06-2.トンネルの向こう

 ――しだいに、トンネルの天井が高くなってきた。

 ウィルはこごんでいた背筋を伸ばした。

 すこし気持ちに余裕がでて見渡せば、前方に向かって草の背丈がどんどん高くなっていく。それにつれ、視界を遮(さえぎ)る低い枝葉もしだいになくなってきた。

 トンネルというにはだいぶ広々として、もうどの方向にでも進めるようになった。

 そうして、百リールほど進んだだろうか。

 いつのまにかトンネルは終わり、広々とした林に出た。

 ずいぶん黒っぽい風景だ。

 太い幹をした木々が、頭上のはるか上で密生した枝葉を張っている。ごつごつした黒い木はすべて同じようなたたずまいで、見わたすかぎり林立していた。陽射しはほとんど遮られ、あたりはだいぶ薄暗い。

 ウィルは手綱をちょんと引き、そのままを腰の位置におとしてだらりと垂らした。エヴィーはおとなしく歩をゆるめ、ゆっくりと歩きだした。

 下草を踏みしめる音が、ザク、ザクと響く。

 密生する草叢は、ウィルのふくらはぎくらいの低さになった。エヴィーも歩きやすそうだ。通ってきたトンネルより、もっといろんな草花が混じりあっている。

 ところどころ、枝葉の隙間をついて直進してきた陽射しが丸い円を描いて落ちている。光を浴びた草花が、鮮やかな緑を照りかえしていた。上から見下ろしていると、ふかふかして寝心地が良さそうだ。

 木漏れ陽が明るく照らしている光の輪の中で、エヴィーを止めた。

 ブーツの紐をかたく縛りなおし、下に飛び降りた。

 小指の爪ほどの白い花が、ブーツをくすぐっている。思わず、手を伸ばした。竜皮の手袋に押されて、花はかわいらしくにお辞儀をした。まるで白いワンピースを着た女の子だ。素手で触ってみたい、と思わせる。

 けれどウィルは、手袋を外さなかった。

 触ってみたい、でも……無害なものかどうか、わからない。

 花をかまうのをやめて、ウィルは近くの大木に近寄り、じっと観察しだした。

 黒い六角形の皮で表面がびっしりと覆われている。竜の皮ぐらい、ごつい皮だ。ウィルはその一枚の端に指を入れた。ぐっと力を入れると、ミシリ、と音がして一枚丸ごと剥がれてしまった。

 ウィルはぎょっとして、思わず剥いだ皮を放り出した。

 裏側が、血がにじんだように赤い。木の剥いだあとにも、ねっとりとした赤い液体がわいて、黒い幹を伝いだした。

 ウィルは、急いでネイシャンの授業を思い返した。

 木とか草って、生き物じゃない、よな……。『生物』ではあるけど、人間や竜みたいな『生き物』じゃない、はずだ。

 それでも、薄気味悪い。手袋の爪先を見て、気分が悪くなった。粘つく赤黒い液体がついている。

 帰ろうか……、ちらっとそう考えた。

 そのときエヴィーが、頭を垂れて、放り出された黒い皮に鼻を近づけた。匂いを嗅ぐようなそぶりを見せた後、舌をだして赤い液体をチョロリと舐めた。小さい目に怯えの色は無い。そのま舌で樹皮をもてあそび、最後に頭を上げると満足そうにブフンと鼻を鳴らした。

「エヴィー!」

 ウィルはおもわず、笑ってしまった。エヴィーは、なんでもないといった顔で、たたずんでいる。

 ウィルは胸をなでおろした。大丈夫、とエヴィーが言っている。エヴィーが警戒しないものなら、大丈夫だ。落ち着いて周りを見渡し、新しい物を見つけた。

 広い林のあちこちで、小さな薄い、白いものが、ひらひら漂っているのだ。

 ときどき、それは木漏れ日の輪の中に迷い込み、フラフラしてまた薄暗闇に戻っていく。目をこらしても、じっとしていないからよくわからないけれど、白い小花が茎を離れて飛んでいるように見える。

 花も、生き物じゃない、はずだけどな……。好奇心にかられた。

 エヴィーを静止させ、そのヒラヒラに向かい歩きだした。

 歩き出して、すぐに気づいた。すぐそこに舞っているように見えて、そうでもない。大木の群れで、遠近感がおかしくなっているのだ。しかも、近づいたとたん、ヒラヒラはけっこうな速さでスイとどこかへ飛んでいってしまう。

 まるで、からかわれているみたいだ。

 汗をかくほど追い掛け回して、とうとうウィルはあきらめた。

 振り返ると、エヴィーが思ったより遠くで、小さく見えた。

 戻ろうとして、ふと思いついた。ポケットを探る。

 セルゲイから渡された、ホイッスルを引っ張り出した。セルゲイと別れてから、まだ一度も吹いていない。

 『来い』の合図なら、吹けそうな気がする。上から下へ、ヒョウヒョウ、と鳴らす、あの合図。

 口にくわえ、セルゲイに教わったことを頭の中で繰り返した。まずは練習だ。唇を横に引き、草笛を吹く要領で――

 ピイ!

 硬い音が響いた。

 遠くのエヴィーが、首をもたげる。おや?といった顔つきだ。だが、まだ動かない。

 次にウィルは、くわえかたを調整しながら、低い音を出してみた。大きくくわえ、微妙に息のスピードを変えてみる。セルゲイの所でやるより、調子よく出た。

 練習しすぎて疲れると、出なくなるかもしれない。ウィルは、ほどほどで練習をやめ、本番にうつることにした。頭の中で、音をイメージしてみる。笛をくわえ、エヴィーに向き直った。大丈夫、いけそうな気がする――

 ――ヒョウ、ヒョウ!

 エヴィーが、垂らしていた首を、しゃんと上げた。こちらをじっと見ている。

 そしてすぐに、ウィルに向かって走り出した。

「そうだ、エヴィー!」

 待ちきれず、エヴィーに向かって駆けた。自分のペースで走ってくるエヴィーの首にとびついた。

 首をむちゃくちゃに撫でて褒めながら、ウィルは自分も褒めていた。

 第一関門、突破だ。

 いや、きっと、他の合図だって、できる。絶対に。

 エヴィーに再びまたがったとき、ウィルは、『自分の竜』を持つ喜びを、はじめてはっきりと実感した。

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