06-3.トンネルの向こう
林はどこまでも続いている。並足で、エヴィーと進み続けた。
エヴィーの足裏の感触まで、わかる気がする。エヴィーの心臓の鼓動まで、自分と同じリズムであるような気がする。そんな一体感がある。
エヴィーの力強い足取りを感じながら、ウィルは再びサムを思い出していた。
パルヴィス種は駆けるために生まれてきた竜だと、父親は言った。
『彼らは、駆けるために生まれてきた』
まだ森が見つかるずっと前、サムは寝袋に入ってもなかなか寝つかない幼いウィルとハルにせがまれ、砂漠の風がテントを揺さぶる騒がしい音に眉をしかめながら、二人に顔をぐっとよせてそう語ったのだ。
『パルヴィスにとっては、自分のもてるかぎりの力を解放して駆けつづけることが真の幸せなんだな。だから、彼らは力尽きて倒れるまで駆けつづける。そこがパルヴィスの素晴らしさであり、弱点でもある。多くの乗り手たちが、自分の竜が突然脚を止め、そのまま目を閉じて地面に倒れてから、やっと取り返しがつかない過ちに気づいた』
『ふつう、疲れたら自分で止まるよね。疲れたってわからないのかな?』
口を挟んだウィルに、サムは首を振った。
『どうかな。わからないのかもしれない。わかっていても止まれない生き物なのかもしれない』
『乗っている人にもわからないの?』
これはハルが聞いた。サムは首を傾けた。
『わかる、といえばわかる。冷静に自分が駆けてきた時間と道のりを考え、竜のささいな様子を見逃さなければ。しかし、言うほど簡単なことではないんだ。竜の年齢や個性でどこまで無理がきくかは違うし……。厄介なことに、パルヴィスは必要以上に休ませると、機嫌が悪くなるからなあ』
それいらい、エヴィーを見る目つきがだいぶ変わった。まだ若かったエヴィーは、今では節くれだっている巨体ももっとスリムで、サムが言ったとおり、どこまでも駆けつづける自信に満ちた生き物に見えた。
――それからだいぶ後、二人が子どもから少年となり、サムが死んでしばらくした頃、ハルが言った。
『ウィル、エヴィーがおかしいと思わない?』
ウィルには、意味がよくわからなかった。
『病気ってことか? そうは見えないけど』
『病気じゃないよ。でも、元気がないというか、変わったというか、なんていえばいいかな……』
ハルはテントの横でたたずんでいるエヴィーを心配そうに見やって、そうそう、と一人ごちてから続けた。
『うん、こう言えばいいんだ。急に老け込んだと思わない?って』
ハルによれば、老け込んだというのは病気になるよりずっと哀しいことらしかった。病気なら介抱することもできる。けれど老いになすすべはなく、ただ自分たちがこの寂しさを受け止めるしかないから。
改めて見ると、たしかにエヴィーは体つきも性格も、急速に年老いていっているのがはっきりとわかった。関節には瘤(こぶ)がもりあがり、目は人懐こくなると同時に輝きがぼやけ、オーエディエン種かと思うほどおとなしくなってしまった。
ウィルはその様子を見て、たとえ自分が竜使いの試験にパスしたとしても、この森の探索はエヴィーには荷が重過ぎるのではないかと思っていた。
しかし今、こうして自分を乗せてリズミカルにたくましい脚を奮うエヴィーの勇姿は、そんな心配をふきとばした。ドッ、ドッ、ドッと大地を蹴る震動が、新しいマスターを迎えて彼の青春がふたたび戻ってきたことを告げている。
ウィルは惚れ惚れと、躍動するエヴィーの脚の筋肉を見下ろした。
と、さっき見つけた、白い小さいヒラヒラが、エヴィーの脚にまとわりつくように舞っている。
虫、かな。ウィルは見当をつけた。
鳥にしては小さすぎるし。こういう飛び方をする虫は、初めて見た……。
ウィルが知っている生き物の名前は、『鳥』と『虫』と『獣』、あとは『人間』と『竜』。動かなければ、『木』か『草』。それだけだ。
けれども、視界に入る植物をひとつひとつ見ながら、思った。
なんて堂々とした『木』だろう、なんてたくさんの種類の『草』だろう。そして、なんて可愛らしい『虫』だろう!
