


 一度も振り返ることなく自宅に逃げ帰り、その晩は眠れぬ夜を過ごした。


 それから数日後。

 結衣はふとした拍子に、その女の姿を街角で認めた。

 最初は偶然かと思った……正確にはそう思うようにしていた。

 しかし、彼女の姿を見る頻度は高くなっていった。

 もはや偶然と思うことはできなかった。


 女はただ遠くから結衣の姿を見るだけで、何かのコンタクトがあったわけではない。

 それでも、悪質な付きまとい行為と断じるには十分だった。


 結衣は両親にこの件を相談し、妥当な判断として相談先を警察に変更した。


  〇


 少女はそこまで話し終えると出されたお茶を一息飲んだ。

 母親は少女の背中をさすった。


 そして話をつづけた。


「この先はまだ警察に話してないんですが」


 これは傾聴すべきことに違いない。

 我々いかがわしい世界の住人三人は小さく身を乗り出して話の続きを待った。


 それと同時に彼女に身に奇妙なことが起きた。

 あの女の姿を初めて見て数日後。


 朝起きると手のひらに痛みを感じた。

 見ると血が滲んでいた。 


 また、その奇妙な痛みと入れ替わるように女の姿を見ることは無くなった。


 話し終えると少女は出されたお茶をまた一口啜った。 


「その『痛み』を初めて感じたのはいつの事?」


 千鶴さんがゆっくりと尋ねた。


「……ええと……3日前です、確か」


 千鶴さんは「3日か」と小さく反芻した。

 そして徐に立ち上がって言った。


「ストーカー事件の解決において重要なことは」


 彼女はしっかりと少女の目を見据えた。


「まず、相手に『ストーカー行為をしている』という事実を認めさせることだ。

――その女がどういう理由で君を追いかけまわしたかはわからない。

それも含めて聞き出すのが私たちの仕事だからね。君は何も心配しなくていい。

かならず解決するよ」

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