こんなにいろいろな、違った種類のものがあるのに、『木』と『草』と『虫』という言葉しか知らないことが、歯がゆくなる。先のつんつんしたひょろ高い草も、あの木の幹をつたう丸い葉の草も、エヴィーが踏みつけていく小さな棘と花をつけた草も、どれも『草』としか呼べないなんて、あんまり芸がなさすぎる。
その『小さな棘と花をつけた草』に、小さな丸い『虫』がうごめいているのが見えた。エヴィーの脚がドンっと踏みつけたきわどいところで、赤いツルンとした背中にある黒の斑点が見え、すぐ後ろに流れて消えた。
ずっとついてきた、白いヒラヒラ『虫』が、ちらちら舞いながら離れ、ウィルから見て左手の方へ、木漏れ陽が円を描いている所へと飛んでいった。
それを目で追い、はっと息をのんだ。
数十リール向こうの、ひときわ太い木の幹に、なにか赤いものが巻かれていたのだ。そこだけ光に照らされ、薄暗い林の中で異様に目立つ。
あの赤、見たことがある。森の入口に置かれた門石と、同じ色。カピタルで作る染料の色だ。
エヴィーの首を巡らせ、軽く鐙(あぶみ)を使った。エヴィーが足を速める。急に風景が動きだした。赤い印が、どんどん近くなる。
間違いない。あれは人間が置いていったものだ。……父さんが。
木に駆け寄り、エヴィーから飛び降りた。
地面に降り立ったウィルの目の高さに、赤く染められた幅太い布が、ぐるぐると幹に巻きつけられている。布の傷(いた)みぐあいを見ると、ぼろぼろとまではいかないが、だいぶ長い間この状態だったようだ。
サムが巻きつけた物に違いなかった。他に、そうできる人間はいないのだから。
父さんは、ここに来た。たぶん、毎日。自分でさえ、探索最初の今日ここまで来たのだから、父さんだって同じだったはずだ。
そう考えながら、巻きつけられた布と固い結び目を調べてみた。
布はありきたりのものだ。カピタルで作る、衣服用の、裁断する前の布。しかしカピタルで、こんな強烈な赤色を着る人間は、いない。もちろんサムも。ということは、この布はここに巻くために、サムがわざわざ染めて作ったということだろうか。
何のために?と考え、すぐに答えが浮かんだ。
――目印だ。
こんな薄暗い、ずっと同じ景色が続く所だから、サムは迷ったときのことを心配したのだろう。
砂漠を何日も探索する竜使いは、並外れた方向感覚を持っている。サムも勿論そうだった。それでも、砂漠と森は違う。砂漠なら、風さえ吹かなければ、1パルヴィス(パルヴィス竜で1日走る距離)離れた所でも見つけることができる。夜なら、火を焚けばいい。けれど、ここでは数十リール先ですらよく見えないのだから、迷ってもおかしくないのだ。
迷っても……
どくん、と心臓が波打った。
ウィルは、大切なことを忘れていた。
目印。あのトンネルに戻るための目印を、一つも置いてこなかった。
急いであたりを見渡す。なんだか、もとから暗い風景が、さらに暗くなった気がする。
いや、気がするんじゃない、暗いのだ。木漏れ陽がずっと弱々しくなっている。上から差し込む角度も、森に入った頃より傾いている。昼過ぎに森に入った。あれから、どれだけ経った?日が暮れるにはまだ早いと思うけれど、自信は無い……。
ウィルはエヴィーに飛び乗った。
帰ることを、先に考えておくべきだった。今となっては、できるかぎり注意を払って、もと来た道をたどるしかない。
差し入る陽の確度を見渡しながら、頭の中で方角をつむぐ。来るときは、光の傾斜に沿うように歩いてきた。ならば、帰るときは、逆らう方角へ向かえばいい。しかし、時間が経って日が西寄りに傾いているはずだから、その分を計算に入れて……
ここにハルがいたら、計算でばっちり答えを出すだろう。そういった勉強は、学校でネイシャンが教えてくれた。太陽を見て、星を見て、自分の位置と方角を知る方法を。ハルはいつも試験で満点だった。
けれど、ウィルはいつも試験を白紙で出した。計算は苦手だ。根拠はないが、方角くらい直感でわかるさと豪語して、ネイシャンの授業を聞いていなかった。ウィルは確かに、理屈や計算抜きで方角を感じとることがうまかったけれども……もっと真面目に勉強しておくべきだったと後悔しながら、エヴィーに乗って歩き出した。
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